「ワルソー」に於ける日本音樂の夕

昭和14年 (1939年) 6月9日、須賀田礒太郎の「交響的舞曲」を含む日本の作曲家の作品がポーランドのワルシャワで演奏されました。その際の新聞記事及び現地紙の批評文を以下に紹介致します。


東京朝日新聞「神奈川版」昭和14年6月15日

ワルソーで演奏會

しかも曲目はみな邦人の作品 "若き指揮者"小船君


盟邦イタリア中亜極東協會の招聘で渡歐中の若き管絃樂指揮作曲者中宮區山手町六八縣立一中出身小船幸次郎氏(三三)は既報の通り現代イタリアの最優秀指揮者の一人モリナーリノの指導で研究を續けてゐるが、さる九日ワルソーで開催された晴れの同氏演奏會につきその前觸れを記した手紙がこの程照子夫人の許に届いた、手紙は先づ
 たうたうワルソー(波蘭)で演奏會が開けることになった、この手紙が着く頃には演奏會も終つてゐるだらうが、まあ私の喜びを知つてもらひたい
と前置きして酒匂駐波大使の好意で演奏會開催に漕ぎつけるまでの苦心を述べ
 このことは私ばかりでなく、日本の作曲家が挙げて酒匂大使に感謝しなければならないと思ふ
と大使の盡力振りを詳細に記してゐる續いて演奏曲目は左の通り全部日本の新進作曲家の手に成つたものに決めたと報じてゐる。
1. 伊福部昭氏作「日本狂詩曲」2. 平尾貴四男氏作「民謡による變奏曲」3. 松平頼則氏作「パストラーレ」4. 清瀬保二氏作「古代に寄す」5. 須賀田礒太郎氏作(中區西戸部町二ノニΟ五)「交響的舞曲」6. 秋吉元作氏作「ヴアイオリンソナタ」7. 小船氏作「祭りの頃」
管絃樂はワルソー・フイルハーモニーオーケストラでメムバーは約六十人と書いてある更に演奏會前には大使館で酒匂大使主催のカクテル・パーテイが開かれ、その席上で "遠來の指揮者" として紹介されることとなつてゐると

 ワルソーに於ける日本音樂の夕    (演奏会/現地新聞評)

            昭和14年 (1939年) 6月9日
               外務省文化事業部第2課

エキスプレスポランヌイ紙 6月6日
 フヰルハルモニーに於ける日本音樂


 6月9日午後8時日本大使酒匂秀一閣下の斡旋に依りフヰルハルモニーに於て現代日本交響樂の演奏あり。指揮者は東京より來波せる小舟幸次郎氏なり。因にイレーナ、ドビスカシ女史はオーケストラ伴奏の下に「ソナタ」を演奏すへし。


アベツェー 6月13日


 小舟幸次郎氏の因み日本大使館に夜會の催あり各國使節參列者中にケナード、ワレンチノ、モルトケ、ビドル及ノエル夫人ありたり。

ワルソー「ナシ プシエグロンド」6月22日
   日本現代音樂 (エム、ツェント氏)

 
 ワルソー音樂シーズンは小舟幸次郎氏の指揮に依る日本現代音樂會を以て其の幕を閉じた。
 青年作曲家の多くは巴里に於て研究せるを以て、其作品は「インプレシニスト」又は「ポストインプレショニスト」の作風を有し、形式に技巧的器樂の色彩を与へんとする方法に頼るものである。
 此等音樂家が西欧の音樂を廣く適用せんする關係上「ホモトーン」及音響の上に於て其の感しは西洋音樂と深き關係ある如く響くのは無理もない、忘る可からざることは「サンサーン」以後の佛蘭西音樂程近東及極東の音樂の有する特異性を多大に取り入れたものは少ないと云ふことである。
 日本青年作曲家が「デビュシー」又は「ラヴール」の器樂的効果を使用せるは當然考へらるる点で、日本音樂が益々西洋化するに從って西洋人に理解し得らるべく、「パレストリーナ」に始まり「デビュシー」、「ストラヴィンスキー」及「ミルハンド」に終る西洋音樂の「エステティク」(審美)に近づくものとして、親しみ得らるであろう。
 五音階に基礎を置く日本音樂は特に新發見のものでもなく、この「エキゾチック」な音階は既に西欧の作家に用ひられて居り、波蘭の青年作曲家にも使用せられて居る。
 「ペルコフスキー」「マクラケーウィチ」の如きは「日本音樂」と題して微妙なる「ハーモニー」と、純朴なる「ホモホニー」を使用して之を紹介して居る。
 現在に於ては「テーマ」の取扱ひ及音響の上に於て西欧「オーケストラ」の音及器樂上の影響を受けて日本作曲家は作曲している然し之が為にその特有の心理的特徴は摩滅せらるるものでない、何となれば数世紀の傳統と獨自の「型」を創作せんとする熱望が強いからであり、日本人の研究心の強いのに鑑みても益々特有の音樂の建設は可能であらう、今回才能ある小舟氏の指揮の下に紹介せられた作品の程度より考へても可能性は充分あるものと思はる。
 プログラムには作曲家の小傳を掲げてあつた、之に依つて見るに大部分は巴里に於て研究した者を帰國後「近代作曲家聯合」を作り、著名なる外國の教授の指導の下に日本音樂を宣傳しつつあるとのことである、在巴里「ツェザール、フランク」名称「コンセルバトアール」を卒業せる平尾氏の如きは狂奏曲の形式を良く扱ひ、民謡の「テーマ」を取扱いたる松平氏の「パストラール」は形式上の繊細なる効果を十分に発揮した。清瀬氏は對象と器楽との取扱上多大の理解を示し、須賀田氏はその交響的舞曲に於て「ラテン」文化の影響を充分同化せるを示した。箕作氏の作品はその「アレグロ」に於て特に廣重、歌磨又は北斎の版画を見る如き完成せられたる繊細なる美を感ぜしめた子守歌は我々を感動せしめた。小舟氏は最も傳統の型を破り其色彩の上に於て又「リズム」の豊富なる變化に於て充分なる創造力を示して居る、小舟氏は同時に作曲家同人の作品の解説者でる、ドウビスカ女史の「ソナタ」のリズムの變化をよく感得した。

ワルソー「チャース」6月20日
日本音樂會


 日本音樂の催しに依り日本國民の良き文化的發展につき知るを得た。音樂の方面に於けるプロドウクションに就いては從來知る處尠かりしを以て特に興味深きものであつた。
 日本音樂の「モーチフ」はプチニーが「マダムバッタフライ」で使用し作曲したが日本音樂の特徴を出すことは全然不可能であつた。今回發表された作品は伊福邊氏以外六名の作曲家であるがその内數名は歐州に於て (巴里) 研究せる者もあつて之か結果技術上佛蘭西音樂の影響を受けた跡がある。
器楽の使用に關して或作品は多少「エフェクト」を窺ひ過ぎた觀がある。

ワルシャフスキ ジェンニク ナロドーウィ 6月12日
日本音樂の夕   音樂批評家 リッテル


 フヰルハルモニーに於て六月九日、日本より來れる作曲家並指揮者小舟幸次郎氏の下日本交響樂の夕ありたり。
 東洋音樂は周知の如く我々より百年、千年の古き文化を有するに係らす自由にして純粹なる他の藝術より獨立せる荘重なる音樂を建設せざりしなり。この分野に於ける努力の跡は歐州民族の上に全幅的に見受けらるる處とす、歐州大陸以前の諸國に於ては音樂はその源を幽遠なる歴史の泉源に發し居るも民謡或は祭儀、舞踏の樂の形式を出すして民族の魂より發露せるものは斯る形式の下に冷却して又は石化せるの觀ありたり、即百萬を代表し感し且つ考ふる選はれたる創作的精神を有する者によりて自由なる藝術の域に引上けられざりしものなり、歐州音樂 (「アーリアン」音樂と稱すへきか) は其の傳統極めて若く三百乃至四百年を出さるものにして文化の上に於て繪書及詩歌より遥かに遅れて重大なる地位を保持するに至りたるものなるも右數百年中に於ては輝しき發展を示したり。
 他の民族、種族にありては之と異り發展及黄金期なく停滞と假死を見出すものなり、右の原因に關して研究せんとするを暫く置き事實その音樂は多聲的にあらさると鮮明にして且つ合理的なる建築的線のなきものなり。
 即感情 (實感) を強く且つ持續的なる形式を取扱ふことに缺くると同時に建設的且つ障害を打破し遥か将來わ約する豊富なる音響校正の能力に缺くるものなり。
但し之無きを以て東方民族は獨融特なる美を有せす單に枯死せるものと稱するに非す反つてその音樂に民族の永久に生きたる魂の反映を見出すものなり、言はんと欲する處はその表現の方法かプリミテイーフなりと云ふにあり。即表現は感情の爆發により多く傾き感情を調整し藝術の形式の下に取扱はんとすること尠きものとす。
日本音樂は最近迄數世紀に亘り右プリミテイーフの域を脱せさりしものなり。最近この抱負大なる遠き島國の民族は歐洲文化の成果を採り音樂の領域に手を差し述べ我々に肩を列へんと欲したり、
最近日出る國の人はピアノの弾奏を始め然も立派にこの樂器を征服せり (ピアノ及此に類する樂器は日本に全く知られざりしものなり) その後指揮者、作曲家等現れ歐州の方法に倣ひて努力する處ありたり。
 日本民族の歐州文化を同化するの能力は天才的にして音樂に於ても之を窮知し得るものなり日本人は西洋式に音譜を書くことを習得し音樂技術の使用を習得し交響樂の構成を体得せり、右は日本音樂に採りて革命的のものなりと稱し得へし、言を換へて云へは短期間の間に大なる跳躍を行ひたり、而して日本は幾多の音樂家を世に送りたり。
 斯る事實に對し吾人は全幅的敬意を表するものなり。
 日本人は歐州音樂及其の表現方法を研究するに方り、過度期的時代に遭遇せり。この時代に於ける音樂は大戦後のものにして實驗的性質のものなり。
 日本の音樂家は日本音樂の單聲的なるを知りハーモニーも、コントラプンクトも豫め知らすに直ちに歐州音樂の雰囲氣中に置かれ創作上の分岐點に立たされたり。
 西歐の音樂も嘗ては單聲的なるものなりしも漸次經驗と努力の後音樂的大殿堂を建設せり、日本人は斯る過程を逕す直ちに (未た健全なりや否やは知らさるも) 一雰圍氣中に踏み入りたり、即メローデイーのプリミテイーブなる者より技巧的なるハルモニーと建築的なるものの中に自らを置きたり。
 日本の率直にして自然的なる新藝術は之によりて得る處ありたりや反つて苦惱せるや質問し度き件とす。
 今回示されたる日本音樂に對する小舟幸次郎氏の説明を基礎として考察するに日本人にして西歐藝術の域を脱せんとする者は日本音楽を最も日本的なるものと為さんと努力せる如し。波蘭の若き音樂家亦他國の影響を脱し日本人の企圖に對し一考すへき價値なきや。
 學徒は先輩の缺點を見出すことに容易にして力強き美なる方面を護得せんとするは藝術の上に於て漸々見受くる處とす、之か結果表現は技巧的になり遂に藝術と稱するより寧ろカリカチュアー化するものなり。
 日本音樂家は日本音樂の西歐化に當りては西歐音樂の最良なる特徴のみを把握せりとは稱し難し、寧ろ外形を取り入れたるの觀なきに非す、即音響のエフェクトの方面にして建築的方面、表現の深刻化、音樂的構想の叡智に富める解決、テーマとなるへきモチーフの取扱ひの方面は取り入るること尠きか如し。
 七名の代表せられたる作曲家中に於ては吾人の考察する如き創造的個性を感得するは困難なることとす。
 小生は日本のプリミティーフなる音樂の有する純粋にして直接的且獨特なる美を有効に多大に感得し得たるものなり。
 巴里式小セクンドの二個又は二個以上の使用 (普通聴覺を疲労せしむるもの) 又は故意に短きモーチフを繰返し之を解決せさること、或は聲楽器のブルタールなるエフエクトより開放せられざりし點等は日本の歌の有する單純なる線美しき詩的特徴を暗くする附加的のものに非ざるや。不思議に思はれたるはこれ等の歌 (メロデー) 中にはスラヴ系のものと血族的なりしものありたることにして特に須賀田氏の交響樂的舞踏中には波蘭及ロシアの特徴に歓關係あるものを見出せることとす之を要するに日本近代音樂は現下發酵期にあり、余はこの中に美しき将来を約束するもの、健全なる企圖、 歐洲の現代的人工的技巧を打破し行くもの、未た破壊せられさる「詩」を見出すものなり。但し今回吾人に示されたるものは一時代の初期のものと觀察するものにして、これら七名 (氏名及作品名を掲ぐ) の作品中には多くの美なる部分 (フラグメント) を見出すも同時に建築的衡性に缺け居る點も吾人の注意を惹きたる處にして且つ又ハーモニー式の色彩のみに餘りにも多く頼りたる為めモノトーン的なりとの批評を免れさりしものとす。
 小舟氏はオーケストラを巧みに馴れたる技能にて指揮せり、小舟氏は疑もなく才能と智識を有する音樂家なり。ソナタのヴァイオリンの部はイレナドゥビスカ女史により良く演奏せられたり。吾人は波蘭に於て現代日本の音樂を聽くを 得たることを欣幸とす。現代日本音樂の發展は特に興味を唆るものなり。