8月のひとりごと

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02/08/31 (土)

台風の影響で熱風が吹きまくっていた。そのうち雨も時折混じる。予定していた庭仕事ができず、昨日借りてきた本を読む。

02/08/30(金)

午前中は2学期の準備、午後から息子1に付き合って図書館へ行く。エッセイばかり4冊。久世光彦、阪田寛夫、真保祐一、森田純一。

02/08/29(木)

午前中は「評価」についての講習。「人は評価するとき大ざっぱに○か×しかつけない。中間がない。」「人から強制されるより自分から進んで聴くものは評価が高い。中でもお金を払って聴くものは更に評価が高くなる。」「自分の関心があるもの、経験があるもの、予備知識が多少でもあるものには評価が高い。」「このように、評価は主観に左右されることが多々ある。」なるほど。で、なるべく客観性を持たせるために体系的細分化された具体的な評価基準を作る必要があるという趣旨。膨大な作業が待っている。

02/08/28 (水)

久しぶりに会った子どもたちはちょっぴり背が伸びてちょっぴり分別くさくなっていた。25メートル泳げた子が2割。すばらしい。帰宅したら、息子1がご飯を炊いてくれていた。このまま主夫になってもいいよ。ぶどうとノラ・ジョーンズのチケットが届いていた。高いのにオールスタンディング。しかも、ライブハウスは未経験。たぶん運動会の練習と会議でくたくた。だいじょーぶかなあ。

02/08/27 (火)

アマゾンで注文したCDが届く。カザルスのバッハ無伴奏チェロ組曲、小品集、山崎まさよしの心拍数近畿編。カザルスはちょっと大きすぎて手強い。日曜日の午後などにゆっくり聴きたい。心拍数はただただ・・・まではライブらしい熱さがあってよかったが、ミスペラーズの部分は冗長。ただ、唯一無二な彼の声が際だっていたのが良かった。

02/08/26 (月)

出勤。全てのスピードが考える暇もなく速くなる。

02/08/25 (日)

何ヶ月ぶりかでテニスをした。UのHPを覗いたら女の子が二人増えたみたい。久しぶりでちゃんと動けるか心配だったが、思ったより体が覚えていてナントカできた。もう肘を痛めないように、いろいろアドバイスされた。打点はもっと前に、手首に力ませない、ラケットのヘッドを先行させるなど。試合は2試合とも最後までもつれ込み踏ん張って勝てた。来週はもう、9月なのでスクールも始めよう。


02/08/24(土)

千夜一夜27話作っている間にポップジャムを見過ごしてしまった。


02/08/23 (金)

パスポートを受け取りに行くため、主人は午後から休暇を取った。すぐに受け取れたので、お義姉さんに教えてもらった整体に行く。主人はがんこな腰痛持ち。なんでも非常に有名なところで、1ヶ月前に予約しないといけないらしい。まあ予約だけでもしてみようかと行ってみたら、なんと奇跡的に空いていて治療を受けることができたのだ。待合室には力士の手形やら、野球選手と院長の並んだ写真やら、有名人の色紙が壁いっぱいに飾ってあった。つまり、そんな有名人も治療を受けているということだろう。保険は効かず、治療代は1万2千円也。その価値がありやなしや。治療の後は薬などなく、注意事項をいくつも書いた紙切れをもらっただけだった。首を横に振らないこと、足を組まないこと、肘をつかないこと、膝を開けないこと、枕とベッドを堅くし仰向けにまっすぐ寝ることなどなど。要するに骨盤をずらさないようにということらしい。そして、次の予約はなんと10月だった。さあ、主人の腰痛は完治するだろうか?まだ、時間があったので、近くにあった新美南吉記念館に寄る。棟方志功が「おじいさんのランプ」の挿し絵を描いたことから、南吉と志功の世界というテーマで企画展をやっていた。記念館の建物は話題になっただけあってかなり変わっている。地面からむっくり起きてきた芋虫のようだ。曲線と遊びの空間があっておもしろい。受付に飾ってあったごんぎつねのぬいぐるみがとてもかわいかったので買ってきた。主人の実家で昔飼っていた柴犬にそっくりだ。パジェロの助手席の前に置いた。つい背中をなぜてやりたくなる。


02/08/22 (木)

お義姉さんがシルクロードの自転車旅行から無事帰ってきた。今回はカスピ海から黒海まで。隣り合うアゼルバイジャンとグルジアの違いはイスラム教とキリスト教の違いだけでなく国の指導者の違いなのだろう。その後NHKの中国の農村の近代化の地域格差のドキュメンタリーを見ながら共産主義の欺瞞に話が行く。昔から彼女は世界情勢に詳しい。なぜだろう?


02/08/21(水)

息子2が忘れていった資料といっしょにCDを何枚か送った。私がネットで注文したドラマーの山木秀夫のアルバムと、ここで気に入ったらしいノラ・ジョーンズと、一昨日買ったDie12Cellistenのアルバム。うち後の2枚はCDRに焼いた。焼くのは私のノートにすでにソフトが入っていて息子1がやり方を教えてくれた。とても簡単にできた。音楽用のいいCDRでなかったのでスカスカの音質だったがまあいいだろう。

 山木秀夫のははっきり言って私には理解できない。アルバムは「しおさい」というインディーズから出ている。表記はほとんど英語だったので海外用だったのだろうか?最初は沈黙やがてアジアの民族楽器を果てしなく鳴らし瞑想の世界かと思うと、突然激しい連打から例の小気味よい、タイトでリズミカルなドラム。それに被さるのは歌ではなく、アフリカの猟の太鼓のような不気味なベースのリズムを携えサキソフォーンが唸るように吠えるようにほとばしる。次は女の人のため息の退廃的なラップと絡んで諦めたドラムが同じリズムを年寄りの繰り言のように繰り返しもういや、次は和太鼓のような明るい音色とリズムでバッハの宗教音楽のようなたんたんとした主旋律をクラリネットのようなラッパで西アジアっぽく吹くのよ。で次は現代音楽そのもののシュールなピアノを中心にしたコラボレーションで、次はロックな4ビートのドラムが中心、それにサキソフォーンと男声のわめき声が呟くように嘆くように愚痴る。ここで、また、例の色っぽい女の人がしゃべるように歌い、ドラムが景気づける。英語だからわかんないが何か意味深なことを言ってるらしい。次にまた、インドの民族楽器が出てきて、尺八のように深い音のサキソフォーンと対話。次第に重なり言い合いする。サキソフォーンは次第に激高し音が高くなる。その後両者ともダウンし床に転がり天井を仰いで呟いた後仲良くなる?バスドラを中心に力強いリズム。また、ジャングルに戻っている。ここはブラジルの奥地だろう。最後はおしゃれな都会のピアノをまとった例の女の人がこましゃくれておしゃべり。Are you happy? A hann?でぷつんと終わる。息子2ならわかるかもしれない。うちにあったキースジャレットの昔のLP(生と死の幻想)を聴いて浸ってたから。とにかく山木秀夫はすごいとしかいいようがない。 

 ベルリンフィルのセロ弾きたちのアルバムは、アメリカの音楽にリスペクトしジャズから映画音楽から黒人霊歌果てはラップまでやっているが、やはりクラッシックにまとまっている。あのね、「旅立ちの時」に出てきた台詞なんだけど、「ベートーベンでは踊れない」のだ。最初のCaravanの出だしでCDの中身を間違えたかと思ったよ。チャイコフスキーの交響曲4番に似ていたのだ。(そういえばこのチャイコフスキーもベルリンフィルだ。亡きカラヤンの名演奏。出だしは管楽器だ)チェロの表現のバリエーションを駆使してしかも12人もいるから厚みがあり、とても一つの種類の楽器でやっているとは思えない。それで、演奏はいやらしいほど完璧でアメリカの音楽を素材に遊んでみました。私たち流に味付けてみました。という印象。でも、さすがにDeep Riverにはやられた。泣けてきた。編曲のウィリヘルム・カイザー・リンデマンはこの曲を、あの9月11日のテロのすぐ後早朝の静けさの中で仕上げたそうだ。チェロ音色の暖かさと重みと深さと哀しみが曲の背景とともにぐうっと胸を掴む。いや曲の背景を知らなくたって、誰が聴いてもわかると思う。いや、やはりすごい人たちだった。


02/08/20 (火)

今日も日直だった。教務の話がおもしろかった。娘さんは宝塚の舞台1年目。東京公演期間中、舞台用のつけまつげを買ってくるよう先輩に言われ、抜け出す時間がないので、東京から名古屋に電話。普通の店にはなく、教務ははるばる有楽町(もちろん東京の)店まで買いに行って娘さんに渡したそうだ。先輩の命令は絶対服従なんだって。恐怖の世界だあ〜。ついでに車の話になって教務の車はなんと20年目、25万キロ乗っているそうだ。修理に出すと部品を探し出すのが大変で1ヶ月かかることもあるという。自分で直せるところは自分でやるそうだ。さすが大工をしていただけあって器用なんだ。あまり感心するものだから現物を見せてもらった。国産のジープだった。いかにも頑丈そうだ。この話を主人にするか迷う。


02/08/19 (月)

まだ富山弁が抜けない。まだしばらくかかりそうだ。30年ぶりの同窓会は、懐かしさと驚きと歯がゆさと楽しさでいっぱいだった。女性陣は思ったよりみんな若々しく、男性陣は差が大きかった。大企業に勤めている人はなんとなく元気が無く、小さくても自分で会社を持っている人の方が生き生きしていたように思う。仲良しのあっちゃんとも30年ぶりだった。一目で彼女だとわかった。お化粧っけがなく、綿パンにチェックのシャツ。学生時代のままだ。彼女らしく、模索しながら、自分を失わず、苦労を厭わず、3人の子持ちの今も看護婦をしているそうだ。たばこを吸っている男どもに、抜けなくなった京都弁でたばこの害について説教をしていた。でも、テーブル席が隣だった私は、彼女が懐かしさのあまり胸がいっぱいで涙ぐんでいたのを知っている。小学校1年の時隣に座っていたヤスノリは、口が遅かったのに今は4カ国語が話せるそうだ。悪いことばかりしていて先生にしかられていたヨシカズは自衛官、小さい頃119番にいたずら電話をしたヒサノリは消防署の署長で因果応報。ドッスンは商業科を出てすぐ信用金庫に勤め今は副頭取。今もちょっと太めでドッスンだった。18で結婚した美人の跡取り娘だったユウコちゃんは、もうふたりも孫がいる。のっぽのモリシンはもっとのっぽになり私の母校の高校教師。昔からピアノがうまかったが、「I LoveYou」を甘く歌い、秀才のサエキ君は営業マンで如才がなくこてこての演歌を歌い、同じく秀才で美人でお上品だったフナキさんはホテル勤めをやめ、自宅で小中学生に英語と数学を教えている。小さくておとなしかったミユキちゃんは町会議員夫人で来春の選挙のことがもう憂鬱。幼なじみのマリちゃんはずうっとしゃべっていて、静かなのは朝食を食べているときだけだった。幹事のタダクニ君は土建屋の専務で豪邸を建て、お父さんと同じ顔だからすぐわかったよといったら、私もお母さんと同じ顔だって。同じく幹事のキヨミちゃんはエステのお店のオーナーでさすがにスタイル抜群お肌つやつや、細かく世話を焼きながらしっかりお店の宣伝もしていた。しっかり者のハルミちゃんは魚河岸の荒くれ相手に仕事をこなし、おっとりしていたイズミちゃんはおっとりした奥さんになっていた。恩師のお二人はまだ60代で若々しく、特に英語の女の先生は背筋がしゃんと伸びていて黒いドレスが似合い、最後の挨拶代わりに詩吟を一席。「少年老いやすく学なりがたし一寸の光陰軽んずべからず・・・・」と相変わらず厳しい。午前2時まで飲みながら語り合い笑い転げSちゃんは昔のままだねと何人もの人に言われてうれしかった。30年間の空白を埋めようとする感情に言葉が追いつかずしゃべりまくっていたので、我が家に帰ってきてもまだ、富山弁が抜けない。


02/08/16(金)

息子2と私で釣りに行く。彼は左利きのためリールがうまく使えないので述べ竿にした。私が3匹つってもいっぴきも釣れなかった。じりじり太陽が照りつけ、もう、いいかげんやめたかったが、ここで止めては息子2にとって何もいいことがないので粘る。そのうちやっと一匹。そしたら、おもしろくなったらしく、もう少しやる。私は港の底にあるロープに針が引っかかって何度も針をだめにしたのでもう止めた。さあもう帰ろうかと声をかけようとしたら彼は最後に大きいアイナメを釣った。おみごと!お父さんに見せてからさばこう。夕方息子1も帰って来た。久しぶりに4人がそろったが、明日から私だけ実家へ里帰りする。母がいなくてもちゃんと生きるんだよ。


02/08/15(木)

終戦記念日。NHKの学生の討論会を見る。それぞれの立場の正当性を擁護するばかりなのがほんのわずかだが歩み寄れたように思えた。大事なのは真実を知ること、相手を理解すること、自分の狭い考えにとらわれないこと。


02/08/14 (水)

午前中は久し振りに釣りに行った。小さいメバルが3匹ハゼが4匹。ハゼはもっとつれていいはずだが、エサ屋のご主人もさっぱりだということだった。釣ったのはさばいて冷凍しておく。もう少したまってからから揚げにしよう。

02/08/13 (火)

彼女は東京に帰り、息子は3階の物置でドラムを叩く。以前よりうまくなっている。この秋の学祭にはある人のバックバンドをやるらしい。彼女はなんとウッドベースだそうだ。あの細い体であんな重いものをどう扱うのだろうか。私たちはやることがないので、せっかくの平日休みなので、別に海外旅行の予定もないのにパスポートの手続きをしに行く。前のはすっかり期限が切れていたのだ。そして、今日からお盆なのに気がついて慌てて主人の実家にお墓参りに行く。すでに迎え火がしてあった。よかった、気がついて。お義母さんごめんなさい。

02/08/12 (月)

まだ、自分はヤングミセスだと信じていたのに、昨日から突然、姑疑似体験状態だった。主人と共になんだか疲れてしまった。息子2の連れてきたのは女の子だったのだ。これまで我が家に「女の子」と言う人種がやってきたのは、小さい頃から知っているM家のAちゃんだけである。私も主人も息子2の突然の電話以来この1週間そわそわしどうしだった。息子2の連れてくる子だから、どんな子でも驚かないぞと心に決めていたが、予想に反し、非常に芯のしっかりしている礼儀正しい子だった。実家のお母様からもわざわざお電話を頂いた。こんな息子ですがよろしくお願いします。二人を名古屋港水族館 へ送ったついでに近くの映画館で、主人とトータル・フィアーズを見る。ジャック・ライアン役は新しい人だった。なんとなくベッカムを連想させる。ちょっとマスクが甘すぎ。 トム・クランシーの原作はずっと前に書かれたものらしいが、ちょうど今のアメリカの状態にシンクロして、まるでブッシュ大統領に危機感を抱いてる人たちがわざわざ映画を作ったのかと錯覚しそうだった。 それにしても原爆の描き方扱い方の軽いこと。原爆反対運動している人たちが抗議したのも頷ける。

02/08/11(日)

授業で熊野を廻っていた息子2が友だちを連れて来た。美大生って真面目な子が多い。それは、何のために学ぶのか目的がはっきりしているから。

02/08/10 (土)

名古屋ドームでナイター観戦。シーソーゲームで最後4−4の同点で迎えた9回の裏。中日の攻撃。打順は1番から。1番2番とも討ち取られ、3番福留。この日の福留は一つもいいとこなし。だが、最後の打席、ツースリーの後もファールで粘る。そして、最後に内野ゴロああこれで延長かと思ったらピッチャーの横をかすりセカンドも取れずセンターへ抜けるそれが緩い玉なもんで1塁送球に間に合わずヒット。その後が、立浪。立浪は毎回ヒットを打っているのでさすがきっちり仕事をする。1塁側ラインぎりぎりのライナー。続くキャッチャーの谷繁。毎回立浪をバントで送っていたが、すでに2アウトなので、ヒットしかないよ君。と思ったら、さすがキャッチャーうまいこと四球を選びこれで迎える渡辺。これをだな、低めの速球でうまく決めてくる。あわやこれまでかと思ったら次の球がなんとワイルドピッチ!キャッチャーは後ろに大きくはじき敢えなく試合終了。あっけない幕切れだった。座席はやや3塁側だったので、阪神のファンが混じっている。後ろの方でしきりに応援していた若者が、せっかく大阪からきたのにと嘆いていた。阪神ファンは熱い。虎の法被を着ている人に数人であったし、声援がもの凄い。地元の中日ファンの応援より熱気が入っていた。私は手拍子で疲れた。次に行くときはあの、叩くメガホンみたいなのを絶対買おう。

02/08/09(金)

CDやらMDやらテープやらを整理していてローリン・ヒルをMDに録った。やぱりすごくいい!中でもアルバムの表題曲のミスエデュケーションが好き。いい音楽を聴くといつもなんだけどもう、泣けてくる。これを歌ったのは22歳の時。あちらの22歳は大人だのう。この前インターネットで申し込んだアラニス・モリセットのチケットがもう届いた。なんて便利なんだろう。10月9日なんにも予定が入りませんように。夜NHKで元ちとせの番組をやっていた。この人のライブも見てみたいものだ。

02/08/08 (木)
何日雨が降らないのだろう?日直だったので、久しぶりに学校の花壇の様子を見に行く。ホウセンカが全滅状態。他はナントカ生き延びていた。ホウセンカの枯れた部分を思い切って刈り込んだ。脇目が出てくるといいな。職員室で資料を作っていると、隣のPCで音楽の講師(息子と同年齢!)の人が音符を作るソフトでメロディーに伴奏を付けていた。何でも旅行先で採譜してきたたしい。それはある作曲家が遺した原曲でコピーすると40万円といわれ、筆記してきたそうだ。できあがったものを音に出してもらった。ピアノとオルゴールの間のような音できれいな伴奏がついていた。途中の装飾音がかわいらしい。なんか頼んでみたくなった。何を頼もうかな?それにはやはり点数を上げておかなくちゃ。学区巡視に出たついでにたこやきを買って来た。やはり息子と同じ、ぺろりと食べた。この年頃の男の子はまかしといて。とにかく、いつでもお腹をすかしてる。

02/08/07 (水)
人間ドックの婦人科検診だった。異常なし。骨密度は正常値。だけど、ドック専門のクリニックだったのでちょっと不安である。なんだか、サービス業そのもので美容院のような雰囲気だった。ドクターも愛想が良すぎ。質問にはきちんと答えてくれず雑談が多かった。いつもの病院の方が何となく安心できる。帰りに高島屋へ寄ってあれこれ買い物。ヤング向けの店でハイネックでノースリーブのざっくりした綿のセーターを買う。気に入ったので、着替えて出てきた。やはり、着るものでずいぶん印象が違う。まだまだ、ヤングミセスで行けるぞぅ。

02/08/06 (火)

近頃の男はなんであんなに大きいのだろうか?180cmはザラである。それなのに、仕事は体に似合わずデスクワークとか商談とか研究とか全然体力使わない人が多い。立派な体を無駄にしているような気がする。男性諸君(特に息子1、息子2)その立派な体を少しでも社会の役に立ててくだされ。


02/08/05 (月)

雨飾山は日本百名山に選ばれただけあって、なかなかの山だった。なかなか、バラエティーに富んでいて、沢、樹林帯、見晴らしの良い稜線、岩場、頂上の眺望も晴れていたら素晴らしいだろう。それに、近年非常に人気のある山に関わらず俗化されていない。両方の登山口にある温泉も素晴らしい。そして、登りも下りもなかなか手強い山だった。侮れない。自分の体力のなさを改めて感じた。足が浮腫んで象の足のようになっている。


02/08/02 (金)
久しぶりに山の用意をする。小谷温泉から雨飾山に登る。確か2年の準合宿だったかな?それ以来なのであまり記憶にない。頂上はかわいらしい双耳峰になっていて、カタクリの花が咲いていた。この前の飲み会で二人の方が口をそろえて良かったよと勧めてくださったので行ってみたくなったのだ。2000mに満たないので、そんなにしんどくないだろう。日曜日の夜に帰宅予定。

02/08/01 (木)
「山笑う」は春。「山粧う」は秋。「山眠る」は冬。夏は何というか。「山滴(したた)る」だそうだ。緑の滴る山に早く行きたい。山の地図の入った箱をさばくと、あったあった。学生時代に使った「小滝」5万分の1地形図。これだけ良い天気が続いたので、もしかして週末は崩れるかもしれない。そしたら、温泉に入って帰ってこよう。