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最近の山行記録


2003年秋〜南アルプス鳳凰三山〜

1.計画

 甲斐駒ヶ岳に登る予定だったのに、急遽鳳凰三山巡りになった。計画性の無さがもろに出た。


2.準備

 インターネットでコ ースを調べる。しかし、肝心な情報は伝わってこず、現地に電話することが絶対必要ということが後で分かった。特に新しい装備はなく、スケッチブックと水彩セット、食料を買う。時計とコンパスと懐中電灯を一つ忘れたのが後になって後悔することとなる。


3.行動記録

 03/09/13 (土) 自宅〜名古屋〜甲府〜韮崎〜青木鉱泉

  甲斐駒ヶ岳に登るつもりで、電車を乗り継いで甲府に行く。観光案内にバスの時間を訊こうと寄ると、夜叉神峠が春から通行止めという情報に唖然。気を取り直して、鳳凰三山に変更。韮崎に戻り、青木鉱泉行きのバスを待つが、駅前のタクシーのおっちゃんに声を掛けられ、6000円を払う。青木鉱泉のテント場にテントを張る。周りには私たちの他は誰もいない。夜は青木鉱泉の温泉に入る。ぬるめだった。宿には登山客は半分程度。

 

 02/09/14(日) 青木鉱泉〜中道〜薬師岳〜観音岳〜地蔵岳〜鳳凰小屋〜ドンドコ沢〜青木鉱泉
5:07 テント地発。ワンデリングなので、二人とも雨具と水と行動食だけ。沢を渡ったときは薄暗かったが、林道になるとすっかり明るかった。
5:43

中道登り口。後方で車の音。どうやら、タクシーで来たらしい。なるほど、そういう手があったか。

6:05

檜の樹林帯が続く。燕の八丁坂を思い出す。途中広い道路があり、何とバイクが置いてあった。どうなっているのだろう。

7:00まだまだ。途中で地蔵岳のオベリスクがはるかに見える。
8:002組に抜かされる。主人は腰の調子が良くないようだ。サポーターを巻く。
9:00主人がタオルから汗をしぼる。ほんとに絞れるほど汗をかいている。

10:00

シャクナゲがある。ようやく樹林帯から抜けた。1Lのペットボトルの水がなくなった。

10:46

やっと、薬師小屋。小屋の前に8人ぐらいの人が昼食を取っていた。ふとんがたくさん干してある。中に入ってバッチを買った。小屋のご主人は40歳ぐらいだろうか。無口だが働き者のような気がする。

11:10

出発。薬師岳の頂上付近は、花崗岩なのか、木がなく、白い砂と岩だけ。形も奇妙で、巨大なモニュメントのようだ。
12:20観音岳。小さな観音様が祀ってあって、私もお賽銭をあげた。高校生ぐらいの男の子と、その母親らしい人が反対方向から登ってくる。二人とも重そうなザックだ。今日は薬師岳のテント場までだそうだ。昨日は早川尾根。ご婦人は真っ黒に日焼けしてガハハと笑う。白い歯がまぶしい。息子の方は色白だ。しかし、母親についてこんなところまで登ってくるなんて、なんて親孝行なんだろう。
12:30出発。地蔵岳までは高低がわりとある。主人は腰がつらいのか、登りになるとため息を付く。何度も追いつくのを待つ。空身なのにねえ。自分の余分な体重13キロを担いでいるには違いないが。
14:21地蔵岳。コルのところに百体ぐらいの小さい地蔵が並んでいる。ちょっと不気味だ。そして、奇岩のオベリスク。18メートルの大岩柱だ。じっと眺めていると、そこにたまたまいた人たちが登ってみようという話になった。私たちも挑戦してみる。道らしいものは無かったが、なんとか、登攀ルートを捜して、登っていった。かなり上の方まで登った、下を見ると人が小さく見える。足がふるえる。頂上直下は4メートルぐらいの垂直の岩になっていて、二つに割れている。その真ん中に太いザイルが垂らしてあって、それをひっぱって、よじ登るのだ。若い男性が二人と女性が一人、なんとかうまく、頂上まで行った。しかし、私は止めることにした。とても、自信がない。怖いと思ったら、それで一巻の終わりだ。登ったとしても、どうやって降りるのだ。主人も登るとなったら、心配だ。彼は若い頃岩を一度落ちたことがある。その傷は今でも残っている。今はなおさら無理だろう。帰ってから、お義姉さんにこの話をしたら、彼女はなんと若い頃オベリスクに登ったそうだ。そういえば、ヘルメットをかぶって、岩をやっていた時期があったような気がする。
15:10鳳凰小屋出発。今日は小屋は満員らしい。ご主人は六〇歳ぐらいかな。怖そうな顔だが、ごくろうさんと声を掛けてくれる。今からだと日が暮れるかも知れないから急いだ方がよいと心配してくれた。ドンドコ沢を下る。
16:23白糸の滝。この前にも五色の滝があり、いくつか滝があり変化に富んだ楽しいコースだ。しかし、時間に余裕のない私たちはそれどころではない。だんだん、薄暗くなる。懐中電灯は一つしかなく、二人の足下を照らさなければ行けないので、前後にぴったりくっついて歩いた。一歩30センチとして、百歩で30メートル。などと考えながら、果てしない下り道を歩いた。ようやく、広い河原に出たときはホッとし。た。いつ懐中電灯の電池が切れるかヒヤヒヤしていたのだ。こんなところで遭難したくない。しかし、テント場までがまた、長いこと!タヌキかキツネに化かされているのではないだろうか。
19:10青木鉱泉着。涙がでそうだった。ああやっと着いた。ジュースが飲みたくて、鉱泉の前の自動販売機まで行くが、壊れていて出ない。鉱泉の食堂がよく見える。ちょうど食事時で、お客がビールを美味しそうに飲んでいる。私たちもビールが欲しかったが、瓶ビールしかないとのことで、あきらめた。栓抜きがないのだ。今回は準備がおざなりだった。時計、コンパス、懐中電灯、ブキを忘れたのだ。ルート設定もいいかげん。だから、こんなことになってしまったのだ。反省点が山ほどある。今夜も温泉に入って疲れを癒す。ゆっくり入ったつもりだったが、主人がなかなか出てこない。どうやら、詮索好きの客に捕まって、話の種になったようだ。そりゃ、あんなに遅くに帰ってきたら、お説教の一つや二つは出るだろう。とにかく、ドンドコ沢は長い。うんざりするほど長い。心せよ!とな?

 

 02/09/15(月) 青木鉱泉〜韮崎〜甲府(武田神社)〜名古屋〜自宅
 

今日はうちに帰るだけだったので、バスを待つ間スケッチをいくつかする。昨日もサブザックに入れていったが、のんびりできず一枚描いただけだった。韮崎行きのバスの運転手さんに名物や観光名所を訊く。「ほうとう」は「小作」という店がいいらしい。あとは、武田神社がお奨めというので、甲府までいくことにした。韮崎の駅で電車を待つ間に駅舎のなかにあるパン屋さんで、たらこドックとおさつパンがお奨めということで食べていたら、なんと、電車を乗り過ごし、一本遅れて甲府に向かった。

甲府の駅に着くと、大きいロッカーにザックを放り込み、まずはほうとう料理の「小作」を確認し、武田神社に参拝することにした。途中には、梨大(山梨大学)があったぐらいで、静かなたたずまいの街だった。実は武田神社では是非、見たいものがあったのだ。それは、戦国時代きっての知将と言われた武田信玄が作った「甲州法度」だ。しかし、全54巻からなる全文は国会図書館にあると言うことだった。残念だったが、他に今に伝わる信玄の小桜威鎧兜、刀などの展示物を見ることができた。さて、次はいよいよほうとう料理だ。「期待に胸を膨らませ店に入る。メニュウからかぼちゃほうとうを選び、お飲物はと訊かれ、ここはやはりビールでしょう。ぐいといっきに飲み、さて、ほうとうに取りかかる。うーん、なんとも質素で健康的な食べ物だろう。顔が入りそうなどんぶりにたっぷりの具と麺。麺はうどんとはちがい、お団子のように腰がない。具は、白菜、にんじん、しいたけ、じゃがいも、大根、かぼちゃなど野菜ばかり。全部は食べきれず半分ぐらい残してしまった。質実剛健な武田家らしい料理だった。

甲府から塩尻で乗り換えのはずが、二人とも疲れた身体にビールがきいて、またまた乗り越してしまい、終点松本で目が覚めた。泡を食って、松本で特急信濃に乗った。これが、ラッキーだった。連休最後の日とあって、指定席は満席で自由席で、立っていたのが、塩尻で降りた人がいて座れたのだった。

こうして、なんとか、帰宅し、はちゃめちゃの山行は終わった。おまけがついていて、せっかく取った画像は、私がパソコン操作を間違え、フラッシュカードから、データを消してしまったのだ。というわけで、画像はなし。ショボン。