7月のひとりごと

06/07/27(木) ビール飲むならアサヒプライムタイム

 

ようやく梅雨が明けたらしく昨日ぐらいから夏らしくなった。夏といえばビール。ところが、うちはあまり飲まない。去年のビールがまだ、冷蔵庫の奥に残っているのだ。

ところが、スーパーへ行く度にちょこっと見てくるのがプライムタイム。ビールらしくないちょっとしゃれたデザイン。あまり売っていない。棚の隅に10個ほど申し訳程度の置いてある。この前1本買ってきた。

売れていないのかと思ったら、すでに60万ケースを売り、当初予定していた今夏の販売予定数を2倍の200万ケースにすることに決まったと言う。(27日日刊スポーツニュース)明らかに山崎まさよし効果だろう。この頃CMをやっていないのも売れすぎて出荷が追いつかないのだろう。

かつて、ユニクロのフリースのCMをやったときもそうだった。山崎の着ていたグレーのフリースはどの店でも売り切れだった。だから、あのかっこいいCMはすぐにやらなくなった。あの時期ユニクロのフリースはなんと800万枚も売れたのだ。

今回のプライムタイムどこまで行くのだろうか?おいしいです。苦くなくて、口当たりがよくてあとで、クラッと来ます。山崎みたいだ。


06/07/16(日) 久世光彦の芥川龍之介

 

ここんところ通勤電車のお供は久世光彦の「蕭々館日録」(中公文庫)だった。天窓の修理に来ると言うが、掃除もせずに寝転んで最後まで読んでしまった。

小島征二郎、菊池寛、芥川龍之介らがモデルとなって文学論というかサブカルチャ的に戯れていて、随所に古今東西の名著が引用され、そこの部分を読んでいるだけでも楽しい。そして筋らしきものは芥川龍之介がモデルの九鬼が死んでいく経過なのだが、九鬼に想いを寄せ、この話の語り部となっている5歳の麗子嬢がやたらませていて艶っぽいのが久世氏の本領発揮といったところだ。久世氏の描く芥川龍之介は才に溢れ悩み多き男前に描かれている。ほんとにそんな人だったのかもしれない。久世氏はたぶん、芥川龍之介という天才に物書きとして惚れていたのだろう。小説の半分ぐらいからいつ死ぬのだろうとどきどきしていたら、最後の最後ではらりとあっけなく梅雨が明けたような終わり方だった。

もうすぐ、龍之介の亡くなった7月24日、河童忌だ。たぶん、梅雨がまだ明けきっていなかったのだろう。梅雨がもう少し早く明けていたなら、きっと芥川龍之介は死なずに済んだにちがいない。遠くで雷が鳴っている。きっともうすぐ、梅雨が明けるのだろう。

河童忌やその朝の空晴れよかし


06/07/15(土) 愛憎劇の一部始終

 

A君は柄が大きく力持ち、時々ひょうきんなことを言うが、ひとたびへそを曲げるとてこでも動かない。B君は一人っ子でわがまま坊ちゃん。女の子をからかう掃除はさぼる不真面目君。そんな二人がどういうわけか花係になった。ぐずぐずしているうちに、なりたい係になれなかったようだ。最初は二人ともぶうぶう文句を言っていた。しかし、花係の仕事はそう悪くはない。小さな一輪挿しに飾る花をとって来てと頼むと、校庭からツツジの花をむしってとってきてくれた。ちょっとやばいかなと思ったが、大げさに喜んだ。以来タンポポだのヒメジオンだのカタバミだの、(時にはカタツムリだのテントウムシだの)見つけては私に差し出す。学級花壇の水遣りもやってくれる。いつのまにか、二人は仲良しになった。

いつもいつもいっしょだった。廊下を二人三脚のように足をそろえ肩を組んで歩いていた。顔をよせ内緒ごとのようにひそひそと花係ポスターを作っていた。おしゃべりが多いから席を離すよと警告すると、見逃してください、これからは静かにするからとA君は真顔で頼んだ。

ところが昨日のこと、どうしたことか大喧嘩。A君は泣きながらすごい形相でB君をののしっている。裏切り者だの、一生許さないだの、自分勝手だの。B君はといえば、この世の終わりのように泣きじゃくって机に臥せっている。周囲の友だちが一生懸命仲裁に入るがA君は聞き入れない。一体何があったんだ。

よくよく聞くとこういうことだ。給食前に手を洗いに行った時、お調子者のC君、居合わせたB君と冗談をいいながら、CMのまねごとをして遊んでいた。とても楽しそうに両手をパチン、イエーイと打ち鳴らす。それを偶然A君が見ていたのだ。A君にはそれがとんでもない裏切り行為に見え小さな心は怒りでいっぱいになり、親友だと思っていたB君の心変わりをなじったのだった。

なんとかその場をおさめ、給食が終わる。二人は口を利かない。まだけんかしているよと周りの子が報告に来る。掃除になる。A君もB君も怒りは収まり寂しい顔つきだ。そういえば、B君は夏休みを待たず明日からお母さんの実家に行ってしまう。帰ってくるのは9月半ばだ。仲直りしないままだとまずい。B君を呼んで、A君にずっと親友だよと言ってあげなさいと言ってみた。B君はいったかどうかわからない。

帰りの会、二人ともふくれっつらをしている。また、喧嘩をしたのかと思ったら、ちがう。仕切りやD君がふざけて、「さあ、なかなおりのキスをしましょう」と二人に言ったらしい。それで、二人はそろってD君に抗議をし、めでたしめでたし。帰り際にはみんな笑顔だった。

こんなことを繰り返し、小さな心は育っていく。


06/07/09(日) 初蝉や小さな覚悟できており

 

雨と雷の予報が出ていたのに起きてみたら上がっている。午前中は町内会の草取り、午後は我が家の庭の草取りで腰が痛い。やれやれとお茶を飲んでいると蝉の声がする。とぎれとぎれであるが初蝉のようだ。

夏は苦手なのだ。できれば夏は避暑にでかけたい。北海道か信州に別荘を持つのが永年の夢だ。もし夢がかなったら、毎日テニスをしてもよい。雨だったら本を読もう。時々買出しに出かけて、小鳥のような粗食をしよう。そして、9月の声を聞いてから我が家に戻るのだ。例え庭がジャングルになっていたとしても目をつぶろう。

という、夢はまだかないそうにない。ここは一つ覚悟を決めなければならないだろう。そんなたいそうな覚悟ではないが、ぼーっとしてるとぎんぎら太陽に張り倒されそうだから。


06/07/08(土) 逢えずとも待つ人のあり七夕や

 

昨日は校内研究授業が終わりほっと息つく暇なく、来週の校外講師の事前打ち合わせ、遅くまで通知表の下書きで、帰ったら習字に行く時間がなかった。だから、お義姉さんにも逢わずじまい。夜中気づけば七夕である。

離れていてもその気になれば直ぐ逢える時代だが、遠距離恋愛の人はこの曇り空をどんな想いで見上げているだろう。

待つということは難しい。ひたすら信じるしかない。信じて待つということが正しいと信じるしかない。たとえ報われることがなくても、待ちきれるという思い切りがなくてはできない。

恋人同士とは限らず、そんなにして一年を、何年も、何十年も待っている人もいる。

七夕や雲の切れ間に星二つ