● 私の大きな古時計〜ピアノ

私は小さな頃、千葉から名古屋へ、ほとんど夜逃げのような状態になって引越しをしている。
おかげで小さな頃のものはなかなか残っていないのだが、自分が生まれた時からあるピアノだけはしっかりと残っている。

このピアノ、母が20歳の誕生日祖母に買ってもらったものだそうだ。
23歳か24歳のときに生まれた私は生まれた時から、ピアノが側にあった。
妹がピアノをやめて、そのピアノは私の始めての財産になった。
実家を購入する時、「自分の部屋にピアノがおけるのなら」という条件をだして購入した。(我侭のために一部家を壊して入れた)
そして今、家を建てるとき、ピアノのためだけに一部屋天井を吹き抜けにして作ってもらった。
搬入も楽なように、ベランダでピアノは方向転換できる(笑)

何分古いピアノなので、1枚板で出来ており、重量に問題もあったので、ハウスメーカーも悩んだ。
「型番を調べて、2階にのるかどうか考えます」「乗らないのなら家はいりません」←ただの我侭
ピアノの部屋が出来ないのならば、家なぞいらん、と泣いた。

大きな古時計という歌が今流行っているが、私にとって古時計はこのピアノだ。この曲が流れる度に思う。
泣きたい時も笑いたい時も嬉しい時もそばにあって、音を鳴らしていた。唯一手放さなかったもの。

結婚して最初の家に「ピアノ不可」の項目があり、随分と大家さんとかけあったのだけれど、
イヤホンでひけるピアノ以外はだめだといわれた。ピアノが好きなんじゃない、このピアノじゃなければだめなのだ。

家をなぜ立てたのか、理由のひとつだ。ピアノを早く手元に引き取りたかった。
はっきりいって、「それは生活に必要なものなのですか?」と聞かれそうなことだ。
けれど、心には必要なものだ。間違いなく。私の優しさそのもの。

私の勤める会社にはピアニストで営業部長なる凄い人がいる。
ピアニストのお姉さまくらいにピアノをひけたのならば・・・このピアノをもっとかわいがることが出来るだろう。

ちょびっとだけ、目指してみようと思う。(^^ゞご指導よろしく、お姉さま。

妹の結婚に伴って、実家より、ピアノの引き取りをどうするかって電話がかかってきた。
この家がたって数ヶ月、あまりに待ち望んだ私は、その部屋にお布団を引いて、光の加減を確かめる。
というか、出てこない(笑)

多分、ピアノが家にきた日、私は幸福でいっぱいのはずだ。
私のピアノは微妙に音色が違う。鍵盤のおもさも違う。
いとおしさはとても表現できない。

私の人生そのもののピアノは私が死ぬ時には大きな古時計のように音が鳴らなくなって欲しい。
新しいピアノを購入したほうがよっぽど安いのだけれど、美しい音を鳴らすために保守に出す。
我侭と呼ばれても全然構わない。愛しいピアノのためならば。

殿にはお願いだから、部屋からたまには出てきてね、といわれるようになるだろう。
鍵がかかるその部屋はピアノが入った瞬間から、誰も入れない部屋となる。私の安らぐ場所になる。

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