眞木不二夫ファンクラブの方からのお便り (機関誌より転載)



私は四人の子供と六人の孫を持つて居ります老人で御座いまして、唯々貴男様お吹込みの片瀬夜曲がたまらなく大好きで御座いますので一筆申上げさせて頂くのです。
 あのスムースなキレイな上品で貴品(ママ)のある歌ひ方にはつくづく感心をさせられてしまいました。歌の中におこがましい事乍らミジンも悪いクセが御座いません。あの歌をきいて居りますと自然に気分が爽快になつてしまいます。
 私はもうニケ年も高血圧の為看護婦に付添われて靜養中の身で好きなダンス、お花等に依り心を慰めて暮して居ます。
 ダンスの時に先づ第一に片瀬夜曲で御座います。あの位のテンポが只今の私の体に丁度宜しいので御座います。日に日に貴男様の御名声は高まる一方で何かと、よろこばしくぞんじます。
 どうぞ呉々も御自愛のほどをお願い致します。

 (村◯ ◯◯子)

私はこの文章に感動し、どうしてもご紹介せずにはおれなくなりました。
文中から、この方のお人柄や純朴な思いやりの心が滲み出て来るようです。
句読点をほとんど付けず、文章の流れのおかしさや誤字もあるのですが、その事からさえも私は強く心を打たれました。
特に「あのスムースな…」以降で語られた部分は、真木さんの歌の本質を見事に見抜いておられると思いました。
このように純粋な心で聴いてくださるファンが、真木さんには多くいたのですね。
何かトッテモ嬉しい気持になりました。(きづかい)


歌謠談義 其の一  島田磐也


今や、歌謠曲界のホーブとして、レコードに、映画に、放送に、実演に、行くとし可ならざるはなき情熱の歌手真木富士夫さんの人気は、殊更に私が蝶々するまでもなく、順調な上昇線を辿って、もはやその地位も揺るがぬものとなつていることは、全国の真木グルーブ・ファンの皆さんも御存知であろう。
 我がテイチクにおける、彼のヒット盤は、

 霧の港  泣くな片妻  わかれ岬  片瀬夜曲  母月夜の唄
 母千鳥  城ケ島の灯  情炎の波止場
  
                         等々枚挙に遑なしである。
 
 彼に接した人なら、あの何とも言えないリリカルな、ボオリユムのあるハイ・バリトンの流れるような美声が、彼の特長であり、それに加えて人柄の良さが、直ちに心に慈雨のように觸れてくるのを覚えられるであろう。
 今日に至る迄、真木さんは、昭和十六年の六月に既にポリドールへ入社して歌つていたが、(その頃は、小谷という名であつた) その間、支那事変勃発や、いろいろな不利の環境に立たされて、永い間恵まれずその双翼を思うまゝに自由に伸ばされない不遇さにあつたが、それにも耐えて孜々営々と自己に鞭打ち、所謂いばらの路を自ら切り拓いて来た努力、精神の人であつた。
 風雪を越えて、歌手としての榮冠をかち得た人である。
私はこゝに真木富士夫さんが、今日の大を成した原因があると思う。
 以下、私が感じた儘を率直に述べる。真木富士夫歌揺曲の研究とも言うべき、気儘な落書きとして、綴る駄弁である。
 さて、最近の彼のヒツト曲と言えば、直ぐ心に浮かぶのは「泪の夜汽車」である。

  暗いシートで  肩よせ合うて (以下略)

 この作詞は坂倉文雄氏、作曲は平川浪龍氏で、共にテイチクの専属作家として活躍している人々である。
 ところで作詞に表現されたものは、タイトルが示すように、若い男女が夜汽車に乘つて男の故郷へ帰る心境を歌つた内容である。第一聯は男の主観を通して見た情景であつて如何にも、寒々とした人生の一点描が其処に描写されている。好個の短編小説を読むような感じがする。
 
  むせぶ汽笛に  想いは乱れ (以下略)

 第二聯は、心もとない帰郷の夜汽車の中で聴く汽笛の物哀しい音色に、想い乱れた二人に滲む灯影の悲しさが、彼の止めどもない想念となつて、彼女への呼びかけとなつて現れている。(以下次号)