7月のひとりごと

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05/7/31(日) 容赦なく猛暑が試す日々のつけ

Uのテニスに鉄人Gさんが来ていた。一人ずつ球出しをしてボレーの練習。その後2対2のボレーボレー。9時になったら他のサークルの練習へ。Gさんは60代半ば。昨日は午前中違うコートで顔を合わせた。午後からは会社関係のコートで自分のテニス教室。と言うことは二日間ずうっとテニスをやっているということだ。この猛暑の中1セットやると、私たち凡人は足がもつれ、腕は上がらず、目はうつろ、頭の中は煮えていた。テニスをやっている途中、私の携帯に教務から連絡が入った。今日予定されていた講演が急遽中止。講師の斉藤孝氏が心筋梗塞で倒れたそうだ。斉藤氏は今や超売れっ子。多分過労が重なったのだろう。他山の石として心せねば。


05/7/26(火) 歌に詠み自分を許す弱き人

昨夜は台風が近づいていたからか寝付けず、夜中の3時に目が覚めてしまった。こういうときはいっそあきらめて寝ないほうが良いので、ぼーっと起きていた。新聞配達の人がポストに朝刊を入れて行く。朝食の用意をするには早すぎる。穂村弘の「世界音痴」を読む。正直で構えたところが少しもない人だ。わがままで、あまえんぼうで、自分勝手で、こわがりで、恥ずかしがりで、怠惰だ。でも、人間誰しもこういうところはあるのかもしれない。現に私はこの人とおんなじだと思って癒される気がする。穂村弘は気鋭の歌人。「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」半分ぐらい読んで4時になり、そろそろ眠くなったのでまた寝た。


05/7/20(水) 真っ黒に遊び呆けよ夏休み

とうとう一学期が終わった。梅雨があけたばかりなので、夏休みという感じがしないが、今日は終業式だ。昨日からテレビ局の取材があることを聞いていたので、スーツにした。若い頃のだが、なんとかスカートも履けてよかった。今年はTV局だけでなく新聞社も来た。カメラマン(女性だが)が画像を確認させてくれた。通知表を手にしたA君の前歯のない笑顔がかわいい。海に山に田舎に遊園地にほとんどの子は行けるだろう。みんな真っ黒になって9月1日を迎えて欲しい。


05/7/17(日) 日が昇りボール打ち合い日が暮れる 

主人の会社の人のテニスサークルからお誘いがあって、遠征試合に行く。7時からこちらのコートで練習した後、12時に集合し現地に向かった。緊張しながら待っていると、予定の時間を少し過ぎてMさんたちが現れた。お菓子や飲み物をたっぷり用意してあった。3コートもとってあったので、入れ替わり立ち代り何試合もできた。私はNさんと組んで女ダブを3回、混合を1回やった。男性陣はもっとやっていると思う。げっぷがでるほどたんまりテニスができて、大満足。皆疲れ切って、ふらふらして帰っていった。向こうの人たちはいつも日が暮れるまでやるそうなので、まだ一時間はやると思う。すごいエネルギーである。


05/7/14(木) 微熱あり巡り巡りし浅き夢

竜串のダイビングショップにエンドレスでかかっていたのは元ちとせだった。南国の空気に似合ういい声だ。うちに帰ってから彼女の「冬のハイヌミカゼ」を聴く。いい声だ。というか心にしみる歌い方だ。彼女は復帰するのだろうか。それとも伝説で終わってしまうのだろうか。

アルバムの中に「37.6」と言う歌がある。子どもの頃の思い出。熱で早引きし母に負ぶわれた日のことを歌っている。今の私は36.4度。普通の人より1度以上体温が低いので、微熱の状態。昨日から調子が悪い。多分冷房の効いた部屋に居たせいだ。

熱のせいか昨日はいろんな夢を見た気がする。その中ではっきり覚えているのはイチローだ。雨が続いている。野球部の試合が近づいているのに練習ができない。どうやら、私は野球部の顧問らしい。あせりから教室の中でキャッチボールをさせる。私はボールがそれないかハラハラ。そこへどういうわけかイチロー登場。さすがに完璧なコントロールでキャッチャーの子に投げる。その後どうなったか残念ながら忘れてしまった。

イチローは素晴らしい野球選手だが、その言葉一つ一つが重みがあるよね。安易に妥協しない生き方。一流の選手はそれこそ真剣勝負の積み重ねを生きてきたのだから人間性も鍛えられるのだろう。

元ちとせも一流の歌い手だ。言葉は軽くない。安易に妥協しない。彼女は復帰するのだろうか。(ああ、これでなんとかつながった)


05/7/3(日) 緑濃き山に阿ず土佐の雨

初日、愛車(パジェロ⇒アウトバック)で小牧まで、小牧空港から高知竜馬空港へは約1時間。南国土佐は大雨だった。雨の中をさすらってようやく鰹のたたき、カルパッチョにありついた。

2日目、ダイビングは足摺岬の手前、竜串で2ボート。波は3メートル近くあって、同行した夫婦連れは1本でリタイア。主人は予想通り、もぐる前からゲロゲロしていたが、毎度のことなので当たり前の顔をしていた。もぐったポイントは地形的におもしろかった。砂岩が地震で崩れた跡らしく、斜め45度に縞模様になっている岩が海底を覆っている。その岩に直径8センチぐらいの穴が30センチ等間隔にあり、岩盤の穴という穴にはガンガゼ(ウニ)が住み着いている。海が荒れたため透明度は今一つ、きれいな水であったならさぞ見事な眺めとなったことと思った。今回のハイライトは、海が荒れたために、グラスボートが運休し、普段は入れない見残し湾にもぐれたこと。そこには天然記念物でもある直径30mのシコロサンゴの群生があった。入り組んだサンゴの襞にはいろいろな生き物が住み着いている。近くの砂地では、愛嬌のあるネジリンボウのつがいと共生しているテッポウエビ(見えたのはひげのみ)も見ることができた。

3日目、またしても雨。7時に朝食をとり、ダイビング器材をなんとかスーツケースにまとめ、宿の近くを観光する。竜馬記念館と高知城。歴史上の偉人だけでなく、この3日間で「土佐のいごっそう」というのがなんとなくわかった。高知の人は人におもねない。宿の受付、道を尋ねたファンシーグッズ店の売り子、喫茶店のマスター、ダイビングショップのインストラクター、タクシーの運転手などなど。サービス業に携わる人でさえそうなのだから、県民性なのだろう。ダイビングの送迎バスでいっしょになった若い女性も、話題は海と魚とダイビングの話だけ。

空港に荷物を預け、予定の時間よりちょっと前に動物園に行く。雨はますますひどくなり、入園者はほとんど居ない。動物科学館という建物の受付の人に名前を告げ、時間まで館内を見学する。だんだんどきどきしてくる。やがて時間になりホールに行くと、園長さんと電話をくださった広報係の女の方がみえる。そして、緑の作業服と白いゴム長姿の飼育係の方が20名ぐらい、その他にカメラを構えた方が3名。地方のTV局が3っつと新聞社が2つ来ているのだ。私の心臓は大変なことになっている。園長の挨拶と、飼育係の若い女の方の映像を交えた経過報告があり、次に私の名前が呼ばれた。こんあことなら、やっぱり美容院へ行って来るんだったと後悔したが覚悟を決め中央に行く。賞状と、大きなカンガルーの親子のヌイグルミ、動物園のいろいろなグッズの詰め合わせとお菓子の詰め合わせをいただく。司会の方がこれで命名式を終わります。と言ったので、あれっと思う。確か最後に何かお言葉をくださいと頼まれていたのだ。誰かが司会の方に話をする。女性はあっと言う顔。うろたえた様子で、マイクを持ち直し、立ち去ろうとしたした方々を引き止める。やっぱり、私の番である。

司会の方が緊張してあがってしまったので、私は却って落ち着くことができた。たまたま雑誌で見て応募したこと。そのときほかにも公募が載っていて、みんなで10枚ぐらいハガキを書いたこと。だから、つい、命名式に参加するという項目を見落としてしまったこと。父親と母親の名前をとり、メスは海に因んだ名前、オスは森に因んだ名前にしたこと。たくさんの中から(342通あったと言う)選ばれ、うれしかったこと。これから、スタッフの方々や動物園に来る子供たちから毎日この名前を呼んでもらって大きくなっていくことを思うと感慨深いこと。大きくなったらまた会いに来たいことなどを話した。

そのあとカンガルー舎に寄り、対面した。もうずいぶん大きくなっていたが、首や手足が細く子ども子どもしていた。生まれたのは一週間ぐらいしか違わないのにオスの子どもはメスの子どもよりやや大きい。飼育係の方がりんごの一片を私に渡し、餌をやってみますかと勧められるが、向こうは寄ってこない。大人のメスが4頭子どもが2頭。みんなで大騒ぎ。そして、ときどき、こちらを伺うようにピタッと止まる。まるで、だるまさんがころんだをしているようだ。そこにもメディアの人たちがついてきて、写真をとったり、インタビューを受けたりして、スターみたいだねと冗談をいう。後で園長さんの案内でするっと園内を見て回る。じかに園長さんから動物の紹介やらいろいろな裏話を伺いおもしろかった。

空港まで、園の車で送っていただき、高知を後にした。機内でうとうとしていたら、あっという間に小牧だった。2泊3日、梅雨の真ん中のひょんなことで始まった旅が終わった。