合唱組曲「水のいのち」/曲目解説        岡崎 隆


 自らの真実のこころ、魂を追い求める・・・それこそが作曲家・高田三郎の終生変わらぬ作曲姿勢であった。
1964年、高田はTBSから合唱曲の委嘱を受ける。この頃彼の胸には、ある期する思いがあった。戦後の高度成長に伴う人心の荒廃・低俗な文化の氾濫・・・それらをただ傍観せず、もっと大切にされなければならない「人の精神」を訴えて行きたいという思いだ。こうして生まれた「水のいのち」は、全編美しいメロディーやハーモニーに満たされている。いわゆる「現代音楽」全盛だった当時、このような作品を発表するのは、たいそう勇気の要る事であった。
高田自身「時代遅れ、ご清潔、堅物」と笑い者にされる事を覚悟していた。しかし山田和男指揮する日本合唱協会による初演後すぐに譜面の出版が決まり、またたく間に全国各地に「水のいのち」上演の輪は拡がって行った。「解りやすい詩とは言えないし、楽しい音楽では決してない」と語った高田であったが、この作品が広く受け入れられていったことに、「あの人たちも、私と同じことを望んでいてくれるのだ」という思いを新たにしたという。 

 曲は次の5曲から成る。
1.「雨」 終始静かに、美しく進められる。地上の全てのものに分け隔てなく降り注ぐ雨。
2.「水たまり」 空の青さを写そうとするが、やがて消えて行く、私たちに似て いる水たまり。何と切ない詩なのだろう。
3.「川」 スメタナの「モルダウ」を想起させる12/8拍子。山や空の高みに焦 がれつつも下に下に流れるしかない川、自然の摂理の残酷さ。それを超えてなお抗う人の心。
4.「海」 波の打ち寄せを描写するかのような合唱のさざめき・・自然の摂理に 対する諦念を超えるもの。
5.「海よ」 低弦の下降音は、ピアノ伴奏版では表し得ないもの。そう、これこそ海が全て受け入れた芥(あくた)なのだ。やがてすべてが天に昇り行く。「白鳥の湖」フィナーレの浄化のように。

「水のいのち」管弦楽伴奏版は作曲者の生前から要望が高かったが、果たされる事はなかった。2005年9月、愛知県芸術劇場での「高田三郎作品によるひたすらないのち/愛知演奏会」で、「水のいのち」管弦楽伴奏版はついに初演の時を迎える。(編曲/トーマス・マイヤー・フィービッヒ) 2009年2月には、高田三郎直弟子の今井邦男による2種類の編曲版 (管弦楽伴奏版、弦楽とピアノ伴奏版) が完成した。2011年9月現在、管弦楽版 (ピアノと弦楽版を含む) の上演は17回を数えており、生誕100年にあたる2013年に向け、さらに10回に及ぶ演奏会が予定されている。
                   (敬称略)


「2つの狂詩曲」/曲目解説    岡崎 隆



高田三郎〜管弦楽の時代

 名曲「水のいのち」によって、合唱音楽の作曲家としての評価が定着している高田三郎 (1913〜2000)だが、その作曲の原点が管弦楽曲であったことを知る人は少ない。
 音楽の志を抱き故郷・名古屋を後に上京した高田は、1935 (昭和10) 年、憧れの東京音楽学校(現・東京藝術大学) 作曲部に入学する。音楽学校での幾多の試行錯誤を経て、高田は「日本の旋律と関連のある作品を書いて行く」ことを、作曲にあたる原則のひとつとして打ち立てた。
「日本の旋律にしてもそのほんとうの精神を(そのムードではなく) 生かすことができるのは、われわれ以外になく、また、われわれの責任なのだから」
 その後研究科 (現在の大学院) に進み、1941 (昭和16)年に卒業作品として「山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ」を作曲する。奏楽堂において師フェルマー指揮する学生オーケストラによるリハーサルを聞き、「初めて自分自身に出会う事が出来た」と、こみあげる涙を抑える事が出来なかった、という。この作品はその後「山形民謡によるバラード」と改題され、高田の管弦楽曲の代表作となった。
 ところが、実は「山形民謡」と同じ年に作曲され、不遇な運命を辿った管弦楽曲があったのだ。
 それが「管弦楽のための組曲」である。

 「管弦楽のための組曲」は4曲からなり、作曲当時は「幻想組曲」という題名が付けられていた。(演奏時間約20分) 作曲から4年を経た1945年 (昭和20年)4月、この組曲はようやく初演の時を迎えようとしていた。ところが同13日、マンフレッド・グルリット指揮する中央交響楽団 (現・東京フィルハーモニー交響楽団) によるリハーサル終了直後、何と練習場が空襲にあい、スコア・パート譜とも焼失してしまう。 
 今宵演奏される2曲の「狂詩曲」は、この焼失した「管弦楽のための組曲」(1941) の第2〜4曲から、作曲者が記憶をもとに再編したものである。それぞれ「木曽節」と「追分」をテーマとしており、2曲とも日本的な情緒と躍動感に溢れた、非常に親しみやすい内容を持っている。
(なお組曲第1曲のフーガは、前述「山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ」の後半部分に転用されている。)
 2005年、高田ご遺族の依頼を受けNHKアーカイブスに問い合わせたところ、この2曲の狂詩曲を含む、全部で5曲の管弦楽曲の自筆スコア・パート譜が保管されている事が判明した。(他の3曲は組曲「季節風」 (1942)、ヴァイオリンと管弦楽のための譚詩曲 (1944)、舞踏組曲「新しき土と人と」(原題「新しき泰」/1944))
 アーカイブスのご厚意を得て3年後、全5曲の浄書フルスコア、パート譜が完成した。これらの作品は初演後全く演奏されていないと思われ、2曲の狂詩曲も今回の上演が実に65年振りとなる。高田三郎の没後10年にあたり、今回の上演を作曲者は雲上で喜んでくれている、と信じたい。

狂詩曲第1番「木曽節」 (1945/演奏時間約6分)
 日本放送協会委嘱作。作曲当時のタイトルは「長野」であった。1945 (昭和20)年10月18日、日比谷公会堂で行われた「第九回希望演奏会」で、作曲者指揮する松竹交響楽団により初演が行われた。(その際、タイトルは「信濃路」と変更されている)
 序奏の部分 (「木曽節」の主題が登場するまで) の日本的な抒情味の素晴らしさは、まさに絶品だ。こんな素晴らしい作品を、半世紀以上もの間埋もれさせておく日本の音楽界とは・・・という事まで、改めて考えさせられてしまう佳曲である。

狂詩曲第2番「追分」 (1946/演奏時間約10分)
 1946 (昭和21)年作曲。翌年1月14日午前9時より、作曲者指揮する東京フィルハーモニー交響楽団により放送初演が行われた。(NHK第一放送「日本の音楽」)
 オーケストレーションはたいそうシンプルかつ明解で、大胆な不協和音の強奏を取り入れた賑やかな盛り上がりが素晴らしい。中でもホルン・パートの主張の強さには注目させられる。実は高田氏、1941年 (昭和16年) の紀元2600年管弦楽団にホルン奏者として参加するなど、この楽器の名手でもあったのだ。(ベートーヴェン「フィデリオ」序曲のソロを完璧に吹いた、というエピソードが伝えられている)

 最後に・・・高田三郎はその作曲人生を「管弦楽のための5つの民俗旋律」(2000) という大作で閉じた事を、ここに改めて記しておこう。

 (執筆にあたり、高田三郎氏奥様の留奈子様より、数多くの貴重な情報をいただきました。ここに厚く御礼申し上げます)

(上記文章の無断転載は固くお断りします。)