3月のひとりごと

 

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04/03/29(月)

2泊3日で東京めぐりをしてきた。天気に恵まれ桜の花も見頃だった。二人の息子もそれぞれ成長していて安心した。


04/03/26(金)

山崎まさよしのHPにCMを選んで欲しいと書いたら、削除されていた。やっぱりね、スポンサーが怖いんだね。今話題のM自動車だ。うちの老パジェロは主人が惚れ込んで買った車だ。だがしかし、メーカーの対応の悪さは天下一品。前から色々あったのに、オーガスタは何の弱みがあって引き受けたのだろう?イメージがマイナスになるとは思わなかったのだろうか?


04/03/21(日)

科学館での日本天文学会の公開講座に当選したので出かけた。二人の講師の方の講演で、最初は宇宙航空開発機構に席を置く國枝秀世氏のブラックホールについて。専門のX線による観測で、ブラックホールの誕生から成長を実証する話だった。ブラックホールは銀河の中心に存在し近づいてくる星を次々に吸い込んでしまう。吸い込むときにその痕跡がX線の波長の変化でわかるのだが、吸い込むものがない時は姿が見えない状態で実体がつかめなかったが、最近の研究で、宇宙のあちこちで隠れているということがわかってきたそうだ。次は名古屋大学の松原隆彦助教授の宇宙の構造についての最新の宇宙論の紹介だった。まだ30代で学生のような感じの方だった。宇宙の誕生、時間と空間の関係、宇宙の成分などである。特に面白かったのは宇宙の誕生を、最新の望遠鏡による観測データを入力したコンピュウターシミュレーションで、混沌としたものからフィラメント状の宇宙ができるまでがよくわかった。私は、重力だの質量だの電磁波だの相対性理論だのがよくわからず、まぶたが降りてくるのを必死に我慢していたのだが、一番前の席に陣取って熱心に質問をしていたのは4年生ぐらいの女の子(主人は男の子だと言い張るが)だった。それも的を得た質問ばかり。たぶん、この講演の内容は予習してある様子。ここの天文クラブの会員だそうだ。講演が終わってからも講師に色々訊きに行っていた。ああいう子が将来研究者になるんだね。


04/03/20(土)

昨夜遅く息子2が帰ってきた。こちらで友だちの卒展があるそうだ。今日は卒業祝いのプレゼントを買いに出かけた。母の心境はちょっと複雑である。


04/03/19(金)

昨日卒業式の準備の後、疲れがピークに来て机の前からしばらく動けなかった。電車を待っている間、寒気がしていた。やはり、熱があった。今日は休もうと思ったが、式に参加するだけでもいいからと思い、午後は食事会を断った。夕方は少し熱っぽかったが、がんばって習字に行くと今月の課題は「研究努力進歩」先生は「うまく書けましたね」と言ってくれたが、まだ、はねさえうまくできない。何年たっても進歩しないのは研究努力が足りないのだとつくづく思う。今日の式の校長祝辞は東大のなんとかさんという教授の話で、なんとかさんは貧しいながらも勉学に志し大学に入るが数学が苦手で一生懸命努力するが落第する。悲嘆にくれ自殺を図ろうとするのを級友に止められ、教官室に連れて行かれる。そこに、居合わせたのがたまたま数学の教授。「私はいくら、一生懸命やっても数学がわかりません。生きていても仕方がないので死のうと思いました。」「そうか、ところで、君は一つの問題に何回ぐらい挑戦したのか?」「はい、100回やっても、200回やってもわかりません」「ばかもん、教授の私でさえ、1000回は挑戦しているのに、それくらいであきらめてどうする!」・・・。で、なんとかさんは目から鱗が落ちた思いをし、寝るのも惜しんで勉強し直し、ついには数学の天才と呼ばれたそうだ。さて、私の努力の足りないのは自覚しているが・・・。やっぱり根性なしなんだろうな。


04/03/14(日)

今日はオーケストラアンサンブル金沢の定期公演だった。武満徹「トゥリー・ライン」風の通り道のようなふしぎな音楽。メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」リディア・バイチという若手女流バイオリニストにしっくり寄り添うアンサンブル。最後にブラームスの「交響曲第4番」最初のバイオリンの歩むような主題でもう、うるっとする。第2楽章でうるうるとなる。なんか、西行に通じる孤独と哀愁があるんだよね。帰ってきてからCDで聴き直した。前にラジオでたまたま聴いた時(確かベートーベンの第9)どこのアマチュアかと思ったほどぎこちない演奏だったが(特に金管楽器)今日はすごくいい演奏だった。オーケストラ全体の調和が良かった。もしかして、ラジオで聴いたのは楽団員以外のメンバーもいたのかもしれない。4月から5月にかけてヨーロッパ公演を控えているようだが、指揮者の岩城宏之氏は大丈夫だろうか?かなりのお年だと思う。


04/03/13(土)

白洲正子の「西行」を読む。彼女は古今の資料を縦横にひもとき、彼の足跡を自分の足で辿って見るが、最後の最後まで西行の実像は雲をつかむようにとりとめがない。それでよしとしているところが正直で清い。西行は実際、風のような人だったのだろう。最後まで何かを求めていたような気がする。叶わぬ恋いに苦しみ、定まらない自分の弱い心を嘆き、自由を愛し、美しいものを愛し、桜を愛し、「願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」と詠んだとおり、釈迦の入滅の日の翌2月16日に亡くなったそうだ。たぶん今頃の季節なのだろう。最後まで風雅な人だったんだね。今風に言うとダンディでロマンチストでボヘミアンでフェミニストで女性にモテモテだったらしいよん。

午後から科学館で、宮崎県の幸島で50年以上野生のサルを観察してきた三戸サツエさんの講演と映画「風といのちの詩」の上映会だった。三戸さんは90歳!さすがに、話は流ちょうとは行かず、聞き取りにくいところもあったが、ずっと立ったまま、原稿なしだった。会場からの質問の応答もしっかりしている。後で著書にサインをしていただいた。映画では大きく見えたが、私より小柄だった。映画もよかった。ぜひ子どもに見て貰いたいと思う。


04/03/12(金)

お義姉さんが日本語学級の子どもたちと「おこしもの」を作ったという。この地方に伝わる餅菓子だ。木枠に米粉を熱湯で練った物を押しつけ、取り出したら食紅でほんのり色づけし、せいろで蒸す。砂糖や砂糖醤油につけていただく。昔はどの家にも鯛や梅などの木枠がいくつかあって、作り方も各家で少しずつ違ったらしい。本来は雛祭りの祭壇にお供えする物だそうだ。私もやってみたいと思いながら時期を逃してしまった。私の実家の地方では、涅槃団子だ。根雪が溶けて地面の黒い土が見えだした頃、お釈迦様の命日(旧2月15日)に各家庭で色とりどりの団子をこしらえて仏壇にお供えする。寺では涅槃会の講の後お参りに来た人に団子を蒔く。それを頂くと無病息災の御利益があると言われ、焼いたり、アルミの弁当箱に入れて囲炉裏ごたつで柔らかくしたりして食べた。固くなったのを毛糸で丸く編んで包みランドセルにぶらさげお守りにする子もいた。急に懐かしく思い出し、米粉だけは買っておいたのがあったので作ってみた。食紅はないので、白いままだ。固くなってから焼くと美味しいのだが、柔らかいまま焼いてみた。つまりみたらし団子の素焼きの状態だ。砂糖醤油をつけて食べるとなかなかおいしかった。でも、これといったおやつがなかった子どもの頃に祖母と母が作ってくれた色とりどりのお団子には遠く及ばない。


04/03/07(日)

主人は元気だ。昨日の試合で腰が痛いといいながら、朝からUのテニスに出かけた。帰ってきてから昼にビーフンを作ってくれた。義父さんのところへ出かけ壊れたトイレのタンクを直して来た。私は安静にしている。


04/03/06(土)

主人はテニスの試合に出かけた。去年と同じく、予選リーグは通過したが、本戦トーナメントで最初に当たったのが強かったらしく惜しいところで負けてしまったそうだ。悔しそうだった。去年の日記にも同じことを書いているので笑ってしまう。とにかく、ご苦労様でした。応援に行けなくてすみません。主人が帰ってきてからメールを開いたら、息子1からメールが入っていた。ほっとした。このところ、なかなか連絡がとれなかったのだ。元気ならいいのだが、つい悪い方へ想像してしまうので、連絡がつかない間は主人も私も気が気でない。春休みには東京へ行こうかなと二人で話し合う。何かいい催しをやっていないかな。


04/03/05(金)

やっぱり、山田洋次ですから。「たそがれ清兵衛」をTVでやるというので、習字もささっと終わらせて急いで帰宅して見た。真田広之がすごくいい。渋いし、男前だし、細かい表情がいいし、殺陣も完璧だ。宮沢りえもまあまあかな。昔なら壇ふみだろう。でも、やっぱり山田洋次だった。「物語」になってしまった。生きている私たちにぐっと突きつけてくる「お題」がないのだ。藤沢周平は大好き。短編でも日本人の清さと情緒がたっぷり描かれていて、読んだあとも余韻が残る。それが、この映画には生かし切れてないように思えた。


04/03/03(水)

あまり風邪が長引くので、主人が病院に連れて行ってくれた。病院といっても診療所だが、7時まで見てくれるのでありがたい。女医さんで専門は眼科だと思う。15年前から50歳は越えていると思っていたから、たぶん60代後半。私が行ったときは患者は私の他にひとりだけ。あまりはやらないのだろうか。でも、良心的で、治療代は安い。2月中旬から風邪をひいていると言ったら、なぜ、休まなかったのか叱られた。マスクをしなさい。うがいをしなさい。入浴を控えなさい。薬は治るまで続けるように。できたら、朝昼晩体温を測るようにと、検温表までいただいた。注射をおしりに打って貰い、診察室を出ようとすると、「あなたは油断していたらいけませんよ。きちんと治しなさい。」と、念を押された。前に風邪をこじらせて肺炎をやっているからだ。昔の女教員長先生のようで、ちょっと苦手だが、言いつけを守れば治るのはまちがいない。


04/03/01 (月)

昨日の熱の名残があり、フラフラしながら学校を早く出て合奏用の楽譜を探しに行く。まず、地下鉄で行き先を反対方向に間違える。戻ってから、目当ての楽器屋さんに着くと今日は定休日だった。ガーン。それでも、ここまで来たからと思って丸善に寄る。まあ、なんとか希望に近いものを買って、主人と待ち合わせる。今日はテニスの日だがまたまたキャンセル。主人も体調が悪いらしい。もう、3週連続休んでいる。時間が遅いので、いつもの回転寿司に行くとビックリ。いつのまにか店の名前と店構えが替わっている。駐車場はえらく混んでいるので、おいしいのかなと期待して辛抱強く待っていたのに、アジもイワシもネタ切れだそうで、主人も切れてしまって、すぐに出てきた。あそこはすぐつぶれるぞと悪態をつく。私も1年持たないと思う。気分悪く帰ってきたが、BSでいい映画をやっていた。「プレイス・イン・ザ・ハート」80年代の映画だ。かっこよさも奇跡もなく登場するのはそこらにいそうな人たちばかりだ。人生はやりきれないことだらけだけど誠実に生きて行けばいいんだよ。と教えてくれた気がした。出演者は今から思うとそうそうたる役者がそろっている。私は気がつかなかったが主人は主要な登場人物の他の出演映画をすべて当てた。いい映画はいい役者でできている。