11月のひとりごと

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04/11/23(火)

今年は山に行ってないので,今日が最後の機会だと思って前から主人と約束していた。昨夜はテニスで疲れ切っていて支度が何もできていないまま7時過ぎに家を出て駅まで歩く。向いのご主人と顔を合わせあいさつをする。今日はどこへ?といった表情だった。今日は吉野へ紅葉狩りです。

吉野までは遠い。ちょうど良い電車に乗り遅れてしまい,次の電車が橿原神宮前で乗り換えだったので,せっかくなので寄ってみた。ちょうど新嘗祭の催しがあり,奉納される「久米の舞」を見ることができた。本殿前の掃き清められた白い玉砂利に鮮やかな緋色が美しい。ゆっくりした太極拳のような動作だ。多分大陸から伝わったものだろう。外国の観光客が何人か正面の良い場所を確保してビデオを回していた。その後ろで,柏手を打つ日本人。妙な取り合わせだった。一通り見終わると私たちもお賽銭を投げ柏手を打った。小さな宝物殿を見学するとなにやら軍国主義の匂いがする。ここは神武天皇即位の地だそうだ。なにやらまやかしっぽいがあまり深く考えない,駅の構内に土産屋が並んでいたので昼飯用に名物の柿の葉寿司を買い込み電車に乗り込んだ。なかなか美味しかった,富山のますの寿司を思い出す。

ひなびた駅だった。ここが昔の貴族が訪れた吉野の山なんだ。あの紅葉も眺めたのだろうか。枝を広げた大きなもみじの古木が太古の目で見下ろしている。駅の改札からまっすぐ20m程行きケーブルカーに乗って一気に登った所が入り口だった。狭い道の両側にみやげ物を売る店が所狭しと並んでいる,ハイキングのつもりで足拵えをしてきたのがちょっと場違いに思えてしまう。少し歩いて銅鳥居をくぐり蔵王堂を参拝する。吉野山の本山である。ちょうど,世界遺産登録記念で御本尊のご開帳にめぐりあえた。日本最大の秘仏金剛蔵王権現が過去,現在,未来の三体の姿で睨み下ろしていらっしゃる。私は修験道には全く関わりのない未熟者であるから,只々恐れ入るばかりである。

蔵王堂をあとにひたすら登る。道はだんだん狭くなるがそれでもまだ舗装されている。車やバイクが通る度脇に寄る。道ばたには民家があるのだから,生活道路になっているのだ。いくつかの寺社を過ぎ,吉野水分(みくまり)神社に参拝する。桃山時代の様式の苔むした庭が印象的だった。さらに道を上ると金峯神社に着く。ここに,バス停があるのだが,すでに最終便は出た後だった。あきらめて,帰り道も歩くよりほかない。ここまできたからには,西行庵まで行かなくては。ようやく舗装されていない山道になる。道の脇の吉野杉が美しい。山道が分岐になったところを左に下っていくと山の陰で風の当たらない平らになった所があり,そこが西行庵だった。中には西行像が安置されていたが,かなり後の年代のものらしくこざっぱりしている。側に,小さな滝があり,もっていた容器に入れた。きっと,こうやって,西行も水を汲んだのかと思うと感慨深い。ここら辺は奥千本と言いかなり山奥になる。訪ねてくる人はいたのだろうか?

ここまで登りばかり11.7キロ,コースタイム4時間とガイドブックにある。帰りは日が暮れないうちにと急いだ。1時間ぐらいで蔵王堂に着いた。あとは道が明るかったから,ゆっくり歩きおみやげに葛菓子を買った。途中に修験者が使う尻皮を売っている店があって,主人は欲しそうだったが,安いアライグマので1万円と聞いて諦めた。美しい鹿皮はもっと高かった。本来はカモシカの毛皮がよいそうだが,天然記念物だから今はないそうだ。もう真っ暗になった道を駅に急いでいると,前を行くおばあさんが,「エミちゃん,おそうまでがんばってんやなあ」と若いお姉ちゃんに声を掛ける。見ると,焼きぐりの小さな屋台がある。側には子犬が二匹,つながれていて,主人の店じまいを待っている。いったん行きすぎてから,匂いに引き寄せられるように立ち止まり屋台まで戻る。一袋500円。最後だからとおまけにたくさん入れてくれた。空腹と夕闇の心細さに焼き栗の匂いと暖かさは格別だった。天心甘栗ではなく,ほんとの山栗でころんとしている。私たちは猿の気分だった。ほら,あれが駅の明かり,もうすぐだ。


04/11/21(日)

図書館で借りた青木玉の対談集と「小石川の家」を読む。幸田文の並でない父を持つ並でない苦労を知る。並で良かった。後,須賀敦子の本を一冊。赤い端切れでブックカバーを作る。かわいくできた。


04/11/14(日)

昨日のお酒でぐっすり寝ていたいのだが,今日の天気が気に掛かって起きた。予報では雨だったのにカーテンの隙間から外を覗いたら降っていない。しかたなくテニスに行く。Mさんが先週カナダから帰って来て今週でまたしばらくお別れなのでやはり晴れて良かった。今日はNさんが新しいラケットで見違えるほど巧くなっていた。私もラケットを替えようかな。隣のコートではものすごい上手な中学生の女の子が練習していた。きっとプロを目指しているのだろう。コーチが二人。一人は相手をしていて,もう一人はビデオを写していた。お気楽な私たちと違って自分がミスるとものすごく悔しそうだった。試合が近いのかもしれない。

テニスが終わり,約束していたダイビングショップへ行く。アドバンスをどうするかだ。来週ツアーがあるそうだが,私たちはウウェットスーツしか持っていないので,水温が心配だ。春まで待とうかなと思ったが,Nさんが2月にサイパンのツアーでアドバンスが取れるというので,決めてしまった。家に帰って予定を確かめたら,1つ難問があったが今更仕方がない。同僚のあの人に頼み込もう。あとは資金の問題だ。これからは外食をしません。家で作ります。本も買いません。図書館で借ります。服も買いません。今あるので間に合わせますと自分に約束した。

どうか,この話が流れません様に。病気も事故もトラブルも起きません様に。パンパン。


04/11/13(土)

今日はYさん家のダッチオーブンパーティーにおよばれだった。ワインを手に1時半頃に八田駅から10分のY家に着く。裏庭にはすでにT夫妻がいらしていた。何年か前にスキーで一緒だったので面識はある。その日初めて会ったのは,Y家の4男坊,柴犬のハチだった。

ハチはこの9月に来たばかりらしい。まだ3ヶ月のやんちゃ坊主だ。生えてきた歯がむずがゆいようで何でもかんでもかみつきたがる。主人は子どもに返ったように喜んで相手をしている。庭の片隅に一坪ぐらいの大きな犬小屋ができていた。子どもなら中で一緒に寝ることができるだろう。広いベランダ付きでひなたぼっこができる様になっている。ベランダの南西の角がくりぬいてあって,そこから楓の木が枝を伸ばしている。暑すぎる夏には日除けになるようにとの配慮だろう。設計から材料の調達,施工までずいぶん手間がかかったようだが,全部Yさんの手作りらしい。りっぱなものである。奥様のKちゃんはこれから寒くなるのに大丈夫かしらと心配そうだったが,あんなりっぱな犬小屋そんじょそこらにはありませんぜ。

さて,ダッチオーブンパーティが始まった。レンガを組んだ簡単な炉だったがさすがボーイスカウトだけあって火おこしは手慣れたもの。子どもたちに任せておいて,お料理はYさんやTさんが器用にやってくれて,私たちはもっぱら賞味係だった。最初のごちそうは鶏の丸ごとの中にニンニクを詰めたものとジャガイモの蒸し焼き。お肉が香ばしくて柔らかくておいしくてビックリ。次は鯛の塩釜。蓋を取ると塩が岩みたいになっていて,割ると中から美味しいお魚が現れるのだ。ダッチオーブンとは鋳物でできた大きな蓋付きのなべなのだが,焼く,煮る,蒸すなど何でもできる野外料理の必須アイテムなのだ。最後にはフルーツケーキまででてきた。その他にも薫製の手羽先やら焼き肉やらカキやらホタテやらバーベキューやらお腹がいっぱい。日が沈み夜になってもパーティは続く。二階のベランダから大きいターフが張ってあり夜露に濡れない。そして大きなランタン。芝生の上に大きなテーブルとイス。ここが街の真ん中なのをしばし忘れてしまいそうだ。みんなでワインとビールをしこたま飲み,主人は座ったままの格好で何回か寝ていた。そして,目を覚ましては悪いことをしていた。ハチはまだドッグフードしか食べていないのに,Kちゃんの目を盗んで,テーブルの下で鶏肉やら魚やらソーセージやら牛肉やらを与えていたのだった。明日下痢をしないか心配。よそ様の犬なのにどうも申し訳ありません。

今日はピカピカの晴天だったのですごく冷え込んできた。中に入り,焼きそばとデザートを平らげ,気がついたらもう10時を回っていてびっくりしてみんなでおいとました。帰る方向がT夫妻と同じだったので同じ電車だった。Yさんと息子さんたちに駅まで送って貰ってさよならをする。みんな今日のパーティに満ち足りた気分だった。T夫妻は若いので,これから作っていく家庭の理想になるだろう。私たちは過ぎ去った幸せな日々を思い出すことができた。ほんとにありがとうございました。


04/11/10(水)

山田太一「親ができるのはほんの少しばかりのこと」読了。年齢の持つ練られた言葉か生来の気質かは分からないが,目を開けさせてくれる文章がいくつもある。中でも,「人間は汚れを抱えている」の章が私にはずきんと来た。わかりやすい文章である。多くの章が最後の二行ぐらいでことんと落ちるようにしかけてある。じわんと泣かせるところもある。いかにも名脚本家だ。平行して読んでいた幸田文「流れる」も読了。こちらは言葉が生きた魚のようだ。まさに流れを泳いでいるよう。日本語は使い手でいろいろ化ける。自在に操ってみたいものだ。

04/11/6(土)

「砂と霧の家」を観る。自分にとって大切なものは何だろう。守るべきものは何なんだろう。やりきれない結末だったが,主人公は現実を見据え,自分の足でしっかり生きて行くと思う。

04/11/4(木)

主人の仕事の都合でダイビングは中止。アドバンスを取るのは来年春になる模様。


04/11/3(水)

今日は休日だったが7時前に起きる。資源ゴミの当番だからだ。10分前に行ったらもうすでにKさんが収集箱を組み立ててみえて恐縮。Kさんは当番ではないが,市会議員だからいつも手伝っていらっしゃるようだ。8時半まで4人の当番で一生懸命働いた。この馬力で家のごたごたしている物も片づけられたらいいのになあ。

一服してから,いつもの所にプールに行く。すると,なぜか,そこに,ケニヤの大統領が来るという。県庁関係の方だろうか10人ぐらいそわそわと落ち着かない。職員の人たちも緊張した面もちだ。やがて屈強なSPと思われる人や脚立を担いだカメラマンやらの後に10人ぐらいの大統領一行様が来る。にわかに作られた受付のテーブルに置かれた何やら台帳みたいな大きな書物にサインをする。続いて夫人がサインをする。その後レセプションルームの方へ。泳いだ後もちょうど大統領が帰るところだった。私たちは拍手をして見送った。意外なのは警備が軽かったこと。私たち一般人も普通に同じフロアにいたのだ。もう一つビックリしたのは本物のケニア人の体格はすごいなあということだ。やはり日本人とは全然違う。背が高い,肩幅が広い,手足が長い,頭が小さい。ヘンリー・ムーアの彫刻があながち誇張ではないような気がした。あれは闘いに有利だ。頭をのけぞりパンチを繰り出せば勝ちではないか。

プールのそばの市場でカレイの活きのいいのと野菜と焼きたてのパンを買ってから家に帰った。ほんとは午後から岐阜県にバラを見に行くつもりだったがくたびれてしまった。うとうとしていたら,Sさんが唐辛子の束を持ってきて下さった。庭でつくったのだそうだ。部屋に飾った。秋らしくなった。

息子2から電話。今卒業制作で忙しいから帰れない。卒展があるのは2月の頭ぐらいだから,その時に東京に来るといいよということ,PC買うかもしれないから,10万円ぐらい貸してという。貸してというところが殊勝である。

夕方はザリガニを取りに近くのテニスコートに行く。なぜ,テニスコートにザリガニがいるかというと,そこは本来は調整池で,大雨になるとここらへんの雨水がそこに流れ込むようになっているのだ。それで,水が引いても側溝には川の生き物が住んでいる。大きいのが2匹小さいのが4匹。ザリガニは子どもたちと約束したので明日学校へ持って行く。

夕御飯の後はダイビングの準備。この週末にアドバンスを受けるのだ。で,ここで,はたと気がついた。日曜日のテニスのボール当番をどうしよう。誰かに替わりを頼まなくては。


04/11/1(月)

先日定期の更新をした。大きな印字は見覚えのある日付だった。長男の誕生日だ。今年は何を贈ってやろうかと主人と話し合っていたら,それを聞いていたように久しぶりに電話があった。元気でやっていること,食事に気をつけて少し痩せたこと,年末まで忙しくて帰れないことなどなど。プレゼントは帰ったときに貰うからいいって。昔から欲しい物があっても自分から言わない子だった。