母の脳梗塞の闘病記録
発病前と発病後の大きな違い
左足と左手→動きが悪い
右足と右手→ほぼ元どおり
食事→食欲は十分あり心配ないが、こぼしやすい。
思考力→かなり後退、前日言ったことを繰り返して話す。 戸締りがきちんとできていないと心配
歩く力→かなり後退,バランス感覚が悪いので、転びやすい。
排泄→自分でできる 。左手が不自由なためパンツが下がったままのことが多い。
意欲→やや後退
視力→かなり回復

2003年10月29日(水)朝、母ちよみ(79歳)が床を這ってトイレに行こうとしていた。
変だと思いながら体を支えてトイレをさせたが、左手と左足が麻痺状態。
すぐに救急車を呼ぶ。意識はしっかりしている。
刈谷総合病院まで搬送される。私も付き添う。普通10分かかるところを6分ほどで走る。
MRIなどで検査、はっきりと脳梗塞の診断。入院の手続きをとる。6人部屋。
一旦、タクシーで家に戻り、入院に必要な毛布、寝巻き、洗面具などを持って病院へ。
医師の説明
右脳への血管が詰まって広範囲に脳細胞がダメージを受けている。
血栓がどうしてできたか分からない。心臓から来たかもしれない。
嚥下(えんげ)障害があるので、肺に食物が入らないように気をつけないと肺炎を起こす。
2003年10月30日(木)
点滴で栄養を採る。
嚥下障害リハビリ食開始。38度の熱が出た。排尿は管で。
ややろれつが回らないところがあるが、よく聞き取れる。
2003年10月31日(金)
母、衆議院選挙の不在者投票をやるという。
院内で投票できるとの事。すぐに申請。
2003年11月1日(土)
嚥下障害(食べ物を飲み込む時に、気管の方へ入ってしまう)あり。リハビリ食。
点滴で栄養が取れているためか、食欲がない。
2003年11月4日(火)
衆議院選挙、院内での不在者投票。
2003年11月5日(水)
リハビリ室での作業療法、理学療法を受ける。
2003年11月12日(水)
介護保険の介護度認定の申請。
2003年11月15日(土)
ケースワーカーから転院先の検討の話があり、刈谷総合病院の東分院を希望しているとこたえた。
車椅子でフロア―内を散歩。まだまっすぐ座っていないことがある。
2003年11月17日(月)
朝と昼の流動食再開。
車椅子で散歩。
2003年11月18日(火)
やや固めの食事もでた。
2003年11月19日(水)
自分で食事を取る訓練。
リハビリ中に食べたものをもどした。
2003年11月21日(金)
24時間心電図検査、エコー検査。
2003年12月16日(火)
刈谷総合病院東分院(リハビリ病院)で家族の面接。刈谷総合病院本院とはどう違うかの説明。
2003年12月22日(月)
東分院に転院。4人部屋。本院との距離は4kmほど。たしかに本院に比べ静か。
年末年始を家で過ごせるように外泊の申請を出したが、本人が病院のほうが安心だといい、外泊は断念した。
テレビを借りられるが、母は必要ないといって断った。代わりにラジオを届けた。電波が届きにくく、聞き取りにくい。
2004年1月1日(木)
「お雑煮が食べたい」と言っていたが、まだのどの障害があるため無理。
母は病床で新聞をよく読む。『しんぶん赤旗日曜版』を隅々まで読んでいる。雑誌や単行本も読むようになった。
2004年1月3日(土)
豊橋に年始に行く前に、病院に見舞いに立ち寄る。母から「運転に気をつけるように」何度も言われる。
2004年1月6日(火)
親戚知人の葬儀の知らせが相次ぐ。そのつど、母に相談する。
トイレに歩いて行くようにしていたが、看護師から車椅子を使うように注意された。
2004年1月
在宅介護をする場合の支援事業所をグラシアと契約。
2004年1月20日(火)〜22日(木)
母が家で暮らせるようにバリヤフリーのため、風呂場を改造工事。235万円の工事。粉塵で床が白くなった。
2004年3月17日
在宅介護ができるかどうか建物検査を行う。母の部屋はトイレの隣にする。
手すりをつけるくらいの改修になりそう。
2004年3月
かかとを固定する装具を購入。
2004年4月
ポータブルトイレを購入。
2004年5月3日〜5日
連休中の3日間自宅に帰って過ごす。ほとんど腰掛けていたため、疲れた様子。
2004年5月20日
退院の時期を6月23日にすることを決める。
2004年6月
母、退院の日を指折り数えて待っていると言う。
2004年6月10日
リハビリ検査に立ち合う。やはり、以前ほどの向上が見られなくなった。
2004年6月15日
知多北部広域連合から母の介護度、要介護3の通知。
2004年6月20日
梅田建築がトイレに手すりの設置工事をした。
2004年6月23日
刈谷総合病院東分院を退院。
2004年6月24日
在宅介護支援施「フィロス」に通所開始。
2004年7月7日
母を車椅子に乗せて役場まで出かけて、参議院選挙の期日前投票を行う。
2004年7月12日
初めて、ショートステイで町内の特養ホーム「東和荘」を利用。
2004年8月16日
あいち健康の森公園に行って、歩行のリハビリをする。1時間30分ほどいて、200メートルほど歩く。
2004年8月22日
東浦町の於大公園に行って、歩行のリハビリ。凸凹舗装や坂道は転びやすいので気をつける。「このはな館」とモニュメントを見る。
2004年9月4日
東浦町歴史民族資料館「うのはな館」へ行く。民具の展示室には関心を持った。
2004年9月7日
私が議会が始まったので、朝は9時に迎えに来ていただき、帰りは5時30分にこちらから迎えに行くことにした。「フィロス」に迎えにいくと、母は待ちかねていた様子。
2004年9月11日
あいち健康の森・健康プラザへ行く。駐車場がいっぱいだったがガードマンがプラザの近くに止めさせてくれて助かった。エレベーターで3階まであがり、回廊を回った。すぐ疲れる。
2004年9月12日
石浜区の敬老会が開かれたが、母は欠席。不自由な姿をみんなの前にさらすのが恥ずかしいらしい。
2004年9月27日
母の基本検診を前田クリニックで行う。眼科もあるので一度で済むため。
2004年9月29日
私が農業委員会の視察旅行が30日、1日とあるため、母を東和荘でショートステイするために連れて行ったが、台風21号が接近しているので中止になった。ショートステイも中止して、もどった。
2004年10月11日、12日、13日
私の農業委員会の視察旅行(新潟県上越市、長岡市)のため、母を東和荘でショートステイで預けた。
2004年11月1日、2日
私の文教厚生委員会の行政視察のため、弟夫婦にデイサービスへの送り出しと、出迎えを頼んだ。
2004年11月8日
母を老人保健施設「相生」にショートステイで4日間預ける。個室のため、加算金が1日2300円必要に。
2004年11月9日
インフルエンザ予防接種を受ける。
2004年12月
風邪で1週間デイサービスを休む。胃に熱がきて食べれなくなった。藤沢医院の往診で点滴をしてもらって、回復。
2005年
1月
母を乾坤院につれて初詣。境内は車椅子で移動できなくて、苦労した。
杖で歩きたいというが、転ぶ恐れが大きいので無理と言い聞かせる。
耐震改修工事を心配して、母の部屋を早くから片付ける。
2月
母の脇を支えれば、杖で歩けるようになった。
普通の杖では危険だといわれ、4点杖をレンタルして歩くようにした。
3月
玄関を上がるときに、バランスを崩して仰向けに転び、たんこぶができた。直ぐに整形外科医院に連れて行き、診察を受ける。
頭部に異常は見当たらないということで、一安心。
この頃よくしゃべるようになったが、前日に言ったことをまた繰り返すことが多い。
2005年4月7、8、9日
老人保健施設「相生」で2泊3日のショートステイ。今回も個室しか空いていなかった。母は個室を望むが、3日で7千円ほど余分にかかる。
2005年5月
ゴールデンウイークは稲のモミ播きで忙しいときにあたる。デイサービスもお休みになって、母は退屈している。
2005年5月5日
母を連れて 知多市のマリンパークへ遠足。伊勢湾を埋め立ててできた人工島で、大勢の人がいる中を車椅子で移動した。中部新空港から飛行機が離発着するのを眺めた。
2005年6月15日
母の介護度の調査をうけた。普段より緊張して、はきはきものを言っていた。食事の摂取、排泄、着替えは自分でできるが、左の手足の回復は弱く、転ぶ恐れがあり、水道の蛇口は出しっぱなしがある旨を伝えた。
2005年6月27日
妻の父がリューマチで豊橋市二川の木戸病院に入院中で、私は初めてお見舞いに行ってきた。
2005年12月7日
議会が長引いて帰りが遅くなったため、デイサービスの帰宅に間に合わず、母は2時間ほど待っていた。お茶のお菓子に肉マンをレンジで温めて食べさせたら、満腹になったから夕食代わりになったといって、薬を飲んで寝た。
2005年12月8日
母は自分から歩こうとしないので、連れ出す必要がある。農業委員の農地調査に連れ出す。母の実家に近いところの農地だったので連れて行ったら、昔の風景を思い出していた。狭い農道を走り抜けて、母の実家の近くにあるなじみの喫茶店に入る。母が元気なころに母と入ったことがある喫茶店だったので安心していた。コーヒーとチーズケーキを注文したら残さず全部食べた。
2006年1月2日
母を連れて町内の乾坤院に初詣に連れて行った。駐車場から本道まで車椅子に乗せていったが、ぐり石の道は動きにくくて大変。帰りは自分で杖をついて歩いたが、この方が楽だった。寺社は高齢者の参拝が多い割りにバリアフリーが遅れている。
2006年3月26日
祖母の37回忌法事。母はいろいろ心配して、指図する。いちいち「分かっています」と言うのも面倒なので、「はいはい」と返事をしている。親戚が集まって昼食をとってもらったが、母も張り切って話に夢中になっていた。
2006年4月10日
私の都合で母をショートステイに預ける。もう何度も来ている施設なのであまり抵抗がない様子。
2006年11月8日
介護住宅のオープンに一緒にいく。30メートル歩いただけでへたってしまった。車椅子を借りて、建物を見学。帰りに職員の方にいろいろ話を聞いてもらったが、受け答えはまずまずできる。
2007年3月4日
これまででもっとも長いショートステイ6日間。壁で仕切りがある2人部屋。
2007年4月
妻の真知子が早期退職で今月から家にいるので、母の世話を引き受けてくれることになった。特に、朝と夕方のデイサービスの送迎の時が大変だったが、助かる。
2007年5月10日
母が、農協婦人部で一緒に活動していたTさんに、共有田植え機の代金を返すように言っていたが、ようやく話ができて、半額で解決した。
2007年5月20日
わが家の庭にイネの育苗箱が、160箱並べてあるが、水遣りを怠ると苗を枯らしてしまうので、この時期は家を空けられない。母は眺めて満足そうにしている。
2007年5月26日
ショートステイ 1泊2日 出かけにあわてたため、車で走り出してから母に「書類は用意したか」と聞かれて、保険証の忘れ物に気づい て引き返した。
久しぶりに完全個室、2方向に窓があり快適そう
2007年9月9日
母の誕生日83歳に
2007年11月
介護度の更新のため検査員が来ていろいろ質問したが、いつもよりハキハキト答えていた。
2007年12月
母の要介護度3から2に軽くなった。
2008年1月
介護度2は訂正を求め、再申請。
介護度3に変更。
2008年8月
介護度の更新の検査員の問診にややピントはずれな返事をしていた。
2008年9月
母、84歳の誕生日
要介護度4に変更
2008年11月
食欲旺盛だが、物忘れがすすんだ。同じことを何度もたずねる。
インフルエンザの予防注射をしたが、1週間後に風邪を引いた。
2009年1月
転倒することが増え、歩く時に「痛い」というので、整形外科にかかったら、肋骨が折れていると言われた。 医師の話では、骨がもろくなっているから、ちょっとしたことで折れるとのこと。上腕に注射をしてもらい、骨を丈夫にする薬を処方してもらった。
2009年7月
ショートステイを1泊2日で予約したが、個室は職員が少なくなるので無理といわれ、4人部屋に。 相部屋の人があると寝られないのではと心配したが、何とか過ごせた。
朝起きてきて最初に言うことは、「(デイサービスへ)行きたくない気がする」。
2009年9月
9月9日が母の誕生日。85歳。介護度の更新のために調査が行われましたが、判定は介護度2と軽くなっていました。「経過措置」としてこれまでどおり介護度4を適用されますが、調査の科学性が問題ではないかと思います。ほとんど人手を借りないと歩けませんが、調査の時は 伝え歩きができるとなってしまいました。加齢もあって物忘れが激しくなってきましたが、調査の時はそれほど問題にしませんでした。
2010年7月
猛暑が影響したのか、食欲がなくなり、自力で歩けなくなりました。家の中も車椅子で移動するようにしました。自分でポータブルトイレを使えませんので、排泄はオムツの中になってしまいました。
2010年9月
母86歳の誕生日。要介護度4に認定。猛暑の疲れが出て、38度の熱がでて、点滴治療を受けました。その後、すぐに回復しましたが、デイサービスのときにもぐったりになって、かかりつけの病院で見てもらいました。