8月のひとりごと

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05/8/27(土) 運動禁止欲求不満が目に見える

夜中に主人が体中が痒いと訴える。朝、腹と言わず背中と言わず、全身いたるところが虫に刺されたように蚯蚓腫れのようになっている。これは、ただごとではない。何か変なものを食べたのかもしれない。私も息子もなんともないのにどうしたことだろう。すぐに病院へ行った。診断はじんましんとのこと。たぶん、夕べの塩鮭があやしい。私は口にしなかったから大丈夫だったのだろう。長いと一月もかかるそうだ。とにかく、汗をかくといけないそうなのでテニスも禁止。欲求不満が目に見える。


05/8/26(金) TV見て自分のように汗握る

山崎まさよしMステーションに出演。ピアノの弾き語りだそうである。生番組だから緊張するだろうなと思っていたら、案の定。どアップの画面の指が明らかに震えております。こっちが緊張しましたわい。明日はミュージックフェア。こちらは収録ですから、安心。山崎まさよしは今年9月でデヴュー10周年を迎える。いろんな企画が用意されその中の一環として映画にも出る。その主題歌がこの24日発売で、今プロモーション活動が目白押しなのだ。TV・ラジオ・雑誌にこれでもかというほど出ずっぱりである。私は息子2に教えてもらったステレオ2からの付き合いなので、7年目ぐらいかな。歌はもちろん、彼の全部が大好きで主人公にした童話まで書いていた。生い立ち・デビュー・ニューヨーク話までからませてあったが、あるところで、ぷつんと切れてしまった。今俳句ブログをリンクさせ、コンテンツを整理している中、この童話も再掲した。尻切れトンボを何とかつないで、彼の10周年を私なりにお祝いしよう。


05/8/25(木) 遊泳中虚実混ざった小宇宙

ここ数日俳句ブログに入り浸っている。気楽に誰でも投稿できる掲示板のようなものである。中には達人もいて、素晴らしい句に出会うことがある。私も俳号「未草」で投稿してみた。ただいま27句。


05/8/24(水) 病む人に笑顔返され救われる

本家のおばさんが脳梗塞で入院してもう3週間。病状が落ち着いたそうなのでお見舞いに行く。病室には主人の従兄弟で同い年のI君がいた。おばさんは、小柄な身体がさらに小さくなり、たたんだ布団に背を預けて起き上がっていた。夕食が済んだ所だった。寝たきりだと思っていたが、言葉もなんとか聞き取れるまで回復していた。一生懸命動かなくなった手を動かそうとしている。娘さんが書いたというひらがな50音の表を見て発声練習もしているそうだ。前向きな姿に敬服する。もっと、重い症状を想像していたので、救われる思いがした。おばさんはしばらく逢わないうちに顔つきが変わっていた。きんさんぎんさんに似ていて童女のような目だった。そして、笑顔がかわいらしい。私が結婚したとき、すでに主人の母は亡くなっていたので、いろいろ教えてもらい、何かとお世話になった人だ。なんとか、歩けるまで回復して欲しいものだ。


05/8/22(月) 声だけで表情わかるライブ版

ここんところ山崎まさよし。「トランジットタイム」というスリーピースのライブ版のCDを聴いている。半年で100ステージ続いた過酷なツアーの音源である。OKSTのライブ版のように厳選されたものではなく、できがイマイチなセレクトもあるのだが、なんと言っても臨場感がすごい。ライブでの山崎の壊れようがよくわかる。ここんところまた、山崎まさよしモードでとろっとしているんです。夏休みもあとわずか。早くお仕事モードに切り替わらなくては。

05/8/10(水) なにげなく五・七・五と詠むなかれ

穂村弘「短歌という爆弾」を読む。コンセプトとしては初心者のための短歌入門書というところか。しかし、一般的な入門書というより、著者の短歌論という色彩が強い。使われている言葉は、説明的な用語というより、象徴的修辞的な言葉も多く、イメージが飛び交う中で真の意味を捕まえるのが難しい部分もある。が、それを解読できたときにはちょっとした喜びも味わえる。読み終わってみると、全文がラブレターのようなもんである。作者の短歌に寄せる想いが伝わる。つまり、自我を救ってくれるもの、肯定してくれるものとしての短歌賛歌という印象。

同人誌に寄せられた短歌の他に、例題として何人かの歌人が出てくるのだが、そのうちの一人寺山修二の言葉。「短歌は、七七っていうあの反復の中で完全に円環的に閉じられようなところがある。同じ事を二回繰り返す時に、必ず二度目は複製化されている。(略)だから、短歌ってどうやっても自己複製化して、対象を肯定するから、カオスにならない。風穴の吹き抜け場所がなくなってしまうとね。(略)俳句は刺激的な文芸様式だと思うけど、短歌ってのは回帰的な自己肯定性が鼻についてくる。」寺山修二は「感動の画一化、批判精神の溶解に結びつくこと」を嫌って短歌から離れたが、穂村弘は、あまりにも「自己の非連続性」に苦しんでいたため短歌の自己肯定作用に救われたという。

別の観点で私が寺山の言葉に共感したのは、俳句と短歌のちがいに言及している部分である。短歌は上の句でお題を出し下の句でそれを受けている。めでたしめでたしとなる。俳句は命題だけつきつける。作った人はもちろん回答を持っているが、受け手は謎解きをしなければならない。答えは一つだけではなくいくつかあるかもしれない。そこが、面白く、また奥行きがあるのかもしれない。

なにげなく五・七・五と詠むなかれ辿り着けるか遥か岸まで


05/8/9(火) やめた人結婚した人しない人

小泉首相。結局自民党解体がしたかったのか。

スキマスイッチ、シンタ君結婚報告あり。スガシカオ体質なんだなと再確認。相方のタクヤ君は、当分結婚しないだろう。山崎まさよしが結婚しないように。

昨日、ある人から私実はバツ1なのよと打ち明けられた。実は彼女のご両親も彼女が20歳のときに突然離婚したそうだ。それまで、とても仲の良い家族だったそうだからショックでいつまでも傷が癒えなかったそうだ。だから、だんなとうまく行かなくなったとき、子どもたちには悲しい思いをさせたくないから2年間悩んだそうだ。しかし、3人の子どもプラス実母を引き取りスパッと別れた。大したもんです。修羅場を通り抜け今は実に生き生きしている。美しい。若々しい。籍に入れてないけど、年下の彼氏もいるそうだ。

結婚ってなんだろう。保険のようなもんかな?ある程度経済面では保障されるけど、心までは保障されないよね。枠にはまらない人は結婚と言う常識にしばることはできない。

そういえば、小泉首相も今は独身だ。納得。


05/8/6(土) 其々の物指し使う会議かな

出張の帰りに習字の先生の書展を覗いてきた。先生の書はかなり個性的な線で構成も斬新、華やかだった。その書展をきゅっと引き締めている一双の屏風。その作品は1年前に辞任に追いやられたC電力の元会長O氏が作られた五言絶句を表したそうだ。O氏は元々技術系の人らしいが、漢詩もさらさらと作られるとのこと。この日私が行く前にO氏も顔を出されたそうだ。O氏は会社の資金で美術館を作りたかったみたいだ。先生はしきりとO氏を気の毒がっていたが、電力自由化の波をかぶった厳しいご時世、それどころではないと必死な他の役員の心境はよくわかる。

「参院で中曽根氏らが郵政民営化法案に反対」のニュース。日経の論説にあるとおり「切迫感に乏しい」のだろう。この期に及んで何を寝ぼけたことをいっとるのかと言っている。写真に「郵政民営化特別委員会で深々と一礼する小泉首相」の必死な顔。通らなければ衆院解散。総選挙は9月4日か11日、と新聞は煽る。

人それぞれに価値観が違い、物を見る尺度が違う。意見の食い違い、泥仕合、はては戦争も起きる。全世界全人類が共通のものさしを持つのも不気味だが、同じ共同体に居るからには捜す努力は必要だろう。O氏は釈明の機会が与えられずすぐ辞任。小泉首相は解散を口に出し切り札にしようとしている。権勢の行方だけに興味があるのなら別だが、その共同体の行方を本気で考えるのなら、辞任、解散で短絡的に終わらせないで粘り強く話し合って欲しい。

やっとまとまった。ただいま切迫感から最も遠い私はのんびり柿の種をつまんで新聞を読んでいる。すんません。