4月のひとりごと



06/04/02(日) 暦繰り天には春の雷や

今日は朝から一日中雨。雷まで鳴っていた。昨日の快晴が嘘のようだ。

昨日は志賀高原をあちこち滑った。奥志賀から一の瀬、高天原、寺小屋、西舘、ロープウエイで高天原一の瀬、焼額、奥志賀。今年は最後まで雪に恵まれて存分に楽しめた。一昨日の八方は悪天候のため兎平の上のリフトは運転されておらず残念だった。八方スキー場は平日のため人が少なかった。私たちが泊まった宿はゴンドラの乗り場が目の前で、とてもよい温泉がかけ流しであって、館内もこざっぱりとして良かった。しかし、客は私たち二人だけ!果たして営業していけるのだろうか?スキー人口が減っているのは感じていたが、これほどだとは思わなかった。スキーヤーのみなさん、八方を見捨てないでください。

明日からとうとう新学期。もう、お遊びはおしまい。


06/04/29(土) 背筋の痛み残して四月尽

たぶん、荷が勝ちすぎたのだろう。昨夜から、肩甲骨の下がひっくり返ったようなひりっとした痛みがある。電車の中で重い荷物を同じ姿勢で持っていたせいかもしれない。仕事を持ち帰り急いで帰ってきたのは習字があるからだ。お義姉さんも来るはずだったが、頭痛がするから行かないと電話があった。毎週金曜日は調理人としての腕を振るう主人はお客が一人減り残念そうであった。習字から帰り、ソファでうつ伏せにつっぷしている間に、主人が先日清水に出張したときに買ってきた芝エビがおいしそうな掻き揚げになっていた。美味だった。

今月はやたら忙しくて、日記を更新するのも儘ならなかった。思い出せることを書き出してみよう。

始業式・・・40人単学級!待てども待てども転入生は現れず。今までの2倍の仕事量。
シスアド・・・勉強不足のまま受験。会場におばさんは一人もいなかった。午前問題はカンでやった。午後問の方が多少解けた。試験の難しさはおいといて、試験問題に企業の熾烈な経営意識を垣間見ることができたのが収穫だった。例えば、デパートの出店の売り上げをフロアの位置・顧客層・季節などと関連した資料を分析する問題だ。たぶん、こうした分析をしないと生き残れないのだろう。
町内会・・・班長会が毎月1回プラスイベントごとに仕事あり。休日がつぶされる。

そんな中で、2番目の姉からの手紙。大学教授のご主人の転勤に伴い、名古屋市内に引っ越した由。彼女らしい、きっちりした字体と文面に私はたじろいだ。薔薇の絵葉書に取りあえずここのURLを添え書きしておいたが、見てくれるだろうか?そういえば、ハガキに私の名前を書くのを忘れたが分かっただろうか?

そんな中で、井上陽水のコンサート。彼の初アルバム「断絶」を知っている世代である。私たちと似たような夫婦連れの人が多かった。中には3世代家族で来ている人もいた。初期のものから新曲「新しい恋」まで、あの金属的な声は健在だった。「心もよう」は聴けなかったが、氷の世界をやってくれて満足。

そんな中で所属していたダイビングショップは親会社の都合で縮小され、スタッフが変わり、挨拶もできず、忘れ物のウエイトベルトを取りに行くと小さなビルの一室でわびしそうだった。

そんな中でお義父さんの筍は大きくなり今年は息子2が掘ってくれて、ここしばらく筍三昧だった。まだ、5本分ぐらい残っている。 

そんな中で庭は春の雑草がこれでもかと生い茂り、和室にはまだ、スキーウエア。もうすぐ、息子1が東京から帰ってくる。また、しばらく日記は更新できないかもしれない。