最近聴いたCD、レコードから

 このページでは、当HP制作者 (岡崎隆) が折に触れて聴いたCDのなかから、新譜・旧譜、また世評の良否を問わず、印象に残ったものだけを取り上げてまいります。
(なおこのコーナーの文章は、いわゆる「演奏批評」などという大それたものではなく、筆者が試聴した際の印象を、ただとりとめもなく綴った駄文に過ぎません。筆者が気に入ったもののみを取り上げておりますので、特定の演奏を貶したりとか誹謗中傷的したりという内容は全くありません。 どうぞ安心してお読み下さい。)


 やはり凄かった、ベーム/VSO 1952年の「第九」


今回100円で購入したペーム/VSOの「第九」の懐かしいジャケット。

 最近Hard-off,Book-offなどのリサイクル量販店で、古いアナログ・レコードなどが100円程度で投げ売りされているのをよく見かける。そのほとんどは20年ほど前のアイドルたちのレコードなのだが、中にクラシックのものがさり気なく混じっていたりする。これがファンには見のがせないのだ。
 昨日も私は仕事の帰りに熱田のBook-offに立ち寄った際、店頭にアナログ・レコードが所狭しとばかりに並べられているのを見つけた。その中に、5〜60年代初頭に発売されたクラシックの、主にモノラル盤が何枚か混じっていたのである。ほとんどは再発のレコードやCDで既に持っているものばかりであったが、初発売のオリジナル・ジャケットの美しさについついつられて、20枚ほども購入してしまった。
(中にはフルトヴェングラーの英UNICORN盤で、VPOとのストックホルム・ライブなどという超掘り出し物もあった。この盤については後日機会があったら取り上げたい)

 実はこのベーム/ウィーン交響楽団の「第九」も、その1枚。歌手陣はステイヒ・ランダル、レッセル・マイダン、デルモータ、シェフラーという当時のウィーン楽壇を代表する、懐かしい顔ぶれである。なおこの録音は60年代の末頃、フォンタナという廉価盤レーベルで疑似ステレオで再発売され、900円というそれまでに無い低価格とジャケットのベ−ムのインパクトある写真の効果もあって、売れに売れた事を私はよく覚えている。(もっともこの再発売のジャケット写真は、ずっとあとのベームが年を取ってからのもので、録音自体は1952年頃、ベーム50代半ばの頃のものなのだから、いささか納得行かない部分もあるが・・・)

60年代末に再発売された、堂々たるペーム先生の写真入りジャケット。

 この再発売された盤が疑似ステレオでモコモコした音だったこともあって、私はこの演奏に対し、これまであまり良い印象を持ってはいなかった。それにベームには後に格上のウィーン・フィルと「第九」を二度も再録音しており、このウィ−ン響との演奏はその後、あまり注目されていないように思う。
 ところが今回、このレコードに針を置いてみて驚いた。
何と立派な「第九」だろう!! 実に堂々たる演奏で気力に満ち溢れ、構成感もしっかりとしており、まさに「第九交響曲」という大曲を聴いているのだという、充実感を持たせてくれるのだ。「ああ、私がまだ大学生くらいだった頃、このような演奏を聴いて、オーケストラ・プレイヤーに憧れたんだっけ・・・」という懐かしさが、ふっと私の脳裏を過った。いやその懐かしさだけではない、真の芸術再現の理想の姿が、確かにこの演奏にはあったのである。

 かって毒舌で知られる指揮者・チェリビダッケがベームを評し、「彼はこれまでに一度も音楽をしたことが無い」と言ったことがあった。実に辛辣な表現だが、ある意味でベームの一面を表していると言えるかも知れない。ベームの指揮は、時には無骨とも思える飾り気のないものに感じられる時がある。例えばモーツァルト。定評のあるワルターの甘美な演奏に比べると、ベームの演奏は、最初は何と素っ気無く聴こえる事だろう。しかし聴き進むうちに、その愚直とも思えるアプローチがどんどん集積しプラスアルファとなって、最後には誰をも納得させるのである。そんな訳で私はワルターよりも、ずっとベームのモーツァルトを愛聴してきた。

 思うに最近、このような真に心のこもった演奏を聴かなくなって久しい。演奏家は皆上手くなり、指揮者は皆バトン・テクニックが上手になった。しかしそこから生まれる演奏は、まるでコンピュータで描かれた設計図をそのまま再現しただけのような冷たい (つまらない) 演奏か、こけおどかしの表面的な奇抜さだけが目立つ演奏かのどちらかだ。
 私は以前ビデオでベームの指揮姿を見たことがあるが、そのタクトは晩年ということもあってか実にシンプルで昇華されきったものだった。(なお壮年期のベームはハードトレーニングで有名で、オケ・プレイヤーからは恐れられていたという) しかしその音楽は説得力に溢れ、どんな小細工を弄した演奏よりも、我々の胸を打つ。

 縁あってこの文章を読んでくださった方にぜひ、今一度この「第九」を聴き直してみていただきたいと思う。なおこの「第九」は現在、オリジナルのモノラルのものが輸入盤のバジェット物で入手出来るはずでる。 そうでなくとも中古レコード店などで、まだ格安で入手出来るはずだ。

 なおこの機会に、ベームの「第九」は他にいくつあるのか調べて見た。
現在私が所有している盤は、以下6種類である。

◆ウィーン響 1952 (日Fontana/FG-9=疑似ステレオ, 日Fontana/FON-5517)
    (上記写真の2枚)
◆ウィーン響  演奏年不明ライブ (伊METEOR MCD-030)
◆ウィーン・フィル 1970 (日Gramophon/MG-9411〜2)
◆ウィーン・フィル 1980 (日Gramophon/46MG-0208〜9 ,独Gramophon/427-802-2=CD)
◆ベルリン・ドイツ・オペラ管 1963.11.7 日本ライブ (日Canyon D30L 0011=CD)
◆ザクセン国立管 1941 (日・新星堂 SGR-1201〜4=CD)

 
                  2003.11.17 岡崎隆


 J. S. バッハ/ヴァイオリン協奏曲集
(CD画像提供/Ivy / Naxos Japan)

ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV.1041
ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV.1042
2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043
ヴァイオリン・ソナタホ短調 BWV.1023 (レスピーギ編曲)
アリア (G線上のアリア)〜管弦楽組曲第3番 BWV.1068より

 
西崎崇子, アレクサンダー・ヤブロコフ (Vn.)
O. ドホナーニ/カペラ・イストロポリターナ
(1989.5,6月/ブラチスラヴァ、スロヴァキアフィル・コンサートホール)
                  NAXOS 8.550194


 わが西崎崇子さんが、1989年にスロヴァキア・フィルのピックアップメンバーによるカペラ・イストロポリターナと共に録音したバッハのヴァィオリン協奏曲集である。過日行なわれた名古屋・今池のピーカンのバーゲンで超特価で入手したもので、レスピーギが編曲した「ヴァイオリン・ソナタホ短調BWV.1023」が入っていたので、つい触手が伸びた次第。
「何でいまさら、こんな旧譜を取り上げるのか!!」とおっしゃる貴方、まあ騙されたと思って、目に虫が入ったと思って (キミマロ?)、どうぞお読み下さい。

 正直言って、あまり何の期待も持たずにこのCDを聴いてみて驚いた。というより、心から共感し、感動した。もしこのCDが今後、初期のNAXOSの膨大な録音たちと共に「NAXOS草創期の歴史的使命を終えた」という美名のもとに忘れられて行くとしたら、とても惜しいと思う。NAXOSの初期録音には確かに現在の視点からすれば廃盤も止むなし、というものもあるが、結構魅力ある演奏も含まれていることは知る人ぞ知る、だ。
 実はかく言う私も、NAXOSの初期録音を密かに愛聴している一人である。

 西崎さんは、とにかくよく歌う。その音色は、ひょっとしたら人により好き嫌いがあるかも知れないが、私は西崎さんのカンタービレをとても心地よく聴いた。西崎さんの演奏は近年の、とくに一部の古楽器系演奏家に見られる「技術は素晴らしいが、どこか頭で考えられたような、よそよそしい演奏」とは、完全に一線を画している。
 中でも2曲のヴァイオリン協奏曲が素晴らしい。曲は完全に奏者の手の内にあり、演奏の端々にバッハへの「心からの共感と愛情」が感じられるのだ。バッハのヴァイオリン協奏曲は、すべてのヴァイオリニストが必ずその修練期に演奏するコンチェルトである。西崎さんもきっと幼い日に、高名なヴァイオリンの先生であったお父様から、この曲を徹底的に鍛え込まれたことだろう。このCDの演奏からは、西崎さんが初めてこの曲を演奏したときの瑞々しい思いが、ふと演奏中に心のどこかに甦って来たのでは、と思わせる場面が幾度もあった。
 共演のカペラ・イストロポリターナも、対位法的な旋律を実にさりげなく浮かび上がらせるなど、とても自然で雰囲気のある伴奏をつけている。惜しまれるのは、ややバスが薄手に聴こえることか。

 西崎崇子さんはNAXOSレーベルの草創期に、ヴァイオリン部門のほぼ全てを一手に引き受け、驚異的な数の録音を短期間のうちにこなされた。2001年6月にはサン・ジョルジュのヴァイオリン協奏曲集の録音 (8.555040) を発表し、最近でもチャイコフスキーを中心とした、ロシアの美しい旋律をヴァイオリンとオーケストラの為に編曲した3枚のCDを次々にリリースされている。 (バックはいずれもブレイナー/クィーンズランドso.)

 「RUSSIAN ROMANCE」 (8.555331)
 「ただ憧れを知るものだけが」 (8.555332)
 「チャイコフスキー/四季」(8.553510)

 中でもこの5月にリリースされたチャイコフスキーのピアノ曲集「四季」他を収めた1枚(8.553510) は、たいそう聴きごたえのある1枚だ。私はこのピアノ小曲集「四季」をオーケストラにアレンジした演奏を聴くのが好きで、これまではスヴェトラーノフ/ソヴィエト国立響のもの (ガウク編曲)を、愛聴してきた。
今回のCDの編曲は、指揮をつとめるブレイナーによるものだが、決してうるさすぎずムード満点で、素晴らしいアレンジだと思う。このCDには「四季」の他にも「悲しい歌」や「とぎれた夢」など、知る人ぞ知るチャイコフスキーの絶品メロディーが多数収録されているので、ぜひ一聴をお薦めしたい。

 余談だが、「四季」のなかの「舟歌」は、昭和初期から日本では特に愛されて来た曲だ。
昭和14年の松竹映画「暖流」の中で、初々しい水戸光子が恋に身を焦がす場面で流れたこの曲の、何と哀愁に満ちていたことか !! (ポルタメントがワンワンとかけられていて、もー最高 ! )
 このセンチメンタルの権化のようなメロディーを、西崎さんは一体どのように奏でられているのだろう・・それは、聴いてのお楽しみ!!

                            2003.7.17 岡崎隆


グリュミオー/ライブ録音集Vol.1 (モーツァルト作品集)

ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
(1956/プラハ) スメターチェク/プラハ室内O.
ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.454
ヴァイオリン・ソナタホ短調 K.304

 (1957.9/ブザンソン) ハスキル (P.)
ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調 K.378
 (1955.9.6) アルヘンタ (P.)
                  DOREMI DHR-7779

 ブザンソンにおけるハスキルとの2曲以外は、今回初めて紹介される音源である。
中でも冒頭のコンチェルトが素晴らしい。自由自在な音楽性、あふれるニュアンス、絶好調のグリュミオーがここにある。同時期に録音されたモラルト/ウィーン響との演奏も素晴らしかったが、このCDではライブの良さを随所に伺う事ができる。ラロの「スペイン交響曲」の旧録音と共に、彼の録音中ベストに挙げられる出来ばえといえよう。(宇野功芳風に書いてみました)

 前へ前へと進みながら、決して浮き足立った感じのしないグリュミオー特有のテンポ感は、彼の弦楽五重奏でも感じたことだが、まさにモーツァルトにぴったりで、このリズム感に必死に付いて行こうとしながら果たせないオーケストラのモタモタ振りも実に微笑ましい。
特筆すべきは、グリュミオーの音色には弦を「押さえ付けた」感じが全く無いことだ。確実なテクニックに裏付けられた溢れるような美しい音色がたまらない。
 そして時おりさりげなく見せるポルタメントの、何とチャーミングなこと!

 弦楽器奏者にとってモーツァルトは鬼門だ。なぜならその楽譜には必要最低限の情報しか記されておらず、演奏の良否を決定づける大部分が、ひとえに演奏者の音楽性に任せられているからだ。いかにパガニーニばりのテクニックを身に付けていたとしても、それはモーツァルト演奏における糧とは成り得ない。
 私はこの部分は「神から授かったもの」のように思えてならない。その授かり物を持たない奏者たちの、いかにも「わざとらしい」モーツァルトばかり聴かされてきた身にとっては、この演奏はまさに干天の慈雨の如く (またも宇野風!)、そして自身プレイヤーとして大いなる羨望と共に聴いたのである。

 モーツァルトを愛するすべての人々に是非聴いて欲しいCDだ。

                             2003.1 岡崎隆


 ブラームス=交響曲全集

セルジュ・チェリビダッケ/シュトゥットガルト放送交響楽団

  (AUDIOR/AUDSE-526〜8)

 この2月、久々に上京し秋葉原の石丸電気に行った時に購入したCD。3枚組で2,100円で売られていた。
 実はこのセットは以前、名古屋の中古CD店で1,600円で出ていたのを見かけた事があったのだが、「きっともう持ってるだろう」と思い、買わなかった。しかし家に帰って調べてみたところ、実は「持っていない」ことが分かり、急いで次の日にCD店に駆け付けた時には、もう既に売れてしまっており、地団駄をふんだという、私にとって曰くつきのCDである。

 まず第1番から聴きはじめる。随所にダイミクスの変更が見られるが、その意図がよく分からない。特にこれといって感銘を受けることもなく全曲が終ってしまう。
 やれやれ・・・といった感じで、次に第4番を聴く。すると・・・ウワー、ビックリ!! 冒頭から、何かただならぬ雰囲気に溢れているではないか。
「これは凄い!! 」と思うと同時に、私は今から20年以上も前にチェリビダッケのライブ録音が、初めてFMで放送された時のことを、鮮やかに思い出した。

「ひょっとして、あの時のブラ4?」
 
 チェリビダッケは御承知のように徹底して商業録音を嫌い、避けて来た指揮者である。今から20年以上も前の70年代半ば、その「幻の指揮者」と言われた巨匠のライブが初めてNHK-FMで紹介されるというニュースが流れ、ファンの間でセンセーショナルな話題を巻き起こした事があった。 私もそのすべての放送を、オープンリールのテープにエアチェックしたことを覚えている。

 中でも「ブラ4」は、強く印象に残っていた。まだ若僧でそんなに耳も超えていなかった私は、音楽そのものよりもチェリ大先生の「ここぞ」というところで激しく踏みならす足音やウナリ声に、ただただ感動していたのだ。

「そうだ、あの時のブラ4だったんだ・・・・」

 久々に耳にして、やはりこの演奏は凄い、と思った。何しろ「気」の入り方が第1番とはまったく違う。何よりも、演奏者の積極的な自発性が感じ取れるのだ。
 (第1の場合、シツコイ練習によってしごきまくられた結果、先生に言われたように仕方なくやっています、という感じがする。これはプレイヤーたる私には、その気配で分かってしまう)

 しかしながら私は、今回は「第4番」の第1楽章の、最後のティンパニィが轟きわたったところで、CDのスイッチを切った。なぜか・・・時間が無くなったこともあるが、私の脳裏に、とある音楽評論家の文章が、ふと甦ったからである。
その評論家は、「チェリビダッケ/シュトゥットガルトの「ブラ4」は、第1楽章のみが素晴らしく、後は大したことはない」というような事を書いていた。 私は今第1楽章を聴き終え、充実し高揚したこの気持を、とても大切に感じた。そしてそれを決して萎ませたくない、と心の底から思ったのだ。

 というわけで、この文章の続きは、他の収録曲と併せ後日執筆する予定だ。どうか楽しみに待っていて欲しい。(と言っても、はたして何人の人がこのページを読んでくれているのだろう?)

 最後に、なぜ今回私がこの全集をAUDIORという海賊盤もどきの怪しげなレーベルで購入したか、ということについて触れておきたい。 御承知のようにこのライブ録音は、グラモフォンから「正規録音」と称する盤が、最近発売された。 しかしながら「正規盤」と称するメジャー・レーベルから出されたCDにはノイズ・リダクションされたものが実に多く、私もこれまで何度となく失望させられて来た。
(この問題に関しては、「クラシック/マジでヤバい話」という本の中で、平林直哉氏が詳しく書いておられるので、ぜひ一度読んでいただきたい)
 こうした経験から、海賊レーベルの方が音に余分な加工をしない場合が多いということもあり (そんな手間をかける予算もないだろう)、私は今回AUDIOR盤を購入したのである。
 実際、私はこの録音の良さに十分満足している。

                      2003.2.27    岡崎隆

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