5月のひとりごと

 

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04/05/31(月) 

胸骨のあたりに黄色い斑ができているのを見つけた。痛くも痒くもない。たぶん,先週のテニスで,コーチが球出ししてくれたボールを打ち損なった跡だと思うが,青痣の時に気が付かなかったので,ほんとうのところはわからない。もしかして,重病かもしれないので,今日はテニスを休んだ。


04/05/29(土) 

お気に入りの映画サイトで好評だった下妻物語を見る。このおかしみは日本人にしか分からないだろう。主人曰くなかなか上品な映画だった。フカキョンもそれなりにかわいいが土屋アンナの暴走族がぴったしハマッていてしかもかわいい。女の子はあこがれるだろうな。


04/05/28(金) 

朝7時前突然の電話。2番目の姉の声。もしや,何か悪い知らせかと思ったら,なんと甥の結婚だった。お互いもうそんな歳になったことを笑い合った。姉は結婚まもなくご主人が単身赴任。厳格な義父母と3人の子どもの家庭を守り教職を続けた。やがて,義父母は亡くなり,子どもたちが手を離れてやっと職を辞し,この4月からご主人の宿舎に来ているのだ。幸せそうだった。おめでとう。甥は結婚後すぐにスウェーデンに行くそうだ。新婚旅行ではなく研究で。もちろん新妻を連れて。


04/05/26(水) 

うちのクラスで一番腕っ節の強い男の子と腕相撲をした。相手ではなかった。昔の4年生はもっと強かった。


04/05/24(月) 

久しぶりのテニスの後,梅酒を飲んでいい気分だ。これは,何年物かな?主人の実家の小梅をもらって何年ぶりかで梅酒を作ることになった。床下収納庫を開けると,梅酒が4っつも出てきた。すっかり琥珀色で熟成している。小梅はたくさんありすぎて,半分は親しくしていた方にお分けした。梅干しも作ってみようかと瓶に塩と一緒に入れしばらく漬けた。昨日赤しそを入れて今は本漬けだ。もうしばらくしてから天日に干す。うまくできるといいな。


04/05/22(土) 

レイトショウでトロイを観る。映画の見所,大船団のスぺクタルは新鮮だったが,半分は闘いの場面でうんざりだ。主人は今日の場所(最前列)が悪かったのでもう一度観たいという。私がよくいく映画サイトの評も高かった。どうして男は闘いごっこが好きなんだろう。大方の筋は叙事詩イーリアスをなぞったものだったが,神話的な部分は取り除いてあるので現実感があり,何しろブラビなので,女にもてて,肉感的で,一匹狼的なキャラクターである。イーリアスの亡き父王の軍を率いる王子像ではない。私的には,もっと,叙事詩っぽくしてほしかったなあ。「イーリアス」というのは「イーリオス(トロイの別名)の歌」という意味でギリシア軍がトロイ城を包囲攻撃した十年間の最後の闘いを描いている。原作はもっと複雑で,ギリシャ神話の神々も現れ,(なにしろ,アキレウスの母は海の女神テティス)ひきしまった構成で,展開が面白く劇的である。物語の中心は親友(映画では従兄弟)を敵方の大将ヘクトルに殺されたアキレウスの復讐だ。原作では心情の描写がきめ細かく,親友を殺された嘆き,自分が側にいて助けてやれなかった悔しさ,そして,激しい復讐心,トロイの軍勢を怒りにまかせてなぎ倒し,ヘクトルを追いつめていく闘いぶりもすさまじい。映画は1対1の対決できれいに終わってしまった。もっとそこんところを狂気じみるほど凄まじく,そしてなぜ怒り狂うのかを深く描ければ,この物語はもっと陰影がはっきりする。そして,ヘクトルの亡骸を父王が引き取りにくるところももう少しふくらましてね。物語として一番美しいところだから。もう一つ不満は戦争の発端となったヘレネで,世界で一番の絶世の美女という設定なのにそうでもないのよね。ブラッドピッドの筋肉には恐れ入りましたが。もうちょっと若かったら神の子アキレウスそのものだなあ。


04/05/19(水) 

今日は山崎まさよしのCD発売日だった。すっかり忘れていた。ラヂオでカップリング曲まで流れていたので,別に買わなくてもいいのだが,初回限定おまけで30分ものPVが付くのだそうだ。ファンの中にはそれが目当てで買う人もいるようだ。今買うとそのPVのポスターまで付くそうだ。やっぱり,商品として付加価値の占める割合が大きい人なんだと思う。しかし,この露骨な売らんかな商法はあざとくていやらしい。今日のラヂオでライブ音源が流れた。切れ味がいい演奏だった。小さいライブが一番いい。それだけでいいと思う。


04/05/16(日) 

かなり久しぶりに狂言を見に行った。割安のチケットがあったので買っておいたのだ。前回見たのは熱田神宮の能楽堂だったが,今回は新しく建てられた名古屋城の敷地にある名古屋能楽堂。出し物は「伊文字」「船渡聟」「花子」。最初のが野村小三郎の若さ,動きがあり一番面白かった。次のは船頭の茂山千之丞の旨さ,声の艶やかさが光った。最後のは長老ばかりだった。名古屋野村家の総元締め野村又三郎,東京の野村万作,野村万之介兄弟。又三郎は85歳だという。そんな歳には見えないが,演目は限られるだろう。今度は能と狂言がセットになった公演を見たい。できれば,正月公演がいい。「翁」「羽衣」「末広かり」をやる。


04/05/14(金) 
24粒の種を蒔いたのは4月下旬だった。去年は芽が出たところで鳥に食べられたというので,今年はポットに蒔き苗が育つまで温室で管理する事にした。GW中は全部家に持ち帰り世話をした。やっといくつか芽が出てきた。種を蒔く前に一晩水につけたのだが,その後水やりを一日忘れたのがいけなかったようだ。芽が出かけた時に水が切れたので死んでしまったのかもしれない。もう,これ以上でないのだろうかと半分あきらめながらもいつものように水をやっていた。先に芽が出ていたものは一日でぐんと草丈が伸び,本葉も大きくなってきている。やっぱり,だめかな。腐ってしまったのだろうか。ところが,よく見るとああ,他の種からも芽が出かかっているではないか。嬉しかった。そして,子どもたちの顔が浮かんだ。子どもたちと同じだと思った。どの子もあきらめず,見捨てずにいれば,いつかは芽が出るのだ。

04/05/09(日) 
今日は主人のテニスの試合があるはずだったが,7時頃何やらポツポツと音がすると思ったら,雨だった。午後からプール。休み休みながら,主人は1000m私は500m。だいぶ楽に泳げるようになった。久しぶりに体重を量ってみたら体脂肪率は24もあった。この連休しっかり食べたからなあ。

04/05/05(水) 
主人はテニスに出かけ、息子1は最後にほうれん草とエビのクリームソースのスパゲッティを作ってくれた。クリームソースはほうれん草をフードプロセッサーでみじん切りにしたものと生クリームを混ぜエビのゆで汁を足す。きれいな若草色で、その中に麺を盛りエビとほうれん草の緑で飾る。春らしい彩りの一品だった。昼食の後、主人と名古屋駅まで送る。連休最後の人もいるので人混みがすごい。大きい荷物を持った家族連れもいる。その中にわずかな荷物を持った大きい図体の息子1が消えていく。どーんと気持ちが落ち込む。

04/05/04(火) 
私の実家は農家だ。たぶん、この連休は一家総出で田植えをしていることだろう。何も手伝えなくて申し訳ないが実家に帰る度にお米を貰ってくる。弟は玄米を炊く直前に精米したのが一番おいしいという。2月に実家に寄ったとき、もう使わなくなったからといって、5合まで精米できる小型の精米器まで譲ってくれた。体にいいから、普段は七歩付きで炊いている。自然の甘みがあってもっちりおいしい。困るのは糠の始末である。そのまま捨てるのはいかにももったいない。で、今日はたまった糠で糠床を作ってみた。ちょうど、味噌の入っていた小さい樽が空いたので、糠に冷ました塩水をかき混ぜ、昆布、鷹の爪、ニンニクを入れ、最後に野菜くずを入れた。糠床が落ち着くまでしばらくかかりそうだが、うまくいくかどうかは毎日かき混ぜるかどうかにかかるらしい。ま、失敗しても糠はいくらでも出てくるのでできるだけやってみよう。主人は息子1に負けず美味しいものには目がないので、今から野菜を漬けるのを私より楽しみにしている。主人は料理に凝る。この前東京に行ったときは築地の有次で菜切り包丁を買ってきた。あまり素晴らしい包丁で指まで切り落としそうなので引き出しにしまってある。食に関しては我が家の男どもは気が合う。息子1はこの連休に二回料理を作ってくれた。一つはバジルたっぷりのジェノベーゼ。冷たいスパゲッテイにして食べた。もう一つは「ばくだんどんぶり」というマグロの切り落としに、納豆、とろろ、オクラ、わさびを混ぜたのをかけたもの。私なら絶対作らないものばかりだ。二人とも美味しそうに食べていた。

04/05/03(月) 

運動不足なので3人でプールに行った。途中休憩した時に主人の右目が出血したように赤かったので早めに切り上げ夜のテニスは中止。レイトショーに行く。ちょうどいい時間だったアップルシードを見た。3Dと実写のような人物の動きにビックリしたが、途中水泳の疲れが出て眠くてたまらなかった。アクション場面がマトリックス2にそっくりだった。主人によるとキャシャーンよりかよっぽどいいらしい。主人はさっそく原作4巻をアマゾンで注文した。


04/05/02 (日) 

息子1の東京みやげはおいしい和菓子だった。築地ちとせの「ひとつぶ桃」つるっとした葛に包まれたふんわりピンクの餅、その中に程良い甘さの餡それだけでも極上なのだが、最後の極めつけは餡の中に入っている緑の若桃。梅の砂糖煮に似ているが、確かに桃の香りがする。さすがに味にうるさいくいしんぼの長男が選んだだけのことはある。期間限定品らしいので、近く東京へお出かけの際にはぜひご賞味あれ。



04/05/01 (土) 

何もない暗い舞台に左側にやや後ろ向きのピアノ、右側にドラム。背が高い小さいシンバルが多い。そして中央には寝かせたベース。ライトが落ちラフな格好をした3人の初老のおじさんが現れる。期待の拍手。それぞれ持ち場所に着き、ほぼ満席の会場は静まり返る。キース・ジャレットのピアノで静かに始まった。次に、ドラムが小さく細かいリズムを足していく。次にベースが陰影をつけて行く。全部で10曲ぐらいやったのだが、だいたいその流れだった。楽器で会話してる。最初にピアノが「あのさ、僕はこう思うんだよ」と投げかける。次に、ドラムが「ふーんそれで」、また、ピアノが「それで彼女はこういうのさ」すると、ベースが「そんなこた、とうにわかってるさ」と言う具合だ。キースは時々腰を浮かし、時には立ち上がって、もっとのってくると例の唸り声も絞り出す。キースジャレットのピアノはその端正で粋な流れが魅力だが、曲のコーダの一つの和音だけでも胸がキューンと締め付けられたり幸福感に満たされたりする。それは、「今のこの音が最後なんだという想いでいつも演奏している」という彼の言葉通り音楽に対する真摯な構えがあるからだろう。ピアノだけでなく、3人が3人とも極めて高い技量と感受性と精神性を持ったアーチストだった。ベースのゲーリーはあれは、哲学者というか瞑想に入ってる。ベースが曲の中で生き物のようにしゃべったり怒ったり鼻歌を歌ったりしているのだ。そして、ドラムのジャックは神。ほとんど上半身が動かない。手首だけで信じられないリズムを刻む。パンフレットによるとジャックはクラシックピアノをやっていたので、キースが何を表現したいのか瞬時に分かるようだ。スタンダードというがジャズに疎い私は、テーマのフレーズがよく分からなかった。海のようだとか、ドライブしてるようだとか、妙な和嗚だなとか、ここは何連符なんだろうとかとりとめもない想いがあるだけで、音の渦巻きの中で芯となる知識がなくとまどうこともあった。しかし、アンコールの中の1曲はなじみのあるフレーズから始まり、それをくずして行くのがよく分かった。クラシックで言えば変奏曲。崩して遊びを入れスパイスも効かし苦みも少々加え、オツで粋な音楽になっているのだ。アンコールを2回も演ってくれ、もうみんな喜んでた。立ち上がって拍手をしてる人も何人かいた。私も立ち上がりたいくらいだった。主人は休憩時間と終演後の2回東京の息子2に電話をしていた。感想を伝えたかったのだ。会場で販売していたパリでのライブ録音「星影のステラ」を買った。