5月のひとりごと

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05/31/(火) まだ換えず20万キロとうに越え

パジェロの走行距離が199950kmを越えたので主人はデジカメを持ち込んで置いた。もちろん,20万キロでカウンターが000000になるところを撮るためだった。だがしかし,0にはならず,200001キロを示している。お義兄さんのうそつきー。


05/27/(金) エビフライ小梅そら豆卵焼き

腹をたてていいだろう。主人は弁当を食べずにそのまま持って帰った。今日は何かの会で昼食が出たらしいのだ。だからといって,そのまま持ち帰らなくてもよいだろう。腹をたてていいだろう。だから,私が食べてしまった。我ながら美味しくできていた。

息子2の学校は前知事の遺物とかで,デスクとパソコンが一人ずつに貸与,機材は贅沢使い放題,24時間開放している。炊事場付きのりっぱな仮眠室もあり寝泊まりできるようになっている。そのせいかわからないが,学食がいくつもつぶれたそうだ。学生数が少ないし夜中も営業すると採算が合わないのだろう。そして,今は飲み物の自販機しかなく,しかもコンビニは近くにないそうだ。放っておくと体をこわしそうである。そこで,私は健気にも弁当を作ることにした。

最初は息子だけだったが,主人が物欲しげに見るので,ついでに,主人のも作ることにした。私には珍しく一月ぐらい続いている。そんなに凝ったものは作れないが,出来合いの物や冷凍食品は使わず,冷蔵庫の残り物で何を作ろうかなと考えるのも楽しい。二人への私のささやかな愛情表現である。それをだな,食べずに持って帰るとは何事ぞ。先日は弁当箱を会社に忘れてくるし。もう一度何かしでかしたら,考えねばなるまい。そういえば,明日は結婚記念日だ。・・・。なんかくれ。


05/5/22(日) 環境を破壊しながらボランティア

今回のダイビングは「サンゴ移植」が目玉だった。海洋研究所での講義と移植ボランティアがあった。まず,1本目は,サンゴを傷つけないための泳ぎ方の練習。ダイヤモンドリーフという1メートル四方の菱形の輪が海中に設置され,ひっかかからないようにくぐったり,輪の中で回転したりする。次に生物にフィンの影響を与えないためのあおり足とベントニーキックの練習。サンゴの生態についての講義1時間。次の1本が実習。サンゴの一部を水中ボンドで岩にくっつけるのだ。まず,オニヒトデに食べられた跡の海域に行き,移植分ワイヤーブラシでこけをとる。次に各自に配られた袋の中から粘土状の水中ボンドを取り出し,雑巾を絞るように錬り合わせ,岩にくっつけ,手の平ぐらいのサンゴを植える。しっかり植えないと海中の波にさらわれてしまうそうだ。今回は追跡調査をするため,自分のイニシアルと日付の入ったプレートを巻き付ける。よいことをしたつもりだが,私たちがスキューバダイビングをすることそれ自体で,海の環境破壊していることは否めない。登山でもスキーでもそうだが,自然を楽しむことで自然を破壊しているというジレンマを感じる。6月7月とサンゴの成長を確認したり,サンゴを食べるオニヒトデやレイシガイを駆除するツアーも計画されている。大潮の日にはサンゴの産卵も見られるそうだ。どうしようかな。


05/5/11(火) 頭蓋骨土に還せと言いたげに

京都から帰って主人だけが風邪を引いている。どうしたことだろう?風邪を引くのは,睡眠不足に寒さ・空腹が重なるとなりやすいが,よく寝てよく食べていたし,上着も持っていたから寒くはなかったはずだ。考えられるのは「人体の不思議展」かもしれない。閉めきった会場に何百人という人が見学していた。しかも,いわば人間の死体が切り刻んであるのを見るわけだから気持ち悪くなって当たり前である。私は遠目にちらちら見ただけで会場を出てロビーの椅子で待っていた。主人は気持ち悪いといいながらも人混みの真ん中にいて,それでやられてしまったのかもしれない。標本になった人の怨念があるのかもしれないと冗談めかしていう。私が死んだら屍は標本にせず土に還していただきたい。


05/5/8(日) 鴬の声は変わらじ石畳

歩き回った二日間だった。桜はとうに終わり,意外に肌寒い天気も手伝って,やや華やかさに欠けたが,やはり京都は見所がたくさんあると思う。

5/7
○東寺
○三十三間堂
○祇園
○国立博物館
○京都文化博物館「人体の不思議展」
○六角堂

5/8
○龍安寺 
○金閣寺
○銀閣寺
○哲学の道 
○南禅寺 水道橋
○インクライン
○金地院

京都にはいくつもの顔がある。しかも,長い歴史がミルフィーユのように何層にも重なっているのだ。奥行きがあって面白いのだけれど,柵のようなものに捕らわれると息が詰まるかもしれない。


05/5/6(金) 連休の谷間に休憩おてんとさん

朝から雨。連休の間はこれでもかというほどの晴天続きだったのに,手のひらを返したような嘘臭い八百長のようなインサイダーナントカのような変わり様だ。おてんとさんと誰かが裏取引をしたにちがいない。今日は学校だった。みんなぼうっとしていた。それでも頭数は揃っており,久しぶりに友達に会いにこにこしていた。電車の混みようも平常に近かった。主人は駅に私と息子2を送ったその足で息子1といっしょに愛知万博に出かけたらしい。ねらいどおり,今日はガラガラにすいていたそうだ。明日は京都に1泊し美味しい物を食べる予定。早く雨があがりますように,パンパン。

05/5/5(木) 旨い店人が集まる蟻のごと

美味しいウナギを食べに白金町のうな富士に繰り出した。総勢6人である。いちばん小さい私はパジェロの荷物室だった。なんとか店に着いたのが2時半。お店は既に休憩時間に入っていた。5時までどうしよう。では,と熱田のお宮さんの近くの老舗,蓬莱軒に行ってみる。すると,店の外にまで待っている人があふれ,受付に聞くと2時間待ちだそうだ。仕方がないのでお宮さんに所在なくお参りし,よその人の結婚式の奉納の舞を見物し,茶店で池の亀をながめながら潰す。そのうち,近くに紙の温度という紙の専門店があったのを思いだしみんなを案内する。私はずいぶん昔に会員だったが,まだ名前が残っており,会員割り引きが効いた。息子2はイタリアのグレゴリア聖歌の楽譜がモチーフになっているのを買った。主人は和綴じのノート,私は名刺用のちぎり和紙にした。良い時間になり無事ウナギにありつく。白焼き,長焼き,櫃まぶしとどれもおいしいが,お薦めは季節のさしみの盛り合わせだ。ウニ・シラウオ・イクラ・アカエビ・ホタルイカ・クロダイ・ヒラメ・トロ・トリカイ・サザエ・シャコ・ナマノリこれだけのっていて1800円ってお値打ちでしょう。店は見る間に満席になり,私たちは満腹,満足して引き揚げた。


05/5/3(火) タンスには小さな服と思い出と

連休を利用して家の中を少しずつ片づけている。今日は3階の物置から古着を下ろしてきた。始末したと思っていた子どもたちの小さい頃の服がまだあった。青に黄色のラインの海パン,アップリケのあるリュック,ライチョウのバッチのついた登山帽,少年サッカーのユニホーム,肘あてのある黒いセーター・・・懐かしいものばかり。それを着ていた幼い姿が鮮やかに目に浮かぶ。でも,思い出してもしかたがないのだ。思い切ってさっぱりしよう。私の空の巣症候群はようやく癒えたようだ。涙一粒こぼさなかった。それでも捨てられなかったもの。菱形のラインをいれた手編みのベスト,ワコールの肩空きパジャマ,弟の結婚式につけていた赤いネクタイ2本。私の整理ダンスにそっと仕舞った。今日は息子1も東京から帰り久しぶりに4人が揃う。