たまにはクラシックな気分
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05/6/5 |
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04/07/18 |
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04/06/06 |
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04/03/14(日) |
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03/12/02(火) |
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03/11/28(金) |
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03/10/07(火) |
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03/10/02(木) |
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03/06/30(月) |
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03/05/11(日) |
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02/12/12(水) |
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02/09/23 (月) |
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02/02/05(火) 6時半開演なのに、職場を出たのが5時45分。途中渋滞して半分あきらめたが、主人の連絡を取りながら何とか間に合った。2分前だった。お姉さんはもっと遅かった。今日のはレニングラード国立歌劇場管弦楽団の演奏と3組のバレリーナによるバレーも鑑賞できるというお得なコンサートだった。ただし、背景のセットは全く無し。しかし、前から5列目という場所だったのでトゥシューズのコツコツという音まで聞こえた。素晴らしい踊りだった。でも男性のタイツは正視できないな。女性のスカートの中丸見えも私はドキッとしてしまう。音のほうは劇場の楽団だけあってメリハリがはっきりして楽しい演奏だった。メンバーも指揮者もしゃちこばらず気さくな感じがした。会場の反応もよく手拍子や掛け声もよくわきまえていた。帰りがけにチャイコフスキーの3大バレー名曲集のCDを買った。 |
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01/11/02 (金) チェコフィルのコンサートだった。最初はモーツァルトのピアノ協奏曲。真中にでんとピアノが置いてあって白髪の小柄なおじさんが弾きながら指揮をしていた。なにしろモーツァルトだしつまらんと思っていたら、なんとあのおじさんはアシュケナージだった。次はマーラーの交響曲7番。アシュケナージの指揮は一風変わっていて流麗とは言い難い。しかし、演奏は素晴らしかった。主人はああいうのが好きだから喜んでいた。私はちょっとチケット代(大枚1万7千円)がもったいなかった。今回の日本公演のプログラムはFまで組んである。ドボルザークやスメタナの演目が聴きたかったな。 |
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01/10/07 (日) 久し振りにY子さんが来てくれたけど、Uのテニスを11時で切り上げミラ・ゲオルギエヴァのコンサートに行った。老パジェロをぶっ飛ばして会場に着き当日券を買う。S席も有ったが、やはり良い席ではない。ピアノとバイオリンだけだからと思って舞台の後ろ側のA席にした。なんと、2000円である。彼女をこの値段で聴けるなんて。さて、開演5分前に席に着き、袖からピアノの及川浩二と共に現れたミラはもう、10年前のごつい少女の面影は無かった。スラッと背が高く、細身の現代風なドレスをまとった彼女はまるでモデルのようだった。静かな期待に満ちた拍手の後、音合わせをちょっとして静寂。そして、最初の深く柔らかく広く包み込むような音。それだけでもう涙が出てしまった。エルガーの愛の挨拶だった。何と甘美な心をとろかす音色だろう。その次はベートーベンのクロイツェルソナタ。私は聴きこんでいないのでやや退屈だったし、隣の席では主人がぐっすり夢の世界に入っていた。二部の小品の数々は胸を打った。中でもショパンのノクターン、サラサーテのツィゴイネルワイゼンは秀逸。シューベルトのアベ・マリアでは最近の世情、私の抱える悩みなどが頭を掠めた。人を真に説得するのは声高に叫ぶことではなく、低いゆったりとした静かな声なんだと思った。アンコールは3曲もやってくれた。竹田の子守唄のアレンジがとてもよい。日本の民謡がこんなに美しいものかと思った。途中頼んでも居ないのに何度も涙があふれ、コンタクトレンズが外れて困った。でも、泣いていたのは私だけではなかった。横の方で鼻をすする音が聞こえたし、1列目の年配のおじさんも目尻を手でぬぐっていたぞ。今日のコンサートで、彼女のレパートリーの広がり技術の洗練を感じたが、10年前のスラブ色の強烈な印象は無くなっていて寂しい気持ちもした。選曲も有るのだろう。主人も10年前の小さいホールのコンサートの曲方が好きだと言っていた。タルティーニ「悪魔のトリル」の強い印象が残っている。終わってから今日の小品が収録されているCDを買い、サインもしてもらった。さっそく、家で聴いてみたががっかり。音が悪すぎ。普通のバイオリンにしか聞こえない。何が悪いのだろう。CDの録音に限界があるのか、うちのコンポがちゃち過ぎなのか。やはり、ボーズのスピーカーが欲しい。 |
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中学の同級生がいた。彼は中学校の時いがぐり頭の卓球部だったのに、なぜか、高校では吹奏楽部にいた。あまりしゃべったことのない奴だったのに、帰りのバスを待っていたら、「今からイ・ムジチに行くんだ」という。なんのこっちゃ意味がわからなかったが、彼は謎の笑顔だったので、その言葉が妙に引っかかっていた。意味がわかったのは何年か後のことだった。当時私は合唱部にいた。顧問の先生は、東京芸大出身だったが、ほとんど顔を見せず、生徒だけで練習、運営していた。12人しかいなかった。楽しかった。2年生のときだったか、第九を歌いに1時間バスに乗って通った。山田一雄?氏の指揮だった。怪しいドイツ語で歌った。 |
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部活(ワンゲル)の先輩にクラッシック狂いの人がいた。モーツアルトよりベートーベンが好きと言うと、モーツアルトの素晴らしさをまくし立てられた。と言われても私はそんなにモーツアルト知ってないので反論もせず黙って聞いていた。ワンゲルの他にクラッシックギター部にも入っていた。右手の爪がようやく弾けるまで伸びてくると、ワンゲルの合宿でじゃまだから切って、の繰り返しだったような気がする。教則本の真中へんでやめてしまった。みんなは十何万の良い音のするギターをバイトで稼いで買っていたが、私は姉のお古だった。一度だけ舞台に出て演奏した。何度も間違えた。小さいビルのワンフロアで荘村清志のコンサートを聴いたのが貴重な思い出。「くまん蜂」に圧倒された。 |
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日本人らしくビバルデイーの「四季」から始まった。たぶん、主人と行った弦楽四重奏のコンサートがよかったのだろう。大学2年の時だった。会場出口で偶然ワンゲルの後輩に出会った。アンコールの曲は知っている?と聴かれて「G線上のアリア」とかろうじて答えた。高原のホテルで1ヶ月半バイトしていた。ラウンジに大きいステレオがあって、手がすいているときはそこで、好きなレコードが聴けた。井上陽水とバロックばかり聴いていた。バッハのイタリア協奏曲が記憶に残っている。 |
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結婚し子どもが生まれコンサートには行けなかった。が、しばらくして車で通勤するようになって通勤の時間が唯一自分の時間だった。NHKFMで色々聴いた。面白かったのは、指揮者によって曲の印象がずいぶん違うこと。いつだったか、「運命」の出だしを何人かの指揮者の演奏で聴き比べるという企画があった。カラヤンとワルターでは全然違う。解説者は誰だったろう?朝だけでなく帰りもよかった。グルックの「精霊の踊り」に惹かれ、主人の誕生日にフルートを買った。彼は先輩に古いフルートをもらって音階ぐらいは吹けるのだ。(そのフルートは弟に渡った)大枚ウン万円したのに、まだケースに入ったまま埃をかぶっている。いつになったら、聴かせてくれるのだろう。と思っていたらいつのまにか次男が東京の下宿に持っていっていた。好きな風にジャズを吹いている。 |
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子どもが聞き分けのつく年頃になるとコンサートに行けるようになった。ただし、用心しないと、ごそごそしたり、いびきを掻いたりしてしまう。いつか、私の同僚の息子さんのピアノ独奏会で3人が寝てしまい、(息子2、夫1)前の席の人が振り向いていやな顔をされた。申し訳ありません。しかし、子どもながら惹かれる演奏の時は集中して聴いている。比較的小さなホールで演奏された東欧の天才バイオリニスト、ミラ・ゲオルギエヴァのリサイタルは今でも覚えているようだ。この時買ったCDは私のお気に入りでいつもカーステレオで聴ける。14歳とは思えない完璧なテクニックとみずみずしい感受性に満ちている。ブルガリアという激動の国を背景に澄みきった美しい音色が胸を打つ。特に最初のタルティーニのバイオリンソナタ「悪魔のトリル」がぞっとするほどの名演だ。この題名は作曲者が夢の中で悪魔に魂を売り、その代償として悪魔が聴かせてくれた美しいパッセージをもとにこの曲を作ったというエピソードに由来する。 |
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子どもが大きくなると一緒にコンサートには行かなくなった。仕方がないから二人で行く。二人だから贅沢にオペラにも何度か行った。高いだけあって、舞台背景衣装も素晴らしかった。スペードの女王、ドン・ジョバンニ、フィガロの結婚など。ぜひ、魔笛が聴きたい。ふたりだから、いつでも行きたい時に行ける。コンサートに来る人は昔は若い人が多かったが、今は中年以上の人ばかりだ。若い人のクラッシック離れは何なんだろう? |