NAXOS/須賀田礒太郎CD解説の内容について

    (CD画像提供/アイヴィ)

 「日本作曲家選輯」の片山杜秀氏の解説はどの巻も読みごたえのある秀逸なものですが、須賀田礒太郎CDの解説の内容については、須賀田を研究させていただいている者として、私はいくつかの点が気になりました。どれも些細な事で、まことに僭越とは思いますが以下に記してみます。読者の方のご判断を仰げればまことに幸いです。(岡崎 隆)


★5ページ目左側17段目 山田一雄という名前は、戦後になってから変えたもので、当時は山田和男でした。
★5ページ目右側19段目以降 1935年に「日本絵巻」が入選云々→入選年は1936年です。 (作曲は1935年)。 また、正しい曲名は「日本華麗絵巻」です。
★5ページ目右側下から14段目 「前奏曲とフーガ」とありますが、作曲者直筆譜表記は「前奏曲とトッカッタ」です。ただ初演のプログラムには「前奏曲と遁走曲」と書かれていたらしく、これを訳すと「前奏曲とフーガ」になります。当時の邦訳ミスではないでしょうか。
★5ページ目右側下から4段目 山田和男「若者のうたえる歌」→作曲者直筆譜表記は「若者のうたへる歌」
★5ページ目右側下から4段目及び一番下の段 小船「祭りの頃」は、小船の直筆譜表記は「祭の頃」です。(私のHPの表記も違っていました)
★6ページ目右側 彼の作品は幾つかの室内楽曲云々の箇所→ピアノ独奏曲 (2曲のソナタ他)や、10曲近い合唱作品にも、ひとこと触れていただければ嬉しかったのですが・・・。
★6ページ右側10段目以降 「交響的序曲」はワルシャワでコンスタンティン・レガメイにサン=サーンスとラヴェルの中間を行くと評された。→レガメイは、伊福部や小船の作品が日本的と思われるのに反し、須賀田の曲は「様式の上においてサンサーンスよりラヴェルに至る作品の型を有して居る様に感ぜられた」と記しており、「サン=サーンスとラヴェルの中間を行く」というニュアンスは含まれていないように思われるのですが・・・。
★7ページ目左側14段目以降 「その一方で民族主義的な管弦楽曲「日本舞踊組曲」(1950年)や」云々の箇所→「日本舞踊組曲」は1941年の「弦楽四重奏曲第1番」を管弦楽に編曲しただけなので、この時期を特徴付ける作品とは言えないかも知れません。
★8ページ左側11段目 早坂文雄の「序曲ニ調」のCD番号 (NAXOS 8.557819J)が漏れている?
★11ページ右側上から2段目 高田三郎の組曲「泰 (タイ)」とありますが、作曲者直筆譜表記は、舞踏組曲「新しき泰」です。 (戦後「新しき土と人と」と改名)。なお高田氏の「高」は、作曲者は必ず旧漢字 (ここでは表記できませんが・・・) を希望しておられました。(大澤壽人が旧漢字で表記されていましたので)
★11ページ右側上から12段目 この組曲 (注/ 沙漠の情景) は作曲家の筺底に蔵われ、それきりになった。→ 実は須賀田は、この組曲の5曲すべてを、1951年のオペレッタ「宝石と粉挽娘」の中で、アリアなどに再編曲し用いています。そしてこのオペレッタは部分的ながら上演された可能性もあるため、「それきりになった」と書かれると、少し須賀田が可哀想な気がします。