1月のひとりごと



07/1/26(土) 声がわり

 

大風邪をひいていた。今朝からやっと声が出るようになった。今後のために書いておこう。まず、熱が出る。私の場合は36度台。パブロンを飲んで下がる。治るかと思ったらまた、熱が出る。37度まで行くと家に着くや否や動けない。スーパーの買い物も夕食のしたくも、主人がやってくれた。どうやらなおりかけたと思うと、また、熱が出るの繰り返し。出張はタクシーを使い、必要最小限の仕事しかやらなかった。ところが火曜日、授業参観を前にして、朝起きたら、声がでないのである。ささやき声しかでない。商売道具である。どうやって、授業するのだ。休もうかとも思ったが、休むための準備がしてないから、そういうわけにはいかない。よくしたもので、担任が不調らしいときはそれなりに子どもたちは気を使ってくれた。ここぞとばかり好き勝手をしている坊主を諌めてくれる子もいる。参観日当日も声が出ないままだったが、お母さんたちも静かにしてくれていて、なんとか乗り切った。

私の声はちょっと高くて話し方も幼い感じがするのか、電話では「お母さんに代わって」と言われることがよくある。勧誘なんぞはそのまま、「今いません。」と言えば済むので便利なのだが、教師としてはどうかと思う。今は、ちょっと低音でドスが効いたハスキーボイスなのだが、このままでもよいかもしれない。ようやく、変声期を迎え、歳相応になったのかもしれない。もしかして、風邪ではなく、知恵熱だったのかもしれない。

NHK「英語でしゃべらないと」を見てたら、壇ふみと阿川が出ていた。壇ふみはイギリス英語をやっていた時、イギリスでは、女性は低音の方が魅力的と教えられ、英語を話す時は低くなるらしい。そうか、そういえば、山崎まさよしの好きな、カーペンターズのカレンも、キャロル・キングもノラ・ジョーンズも揃って気持ちのよい低音の持ち主だ。日本でいえば、青江三奈、八代亜紀といったところか。そうそう、中島みゆきの声も低音のところいいね。

よい機会である。明日からは低音で行こう。ようやく大人の女になりますので、みなさまよろしく。


07/1/20(日) ウエットとドライ

 

ここんところ、中島みゆき「大吟醸」を聴いている。10年前に出たベストアルバムらしい。暗い。泥臭い。鼻につくオーバーアクトだ。しかし、正直で潔くていとおしい。

なぜ、中島みゆきなのかというと、偶然見た吉田拓郎とかぐや姫の嬬恋ライブに、サプライズで彼女が出てきたのがとてつもなくかっこよかったのである。吉田拓郎に作った、「永遠の嘘をついてくれ」を二人で歌ったのだ。白いシャツにジーパン、乙女チックな長い髪の颯爽とした若々しい姿とその熱い歌。やられてしまった。

傷ついた獣たちは 最後の力で牙をむく
放っておいてくれと 最後の力で嘘をつく
嘘をつけ 永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに

たとえ くり返し何故とたずねても
振り払え 風のようにあざやかに
人はみな 望む答だけを聞けるまで
たずね続けてしまうものだから

君よ 永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

中島みゆきと何かと比較されるのが、ユーミン。私の学生の頃はそのトレンディでスタイリッシュな歌がはやっていた。曰く「私を四畳半フォークと一緒にしないで」。

ユーミンの歌は恋愛の歌、中島みゆきの歌は失恋の歌。太陽と月、陽と陰などと言われてきたという。どちらが心に残るかと言えば私は中島みゆきだ。

泥臭くて暗くてずぶぬれが好き。長澤知之と秦基博なら長澤知之、ジョンとポールならジョン、井上陽水と長渕剛なら長淵剛。

中島みゆき

永遠の嘘をついてくれ

『パラダイス・カフェ』

 


07/1/14(日) 嬉しくも哀しくもあり誕生日

 

 

今朝メールを開いたら、誕生日おめでとうのメッセージがあった。姉からだった。一昨日の日付だったのに見過ごしていた。嬉しかった。夕方近所のKさんが誕生日を祝ってかわいい花束を持ってきてくださった。有機野菜のグループからだった。嬉しかった。実は忘れていたのだった。しかも、いくつになったのかあやしいのである。姉が教えてくれた。もちろん、主人は何にもくれなかった。来年は一週間前から声を大にしてアピールしておこう。

昔はひとつ歳をとるとできることが増えた。ところが、今はひとつ歳をとるとできなくなることが増える。だんだん枯れて土に戻っていくのだろうか。それとも、体力は衰えても精神的には高みにいけるのだろうか。最近読んだ中野孝次氏の本によると、老後は余分なしがらみを絶ち、何事にも束縛されない自由な心でありたいという。良寛の生き方が理想らしい。しかし、それでは寂しかろう。

人生はリセットできず、思い返せば悔やまれることや恥ずかしいことばかりだ。良心に従って懸命に生きてきたと言い切る自信はない。自分のしたいことをして、それが道に適っているという歳のとり方をしたいものだ。

 

 


07/1/8(月) パソコンの三十一文字に遊ばれる

 

今年の正月のイベントが終わり、息子1は昨日東京へ帰っていった。私は1日中雨で、庭仕事もできず、散歩にも行かず、PC相手に百人一首をして遊んでいた。うろ覚えだったが、何回か遊んでいるうちに面白くなった。

半分はなんとか覚えているようだが最後までごっちゃになったのが、

みをつくしてもあはむとぞおもふ と みをつくしてやこひわたるべき
うきにたへぬはなみだなりけり と うしとみしよぞいまはこひしき 

とにかく時代が下るにつれて、恨むだの死ぬのだのばかりでややこしい。古今集あたりまでが美しい歌が多い。私が好きなのは参議篁(さんぎたかむら)の

わたのはら やそしまかけてこぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね

未練をたちきりきっぱりと覚悟を決めた別れの歌だ。遣唐使となったが上司にたてつき隠岐の島に流されたそうなので、その時の歌かもしれない。果てしない海原に行き逢う一艘の小船に託す言葉。その言葉は果たして都に残した人に届くかはわからない。釣り船でなくてもカモメでも雲でもいいのだろう。朝もやの海を大小二艘の船が行き交うのが目に見えるようだ。映画なら、カメラはうーんと引いて空撮となり大海原、二艘の船は離れて行き、Fine の文字が中央に。男の理想の別れ方だ。

 


07/1/6(土) 中吉のほどよき春を迎えたり

 

あっというまに6日である。今年の正月は暖かく穏やかな日が続いたが、今日は朝から久しぶりの雨だった。昨日は熱田さんへ初詣。平日にも拘らず、すごい人出だった。おみくじをひいたら中吉だった。「後悔先に立たず。よく思案して強い信念を持ち、周囲の人の協力を得れば思い通りに運気が好転する。思う一念岩をも通す。」私ができそうもないことばかりである。

その後、県立美術館の図書室へ息子2の用事で寄る。ここは、美術関係と楽譜がいろいろおいてあるらしい。私が目にしたのはジョージア・オキーフという画家の写真集。晩年のオキーフとその家が白黒で撮ってある。メキシコあたりの土地なのだが、家の形が珍しかった。巨大な四角い芋虫。窓枠がなく厚い土壁がアールを取ってガラスを四方から支えている。この窓はどこかで見たなと思ったら、私のPCの壁紙になっている田舎家の窓だった。まさか、オキーフの家ではあるまい。こういう家の作り方があるのだろう。調べてみたい。

ついでに美術館の中のショップに立ち寄った。美術や音楽関係の本だの珍しいCDだの名画をモチーフにしたファブリックなどがあるのだ。入り口に福袋のようなものがあったので、買ってみた。息子2は呆れ顔で「絶対欲しいものが入ってないよ」と言ったが、もう後の祭り。中身は、延々と打楽器が続くインド音楽のCDとフランスのどこかの美術館のノートとグロテスクなイラスト(キースヘリング)のカレンダーとヌード男性!の写真がプリントされたTシャツ(どこで着るんだ?)と子どもばかり撮った写真集(スペイン語!の解説入り)と「水戸美術館」のロゴ入りの手提げと「パイプオルガン」の絵葉書セットだった。3000円は美術館に寄付したものと思って自分を慰めた。

次はメインイベントの「うな富士」へ。ここはぬかりなく、前もって電話で営業時間を聞き開店の5時5分前に到着。もうすでに、店の前には大きい黒塗りの外車が止まっていた。こんな目立たないところにある小さなビルの狭い店なのに、知っている人は知っているのである。少し、離れたところに、駐車場が新たに用意されていた。5時になり、戸が開いた。目の前にお客が並んでいて、ご主人はびっくりしていた。主人は長焼き、息子2は白焼き、私は櫃まぶし、息子1は肝入り櫃まぶし、あと、ここの目玉の刺身の盛り合わせを頼んだ。熱燗をいただきたいところだったが我慢した。主人は終始ニコニコしている。おいしい物がたべられるとすぐ顔に出る。でも、主人ばかりではない。あとから来る人来る人みんなニコニコしている。おいしい物が食べられるからだ。期待に違わぬおいしさだった。幸せな正月である。