微妙なバランスの上に

3つもWordを残しておくのは、気まぐれで続きはしない。伝えたいことがあっただけ。
しのが存在したことは些細なことなので忘れて欲しい。が、ひとつだけどうしても忘れて欲しくないことがある。



大切なものはその人次第だということ。同じ視野では同じ物を決して他の人が覗くことが出来ないこと。

微妙なバランスの上に、人の信頼関係はいつでも存在する。誰にも例外などはない。
この微妙というのは同じ箱を別方向から眺めると同じ箱にまるで見えないような、不思議なもの。
はっきりいってどこでも聞く、道徳の時間の話だ。

個人的には何かを否定するような思いを持つのは嫌だし、思いを持った時に私は自分自身を10倍は嫌ってしまう。
実現して、たいそうな目にあっているのを知っている友人は少なくない...もうそろそろ繰り返しにも疲れた。
相手の大切に思うもの、気がついて優しくなれることもあるし、時として分かち合うことが出来ない理念も存在して、
どうすることも出来ないことがある。>聞いているか、明石の君()...世の中は君ほどストレートではないのよ。

他人の視野に立って、相手を知ると言う行為は「神」にしか出来ないことで、望もうとするほうが間違いだ。
けれど、人として思いやることは必ず出来ると信じている。
自分が自分の立場で思う時に一度立ち止まって、上の言葉を思い出してもらえないだろうか?
ううん、風が吹いたら、季節が変わったら、きっかけは何でもいい。


*******************************


大切なものは目の前にあっても、なくならないと気がつかない。今までどれだけ繰り返してきただろう。

事実父を失うまで、父がいなくなることを想像したことはなかった。もう10年以上経つのに、泣くときは必ず思い出す。
今、父がいて、大丈夫だといってくれたら.....なくして戻ってくるものばかりではない。

宇治のところで過労死と書いたが、父の死は原因不明だ。リウマチだったが死の原因ではないそうだ。
だが、もう少し優しく思いやっていたら、気がつくのが早かったら、失わずに済んだかもしれない。
自分の我侭を、存在を、責めずにはいられない。小学生だからしょうがない、だなんて言うのは嫌だ。
でも、自分を責めても謝っても泣いても意味はない。

大切なものは命だけではなく、感情や毎日の出来事、徒然の言葉にもあるはず。

私は人生とは不真面目を真面目に通し、酒という唯一信頼できる友とともに時を不用意に重ねていくことだと思っていた。
変えてくれた人の優しさに、私は優しさで返したい。

微妙な心のバランスを思いやる、一度立ち止まって考える、心のベクトル。

こんなことを書きながら、画面の向こうに「人を思いやる前に自分を思いやれ」と言っている友の顔が見える(笑)
大丈夫、まだ、ばばあの館をホームページからも消せずにいるのだから。

トップ アイコントップページヘもどる