真木不二夫と私 (I. Y.)



  (テイチク/真木不二夫全曲集」より)


(第1章)
 昭和45年、東海林太郎、藤山一郎など錚々たる懐メロ歌手のレコードが復刻或いは新録、中にはLP大全集が発売され、折から懐かしのメロディや思い出のメロディで懐メロブームは拡がっていた。その中でどうしても聞くこと見ることの出来ない歌手がいた。しかしどうしても忘れることのできない歌手、それが真木不二夫である。


   
  津村 謙 (1923〜61)


 真木より早く亡くなった津村謙は映画の中とはいえ「上海帰りのリル」を堂々と歌うシーンが映像で何度も流された。真木のシングル盤を昭和47年に手に入れた。

  

   真木最大のヒット曲「泪の夜汽車」(昭和27年6月)


 「泪の夜汽車」「霧の港」が入っており「泪の夜汽車」に聴き惚れ、この1枚から真木不二夫にのめり込み自分の一生を追いかけたのである。3年前に真木不二夫のHPの存在を知り、凄い方がおられると大変驚いたのと同時にやはり私と同じいいえそれ以上に篤い思いの方がおられる事を。レコード時代、現在のCD化全盛期においても真木不二夫の扱いは不遇である。テイチクがビクターエンタテインメントに吸収合併したことも原因のひとつかも知れない。


(第2章)
 私の住んでいた京都市内で古い中古レコード店が二店あり、真木不二夫のレコード探しで骨董品市ヘ、またや気が遠くなるがKBS京都ラジオにリクエストするなどして真木の音源を集め20年経って10数曲集まった。このKBS京都のレコードはSPにも関わらず針飛びもなくノイズが少ない綺麗な音だった。しかしもう少し真木不二夫の情報が欲しいと思い、国立国会図書館ヘ出向くが手続きが面倒な上、ことごとく「そのレコードはありません」と成果なく、間もなく平成4年に懐メロ愛好会を知り入会したところ、諸先輩方に何人もの真木不二夫ファンがおられいろいろ詳しく教えてもらった。林業関係の仕事で年数回のSPレコードを聴く会にも顔が出せなかったが真木不二夫の回には這ってでも行って聴き、「流れる母」「トラジの故郷」「北京帰りの銀子」は歌詞も良く私は胸が締め付けられる思いがした。


  
  北京歸りの銀子(昭和28年8月)


 やっと真木不二夫のLPが発売されたが選曲には魅力があまりなく残念だった。諸先輩方の話でいくつか。紅白歌合戦初出場で歌った「知らない町に雨がふる」は村澤良夫よりも真木の方が似合う歌だと思っていただけに思わぬサプライズだったと話された。(この頃実際に聴いて覚えている人がいる事に驚き)この歌は「旅路の雨」に似ている。またレコード入手に苦労したレコードは「街角の鈴懸に」「桜ラプソディ」、HPにも紹介された「淡路の乙女馬車」。

「櫻ラプソディー」(昭和27年4月) 「淡路の乙女馬車」が収録された日本オリオンレコードEP


 これは入手出来ないと言われたのが、白馬観光協会がPRとしてソノシート番号「山岳の唄」(これは私が調べたところ一戸竜也ではないかと思われるが先輩方に叱られそう)と言われた。全ては30年前の話である。今後も真木不二夫のHPは目が離せない!新しい情報を待ち焦がれている私である。(2023.3.20)

日活映画「百万ドルの明星 陽気な天國」で「涙の連絡船」を歌う真木不二夫