朝ドラ「ブギウギ」に真木不二夫の名が !!

(2024.4.19)


笠置シズ子をモデルにしたNHK朝ドラ「ブギウギ」3月21日の放送で、図らずも真木不二夫の名が!!
昭和31年の紅白歌合戦をもじった「オールスター男女歌合戦」プログラム検討会議の黒板がアップになりました。
左側の下から二番目・・・んんっ?

槇不二夫「旅路の雲」

と書いてあるではありませんか!!

実はこの年、真木不二夫は「旅路の雨」を歌い、これが彼最後の紅白となったのです。
こんな形で一瞬でも天下の朝ドラに真木不二夫の名が写ったという事に、一ファンとしては一日中嬉しい気持ちで過ごす事が出来ました。
それにしてもNHK大阪の遊び心はすごいですね。  黒板に書かれた歌手と曲名に、思わず笑ってしまいました。
画面が小さかったので自信がありませんが、おおよそ次のように読み取れます。

坂本敦郎「自轉車行樂」、笠木正夫「福島炭坑節」、石英男「ク・イ・ド・ン」、クック・ミネ「あなたの青空」、樫山一郎「あゝ高原は緑」、畑中照夫「愛とは素晴らしいもの」、西山林太郎「白城の子守歌」、原田次郎「秋風の吹きよで」、遠江俊郎「想い出夕焼け」、代阪一也「ハートブレーク・トリック」、冬目八郎「別れの一本松」、浅田勝彦「白銀の山小屋で」、三橋満男「哀愁汽車」

(正解を記しておきます)
岡本敦郎「自転車旅行」、鈴木正夫「常磐炭坑節」、高英男「セ・シ・ボン」、ディック・ミネ「私の青空」、藤山一郎「あゝ草原は緑」、旗照夫「恋とは素晴らしいもの」、東海林太郎「赤城の子守唄」、若原一郎「風の吹きよで」、近江俊郎「想い出月夜」、小坂一也「ハート・ブレークホテル」、春日八郎「別れの一本杉」、灰田勝彦「白銀の山小舎で」、三橋美智也「哀愁列車」



「パラダイス東京とわが父」

  (by きづかい)

 偶然ですが、私の亡き父親は真木不二夫と同じ大正8年生まれです。
誕生日は真木の一ヶ月前の1月です。(私の年齢がバレてしまいますね・・・団塊世代であります)

 父はシャツの縫製会社を一代で築き上げ、一時は150人もの従業員を雇用していました。
会社経営に専念するかたわら無類の流行歌ファンで、三橋美智也の大ファンでした。
ただ母との折り合いが悪く、しょっちゅう喧嘩をしておりました。

昭和20年代の後半くらいの事でしょうか・・・
ある休日の朝の事です。起きると家の中に父の姿がありません。
その前夜、母と大きな声で喧嘩していたので、朝早くに家を出、どこかへ行ってしまったようでした。

「ほんとに困った父ちゃんだ!」

母は三人の子供の朝御飯の仕度をしながら、ぶつぶつ呟いていました。
それが・・・
夜遅くなっても父は家に帰って来ません。

「父ちゃん、家出しちやったんだろうか。明日の会社、どうするつもりなんだろう」

翌朝、父の姿は会社にありました。家に寄ることなく直行したようです。
夕方、何事もなかったように、父はニコニコしながら家に帰って来ました。

「ほら、お土産だ!」

見ると、浅草名物の「おこし」でした。

「ええっ、父ちゃん、一人で東京に行ってたの !! 」
「ズルいーーー」

私たち子供は、固いおこしをボリボリかじりながら、たずねました。

「そうだ。母ちゃんには内緒だぞ」
「もう聞こえてますよ!」

振り向くと、呆れ顔の母がシャモジを握りしめて、立っていました。

「すまなかったな・・・どうしても一度東京に行ってみたかったんだわ・・・」

父は鞄から一枚の写真を取り出しました。
東京タワー前の記念写真でした。はとバスのツアーに参加したのでしょう。
多くの家族連れたちの笑顔とは対照的に、端っこに緊張した背広姿の父が写っていました。

その少しあと、罪滅ぼしだったのでしょうか、父は家族みんなを東京へ連れて行ってくれました。
行きは夜行列車です。蒸気機関車ではありませんでしたが、車中はまさに真木不二夫「泪の夜汽車」の情景そのものでした。

暗いシートで肩寄せ合うて・・・

思えば岐阜の農家に生まれた父は、人一倍都会に対する憧れが強かったのかも知れません。
その反面、故郷を離れ愛知で会社を作ったこともあってか、望郷の思いも強かったようです。
三橋美智也「リンゴ村から」が好きで、本当にイヤというほど聞かされました。

覚えているかい、故郷の空を・・・

7年前、父の遺品を整理していた時、多くの三橋のSPに混じり、真木不二夫「パラダイス東京」のSPが出て来ました。当時私には未知の歌手でした。
今思えば、父はきっとこの曲を口ずさみながら、「はとバス」の車窓から東京の街並を眺めていたのでしょう。
その同じ曲を私が口ずさみ、その歌手にハマっている・・・何か不思議な巡り合わせのようなものを感じます。

(2020.9.26 記)