日本の作曲家たち/4  尾崎 宗吉 

                  (1915 〜 1945 )
     (写真/音楽の世界社・刊/現代日本の作曲家1「尾崎宗吉」より)


(2021.10.8更新)

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夭逝の作曲家/尾崎宗吉


 1945年3月14〜16日、あの忌わしい東京大空襲の爪痕も生々しい日比谷公会堂において、日響 (現N響)の定期公演が、山田和男の指揮により行なわれた。 
 当日のプログラムで、チャイコフスキーの交響曲第4番、ストラヴィンスキーの「火の鳥」という二大曲に挟まれる形でつましく演奏され注目を集めたのが、早逝の天才作曲家・尾崎宗吉の「田園曲」であった。 会場につめかけた聴衆たちの多くは、まちがいなく大空襲の惨禍から辛くも生き延びた人々であり、極度に疲弊していたことだろう。そんな人々の耳に、この「田園曲」は一体どのように響いたのだろうか・・・・。

 しかしこの演奏会の時尾崎は応召先の中国にあり、自作の初演を耳にすることは出来なかった。 そしてそのわずか2か月後に、広西省の病院で虫垂炎のため30才の若さでこの世を去ったのである。

 時代がもし、かくも過酷で無かったら・・・そして尾崎が戦地にあらず、少しでも早く今日のような医療を受けていたら・・・このような思いを重ねれば重ねるほど、私は虚しさに覆われてしまう。
 そう、人は決して生まれる時代を選べないのだ。

「田園曲」フルスコア/第1ページ
        (日本近代音楽館/所蔵)
尾崎宗吉の数少ない管弦楽作品中、現在フルスコアの存在が確認されている唯一のもの。
随所に初演時の指揮者・山田和男によるとみられる書き込みがある。
静かなヴィオラのさざめきの中から浮かび上がってくるオーボエの美しい旋律・・・


 尾崎は病気によって若くして作曲活動の道を閉ざされたが、「尾崎宗吉」の名は、永遠に伝説となった。
冒頭の写真をよく見て欲しい。何といい顔をしていることだろう・・・・!!
彼の写真を眺めていると、ふと私は、徒に馬齢を重ねる事の醜悪さに思い至ってしまう。


 
 尾崎宗吉は1915年 (大正4年)、静岡県・舞阪に生まれた。
幼い頃から病弱であった彼は、何度も生命の危機ともいえる大病を患ったが、大家族あげての看病で命をとりとめた。そんな彼が興味を示したのは、小学校の頃親から買ってもらったオルガンであり、またラジオやレコードで耳にする洋楽であった。浜松第一中学時代、一年間休学したこともあって彼の体はめきめき丈夫になり、家で好んで叩いていた木琴は、すぐにボロボロになってしまったという。

 尾崎が本格的に音楽の道に進むことをと決心するようになったのは、中学4年の頃であった。 ハーモニカ部でリーダーシップを発揮する彼の華々しい活躍振りに、周囲の誰もが彼の音楽の才能に一目置くようになっていたのである。
 尾崎は東京音楽学校 (現東京芸大) の第2次試験まで進んだが、尿に蛋白が出たというだけの理由で不合格となり、東洋音楽学校 (現東京音大) に入学する。学校では作曲をまず諸井三郎に師事し、入学後半年もしない頃に「小弦楽四重奏曲」を発表、たちまち注目を浴びた。 当時初めて開催された「作曲オーディション」でもこの「小弦楽四重奏曲」は好評を博し、また尾崎自身も安部幸明ら当時新進気鋭の作曲家たちと出会うこととなる。

 東洋音楽学校を卒業後尾崎は日本現代作曲家連盟に入会し、また小倉朗や安部幸明、深井史郎、山田和男らと自分たちの作品を演奏するための楽団「プロメテ」を結成した。
 22才からの3年間は、尾崎の創作活動・私生活ともにその人生のなかで最も充実していた時期といえるだろう。 結婚し阿佐ヶ谷の新居に転居した彼は、3曲の「ヴァイオリン・ソナタ」、ヴァイオリンとピアノのための「日本民謡による幻想曲」をはじめ、安部の影響から自らも手を染めた「チェロのためのソナタ」、チェロのための「幻想曲とフーガ」、「初夏小品」、そして初のオーケストラ作品「3つの楽章」など、注目すべき作品の数々をたて続けに発表している。

 しかし25才の時 (1940年) 初の召集をうけた尾崎は以後3年の間、華北・台湾・南方を転戦することとなる。 おりしも日本は皇紀2600年を迎え、R.シュトラウス、イベールら海外の著名作曲家や、橋本國彦ら邦人作曲家による奉祝作品の上演が数多く行なわれた。この、ある意味で芸術活動が華々しく行なわれた時期に尾崎が軍役のために作曲活動の空白を余儀無くされた事は、彼にとってはたして不幸だったのだろうか、それとも・・・・?
 ジャカルタでのひととき・・名ピアニスト・リリー・クラウスの演奏を、尾崎は一体どのような思いで聴いたことだろう。

 27才 (1942年)、無事帰還を果たした尾崎は、創作活動を再開する。
ピアノ曲「変奏曲」、歌曲「逝く秋」、「ヴァイオリン・ソナタ第4番」、そして彼の作品中今日最も知られているチェロのための「夜の歌」などが、この時期に生み出された。 時はおりしも大平洋戦争の真只中で、音楽界は戦いを鼓舞する勇壮な音楽が主流となっていた。 
 しかしこんな状況に、尾崎は疑問を抱く。
「日本人には元来生命を捧げてことに殉じ、自分として最大の任務を遂行しようと極度に緊張した時には非常に沈潜した悲愴的な静かさに相応しきものを感じ、それによって勇を鼓舞すところがあるものの様だ」(「帰還兵の感想」〜「音楽公論」1943年3月号)

 翌年 (1944年)、尾崎はふたたび召集を受け、中国各地を転々とする。
1945年3月、冒頭に記した「田園曲」が日響により初演されるが、戦地の彼はついにその演奏を聴くことも叶わなかった。

 そしてその2か月後、30才という短すぎる生涯を閉じるのである。


 上記の文章を執筆するにあたり、下記の文献を参考に (というよりも、ほとんどそのまま引用)させていただきました。尾崎宗吉の写真の転載・ご本の引用を、快くご了解くださいました小宮様、本当にありがとうございました。
                        
                              (岡崎 隆)

現代日本の作曲家1「尾崎宗吉」(クリティーク80編・著/音楽の世界社・刊)
現代日本の作曲家・別冊3「受容史でない近現代日本の音楽史」
(小宮多美江氏・著/音楽の世界社・刊)

 (もし記載内容に事実と異なる部分がありましたら、是非お知らせください。
また尾崎宗吉について詳しいエピソードをお持ちの方のメール (pasAma.medias.ne.jp /「A」をアットマークに変えて下さい。) も、お待ちしています。


尾崎宗吉唯一の管弦楽曲「田園曲」(1945) のパ−ト譜完成 !!


 楽譜作成工房「ひなあられ」ではこのたび、彼の遺作となった幻の管弦楽曲「田園曲」(1945) の演奏用パート譜を完成致しました。引き続き彼の室内楽作品の演奏譜を、最新のコンピュータ楽譜作成ソフトを用いて作成したいと考えております。
 この計画は当工房の「日本の作曲家による作品の少しでも演奏しやすい演奏譜を作成し、実演の可能性を探りたい」というプロジェクトの一環として行なわれるものです。
 
 このプロジェクトについて、皆様のご意見・お問い合せのメール (pasAma.medias.ne.jp /「A」をアットマークに変えて下さい。) をお寄せくださいますよう、お願いします。を、心よりお待ちしています。

尾崎宗吉/作品一覧表

」 小弦楽四重奏曲 (1935) 10'
」 チェロとピアノの為の「幻想曲とフーガ」(1936) 7'
※ ヴァイオリン・ソナタ第1番 (1936) 13'
」 歌曲「初夏小品」 (1936) 2'
」 二つの歌曲 (月夜、初夏小品) (1936) 4' (1管編成オーケストラ伴奏)
」 チェロ・ソナタ (1937) 14'
」 ヴァイオリン・ソナタ第2番 (1938) 17'
※ ピアノの為のソナチネ (1939) 15'
」 ヴァイオリン・ソナタ第3番 (1939) 11'
」 管弦楽のための「田園曲」(1939 ?) 7'
※ 歌曲「逝く秋」 (1943)
※ ピアノの為の変奏曲 (1943)
※ ヴァイオリン・ソナタ第4番 (1943)
」 チェロとピアノの為の「夜の歌」 (1943)

(※印のものは現在、楽譜の所在が不明なもの)

(楽譜所在・作曲年代が不明のもの)
※ ピアノの為の「前奏曲」
※ ピアノの為の「前奏曲とフーガ」
※ ピアノの為の4つの小品
※ ヴァイオリンとピアノの為の「日本民謡による幻想曲」
※ 管弦楽のための3つの楽章 (前記「田園曲はこの中の1曲)
※ 映画音楽「海軍病院船」 (映画は現存/ビデオあり)


おことわり/この作品表は、音楽の世界社・小宮多美江様が2003年に作成された「作品年表」をもとにしております。


尾崎宗吉のCD、テープ等

尾崎宗吉/堤琴と洋琴のための奏鳴曲第3番 (1939)
  新井英治 (Vn.)、白石光隆 (P) ライブノーツ WWCC-7426  2,800円

 現在のところ尾崎宗吉の録音で唯一入手が容易なCD。「クラシックプレス」第14号によれば、尾崎の奏鳴曲は「西洋的構成との格闘の様子が強い」作品と評されている。筆者は早速このCDを入手し、試聴した。曲は2楽章からなり、暗い抒情にみちた第1楽章、うって変わりプロコフィエフばりの躍動感にあふれる第2楽章と、東フィルのコンサート・マスターをつとめる新井英治の力演も相まって、たいそう聴きごたえのある演奏だ。
 併録の箕作・吉田作品などと併せて、ぜひ一度は聴いてみて欲しい。

尾崎宗吉/チェロとピアノのための「夜の歌」 (1943)
         井上頼豊 (Vc)、村上弦一郎 (P)  音楽センター CCD-733〜4

 井上頼豊はご承知のとおり我が国チェロ界のパイオニア的存在であるが、生前の尾崎宗吉とも親交があり、尾崎の没後、そのチェロ作品の演奏・啓蒙に尽力した。なかでもこの「夜の歌」は井上が好んで取り上げた曲で、その演奏回数は実に40回にも及ぶ。
わずか40小節の小品だが、深い抒情と諦念とがシンプルな曲想の中に込められた、なかなかの佳曲である。この曲には他に苅田雅治による演奏 (「尾崎宗吉・室内楽の夕べ」のライブ録音テープ /コジマ録音/CLM-2013)もあるが、前記の井上盤とともに現在極めて入手困難。ちなみに筆者は、このCDを出張先の大阪のBOOK-OFFで偶然発見した。

 他に現在その多くは廃盤で入手困難だが、音楽の世界社刊「尾崎宗吉」によれば、下記の尾崎宗吉の録音がある。もし古レコード店等で見かける事があったら、百襲して入手されることをお薦めする。(かく言う筆者も未だ未入手である・・・)

★ クリティーク80「尾崎宗吉・室内楽の夕べ」ライブテープ
   (コジマ録音 CLM-2013)
 小弦楽四重奏曲 (1935)、チェロ・ソナタ (1937)、ヴァイオリン・ソナタ第2番 (1938)、ヴァイオリン・ソナタ第3番 (1939)、夜の歌 (1943)、
   水野佳子 (Vn)、苅田雅治 (Vc.)、高橋悠治 (P)

★ 井上頼豊リサイタル「日本のチェロ曲半世紀」パート 
   (コジマ録音 CLM-2051)
 チェロとピアノのための幻想曲とフーガ (1936)、チェロ・ソナタ (1937)、夜の歌 (1943)、

★ 「現代日本の音楽」第7集・室内楽
   
(東京音楽大学レコード TCM-0071)
   小弦楽四重奏曲 (1935)
 田中千香士、篠崎功子 (Vn)、兎束俊之 (Va)、掘了介 (Vc)

★ 井上頼豊リサイタル「日本のチェロ曲半世紀」パート 
   (音楽センター MLS-4003〜4)
   夜の歌 (1943)



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