10月のひとりごと


06/10/30(月) 海の男

 

 40歳ぐらいかな、福山雅治に似ているチーフインストラクターのSさん。どうして今のところに家を持ったのか何にもないところなのに、と訊くと「海があるじゃないですか」だって。そりゃ年に100本潜るダイビングインストラクターだけど。テクニカルダイビングの第一人者。噂では海上自衛隊(海猿よりハード)に所属してたそうだ。以前はその甘いマスクに似合わず、笑った顔を見せたことがない厳しい人というイメージしかなかったけど、今回のファンダイビングですっかりお世話になり厳しいだけではないことが分かった。行動の一つ一つに無駄がなく合理的。ダイビングにはポリシーが一本貫いており、いろいろな面で学ぶことが多かった。例えばこうだ。

宿舎がコテージだった。奥のテーブルにSさんの工具箱が置いてあった。小ぶりのブリキでできた年季の入ったものだった。中は空だった。中身はどこにあったかというと、入り口から入った直ぐのところにドライバーやペンチなど一つ一つの工具が全てきれいに並べてあるのだった。器材に不具合があったら、直ぐに修理ができるようにという配慮だろう。

トラブルがあれば一秒を争う世界だ。ほんの一瞬の油断が取り返しの付かない事故を招く。常に非常時を考えての行動パターンが身についている人には、何も言わなくてもストイックな空気が漂う。だのに、「毎朝起きたときに海が見られるから」という言葉には嘘はなく、図鑑の魚を指して「このは」という。こよなく、海と海の生き物を愛でている。こういう人を「海の男」と言うのだろう。

金曜日夜から2泊3日で串本でダイビング。これで、39本。たぶん、来年の夏に50本記念になるだろう。


06/10/20(金) トスカ・・・・ort

 

 しばらくは主人に頭があがらない。トスカ(ハンガリー国立歌劇場管弦楽団)のチケットを家に忘れたのだ。パスはあったが、財布ごと忘れたのでタクシーも使えず、劇場で待ち合わせのはずだったが、電話して取りに行ってもらった。当然開演に間に合わず、1幕目が見られなかった。2幕目の「歌に生き愛に生き」は聴けたので良かったが・・・。主演のゲオルギーナ・ルカーチは目鼻立ちのはっきりとした舞台向きの華やかな歌い手だった。表情も豊か演技力があるがそれよりも声量がすごく、ロビーで待っていても漏れ聞こえるほどだった。演出はオーソドックスで舞台装置も簡単なものだった。最後にトスカが飛び降りるところも舞台後方の低い塀のようなものから姿を消すだけだった。トスカは2回目なので次回は違うものを聴きたい。ミラノスカラ座はむりだろうか?それにしても、チケットを忘れるなんて!主人の物忘れを笑ってはいけない。


06/10/14(土) 表現者であることとプロであること

 

 山崎まさよしHMAツアーで名古屋国際会議場に行く。江川ゲンタ・中村キタローとのトリオバンドである。この3人でやるのは何回目でであろうか?いずれも達者なミュージシャンであるから、どうにでもアレンジができそうである。どうにでもアレンジができそうで、それぞれが、すごい技量もあるのになぜかイマイチである。ごつごつしている。これから、後半戦、構成を考え直して欲しい。

前回のストリングスとのライブはなぜあんなにカッコよかったのだろう?それは、山崎の楽曲を中心に据え、じっくりアレンジしてくれた服部隆之がいたからだろう。今回は時間がなかったのか成り行きでなったコンセプトのように思える。

ただの挨拶回りのようなライブは勘弁だ。

劇も小ネタも客やイベンターを舞台に上げるのもいらない。会場のほとんどが喜んでいた。信じられないことに最初の曲から総立ちだった。私が立ち上がらないので主人がいぶかっていた。振り付けが完璧に揃っている笑顔の観客。舞台には笑顔のミュージシャン。美しい構図ではありませんか?イベンターも事務所も本人も商業的に成功しており、何が不満なのでしょう?だけど、私は不満。なんか違うと思った。

なんか違うなんか違うと思いながら、いつのまにかアンコールに入る。そして、やっとひっかかったのが「月明かりに照らされて」。躊躇なく立てた。ブルースな前奏とロックに編曲されたリズム力強い歌声。この楽曲がデビュー曲であることがこの人の才能だと思った。そして、続いて二十歳の頃作ったと言う「バス停」を歌いあっけなく終わってしまった。

いらないものを削ぎ落とした、かっこいいライブをして欲しい。プロでなくて結構。表現者でいて欲しい。表現者に戻って欲しい。 


06/10/09(月) 登ってみたら富士はやはり日本一

 

 この3連休どの山へ行こうかさんざん迷った。燕・北八ヶ岳・妙高・白馬・石鎚・浅間山・御岳・木曽駒・・・。そして、なんと、主人の一声で富士山に決定。金曜日、いつものように、お義姉さんが習字の帰りに寄り、富士山の話を聞く。若い頃2度登ったそうだ。2度とも高山病で頭痛がひどく、どんな山かと聞かれてもいい印象がないようだった。溶岩だらけの砂埃、ガスっていて景色と言えば前の人の足元しか目に入らなかったそう。そんな話を聞かされて、主人は憮然とする。私はなんかやーな気分で「富士山なんかきっと幻滅するんだろうな、やっぱり眺める山だったんだと後悔するのかな」と思った。できれば、他の山にしたかったが、主人は譲らない。どこかで調べたらしく、夕方5合目の駐車場に入り、夜中の12時から登り始めると言う。そして、頂上でご来光を拝むと言う。夜歩くのは反対。はっきり、決まらないまま、とにかく、どんな状況にも対応できるように支度を始めた。テント・コッヘル・コンロ・水・食料・懐中電灯、2400mの高さでは、車の中は寒いに決まっているから、羽毛服・シュラフ・ダンマット・象足まで入れた。頂上付近は零下だから、スパッツにアイゼンも。

 富士宮口の駐車場からの眺望は素晴らしかった。駿河湾・伊豆半島・相模湾が一望でき夜には富士市・沼津市の夜景はどんな宝石箱よりきれいだった。満月ではなく十六夜の月だったが、駐車場の上に夜間照明が張り付いているような明るさで、懐中電灯も用無しだった。結局朝5時に出発、六合目の小屋でちょうどご来光に間に合った。江ノ島から登る太陽を拝み、長い登りにかかる。この時期に登る人はそれなりの人ばかりだった。詳細はまた、山のページにUPしよう。登りに5時間30分かかり10時半。頂上は、気温−5℃、風速20m。鳥居にエビのシッポがびっしりだった。火口を覗くには岩にしがみついていなければならなかった。あまりの寒さにゆっくりできず、ちょうど居合わせた方に、暖めてようやく動いたデジカメで写真を撮っていただき、10時45分から下り、駐車場に戻ったのが午後2時。快晴で最高の眺望だったが、コースタイムより1時間30分も長くかかった。登り8合目を越したあたりから、二人とも頭痛と吐き気があり、ペースががくんと落ちたのと、なんといってもすごい強風だったのだ。特に下りは怖い思いをした。北西の風だったので、まともには当たらないが、曲がったとたん突風に煽られることが再三再四。私なぞはあまりの風にしりもちを突いた。あれが、がけだったらと思うとぞっとする。剣や穂高の岩場で遭難するのはこんな風、いわゆるフカレル時なんだろうと、二人で話し合う。

 麓のクアハウスで汗を流し、昨日のうちに帰宅できた。すごい風だったというと、息子2は「いろんなとこで遭難したみたいだよ」という。ニュースを見てぞっとした。大型の低気圧が北東へ抜け、本州は西高東低冬型、北アルプスは吹雪だったのだ。富士山で正解だった。


06/10/01(日) ふらふらとあればあるだけ使う人

 
いつの間にか10月になっている。昨日は組合の研究集会で国語の分会にでかけた。いくつもの部屋に分かれ全部を聞くことができず残念。私が聞いた発表はいずれもしっかりした内容だった。発表者も良かったが、さすがに国語となると講評もよんどころなく、感じ入ってしまった。短い時間で分かりやすくポイントを押さえ、選ぶ言葉も適切、ああいう風に話したいものである。

帰り名古屋駅の高島屋に寄る。東急ハンズとつながっているので便利だ。久しぶりなので、いろいろ見るだけでも楽しい。ところが、財布の中に先日下ろしたてた5万円が入っており、ついつい気が大きくなりあれやこれや買ってしまった。来年のカレンダーを2種類。登山用のLAKENの水筒(私のは赤650mlと主人のは青700ml)。非常用のホイッスル2。非常用の食料を6袋。食器売り場で八寸の長皿4枚。主人の職場用のマグカップ。いいのがなくて奥に行くと、黄色と紺のいい色合いのが目に付いて思わず買ってしまった。フッチェンロイターなんて聞いたことがないのだが、やたら高かった。ちょっと後悔し1階に降りるが、どうしても帽子売り場に足が向く。帽子が大好きなのだ。ほんとは遠足用に目立つものが欲しかったが、適当なのがなく、黒のコーデュロイで裏が細かいチェックになっているカデュアルなものに決めた。これにします。と言ったら、○○エンだって。恐ろしくてここに書けない値段だった。ここにいたらどんな目にあうか分からないと思って、地下の三省堂に逃げた。中公新書を2冊(昆虫の脳の本と日本の庭の本)買ったところで主人から携帯が鳴り買い物終了。ほっとした。