4月のひとりごと

 

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04/04/28 (木) 

春休みに東京へ行ったとき、息子1との待ち合わせ場所は上野の国立西洋美術館だった。息子2はローマなどの古代都市建築の勉強をしていたので、ちょうどその時やっていた「ヴァチカン美術館所蔵古代ローマ彫刻展」を一緒に見てところどころ説明をしてくれた。ローマ帝国の番組をTVでやっていて、その展覧会も出てきた。展覧会の時も感じたが、今日の番組を見て、ローマ人の知恵と合理的な考え方には感心するばかり。しかし、その絶大な力を誇った帝国の衰退の原因が、市民の果てしない快楽の欲望だったとは、なんだか哀しい。井上陽水の歌に人間の果てしない欲望を歌ったものがあったよね。うーん、なんだったっけ。

これは、ロクルスと呼ばれる墓の蓋に描かれた、いわば墓碑銘である。「マキシミヌスは23年生きた。彼はみんなの友達」と記されている。彼の仕事は穀物を配給する市場の職員だったらしい。主食は配給だったのか。ローマの行政は素晴らしい。いったいどんな仕組みだったのだろう。このロクルスの意匠は装飾品に加工されて売店で売られていたので、私はペンダントを買った。


04/04/24 (土) 

学生時代革マル派と民青の違いが分からず(今もよく分からない)、大統領と首相の違いも分からない政治音痴の私であるが、自衛隊は今こそイラクから撤退すべきだと思う。他国の政治に軍隊が介入すべきではない。そもそも、日本は軍隊を持たないはずの国ではないか。自衛隊は軍隊でなくて何だろう。自衛隊は軍隊としての機能があるから憲法を変えるというのは、明らかに本末転倒である。日本の民主主義はアメリカなどの連合国によって作られたものである。しかし、西欧型民主主義が全ての国にとって最良の政治の形だとするのは傲慢だと思う。日本はアメリカの傘の下でぬくぬくと平和に暮らし、経済的に発展してきた。しかし、国家としての誇りはあるのだろうか。愛国心というのはサッカーの国際試合の時によぎるくらいではないか。イラクの人々にとって、アメリカが我が物顔でかき混ぜるのは憤懣やる方がないだろう。日本には今のところ友好的であるが、先の人質事件はイラク人の一部は日本とアメリカを同一視しているということだ。アメリカはイラクの石油の利権を求め、日本はアメリカにしっぽを振ることで北朝鮮の脅威から守られるという図式はいかにも浅ましい。軍事力ではなく知力で自国を守るべきだ。そして国民の誰もが日本人として誇りをもてるように。京都の桜を想い、女子サッカーの試合を見ながらとりとめなくこんなことを思った。


04/04/20 (火) 

NHKFMでキース・ジャレットの特集をやっていた。その中でも、「ザ・ケルン・コンサート」の一曲がきれいだったので、主人がアマゾンで注文した。昨日届いた。これは、完全な即興演奏のライブだ。旋律らしいものはあるものの、拍子やコードが、水が谷川を流れていくように、どんどん姿を変えていく。そして、聴衆に聴かすというより、自分自身と、あるいは神と対話をしているようだ。このジャケットを見て誰かに似てると思ったら、スヌーピーに出てくる、シュローダー。背中をまるめて、一心にピアノを弾いている姿がそっくりだと思う。出てくる音楽はバッハを思わせるほど懐が深く、ある意味哲学的であるといえる。音の粒が宝石のように、きらめいている。4月30日、彼のコンサートのチケットがある。今回のはトリオで、スタンダードを演るらしい。ずいぶんな年の上、持病があるようだから最後のツアーかもしれない。


04/04/10 (土) 

新学期が始まり息つく暇もないほどの忙しさだったが、無理をして京都に行って来た。桜が見たかったのだ。望み通り春爛漫の京都を存分に楽しめた。京都の桜は東京と違って、十分に手入れされ、作り物かとまごうような完成された美しさだった。とりわけ、夜桜はまるで夢を見ているような妖しいまでの美しさだ。宿の近くの円山公園のしだれ桜の巨木は、昼間はしおらしい娘なのに、夜見ると吹雪の中の雪女か白い髪を振り乱した山姥のようだった。ライトアップされた二条城の桜も見事だった。白に近い薄い色から淡い色、濃い紅の色が重なり、あっぱれと言うしかない眺めだ。日本の誇りだと思った。そして、こんな美しいものを見ることができる平和に感謝した。京都が戦災に遭わずに済んで、桜だけでなくおびただしい数の寺社や古い道が残ったのは奇跡だと思う。京都御所での雅楽も都踊りもシーズンだったので見ることができた。無理をしても行って良かった。