たまにはクラシックな気分  


 

  久保田 巧 

05/6/5
私と息子2はルンデの月例会,久保田巧のバイオリンコンサート。演目はバッハの無伴奏ソナタとパルティータ。清楚な印象だった。アンコールでフルート用のパルティータをバイオリンで演奏してくれた。白い花びらのドレスを着た少女が踊っているような可憐な曲だった。



  工藤重典 

04/07/18   
ルンデで工藤重典のコンサート。フルートのソロをあんなに間近に聴いたのは初めてだ。バイオリンでもそうだが演奏者の息づかいまでわかるので,いっしょに演奏しているような気持ちになってくる。工藤重典はNHKのフルート教室から知っているが,見た目は普通のおじさん。額もはげ上がっていてあまり芸術家然としていない。しかし,その音色は洒脱で華やかである。色が感じられる。メンデルスゾーンはロマンチックに,新作のJ・M・ダマーズは揺らぐ風のように,サティは純朴に,ビゼーはこてこてに,バッハは神々しく。残念なのはグルックの「精霊の踊り」が聴けなかったこと。伴奏者のジェフリー・グライスも素晴らしかった。陰のように,足音のように,恋人のようにぴったり寄り添う。新作のCD「PAISAGE」を買い,二人にサインを貰った。



  セルゲイ・ハチャトリアン 

04/06/06    
ルンデ(名古屋高速,丸の内で出てすぐ左に茶色の看板)の例会でセルゲイ・ハチャトリアンのバイオリンリサイタル。アルメニア出身。若干19歳ながら,すでにプロの演奏だった。今日は父親のピアノ伴奏ということでリラックスしていたのだろう。息がぴったり合って,しかも気負ったところが見られなかった。モーツァルト・ベートーベン・バッハ・プロコフィエフを難なくこなし,アンコールはカルメン幻想曲で超絶技を披露してくれた。繊細かつ大胆。しなやかで激しさも兼ね備えている。プロコフィエフの終楽章で弓の弦が切れたのを演奏の合間に余裕でプツンプツンとちぎっていた。CDにサインしてもらった。やはりまだ少年らしさが残る。バイオリンを構えた立ち姿がとてもいい。マネの笛を吹く少年を思い出す。



  オーケストラアンサンブル金沢の定期公演 

04/03/14(日)
今日はオーケストラアンサンブル金沢の定期公演だった。武満徹「トゥリー・ライン」風の通り道のようなふしぎな音楽。メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」リディア・バイチという若手女流バイオリニストにしっくり寄り添うアンサンブル。最後にブラームスの「交響曲第4番」最初のバイオリンの歩むような主題でもう、うるっとする。第2楽章でうるうるとなる。なんか、西行に通じる孤独と哀愁があるんだよね。帰ってきてからCDで聴き直した。前にラジオでたまたま聴いた時(確かベートーベンの第9)どこのアマチュアかと思ったほどぎこちない演奏だったが(特に金管楽器)今日はすごくいい演奏だった。オーケストラ全体の調和が良かった。もしかして、ラジオで聴いたのは楽団員以外のメンバーもいたのかもしれない。4月から5月にかけてヨーロッパ公演を控えているようだが、指揮者の岩城宏之氏は大丈夫だろうか?かなりのお年だと思う。



  佐藤俊介 

03/12/02(火)
ルンデの例会で、佐藤俊介のバイオリンコンサート。1984年生まれというから、まだ20歳そこそこだ。いくつもの国際的な賞を取っている将来を嘱望されたアーチストだそうだ。ピアノ伴奏もまだ芸大の学生という若い二人の演奏はまだ荒削りだが若々しい感性が随所にみられた。これから、育っていくのだろう。コーヒーブレイクのあと、バッハの無伴奏バイオリンソナタ第2番。第1楽章は本人も緊張していたのだろうが、そりゃ10年早いだろうという演奏だった。だが、楽章が進むにつれて熱を帯び、終楽章は完全に自分のものにしていた。これからが楽しみだ。それにしても、バッハは偉大だ。ルンデで演奏する弦楽器奏者は、必ずと言っていいほどバッハを演目に入れている。バッハを聴くとその人の技量がよく分かる。



  マリンスキー劇場バレー「くるみ割り人形」 

03/11/28(金)
キーロフバレー(現マリンスキー劇場バレー)の「くるみ割り人形」を見に行く。王子を踊るはずのファルフ・ルジマートフがケガのためキャストが替わっていたが、十分魅力的だった。ソロやデュエットの踊りも良いが、何より群舞の美しさには比類がない。中でも雪の精のコール・ド・バレーはため息がでた。舞台装置・衣装も音楽に負けずあでやかでまさに夢のような舞台だった。大人だけでなく、かわいく着飾った幸せなお嬢ちゃんの姿も目立った。



  プラハ国立歌劇場オペラ「トスカ」 

03/10/07(火)
トスカ役のマリア・グレギーナは凄かった。男声も負けるほどの声量と豊かな表現力で圧倒した。腰回りは太く、恋人のカバラドッシ役の人は抱きにくそうだったが、華麗だった。衣装も良かったが、首飾りとヘアバンドのダイヤモンドが素敵だった。まばゆく輝いていた。本物かもしてない。近くで見たかった。



  チェコ国立プルゼーニュ歌劇場オペラ「売られた花嫁」 

03/10/02(木)
オペラ「売られた花嫁」を観に行く。今回はS席でバルコニーの一番前でオーケストラボックスも舞台もよく見えた。重唱部分が美しかったが、全体的に地味で盛り上がりに欠けた。まず、舞台装置がなんとスクリーン。それに、ベンチがついたり多少の家具が申し訳程度につくだけ。衣装も、農民しか出てこないとはいえ、同じ生地で作りましたといわんばかりのお仕着せ衣装だった。いくら、歌がメインでも、オペラは視覚的な楽しみもなくてはね。うー、せっかくS席だったのに。来週の「トスカ」に期待しよう。



  プラハスピリットクインテット 弦楽5重奏団 

03/06/30(月)
半田でコンサートだったので、急いで職場を出た福祉大の創立50周年無料招待イベントに当選したのだ。指定席ではなかったが、主人が早めに並んでいたおかげで、真ん中5列目で聴けた。室内楽、弦楽5重奏団なのに、大きいホールだったので、音が抜けてしまっていた。後ろにいた人たちは聞こえたのだろうか。前半はロッシーニとドボルザークの5重奏曲、後半はクライスラー、アンダーソン、などのポピュラーな小曲を13曲。気軽に楽しめた。私的に良かったのは、ガーナーのミスティーという曲。今度、CDを探してみよう。



  ゲリンガス 

03/05/11(日)
小さなホールでチェロを聴きたいという願いが叶い、スタジオルンデでのゲリンガスのコンサートに行く。目当てはバッハの無伴奏チェロ組曲だったが、それはさらっと流し、前衛的な現代曲に本領を発揮していた。セロ弾きゴーシュのインドの虎狩りはさぞこんな曲だろうと思うような激しいリゲティのソナタ、男の怒り、女のすすり泣きを思わせるヴァスクスのGramataCellamそして、ゲリンガス自身に捧げられたシルヴェストロフの小品。それらに比べ、バッハはなんと穏やかなのだろう。ゲリンガスの表情も全然違う。アンコールは3曲。ショスターコービッチの切れ味の良い小品、リムスキー・コルサコフの熊ん蜂の飛行、最後はカザルスの鳥の歌。今日は雨のせいか音はかすれ気味だったが、チェロを変幻自在な生き物のように操る素晴らしい演奏に感動だった。スタジオルンデは教室ほどの大きさの室内楽専門のホールだ。予約しておいたので、最前列、演奏者とは3mぐらいしか離れていない席だった。途中休憩時間に飲み物のサービスがあり、美味しいコーヒーを頂いた。彼が持ってきた新作CDは売り切れて、チェコフィルと演奏したドボルザークのチェロ協奏曲のCDを買った。そして、演奏終了後そのCDにサインをもらい、握手までしてもらった。彼の手は白くて大きくて柔らかく、ハイジの白パンのようだった。このこぢんまりしたホールは隠れ家のようでとても落ち着く。また行ってみたい。



  ワルシャワ室内歌劇場のオペラ「魔笛」 

02/12/12(水)
今晩は楽しみにしていたワルシャワ室内歌劇場のオペラ「魔笛」。モーツァルトのオペラの中では一番好きだし、ポピュラーな曲がたっぷり聴けて良かった。前のプッチーニ比べると古典的というか、和声的だったが、どのアリアもきっちり作ってあってオーケストラとのバランスも絶妙一体感が快い。役割はチェスの駒のようにしっかり性格付けがされていて、とてもわかりやすい。舞台装置は左右対称、登場人物も、夜の女王とザラストロ、タミーノとパミーナと、パパゲーノとパパゲーナ、3人の侍女たちと3人の童子たちなど対になっている。モーツァルトの死の年に書かれ、彼の天才振りが遺憾なく発揮された傑作だが、解説によると、死の影や、フリーメーソン、マリアテレジアまで隠されているという。圧巻はやはり、夜の女王の「復讐の心は地獄のように燃え」の絶唱である。終わっても一瞬拍手が遅れたほど。しかし、パミーナの切々と情感を歌い上げたの人の方がたぶんベテランだと思う。演出がオーソドックス、シンプルでやや盛り上がりに欠けたが、十分楽しめた。席は安いところでいいから何回も行きたい。今回はD席は売り切れでC席だった。側に高校生の3人組の男女がいて最後に声を揃えて「ブラボー」と叫んでいるのが好ましかった。来月は「トゥーランドット」7月には大作「アイーダ」だ。主人はすっかりオペラにはまったようだ。



 イスラエルフィル  マジック・ストリングス

02/09/23 (月)
マジック・ストリングスと名付けられたイスラエルフィルのバイオリン奏者たちのコンサートに行く。12人のバイオリンとピアノというシンプルな構成である。たぶん、12人のセロの方が力強く深いのだろうが、バイオリンもなかなか心地よい。私的にはハチャトリアンのバレー音楽2つ「マスカレード」よりワルツ「スパルタクス」よりアダージォ、屋根の上のバイオリン弾きがよかった。ラスト近くにシューベルトのアヴェ・マリアがあって、ほとんどユニゾンでピアノ伴奏も単音に近いシンプルな演奏だったのに、この曲の持つ崇高さだろう、涙が出て止まらなくなった。一度涙腺がゆるむとお手上げ状態なので秀逸だったツィゴネルワイゼンもアンコールの楢山もぐすぐすいいながら聴いていた。演奏家の大部分は旧ソ連や東欧からの移住者である。音楽監督のギデオン・シュタイナーは日本語で司会をしてくれたが、普段は何語で話をしているのだろうとふと思った。



  レニングラード国立歌劇場管弦楽団 

02/02/05(火)
6時半開演なのに、職場を出たのが5時45分。途中渋滞して半分あきらめたが、主人の連絡を取りながら何とか間に合った。2分前だった。お姉さんはもっと遅かった。今日のはレニングラード国立歌劇場管弦楽団の演奏と3組のバレリーナによるバレーも鑑賞できるというお得なコンサートだった。ただし、背景のセットは全く無し。しかし、前から5列目という場所だったのでトゥシューズのコツコツという音まで聞こえた。素晴らしい踊りだった。でも男性のタイツは正視できないな。女性のスカートの中丸見えも私はドキッとしてしまう。音のほうは劇場の楽団だけあってメリハリがはっきりして楽しい演奏だった。メンバーも指揮者もしゃちこばらず気さくな感じがした。会場の反応もよく手拍子や掛け声もよくわきまえていた。帰りがけにチャイコフスキーの3大バレー名曲集のCDを買った。



  アシュケナージ チェコフィル

01/11/02 (金)
チェコフィルのコンサートだった。最初はモーツァルトのピアノ協奏曲。真中にでんとピアノが置いてあって白髪の小柄なおじさんが弾きながら指揮をしていた。なにしろモーツァルトだしつまらんと思っていたら、なんとあのおじさんはアシュケナージだった。次はマーラーの交響曲7番。アシュケナージの指揮は一風変わっていて流麗とは言い難い。しかし、演奏は素晴らしかった。主人はああいうのが好きだから喜んでいた。私はちょっとチケット代(大枚1万7千円)がもったいなかった。今回の日本公演のプログラムはFまで組んである。ドボルザークやスメタナの演目が聴きたかったな。


  ミラ・ゲオルギエヴァ 及川浩二

01/10/07 (日)
久し振りにY子さんが来てくれたけど、Uのテニスを11時で切り上げミラ・ゲオルギエヴァのコンサートに行った。老パジェロをぶっ飛ばして会場に着き当日券を買う。S席も有ったが、やはり良い席ではない。ピアノとバイオリンだけだからと思って舞台の後ろ側のA席にした。なんと、2000円である。彼女をこの値段で聴けるなんて。さて、開演5分前に席に着き、袖からピアノの及川浩二と共に現れたミラはもう、10年前のごつい少女の面影は無かった。スラッと背が高く、細身の現代風なドレスをまとった彼女はまるでモデルのようだった。静かな期待に満ちた拍手の後、音合わせをちょっとして静寂。そして、最初の深く柔らかく広く包み込むような音。それだけでもう涙が出てしまった。エルガーの愛の挨拶だった。何と甘美な心をとろかす音色だろう。その次はベートーベンのクロイツェルソナタ。私は聴きこんでいないのでやや退屈だったし、隣の席では主人がぐっすり夢の世界に入っていた。二部の小品の数々は胸を打った。中でもショパンのノクターン、サラサーテのツィゴイネルワイゼンは秀逸。シューベルトのアベ・マリアでは最近の世情、私の抱える悩みなどが頭を掠めた。人を真に説得するのは声高に叫ぶことではなく、低いゆったりとした静かな声なんだと思った。アンコールは3曲もやってくれた。竹田の子守唄のアレンジがとてもよい。日本の民謡がこんなに美しいものかと思った。途中頼んでも居ないのに何度も涙があふれ、コンタクトレンズが外れて困った。でも、泣いていたのは私だけではなかった。横の方で鼻をすする音が聞こえたし、1列目の年配のおじさんも目尻を手でぬぐっていたぞ。今日のコンサートで、彼女のレパートリーの広がり技術の洗練を感じたが、10年前のスラブ色の強烈な印象は無くなっていて寂しい気持ちもした。選曲も有るのだろう。主人も10年前の小さいホールのコンサートの曲方が好きだと言っていた。タルティーニ「悪魔のトリル」の強い印象が残っている。終わってから今日の小品が収録されているCDを買い、サインもしてもらった。さっそく、家で聴いてみたががっかり。音が悪すぎ。普通のバイオリンにしか聞こえない。何が悪いのだろう。CDの録音に限界があるのか、うちのコンポがちゃち過ぎなのか。やはり、ボーズのスピーカーが欲しい。

 


passage

 

  高校時代 

中学の同級生がいた。彼は中学校の時いがぐり頭の卓球部だったのに、なぜか、高校では吹奏楽部にいた。あまりしゃべったことのない奴だったのに、帰りのバスを待っていたら、「今からイ・ムジチに行くんだ」という。なんのこっちゃ意味がわからなかったが、彼は謎の笑顔だったので、その言葉が妙に引っかかっていた。意味がわかったのは何年か後のことだった。当時私は合唱部にいた。顧問の先生は、東京芸大出身だったが、ほとんど顔を見せず、生徒だけで練習、運営していた。12人しかいなかった。楽しかった。2年生のときだったか、第九を歌いに1時間バスに乗って通った。山田一雄?氏の指揮だった。怪しいドイツ語で歌った。

 

  大学時代 

部活(ワンゲル)の先輩にクラッシック狂いの人がいた。モーツアルトよりベートーベンが好きと言うと、モーツアルトの素晴らしさをまくし立てられた。と言われても私はそんなにモーツアルト知ってないので反論もせず黙って聞いていた。ワンゲルの他にクラッシックギター部にも入っていた。右手の爪がようやく弾けるまで伸びてくると、ワンゲルの合宿でじゃまだから切って、の繰り返しだったような気がする。教則本の真中へんでやめてしまった。みんなは十何万の良い音のするギターをバイトで稼いで買っていたが、私は姉のお古だった。一度だけ舞台に出て演奏した。何度も間違えた。小さいビルのワンフロアで荘村清志のコンサートを聴いたのが貴重な思い出。「くまん蜂」に圧倒された。

 

  バロック時代 

日本人らしくビバルデイーの「四季」から始まった。たぶん、主人と行った弦楽四重奏のコンサートがよかったのだろう。大学2年の時だった。会場出口で偶然ワンゲルの後輩に出会った。アンコールの曲は知っている?と聴かれて「G線上のアリア」とかろうじて答えた。高原のホテルで1ヶ月半バイトしていた。ラウンジに大きいステレオがあって、手がすいているときはそこで、好きなレコードが聴けた。井上陽水とバロックばかり聴いていた。バッハのイタリア協奏曲が記憶に残っている。

 

  カーラジオ時代 

結婚し子どもが生まれコンサートには行けなかった。が、しばらくして車で通勤するようになって通勤の時間が唯一自分の時間だった。NHKFMで色々聴いた。面白かったのは、指揮者によって曲の印象がずいぶん違うこと。いつだったか、「運命」の出だしを何人かの指揮者の演奏で聴き比べるという企画があった。カラヤンとワルターでは全然違う。解説者は誰だったろう?朝だけでなく帰りもよかった。グルックの「精霊の踊り」に惹かれ、主人の誕生日にフルートを買った。彼は先輩に古いフルートをもらって音階ぐらいは吹けるのだ。(そのフルートは弟に渡った)大枚ウン万円したのに、まだケースに入ったまま埃をかぶっている。いつになったら、聴かせてくれるのだろう。と思っていたらいつのまにか次男が東京の下宿に持っていっていた。好きな風にジャズを吹いている。

 

  子連れコンサート時代 

子どもが聞き分けのつく年頃になるとコンサートに行けるようになった。ただし、用心しないと、ごそごそしたり、いびきを掻いたりしてしまう。いつか、私の同僚の息子さんのピアノ独奏会で3人が寝てしまい、(息子2、夫1)前の席の人が振り向いていやな顔をされた。申し訳ありません。しかし、子どもながら惹かれる演奏の時は集中して聴いている。比較的小さなホールで演奏された東欧の天才バイオリニスト、ミラ・ゲオルギエヴァのリサイタルは今でも覚えているようだ。この時買ったCDは私のお気に入りでいつもカーステレオで聴ける。14歳とは思えない完璧なテクニックとみずみずしい感受性に満ちている。ブルガリアという激動の国を背景に澄みきった美しい音色が胸を打つ。特に最初のタルティーニのバイオリンソナタ「悪魔のトリル」がぞっとするほどの名演だ。この題名は作曲者が夢の中で悪魔に魂を売り、その代償として悪魔が聴かせてくれた美しいパッセージをもとにこの曲を作ったというエピソードに由来する。

 

  ちょっとコンサートへ時代 

子どもが大きくなると一緒にコンサートには行かなくなった。仕方がないから二人で行く。二人だから贅沢にオペラにも何度か行った。高いだけあって、舞台背景衣装も素晴らしかった。スペードの女王、ドン・ジョバンニ、フィガロの結婚など。ぜひ、魔笛が聴きたい。ふたりだから、いつでも行きたい時に行ける。コンサートに来る人は昔は若い人が多かったが、今は中年以上の人ばかりだ。若い人のクラッシック離れは何なんだろう?