青と蒼

その日、カイルは一日の授業を全て終え、帰宅の途に着こうとしていた。
自分以外空っぽになった教室で、一つ一つ教科書を鞄に詰める。
学問の書、スポーツの書、雑学の書、アニメ・ゲームの書。
ふぅ、とため息をついて最後の教科書である芸能の書を手に取ろうとした矢先、
その書は別の者の手によって視界から奪われた。
「あ、あの・・・」
レンズ越しに見えるその向こうには美しい青紫色の髪の毛が豊かに舞った。
サラリと肩から零れ落ちる様は、まるで水が流れ落ちるかのよう。

「フランシス先生っ!」
カイルは勢い良く立ち上がり、その本を手元に戻そうとする。
しかし、フランシス先生は、いや、フランシスは含みのある笑みとともに教科書を更に自分へと引き寄せた。
「君の授業態度は・・・とても好ましいものなのだが・・・」
そこまで言って少しだけ溜める。
「なぜ、私の教科だけこんなに成績が悪いのかな?」
意地悪な台詞がカイルの頬を染める。

教科書をぺらりとめくってみる。
合格をもらっているのは「四択問題」まで。
学問などの教科はそれより数段レベルの高い「キューブ問題」まで合格を貰っているのに、どうした違いだろうか。
マロン先生が担当するアニメ・ゲームですら「タイピング問題」まであるというのに。

「その、僕は・・・芸能問題が苦手なんです。だから・・・」
「だから、勉強しない。・・・という理由にはならないだろう?」
フランシスの言葉はもっともだった。
同じように苦手なスポーツ問題も、勘と経験を頼りに予習をこなし、それなりのレベルまで上がっている。

正直、カイルは芸能問題が苦手なのではなく、フランシス先生自体が苦手だったのだ。
艶やかで美しい髪に透き通るような目。
はだけた胸元に見えるのは陶磁器のような肌。しかも、ただ色が白いだけではなく、適度に鍛えられている分引き寄せられるものがある。
カイルは教科書の向こうにある、フランシスのはだけた胸元に気付き、目をそらした。
きっとこれがリディア先生とかで、きっと自分がレオンやセリオスだったら・・・おかしくはないんだと思う。
少しずつ早くなってきている鼓動にカイルは自戒した。

いつもニコニコと笑っていて、滅多に見る事のないカイルの瞳を間近で見るのは正直初めてだった。
最初に出会った頃はヘラヘラと笑っているだけのただの少年だと思い、相手にもしなかったし、
自分の授業でははいつも(身長のせいもあると思うが)後ろの方に座席を敷いていて見ることは出来なかった。
心の何かを隠そうと目を泳がせてはいるが、これほど透き通った青もないな、とフランシスは思った。
もっと、近くで見たい。
最初はそれだけの好奇心だった。

フランシスは動きの止まったカイルの手の変わりに、自分が奪った芸能の書を鞄の開いているスペースにストンと入れる。
鞄の革を通して教科書の角が机に当たった音がした。

その音にハッとしたカイルが目を大きく開けると、そこには深い海のような眼差しが真っ直ぐ目の前にあった。
「あ、の・・・」
いつの間にか顔を大きな手で包まれていた。真っ直ぐに見つめてくる強い瞳はだんだんとその距離を縮めてくる。
その距離はわずかだ。
カイルは思わず息を呑み、そして止める。理由はわからない。多分、自分の中での相手に対する条件反射による配慮。
だんだんと顔が熱くなっていくのが判った。だが、それがフランシス先生に見られているから、という理由なのか、息を止めているから、という理由からなのかは判らなかった。

いっそこのままキスでもしてやろうかと思った。
澄んだ大空のような瞳の奥に何があるか探ろうとして引き寄せたのだが、それ以上に自分を引き込む輝きをもっと自分のものにしたい。
自分に対して心を開け切っていない少年の、謎だらけの部分を明かしてみたい気持ちを抑えることは容易だった。
だが、それでは自分が納得できない。
教育者として生徒の人生を引っ張っていかなければいけない私を、ここまで引き込むとは・・・ね。
両手で包み込んだ顔の上で親指を少しだけ動かしてみた。肌触りの良さが神経を伝わって脳へとそのやわらかさを伝える。

心臓がドキンと大きく跳ねた気がした。
どうしよう、どうしよう、どうしよう!
顔を包まれた時以上に顔が赤くなる。このまま心臓が口から飛び出して死んでしまうのではないかと思った。
深淵の瞳にカイルは逃げようとも思った。瞳をそらすか、つぶってしまえば目の前の瞳から逃れることは出来る。
だけど、逸らしてもきっと逃げ切れないだろうし、つぶってしまったら、その後自分がどうなってしまうか判らない。

数日前、クラスの女子が恋人とキスをしたという話をしているのを聞いてしまった。
性別も違うのに、何故かその話が自分に重なる。
僕とフランシス先生が?先生が、僕に・・・?
頭の中がぐるぐるとし始め、思考回路がぐちゃぐちゃになっていく。

「どうしようかな」
ふっと顔と顔の距離が離れて、フランシスは軽く鼻息を漏らした。
一気に緊張の解かれたカイルはやっと息をする事を思い出し、肺に溜まっていた空気を押し出す。
「確認をしたいのだが・・・」
そう言ってフランシスは教室の扉へと歩いていく。そして廊下に顔を出し、あたりに人が居ないのを確かめると振り返ってこう続けた。
「君は私の事は嫌いか?」

突然の質問にカイルはなんと答えたら良いのか判らなかった。というよりは、何を質問されたのか少しの間判らなかった。
ええと、僕はフランシス先生に興味は持っていて、でも先生は僕の事をどう思っているのかは判らなくて。ああ、でも嫌いじゃないんだから・・・
「そ、そんな嫌いじゃないです! むしろ・・・!」
そこまで言って口をつぐんだ。多分『好き』というのとは違うから。
「むしろ・・・何だい?」
「ええと、その・・・」
フランシスは教壇へと歩み寄り、そして肩肘を乗せる。
「むしろ、『大嫌い』とか?」
意地悪な質問が飛んでくる。先ほどまで紅潮させていたカイルの肌は四季が移り変わるかのように赤から冷めた色へと変わる。
「そんなんじゃないんです!」
『好き』ではないけれど、嫌われたくはない。答えをすぐに出せない自分が憎らしかった。
カイルは視線を床に落とし、どう答えてよいか模索した。だが、答えは出ない。窓の外にもヒントはなかった。

部屋中をきょろきょろしているカイルにフランシスは、おいでおいでをした。近くに呼んだ先は全く考えていなかったのだが、
このまま教室の中央に立たせておいても答えは出ないだろう。
出来るだけ自分に引き寄せて、腕を引く。
最近の子供の発育は本当に良い。自分と数センチも変わらない位置にある、少し困った顔は少しだけ上目遣いで自分を見ていた。
全身の毛が震えるような感覚に陥った。
「答えは・・・○×でも、四択でもないんだよ。君だけの答えが聞きたいんだ」
少しだけ冗談交じりに話す。
「はぁ・・・。それって、タイピングって事ですか?」
優等生らしい答えが返ってくる。フランシスは少し楽しくなった。
「そうだね、最低でも順番当てで答えてもらおうかな」

フランシスの回答例をカイルは必死で組み立ててみた。
順番当て、という事はやっぱり上から『好き』『普通』『嫌い』『なんとも思っていない』なのかな、なんて。
しかし、その中に自分の答えがあるわけでもなく、カイルは再び自分の中に言葉を探した。
「好きとか、嫌いとか、そういう回答でなくてもいいよ。・・・多分私もそんな感情は持っていないからね」
先に消去法を使われた気がした。だけど、その言葉がカイルの気持ちを少しだけ軽くさせる。
引き寄せた腕をそのままに、フランシスは体制を少しずつ下に落とし、教壇に背をもたれさせる姿勢をとった。
真っ直ぐ伸ばした両足の上には膝を付き、自分を見下ろす形で座っているカイル。
例え教室の扉が勢い良く開いたとしても、すぐに自分達が見られることはないであろう安心感がカイルに答えを導き出させた。
「多分、僕はあなたに興味があるんです」


「ふぅん・・・」
再び顔を両手に捉えられ、端正な顔を近づけられる。
先ほどの行為で少しは慣れたかと思ったが、そんなのは全くない。また心音の感覚が狭まるのを聞いた。
きっとこれからも先生の顔を近くで見る度にどきどきするのだろう。
「カイル」
フランシスが自分の名前を呼ぶ。
「は、はいっ」
今まで抱いたことのない感情に戸惑いながら、カイルは返事を返した。目の前の先生はゆったりとした笑顔を見せると自分の頬に添えていた手をゆっくりと後ろにずらした。
指が一本一本耳を撫でていく。白いけれど女の人みたいに細くはない指先はしっかりとその存在を残しながら髪を撫でた。
ぞくりと背筋を電流が駆け抜け、カイルは思わず吐息を漏らしそうになる。
「君の瞳がこれほど綺麗だとは思わなかった・・・」
そう言って更に近づいてくる先生の蒼い瞳。
自分とは違って落ち着いた息が自分の肌に触れる。
真っ直ぐに見つめ合って。そのうち呼吸が同じタイミングになってきて。吐いた息が自分の物か先生の物か判らなくなってくる。
どうしよう。
二人の脳裏に同じ言葉がよぎった。
(どうしよう、僕、先生の事好きなのかも知れない)


さて、どうするか。
同じように迷いがフランシスにも生じ始めていた。
(どうしようか。教師としてはここで離すべきなのだろうが、私個人としては離したくはない)
ある意味、究極の選択だった。理性に支配された教師として行動すべきなのか、感情に任せて自分の取りたい行動を取るのか。
自分にかかるカイルの息が心地よかった。
「カイル、すまない」
フランシスは真っ直ぐに伸ばしていた足を膝から折り曲げた。必然的にカイルはフランシスの顔に更に近づくことになり、
フランシスはそのままわずかに開いた唇に自分の唇を重ねた。カイルの眼鏡が邪魔だったが、それは外さないことにした。そうでなければもっともっと欲情したキスをしてしまうから。
まだまだ相手は子供だ。それを忘れてはいけない。
長く重ねるだけのキスのまま、フランシスはカイルの手を自分の腰に添え、自らの腕をカイルの背中に回した。・・・体温がフランシスを穏やかにさせる。
やがてその唇を離すと、フランシスはカイルをぎゅっと抱きしめた。自分は牽制しているが、まだまだコントロールの聞かないカイルのそれが服越しに感じられる。
その反応が楽しくて、フランシスはカイルから見えない位置で笑いをかみ殺す。目の前にはカイルの綺麗な青色の髪が広がっていた。


抱きすくめられて、お互いの体温を感じあって、どれくらい時間が経ったのだろう。
いつしかカイルもフランシスの背中に腕を回し、自分から彼の胸に飛び込んでいた。同性からのキス。そして何よりも寮の担任でもない先生との抱擁。最初はもちろん罪悪感もあった。だが、このように安心出来る場所は他にはないと悟った時、カイルの顔からは不安は消えていた。
夕日を失って温度を下げた風が二人の側を抜け、カイルは思わず身を震わせた。
「そろそろ、帰らなくては、ね」
ゆっくりとフランシスが身をはがす。
「はい・・・」
当たり前の事を言われただけなのだが何故か消沈してしまう。自分は、一体どうしたんだろうか。
「先生、僕・・・」
そこまで言って口を封じられた。・・・もちろん片手で。

僕は先生の事が好きになってしまいました? それとも?
フランシスはその先が知りたくなかったわけではなかった。自分から封じた言葉の先は今聞くべきではないと判断し遮ったのだ。
出来れば気の迷いで済ませたいが、そうもいかなそうなこの現実。
「その先は、『順番当て』を合格してから言いに来なさい」
精一杯の笑顔でカイルの頭を撫でる。
「・・・・・・」
「大丈夫だよ。君なら出来る。・・・その時また抱きしめ合えば良いじゃないか」
そう言って、もう一度だけ軽く、短くカイルを抱きしめる。

海のような蒼を持つフランシスと空のような青を持つカイル。海と空が隣同士に並ぶようにまた、お互いが隣に並ぶ日は必ず来る。
カイルはそう自分に言い聞かせ、大きく頷くと、最後にフランシスの瞳を真っ直ぐに見ると笑顔を返した。



†後書き†
クマケが終わったのでUPしてみました。
…というか、この話がないと他に続きません。こう、ね。
恋愛に強かったり、下手に余裕のある人じゃなくて、人間味のある先生と、
好きなんだかどうだか分からないんだけど、こーゆーのは嫌いじゃないというカイルが
描きたかったんですよ。…本当は。

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すいません。なんだか長いなー・・・と思っていたら、テンプレ代わりに使っていた前にupした小説が
そのまま残ってるじゃないですか!! アホか私はー!(や、本物の阿呆です)
あわわわわ、「ん???」と思われた方がいらっしゃったらごめんなさい。
いまさら気付いただけに、穴掘って自分を埋めたいです。本当に。あー・・・。