10月のひとりごと

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02/10/31 (木)

主人がまた腰を痛めた。昼休みに会社のコートでテニスをしていて、ネットを片づける時にやったらしい。今日は一日休んでいた。長男が居て良かった。お父さんどうだった?と訊くと、「役立たずだった」という答え。ずっと、寝てたらしい。木刀を杖代わりにして歩いていた。実家の父みたいだ。

02/10/30 (水)

昨夜は息子1のお祝いでスパークリングワインを飲み、3人ともそのまま、午前2時まで目を覚まさなかった。紆余曲折があっただけにしみじみ嬉しい。これからも険しい道が待ちかまえているだろうが、一つの山は越えることができたという自信がついたことだろう。

02/10/28 (月)

どのパックもすでに満員。なんと、お盆過ぎに言っとかないと取れないそうだ。そのほかに、今日は内でも外でも難問がいくつか有り、たぶん、何年か前の私なら、ひどく、落ち込んでいただろう。しかし、ひどかった去年に比べればこんなこと大したことではない。ほら、銀だこのたこ焼きのおいしいこと!開店セールで、1パック6個、270円!でもひとりで、バッハが聴きたくなる。


02/10/27 (日)

今日もいいお天気だった。空が高く、マグリットの雲がぽっかり浮かんでいた。主人が東京から来た人に「どうです、この空は。東京じゃこんな空は見られないでしょ。」と自分の空のように自慢していた。テニスの後、お義父さんのところに寄る。元気だった。元気になると饒舌になるからすぐ分かる。気候がいいので気持ちがいいのだろう。この過ごしやすい季節はいつまで続くのだろう。山は雪が付いただろうか。年末のルスツスキーの申し込みが迫ってきた。去年のペンションはちょっと部屋割りがきついので、私たちはホテルにしてもいいかなと思って、旅行社に当たってみた。安いパックはすでに満員だった。もう一つ高いのにした。明日連絡があるそうだが、果たして取れるだろうか。


02/10/26 (土)

スクールの振り替えに行ってきた。一つ下のクラスだったが、私にばっちり合っていた。来週もこの時間に振り替えをしよう。主人は会社関連の試合で今年もトロフィーを持って帰った。お疲れさま。

02/10/25 (金)

地下鉄でちょっと遠くの公園へ遠足。ちょうど、どこかの専門学校の運動会をしていて、競技の合間に子どもたちと遊んでくれた。大縄にまじったり、鬼ごっこをしたり、肩車をしたり、ドングリを見つけてくれたり。小学生をそのまま大きくしたような何とも不思議な若者たちだった。きっと、今日のさわやかな日差しの力だね。

02/10/24 (木)

授業参観だった。子どもたちも、お母さんたちも笑顔でよかった。充実した気分。

02/10/23 (水)

ちょっと不安だったがスクールに行く。ゲームが中心だった。体がふわふわして半分空中で動いているようで、思うようにならなかったが、しみじみ思うのは、私はへたくそだけれど、へたくそなりにテニスというゲームは楽しめるということ。それが、確認できたことが嬉しい。ヘッドコーチは海外にテニス留学とのこと。メッセージボックスにお別れの挨拶を書いて入れた。

02/10/22 (火)

久しぶりの大風邪だ。頭がぼーっとしている。だのに、3冊の本を平行して読んでいる。だのに、主人を待っている間にまた、文庫を買った。今月のほんだなの画像を撮って終わり。

02/10/20 (日)

朝主人を送り出す。今月はうちがUのテニスの神様(ボール当番)なので9時にコート。喉が痛く声が出ない状態なので、ボールはKさんに任せて、名古屋に出かけた。4時に市立美術館前なので、それまでに、大須の祭りと、芸術創造センターを廻る。大須は大道芸を中心に、名古屋祭りに対抗して町独自のイベントをやっている。万松寺という寺でお参りし。息子1の就職がうまくいきますように。大枚500円もお賽銭を投げ入れた。次に、おみくじを引いてみた。これがなんと。曰く、このおみくじに当たる人は何をしてもうまくいかない。待ち人来たらず、捜し物は出てこず、商売はうまくいかず倒産の怖れ有り、病に伏している者は十中八九死ぬだろう。信頼している人に裏切られ、毎日が苦労の連続である。ただただ、神仏を大事にし、油断せず、精進せよとな。あんまりじゃござんせんか。こんな縁起の悪いもの持っていたくないわ、と、境内に結ぼうとしたら力が入りすぎたのか、途中で切れてうまくいかない。そもそも、信長縁の寺だから、容赦が無いのだ。ま、とにかく、気を引き締めようと、バッグを持つ手に力が入る。地下鉄で栄に出て、女声合唱のコンサートを聴く。ママさんコーラスなのだ。きれいだったが、やや力不足。時間が気になったので、最後の組曲は聴かずに会場を出る。市立美術館についた頃にちょうど雨になった。主人は時間通りにやってきた。待ち人が来て良かった。マグリット展は今日が最終日。若い人でいっぱいだった。いわゆるシュールな作品である。たいていはちょっと気味が悪いのだが、中には気持ちのいいものもある。私の気に入ったのは広い野原の真ん中に巨大なシャンペングラスが有り、それに雲がふんわりと乗っているの。おいしそうだった。雲の柔らかい質感、グラスの硬くて透明な質感、野原や空の空間的広がりが達者な筆でしっかりかき込まれていて、それらが、組合わさると、有るはずのない現実を見ているような不思議な気持ちになる。その後もあれやこれやで家についたら8時を過ぎていた。風邪気味なのに、歩き回った一日だった。


02/10/19 (土)

今日は主人の会社関連のテニス大会のはずが雨で流れた。朝からのどが痛い。どうやら、風邪を引いたようだ。熱を計ったら35.6℃。平熱だ。私は低体温らしい。36℃台になると熱っぽい。明日は直りますように。図書館でまた、本を借りてきた。また、一冊読めず、4冊だ。息子1が内定を一つもらった。ほっとした。来週また、面接があるそうだ。ここまでこれただけでも、嬉しいが、自身のためにもうひとがんばりして欲しい。彼の就職がらみでネットサーフィンしていたら、偶然矢沢宰のサイトを見つけた。私が高校生の頃出会った詩人だ。詩集が出たときには、もう、彼は帰らぬ人だったが、その透明で純粋な詩は、当時の私をとても力づけてくれたものだ。詩集の名前は「光る砂漠」。その表紙の写真を見ただけで、胸がキューンとなった。

02/10/18 (金)

今朝の日経によると、今の出生率と平均寿命で計算すると、西暦3300年には日本人は2人になり、3387年には日本人は一人も居なくなるそうだ。実際、2人で手一杯だけど、結婚しない人も大勢居るから、3人は欲しいよね。マリア・テレジアはなんと、ハプスブルク家を絶やさぬために、生涯に16人も産み、内10人が成人したそうだ。肝っ玉母さんだ。今、マリー・アントワネットの(愚かしい)生涯の本を読んでいる。しっかり者のマリア・テレジアのアホな末娘である。あの軽薄さは父親譲りらしい。やはり、結婚は慎重に。

02/10/17 (木)

拉致されて一時帰国した人たちは、日本での滞在期間を短くしたい希望があるそうだ。残してきた子どもたちが気がかりなようだ。そういえば、みんな子どもがある人ばかり。子どもたちは人質代わりだろう。だから、もし、人質となる家族が居なければ、国外には出せず、だから、他にも生存している可能性があるような気がする。しかし、身につまされる話である。もしかしたら、私も拉致されていたかもしれない。ちょうどあの頃、あそこらへんの海岸をよく歩いてたもの。おお、こわ〜。

02/10/16 (水)

私は方向音痴である。今日も失敗。出張でほんの目と鼻の先の栄へ行くのに、地下鉄を反対方向に行き、気がついて戻り、変なところで乗り換え、大回りをして、30分遅れた。もう、自分のドジさ加減には慣れているので、慌てず騒がず悟りの境地である。若い頃、阿佐ヶ谷の姉の家に行く途中道がわからなくなり、捜索願いを出されそうになったことがある。目印で覚えていた相撲の花籠部屋と立浪部屋を間違えて道を聞いたのだった。今思えば、まっすぐな名古屋の道さえわからないのに、東京の道を迷わず行くなんて大それた考えだった。

02/10/15 (火)

駅を降りたところで主人の車を待っていた。ちょうど南の空に半月がくっきりと光っていた。秋の空だ。上空の風が強いのか次から次に薄雲が流れていく。月を隠したかと思うとさっとカーテンを引くようにちぎれていったりする。しばらく見ていると、あらま上手い具合に行書の月という字になった。ちょっと太めだけれどね。昔の人も同じような月を見ていたんだね。〜月の字を書いてちぎれる雲速し〜s

02/10/14 (月)

息子1は浜松に帰り私たちは徳川美術館へ行った。抹茶茶碗の企画展をやっていたのだ。独身の頃この近くに住んでいて何度か行ったことがあったが、こんな国宝ゴロゴロあるところだとは思って居なかった。今は展示室を広げてあり、庭は整備中だった。茶碗はあらゆる種類が系統立てられて展示してあった。主人は焼きが硬くて形の整っているものが好みらしいが、私は土の味が出ているものが好みだ。面白いことに昔のものほど形が整っている。中国産の青磁や油滴天目は豪華で気品がある。次に素朴な土味のある井戸・三島・刷毛目などの高麗茶碗そして利休が作らせた楽茶碗そして、さらにぼってりした志野、さらに、大胆な織部。黒織部の沓形茶碗なんかアバンギャルドである。時代を下り、日本人の手による様々な試みが出てくるのを見るのはおもしろかった。会場には和装のご婦人が大勢いた。今日はここで茶会があったのだ。多分、それなりの人たちだろう、高価そうな着物や帯を眺めているのも目の保養になった。名古屋はお茶所らしい。なにげにお抹茶が出てくる。本家のおじさんの家では毎日たてていた。小さい頃、よく遊びに行っていた息子たちは作法はよく知らないが、お抹茶は好きである。私は上手く点てられないが、主人は上手だ。常使いのいい茶碗が欲しい。

02/10/13 (日)

雲ひとつ無い澄み切った空だった。気持のいいお天気の中でテニスをした。しかし、気分は憂鬱。ちっとも、体がいうことを利かずミスばかり。女性のテニスサークルへ移りたいな。私に適当なところはないかしらん。

02/10/12 (土)

主人と息子1と一緒に映画を見る。「ロード・トゥ・パーディション」禁酒法時代のアメリカだから、1920年代の話である。恩義からマフィアの世界に入った父とその息子の復讐と逃避行。湿っぽい話なのに、映像はクールだった。監督がアメリカンビューティーの人だと分かり納得。息子役の子が、最後まで涙一粒見せないの。丸太みたいな子だなと思っていたけど、実は父親譲りのしたたかさの影にナイーブな部分も持っているのだが、それは父親には見せないようにつっぱっている。あの抑えた表情は意識的なものだろうか?しかし、もし、リバー・フェニックスだったらと思わずには居られなかった。彼がやったなら、眼差し一つで父親への愛情を表現しただろう。トム・ハンクスは気難しく無骨な父親とマフィアの役をしっかり演じていたが、私にはミスキャストに思えた。彼は、ちょっと出すぎではありませんか?今までとはちょっと違う苦みばしった役どころだったが、彼のキャラクターのイメージがちらつき、違和感があった。もっと、無名の人が良かったな。それは、ポール・ニューマンにも言える。マフィアなのに人間が小さく弱々しい。ゴッド・ファーザーのように自分のやることに一分の迷いも無い倣岸さが見られなかった。ま、そういう狙いだったのかもね。「マフィアも人の子人の親」がテーマなのかもしれない。映像が丹念に作ってあった。古き良き(?)時代のアメリカ。暗黒時代ともいう。1920年代のシカゴの町並みはCGだったのか。しかし、例のT型フォードの群れはどうなんだろう。時代を感じさせる背景作りに意外にお金をかけているのかもしれない。帰宅途中立ち寄った本屋で、主人は原作の文庫本を買った。表紙が映画の宣伝みたいだった。


02/10/11 (金)

習字に行ったら、かなの級が上がっていた。ちょっと嬉しい。BE-PAL11月号を買う。チャボを特集していた。つがいで飼いたいなあ。昔、子どもたちが小さい頃、お祭りの夜店のヒヨコを育ててニワトリを飼っていたことがある。ニワトリって凶暴なんだよ。チャボはニワトリよりかは飼いやすいようだ。種類も豊富。「日本鶏保存会」により25種が認定されている。天然記念物。とすると、認定書がついてくるのだろうか。前に飼っていた黒芝に家系図見たいのがついていてびっくりした。今ワタクシ的に飼いたい動物。1位ヒツジ(ショーンのような黒い顔のサフォーク種)2位チャボ(グレーの浅黄という種類)3位イヌ(フォックステリアがいいなあ)。

02/10/10 (木)

もう、10月も半ばになろうとしている。秋山は仙人池と決めていたはずなのに、主人は2泊3日では無理だという。そうかもしれない。それに今は紅葉の仙人池に写る剣が絶好だろうから山荘は満員だろう、と諦める。深い山が無理なら近くの山でいいよ。ちょっと、空気を吸ってこなくちゃ。

02/10/09 (水)

日本のノーベル賞受賞3年連続、しかも、今年は2人も受賞だそうだ。これは、研究資金援助やロビー活動などの政府の政策が効を奏してきたのだろう。何しろ「50年間で30人のノーベル賞を」が目標だそうだ。3年間で4人とはいいペースだね。主人とアラニス・モリセットのコンサートに行く。すごくパワフルなステージだった。甘くてくっきりした、いわゆる「全部声」の声質で、高音に行く途中微妙に裏返るところがさわやかだ。知っている曲はひとつだけだったがすごく楽しめた。ギターの他に、ブルースハープやフルートも披露した。、ギンギンのエレキギターが、腰までの黒髪・黒の皮の衣装にとても似合っていた。あのギターが欲しい。飾っておきたい。


02/10/08 (火)

饕餮(とうてつ) 中国西方の辺境に棲む、四凶と呼ばれる四大怪物のひとつ。名は「贅沢を貪る」という意味。人の顔を持つ羊で、腋の下に目があり、虎の歯と人の爪を持つという。 私のことか?いや、息子1のあるサイトでのHNらしい。冷蔵庫の中の空間が見る見る広がっていく。


02/10/07(月)

仕事のことで嫌なことがあった。ちょっと落ち込んでいる。冷静に判断し、誠実に実行し、気を楽に持ちませう。


02/10/06(日)

テニスをしている途中で大雨。あきらめて後の時間はキャンセルして帰るとなんと晴れてきた。人生なんてそんなことばっかし。粘りが肝心か、引き際が肝心か、その判断をするのが難しい。


02/10/05(土)

市民講座最終回は現代イスラムの潮流と原理主義の行方と題した講演だった。イスラム教の簡単な教義とイスラム世界の抱える矛盾がおおよそ理解できた。イスラムは全世界で12億人で更に増加する傾向にあるそうだ。それは、西欧のアイデンテティーに対抗するものとして、現在のアメリカ社会に矛盾を感じている人々に広がっている。アメリカ国内でもキリスト教に次いで2番目に多いそうだ。そもそも、階級社会を認めず、「正義」と「平等」を説いている。テロに走ったのはイスラム原理主義者たちの一部であり、支持層の大部分は中間層か中下層階級の学生や青年である。これらの人々は大学などで高等教育を受けても期待していた職に就けないことが多く、社会や政治に不満を持ち原理主義の主張に吸収されていく。イスラム過激派が台頭してきた要因は、人口増加による貧困、国民の福利を考慮しない政治、民主主義の欠如、イスラエルに対する敗北である。アメリカのイスラエル寄りは周知の通りであるが、アメリカ社会におけるユダヤ人の影響力は確かにすごいらしい。ユダヤ・ロビーは上院議員100人のうち75人まで集める力を持っているそうだ。NYタイムズを始めとする米国のマスコミ界はユダヤ人で占められ、ハリウッドを中心とする映画産業で親イスラエル的な世論をつくりあげている。ちょっと言い過ぎかも。しかし、今のブッシュのやり方を見ていたらそんな気もする。テロは犯罪である。だから、捜査をして犯人を逮捕するべきであって、一国の判断でイラクやアフガニスタンを攻撃するのは間違っている。アメリカは大量破壊兵器を怖れているのだが、国連の査察を待つべきだろうという意見だった。講演の後のスライドがおもしろかった。お義姉さんが廻ってきたトルコやウズベキスタンの写真もあって、解説つきで聞いてみるとただのバザールの写真でも意味がよく分かった。アメリカの落とした救援物資は、車を持っている一部の人が回収し、バザールで売っているそうだ。救援物資は確実にその人に手渡しするのがいいそうだ。


02/10/04 (金)

習字は何年習っているのだろう、数えるのもはばかれる。進歩がない。かなの細い線がなかなか書けず、先週先生に息を止めて書きなさいといわれたことを思いだしやってみた。一字ぐらいはできるがそもそも連綿であるからなんとしよう、線の途中で苦しくなって支えきれない。要するに速く書けばいいことなのだが、そこまで、技術が及ばず。先生曰く何度も書くことですよ。はい、分かりました。とほほ。高校生ぐらいの子が条幅の作品を書いてくる。毎週何枚も書いてきてその中から良いのを一つ残し指導される。それが、1ヶ月以上続いていたから、何十枚と書くんだろうね。


02/10/03 (木)

ラジオで懐かしい歌声を聴いた。アンディ・ウィリアムズだ。主人に知ってる?と訊いたら、中学生の時、英語の歌を歌う課題があったそうで、彼の「塗り絵」という歌を歌ったそうだ。誰も分からなかったそうだ。私も知りません、そんなマイナーな歌。アンディは3つ上の姉がファンで、彼のTVショーを欠かさず見ていた記憶がある。彼の歌声はフランク・シナトラとも似ている。やはり歌手は声よね〜。


02/10/02(水)

テニススクールのヘッドコーチが今月いっぱいで止めるそうだ。背は私とチョボチョボでぱっと見た目はそこらのねーちゃんだが、生徒一人ひとりの個性をよく掴み適切なアドバイスをしてくれる。かつて東海地方シングルス・ダブルスチャンピオンだったそうな。スクールはよく繁盛している。なぜ止めるのだろう?


02/10/01 (火)

終日冷たい雨が降っていた。特に帰宅時は風も強く、冬を予感させた。こんな時は暖かい家庭が欲しいだろう。家にはいくつか明かりが灯ったままだったが、息子1の姿はなかった。ご飯時に電話があり就職試験の相談。試験日が重なったらしい。難しいかもしれないが、少しでも彼に合っていそうなところを勧めて置いた。うまくいきますように。