8月のひとりごと

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03/08/31(日)

幸い土砂降りは免れ、1本目の終わり頃にシャワーがわりに降っただけだった。ビーチエントリーで遠浅の穏やかな海だった。あまり、魚がいなくてちょっと物足りなかった。可笑しかったのは、私たちのチーム名「ヨツアナカシパン」だ。へんな名前だと思っていたら、ほんとに、この名前の生物がいるそうだ。そして、一緒に潜った女の子が見つけた「ヨツアナカシパン」。一見したところまるでクッキーである。インストのYさんがふざけてレギュレーターをはずしてかじって見せた。おいしくなかったそうだ。もう一つは「ホタテウミヘビ」の水中ショー。海底の砂地に顔だけ出してエサを待っているのだが、Yさんはどうしても、誘い出したいようす。しかし、いくら、エサをちらつかせても10センチぐらいしか出てこない。そのうち、他の魚が餌を取っていった。バスの中で他のチームのインストがデジカメの水中ショーを見せてくれた。見事である。上手くおびき出し、エサを取ったかと思うと、アラジンの魔法のランプの中に戻る巨人のように、すばやく元の巣穴にしっぽから入っていく。Yさんは次回こそと決意を新たにした模様である。


03/08/30(土)

健康プラザのIDカードを作ってもらうため簡易体力測定をした。ふたりともまずまずだったのだが、驚いたのが主人の身長。なんと、182,5cm。若い頃より2cmも増えているではないか。どういうわけでしょ。・・・・。体重は13kgオーバー!どうやって減らせと言うんですかと係りの人に怒っていた主人。・・・・。明日は日本海にダイビングの予定。雨かなあ。


03/08/29(金)

もはや当たるはずがないと思っていたら、当たってしまった。食中毒ではない。山崎まさよしの公開リハーサル無料招待だ。私はファンクラブに入っている。年会費3500¥を払うと会員番号がもらえ、毎月の会報、先行チケット予約、招待イベントなどの特典があるのだ。私は2万台だが、今は7万台ぐらいの番号までいっているのではないかと思う。今回は東京なので全員が応募するわけではないが、かなりの倍率だと思う。その中から900人。これは、かなり運がいいのではないだろうか。私はふだんクジ運が全くなく、スーパーの大売り出しのクジは5等か6等、年末ジャンボは最高3000円、当たるのは、子ども会の副会長だったり、研究会の世話係だったり有り難くないものばかり。だから、今回はほんとうにびっくりしてしまった。人生山あり谷ありだ。この一週間いろんなことがありすぎ。さあ、お楽しみの前にお仕事お仕事。


03/08/27(水)

フィリピンから転入生が来た。日本語がほとんどわからない。その上身体障害がある。横っ面をはり倒された思いだった。もうすぐ、新学期が始まる。気を引き締めなくては。


03/08/25(月)

初めて胃カメラというものを飲んだ。あれはつらい。あのつらさはお産の時とどっこいどっこいだ。ゲロゲロいいながらしっかり画像も見た。大丈夫、どこにも異常はなし。どちらにしても、残された人生、しっかり生きたいものだ。ということで、9月の遊ぶ計画を立てる。


03/08/23(土)

いくつになっても、できなかったことができるようになると嬉しいものだ。今日はクロールも平泳ぎも25メートル完泳!私はなにごとも上達が遅いのだということが分かった。続ければできるのだ。途中で諦めるからいけないんだな、きっと。


03/08/22(金)

人間ドックの結果が来た。再検査項目が二つもあったので病院へ行く。


03/08/21(木)

昨日も今日も一日中ずっと図書室の本の整頓をしている。どんなにやってもイヤにならないのは、やはり本が好きなのだろう。


03/08/17(日)

主人とレイトショーに行く。カリビアンを押し切り、私の希望で「踊る大捜査線」を見る。・・・。最初から凍ってしまった。すいません、私がアホでした。日本映画がんばってください。良かったのは織田裕二の肩の線だけだった。


03/08/16(土)

また雨だ。今年の稲はだめだろうな。午前中は読書。旅行にも連れて行った随筆集。作品社「日本の名随筆」お気に入りシリーズだ。「花」「鳥」「色」「酒」などいろんなテーマでいろんな人の随筆が集めてある。編者はテーマによってちがう。例えば「花」は宇野ちよ、「鳥」は草野心平。今読んでいうのは「音」編者は團伊玖磨。書き手は小説家、詩人、哲学者など文筆を生業にしている人だけでなく演奏家や作曲家やら文化人類学者やら俳優やらどの文もその人となりを表して興味深い。その中でやはり芥川龍之介、夏目漱石は秀逸。随筆ながら、短編にまとまっている。情景が目に見えるようで、空気の湿っぽさや匂いまで伝わるそして、両方とも謎の音がミステリー仕立てに語られ読者の興味をそそり、最後には話のオチが用意してあるのだ。さすがである。午後からプール。私は500メートル、主人は1000メートルぐらい。久し振りだったので疲れた。9月いっぱい土曜日は1時間延長して利用できるらしい。


03/08/15(金)

昨日から一泊で家族旅行その2。熱海。会社の保養所があるのだ。あいにくの雨でせっかくの景色がよく見えなかったが、MOA美術館に寄れて良かった。野々村仁清の藤の壺など国宝を3点重要文化財を20ぐらい所有しているそうだ。ちょうど、陶芸家の小山富士夫展をやっていて、彼の作品の他に縁の人の作品や中国、朝鮮、日本の古陶磁が陳列してあった。例の国宝秋草文壺も間近に見ることができた。ところで、小山さんの親友「石黒宗麿」さんて人間国宝だったそうですが、もしかして、小学校の同級生だったユウコちゃんの親戚でしょうか?


03/08/13(水)

日直。お盆でも野球部は休みなしだ。顧問のK先生は私より年上だが野球部が生き甲斐だ。上背があり、厳つい顔立ち、普段は無口だが悪いことをすれば吠えるように叱るので、どんなやんちゃ坊主でも震え上がる。ほんとはとっても優しい。子どもたちもそれを知っている。


03/08/12(火)

昨日息子1も来たので、お盆には1日早いがお義母さんの墓参りに行く。本家の伯母さんにも会ってきた。元気そうだった。カボチャをもらった。夜は天ぷらで頂いた。すばらしくおいしかった。


03/08/10(日)

台風だから、キャンセルしようかとも思ったが行って良かった。二日目の朝まだ、暴風警報が出ていたが、風が弱ってきたので出かける。目的地は大王崎の灯台。さて、地図を見ながら、海辺に来たものの波切の港は船が繋いであり人影は見あたらない。駐車場にもロープが張ってある。車を堤防の近くに停め、風に飛ばされないように堤防に上がって海を見る。とたん、目の前に広がる大スペクタクル!海が青くない。白いのだ。断崖に打ち付けられた一面の波しぶき。沖の方から生き物のように盛り上がってくる波は5メートルを超えているだろう。映画や絵画でしか見たことのない景色だ。海が怒っている。自然の圧倒的な力の前では人間はなんとちっぽけな生き物だろう。海には神が居ると考えるのも無理はない。さて、灯台はどうだろう、人しか通れないような坂道を上っていくと、両脇には小さな土産物店らしきものが並んでいるが、どの店もしっかり雨戸をおろしている。灯台は門から入れないようになっていた。やはり、この風では危険だ。少し戻って小さい見晴台に上る、息子2は課題で海の音を録らなければならない。マイクをセットし波の音を録ろうとするが、強風のため、風の音の方にかき消えている。風に飛ばされてほんとに海に飲まれないか怖くなり車に戻る。

昼にはもうすっかり、雨も風もやんでいた。行き先は全然決めてなかったので、協議の結果伊勢神宮に行く。五十鈴川は今にも石垣の岸にあふれそうな凄い水量だったが、広い参道はもう既に掃き清められ、台風の名残はほとんどなかった。苔むしている幹に瑞々しい葉が目の覚めるような松が見事だった。参道を進むに連れ、千年を越える時の中をひととき素朴な日本人に戻り、いくつの宮にお参りしただろう、祠を見つける度に、二礼二拝一礼を繰り返し、身も心も清らかな気持ちになって帰ろうとすると、息子2がやっぱりマイクを取ってくると車に戻る。ヒグラシの声だ。先程から2、3匹もの悲しい鳴き声をよく響かせている。あんな天気の後だもの私たちの他には誰も人影がなく、真夏の昼間だというのに、ひんやりした空気の中、ヒグラシも秋の気配と思っているのだろうか。あの声を聴くとああ夏休みが終わると寂しい気持ちになったものだ。土の宮という小さな祠の前で待っていると、にわかに人が増えてくる。若い人のグループやら、小学生の子どもの家族づれやら、年老いた親を連れたやや年老いた人やら。そして、どうしたことか、ヒグラシの鳴き声もはハタとやんでしまった。空が明るくなったからかもしれない。ようやく息子2が器材を持ってきたが、うーん、残念。帰ろうか。しかし、この前見たNHKの野生動物の写真家は、いい状態で撮れるまで、何日も待つという。1週間はザラのようだ。30分は待っただろうか、やがて、人がまばらになり、空も薄暗くなり、一匹カナカナと鳴き出すとそれに答えるように他のセミも鳴き出した。そして、無事録音修了。

こうやって、息子につき合うと、いつかの夏休みを思い出す。小学生の頃、自由研究に付き合ったのだ。息子1は地域の文化財を調べ、古寺や古木を尋ね歩いた。息子2はキノコだ。薄暗い森や林の中をヤブ蚊に刺されながらキノコを探し歩いた。冬中夏草と呼ばれるセミタケを見つけて喜んだのが懐かしい。いずれも、親の私の方が楽しんだような気がする。息子たちに付き合うと、楽しいことや新しい情報、若者の物の見方、見過ごしてきたことの再発見など面白いことが多い。


03/08/07(水)

沢木耕太郎の「檀」読了。「家宅の人」を未亡人側から書いた小説だ。私は檀一雄に限らず私小説は好きではない。ましてや、こんな痴話話を書いて文学者と言えるのか、という思いがあり、家宅の人は読んではいないが、この本は浮気された側の女性の気持ちが包み隠さず書かれてあって、前に読んだ松谷みよ子の「捨てていく話」に通じる物を感じた。要するに、奥様はご主人のことが好きなのだ。行動は許せないが、その本質に惚れているのだね。だんなの方は逃げ隠れもせず堂々としたものだ。要するに、奥様に甘えているのだし、愛人を何重にも傷つけている。子どもたちもどんなに傷ついていることだろう。だけど、最後にはどの人も檀を恨むことなく、許しているのだ。ずるいんだよね。だけど、それを差し引いても素敵な人だったんだろう。それにしても、この奥様は大変な結婚生活だったにちがいない。再婚の負い目、継母としての負い目、寝たきりの重病になった我が子への哀惜、気むずかしく、甘えん坊、果ては浮気され、さらにそれを小説にされる苦しみ、愛人から取り戻したと思ったら最後にはガンで死んでいく夫への複雑な想い。とても耐えられませんな私には。泣けてくるのは死後何年もして見つけた檀の手紙。その率直な言葉にこの人の魅力が何であるか分かったような気がした。

明日から2泊3日で三重県の賢島に行く。台風と鉢合わせのようだ。雨が降ってきた。


03/08/06(水)

人間ドック無事終了。昨日と同じ病院だ。ここは自宅から近いということと、隔週だが土曜日も診てもらえるので、もし通院する事になったら便利だからだ。いつもすごく混んでいる。以前は施設が古びていたが、少しずつ新しくなっていた。まず、受付で検便と問診票を渡し、番号札をもらい、ロッカー室で診察用の寝間着のような物に着替える。今日やったのは、身長体重、血圧、心電図、肺活量、尿検査、血液検査、眼底撮影、眼圧、視力、胃透視、腹部エコー、触診(乳腺)、子宮癌内診&細胞疹、骨密度。こうやって書いてみるとすごいなあ。やってないのは、歯ぐらい。最後に保健指導があったが、特に問題なし。骨密度は107%もあった。若い人の平均よりもまだ高かった。専門医からは、自分の身体のことをよく知っておきなさい。もし、また、発作のようなものがあったら、どんな状況で、時間や、痛みの部位をよく覚えておくようにと言われた。いちいち納得。去年受けたところとは大違い。やっぱり来年もここにしよう。

きのうの待合室での3時間と、今日の空いた時間で、パブロ・カザルスの自伝を読了。自伝と言っても、カザルスの晩年に数年に渡ってアルバート・E・カーンという人がインタビュウしたものを、カザルスの語り口でまとめた物である。私が最初にカザルスの音楽に接したのは何年か前NHKの番組でやっていた「鳥の歌」である。カザルスの生まれ故郷であるスペイン、カタロニア地方の民謡、懐かしいような、もの悲しいような旋律が心に残っていた。、晩年のカザルスは故郷カタロニアを想い、演奏会の最後には必ずこれを弾いたという。カザルスは30年以上もスペインがフランコ政権下にある限り帰らなかったのだ。そして、1973年、フランコ体制が崩壊するほんの前に亡くなった。天才であると同時に自由人であり、信念の人だった。まず、母のことを語り始める。まさに、この母にしてこの子ありだ。

母にとって最高の掟は個人の良心だった。母はよく言ったものだった。「私は法律を重んじないのが主義ですよ」母は法律には役に立つものがそうでないものもある、だから、良い悪いは自分で判断しなければならないとも言っていた。・・・弟のエンリケが19歳になったとき、当時の法律によって、スペイン軍から召集令状をもらった。・・・「エンリケ、お前は誰も殺すことはありません。誰もおまえを殺してはならないのです。人は殺したり殺されたりするために生まれたのではありません。行きなさい。この国から離れなさい。」それで、弟はスペインを逃げ出してアルゼンチンへ渡った。・・・それは、彼女にとって息子の命を救うという問題だけではなかった。正しいことは行うという原則があったからだ。別の機会にもこのことは証明された。・・・私たちの地区にコレラが流行し悲惨を極めた。医者もほとんど全滅だった・・・18歳ぐらいだった弟のルイスは毎晩ベンドレルに出かけていった。コレラで死んだ人の家に行って死体を夜中に共同墓地に運んでいたのだ。ルイスは「誰かがやらなければならない」と言っていた。伝染の危険は非常に大きかった。母はもちろん、ルイスが毎日命がけでやっていることを知っていた。母は息子がせねばならぬと思っていることを思い止まらせるようなことはひとことも、ただのひとことも言わなかった。

激動の20世紀スペイン、欧米にあって、どんなときにも自分の信念を貫いた(ヒトラーの招聘も毅然と断った)人が、晩年には孫ほどの年の、この母上にそっくりの奥さんを得たことはドラマチックだった。そして、ケネディーが暗殺されたときの落胆と絞り出すような言葉。

ときどき全く暗澹たる気持ちになって周囲を見回す。今日の世界を苦しめる混乱の中で、生の価値そのものが軽視されていると思う。美は私たちの周囲の至る所にある。それなのに、多くの人はそれに盲目である。・・・一秒一秒、私たちは過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。・・・それなのに、いつになったら、子どもたちの何たるかを教えるのだろう。子どもたち一人一人に言わねばならない。君は何であるか知っているか。君は驚異なのだ。二人といない存在なのだ。世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない。過ぎ去った何百万年の昔から君と同じ子どもはいたことがないのだ。・・・どんな人にでもなれるのだ。そうだ、君は奇跡なのだ。だから、大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。君たちは互いに大切し合いなさい。君たちはーわれわれも皆ーこの世界を、子どもたちが住むにふさわしい場所にするために働かなければならないのだ。

例のホワイトハウスコンサートのCDが手元にある。音源が今も残るということは素晴らしい。改めてしみじみと聴いてみよう。


03/08/05(火)

昨日昼過ぎに急に気分が悪くなり、ソファで寝ていた。胸に圧迫感があり、手足がむくんでいた。夜中も寝返りを打つたびに不安感があり心臓がヒヤッとした。私が「死にそうだった。きっと狭心症だ。私は今死んでも思い残すことはない。」などと言ったものだから、主人がどうしても医者にいけという。実は、明日人間ドックを受診する日なので、明日でいいと思ったが、どうしても今日のうちにいけという。で、3時間待ちの、3分診察、血液検査だけでなんと、¥4210なり!で、受診結果は、「単なる筋肉の痙攣でしょう。」ということだった。メデタシメデタシ。


03/08/04(月)
昨夜は3人でレイトショーに出かけた。マトリックス・リローデッドだ。かっこいいね。スマートだね。クールだね。ビートの利いた音楽に載せて、最後のクレジットが際限もなく続くので途中で席を立った。あれだけ膨大なスタッフでできた映画なのである。CGがすごい。たぶん、大きい流れの中で何層にも分けて作業が細分化されているのだろう。しかし、この場面でこういう手法が使えるからこういう感じが出せる、ということを分かっていないとできないのだろうなあ。監督は若い人なのだろうか。ある人にいわせると訳がわかんない映画だそうだが、やはり、前作を見ておかないと分からない部分もあるだろう。つまりは、未来社会における人間対機械の闘いの物語なのだが、どこまでが現実でどこまでが仮想世界なのかが分からないのだ。あたかも合わせ鏡のように世界が幾重にも重なっている。完結は次回へということだから3部作なのだろう。最後には全部がバーチャルだったことになるか、宇宙に戻るような気がする。至る所に東洋的なアイテムが出てくるが、単に東洋かぶれではなく、監督は相当仏教に傾倒しているのではないかと思う。つまり、この世の全て形ある物はいずれは塵に戻る。命は輪廻によって繰り返される。映画になんども出てきた、因果応報(この世の事象は全てその原因となることがある)の概念など。帰りの車の中で、命の根源について話が盛り上がった。最近の研究では、全ての生命体の遺伝子は共通の構造を持っているそうだ。その組み合わせの違いだけで様々の生物に分かれるのだ。そうなると、なおさら、全てがプログラミングされているように思えてきた。

03/08/03(日)
午前中は、久し振りにUのテニス。今月の神様はMさん。となると、雰囲気がすっかり体育会系になる。早朝7時なのに、総勢11人と集まっている。私は全然へたくそに戻っていた。隣のコートでは、男女混合の和気あいあいサークルだ。いいなあ、という気持ちが顔にでたのか、知り合いのIさんに、メンバーが足りないから、あと2時間いっしょにどうか声を掛けられたが、昼は戻る予定にしていたので帰る。午後からは息子2も一緒に3人で泳ぎに行く。県の施設だが、あまりのりっぱさにあきれていた。誰が見ても金の掛けすぎだろう。この建物の真ん中は天上がビルの4階分ぐらいの高さのドーム型の温室になっている。そして、巨大な熱帯植物の植裁があり、中央には噴水、片方の壁面は石づくりの壁で滝のように水が滴り落ちている。そして、石でできたベンチに腰掛けてその壁を眺めて主人を待っている間、去年行ったイタリアの話をしてくれた。ローマ時代の公衆浴場の遺跡はこれぐらいの高さだそうだ。今も使われているのかと訊くと、今は教会になっているという。キリスト教が支配してからそこは教会になったというから、公衆浴場として建てられたのは紀元前なのかも知れない。すごい文化だなあ!塩野七生を読みたくなった。

03/08/02(土)
セミがうるさい。洗濯物を干しに二階のベランダに出ると庭のプラムの木に何匹か止まっていて大合唱。大きく育ったプラムは高さがベランダを超していて、四方に枝を伸ばし放題なので、目の前にセミが羽を震わせているのを見ることができる。あんな小さな身体でどうやってあんな大きな音が出せるのだろう。生まれたばかりの赤ん坊が声の限りに産声をあげるように、1匹ずつが声の限りに鳴いている。耳がじんじんするほどの大音量だ。苦しいから鳴くのだろうか。楽しいから鳴くのだろうか。

03/08/01(金)
午後から図書館関係の講習。メーカーのデモだった。物を売る人はしっかり抜け目がない。