6月のひとりごと

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02/06/30 (日)

W杯決勝戦が終わった。やはり、ブラジルが勝った。カーン選手の顔が印象的だった。別れ際の子犬のようだった。


02/06/29 (土)

学生時代の一つ後輩から原稿依頼のはがきが来ていた。テーマは「雨」。Yちゃん、「二十歳の原点」の冒頭の詩なんて覚えてないのです。私はほんとに読んだのかしら。もう一度読んでみます。


02/06/28 (金)

いくつになっても、できなかったことができるのは嬉しいことだ。今朝ついにやったのだ。自転車で下りられなかった狭くて急な坂を一度も自転車から降りないで下りきったのだ!勾配15%、道幅約1m、両側は2mぐらいの崖で下は畑になっている。キュッキュッとブレーキを軋ませながら、その狭くて少し曲がった難所を下りきるのは実に爽快。達成感に包まれて、いい気持ちで走っていると後ろからすぐ高校生に追い抜かれたけどね。


02/06/26 (水)

どうやら主人は風邪をひいたらしい。早々に床に入ってしまった。このところの寒さは何だろう。長袖1枚では膚寒い。今日の最高気温は19度だそうだ。4月に戻ってしまったようだ。1年生はまだ、一度もプールに入れない。


02/06/25 (火)

あそびをせんとやうまれけん。人間が本当に夢中になるのは遊びかもしれない。


02/06/24 (月)

↑の名前はショーン。ウオレス&グルミットに出てくるあの黒い羊。大好き。この前N生命の人が職場に来て、アンケートを書いたら抽選でこの羊の携帯ストラップが当たると言う。即、書いたですよ。絶対このストラップ頂戴ねっていうて。このサイト名を「SHEEP」にした時、このショーンをTOPにしたかった。だけど、何か使ったらいかんらしいのでやめにした。きょうね、彼女(N生命の人)が来たのよ私が帰るのと入れ違いに。もしかして、ストラップ持ってきてくれたんでは?と気になりながら帰ってきてしまった。


02/06/23 (日)

今度伝承遊びの授業をするので、鉄芯のこまを買った。床を傷つけないように主人に木の枠も作ってもらった。こまを買ったお店がすごかった。普通の家がこまの博物館になっていて、数え切れないくらいのこまが飾ってあった。応対に出たのは奥さんだったが、そこのご主人は全国からこまの講師を頼まれるそうで今は北海道に行っているそうだ。明日から3夜NHKの番組に出演らしい。こういう出会いはちょっとわくわくする。


02/06/22 (土)

昨日はホテルで懇親会。スパークリングワインがおいしかった。アスティかな。何杯もおかわりして、というか空になったら注いでもらうので、たくさんいただいた。隣に座った方に「ぜんぜんお顔に出ないですね。お酒お好きなんですか」なんて言われてしまった。「いいえ、めったに飲まないんですの、ほほほ」・・・ほんとは好きかも。実はどれぐらい飲めるか知らない。


02/06/20 (木)
死に付いていやおうなしに考えざるを得ないことが続いた。この3月に奥様を亡くされた方がメールを下さった。明後日に主人が待ち合わせをして会うことになった。会社も辞められるそうだ。どんなに気落ちされているのか。先月末にお父様を亡くされた方から電話をいただいた。後、1ヶ月と言われた時の心境を言葉を詰まらせてお話された。「死」という容赦のない現実に立ち向かうのは容易なことではない。家族の死は体の一部を切り取られたような気持だろう。自分の死は?一人のPCの文字でしか知らない人が亡くなった。自分の「死」に真っ向から立ち向かって、一人旅立ってしまった。一昔前、子どもたちがまだ小さかった頃、ガンの疑いで手術したことがある。結果は良性だったが、その数日間は自分の死後の子どものことしか考えられなかった。自分で生きていく力をつけてやりたい、その時間が欲しいとどんなに願ったことか。その時に比べると今はいつでも死ねるような気がする。自分が死ぬと何も残らないのだろう。「吾思う故に吾有り」この世のすべては自分の目を通して見ているのだから。

02/06/17 (月)
やはり、サッカー漬けである。ブラジルは強いなあ。ボールが12人目のメンバーに見える。

02/06/15 (土)

新聞の映画欄に「旅立ちの時」を見つけた。リバー・フェニックスの映画で一番好きな作品だ。なぜ、テレビで放映されないのかとずっと思っていた。テロ犯を美化している部分があるためかもしれない。それが、今週水曜日、衛星第2。フフ。なんといっても、リバーのピアノを弾く姿がいい。音源は吹き替えだそうだが、ピアノもかなり上手だったらしい。彼の弾くベートーベンがいい。もともとベートーベンのピアノソナタは大好きだ。でも、リバーの音楽教師の「昨日のブラームスとってもよかったよ」のひとことで、ブラームスのピアノ曲を捜しまくった思い出がある。で、ルプーの弾く晩年のピアノ小曲集にはまったのだった。そのころ、このCDとマライヤキャリーしか聞いていなかった。共通するのはなんだろう。暗い情念?《ブラームスは男のセンチ・ブルックナーは男の欲情・ベートーベンは男の愛》という言葉が2chのクラッシック板にあった。ブルックナーはわからないけど、後の二人の対比はわかるなあ。ベートーベンは自我がしっかりしているけど、ブラームスは叙情に浸っている。


02/06/13 (木)

仕事の締め切りが迫ってくると、なぜか部屋を片付けたくなる。でも、肝心のフロッピーを職場に忘れてきたので今日はできましぇん。今日も送り迎えをしてもらったので夕食は通りがかりの蕎麦屋に行った。今迄で一番おいしい蕎麦屋さんだった。えっと、金山の近くで運河沿いの「そば処天狗」小さくて見過ごしそうな店です。

02/06/12(水)

「外国人の人」と言ってしまうように、「浮浪者の人」と言ってしまう。別に危害を加えられるわけではないのだが、私は子どもたちになんと説明していいか分からないので、困っている。・・・今日は昨日行った公園の勉強をした。公園で見つけたものを分ける。ブランコ・シーソーなどの遊ぶためのもの、トイレ・水飲み場・ベンチなどの休憩するためのもの。ハト・犬などの公園に来る生き物。やっと字が書けるようになった子の記録用紙に「まっと」。何のことかと思ったら、浮浪者の人の布団が干してあったのだ。何に分類したらいいのだろう。しかたなく、「その他」を作った。・・・田舎者の私に解せない都会の不思議の一つである。死んだばあちゃんだったらなんと言うだろう。


02/06/10 (月)
引き続きサッカー漬けである。昨日は長男も居てみんなでバンザイをした。柳沢ガンバレ。私も応援してるよ。昨日は惜しかったね。次の試合ではシュート決めてね。電車の話題はやっぱりサッカーで、通勤読書は再び塩野七生。「チェーザレ・ボルジア或いは優雅なる冷酷」。やっぱりこの人は好きだ。わくわくする。500年前の資料でしか残っていない歴史上の人物が、ドラマを見ているように生き生きしている。これの前は池澤夏樹。「母なる自然のおっぱい」やっと読み終えた。足掛け2年かかった。私やっぱり理系はダメッス。この人は詩人だけど、宮沢賢治もそうだが、根が理系なので文章が緻密で隙がなく、宝石のように硬くて中に入れな。池澤夏樹を横目に新潮文庫の「オバはん編集長でも分かる世界のオキテ」は一日で終わった。このオバはん編集長なんで関西弁なんだろう。あまりにもキャラと合っていて関西の人に申し訳ない。でも、気軽に読めて私のような世間知らずでもちょっとは世界情勢が見えたのは良かった。で、出版社の方にお願い。文庫本サイズの雑誌を作って欲しいのよ。私の小さなバッグに入るような。

02/06/08 (土)
昨日は飲み会だったので今日は、体がなんとなく重い。私は飲んでも顔に出ないのでザルと言われることがあるが、無理に飲むことはしない。おいしいお酒じゃないと飲む気になれない。昨日もそんなに飲んだ気はしないのだが、朝起きたら顔がむくんでいた。主人がテニスの試合だったのでいつもどおり起きたが、その後は夕方までうだうだしていた。6月が始まったばかりなのにこの暑さは何だろう。この季節は苦手だ。私に限らず体調を崩しやすい時期だ。無理を重ねないように気をつけたい。

02/06/07 (金)
連日サッカー漬けである。電車の中の女子高生の会話もどの選手がかっこいいかという話で盛り上がっている。予選でさえこの熱気である。決勝戦が近づくとどうなるのだろう。ちょっと怖い。警備はしっかりされてますか?

02/06/05 (水)
中学校の同窓会の案内が届いていた。卒業1年目以来会ってないので、えーと、30年振りだ。幹事の方の名前を見ると、記憶の片隅にかろうじて残っていた顔とようやく繋がった。どんなおじさんおばさん振りだろう。見たいような見たくないような・・・。

02/06/04 (火)
その壱、5時過ぎに主人の携帯に掛けたらすでに帰宅していた。慌てて帰路に付いたら、その弐、この時間帯にしては珍しくすごい混みようだった。家に着いたら、その参、自宅前の塀でいつもサッカーの練習をしている少年の姿が見えない。いずれも、今日はワールドカップの日本の緒戦だからだ。日本は予想外に良くやった。しかし、韓国はもっと強かった。第2戦に期待しよう。あと12年して今の小学生が選手になった頃には肩が並べられるだろうか?Tちゃん期待してまっせ。

02/06/03 (月)
電車の中でずうっとマスカラをつけてる子。まじまじと見てしまった。ああやってやるのか。

02/06/01 (土)
知り合いの方にご不幸があったので名古屋に出かけた。ほんの2ヶ月会わなかっただけなのに、見る影もなくやせ細っていた。看病疲れだろうか、突然逝かれるのも置いてけぼりを食ったようで辛いだろうが、愛する人が日に日に衰弱し死んでいく様を見守るしかない辛さはどんなだろう。日頃は気丈な彼女の目にあふれる涙が全てを物語っていた。