存在

「やだもー、先生らしいなー!」
 長い廊下の向こう側で、黄色い声が上がっていた。
 廊下を行き来する男子生徒は思わずその声に反応し、視線を向ける。
 そこには数人の女子生徒に囲まれたフランシスが笑顔で、女の子達を口説いていた。
「あのエロ教師、何やってん?」
 タイガが舌打ちしながらそれを苦々しい顔を作る。
「どうせ、あれだろ。『今夜僕の部屋に来ないか?』とか言ってんじゃねーの」
 レオンはフランシスの口ぶりを真似ながら答える。その真似事が似てたのか、タイガはレオンを指差して笑った。
 その笑いを褒め言葉と受け取ったレオンは調子に乗って、フランシスの真似をいくつか始める。
 髪の毛を書き上げる仕草、雷を落とす仕草、良く出来たと頷く仕草。
 それら全ての仕草は要点を捕らえていて真似された人物を特定できるほどだった。

 カイルはそれを不思議な面持ちで見つめていた。
 クラスメイトが先生の真似をするのは嫌じゃない。だが、マイナスイメージばかりの評価はいかがなものだろうか。
 別段自分の話題になっているわけでないため、話に参加することも出来ず、ただ気分が落ち着かないだけだった。
「気になるのか?」
「え?」
 いつの間にか隣の席に座り込んだセリオスが漫才状態になった二人を見ながらカイルに話しかけてきた。
 気にならないといえば気にならないが、
 目の前にいない人が人を通して目の前にいる事自体が不安定にさせているだけなのだ。
「いや…、そこまでは…気にならないけど」
「ふぅん」
 目の端でカイルを見る。いつも通りの表情だ。
 ぱっと見で気になっている様子はないが、時折ちらちらと二人を目で追う辺り、心の中では気になっているのだろう。
「止めてくれ、と言ってきてもいいぞ?」
 少しばかり気を利かせてセリオスは提言する。
 だが、それはあまり好ましくないことはカイルも知っている。
 セリオスが先生の物まねを止めろと二人に言えば、二人は必ず何故かと聞き返すはずだ。
 その時に下手をすればセリオスと先生の関係を変に疑われてしまう危険が伴うに違いない。
 勿論、そんなことは皆無なはず、なのだが。
「いいよ。そこまでしなくても。どうせ、ほら。もうそろそろ授業だし。止めるって」
 指差したのはクラスの壁に取り付けられた丸いアナログ時計。授業が始まるまであと2分である事を告げていた。


 昼休み。
 カイルはフランシスと昼食を取ろうと音楽準備室へと足を運んだ。
 日当たりの良い部屋で午前中の授業の評価を纏める先生は、光に解けて少しばかり神々しかった。
 勿論、それはカイル自体に『先生好き好きフィルター』が掛かっているため、そう見えたのだが、
 逆光で髪の色が空と同化してしまいそうなのは間違いなかった。
「先生ー、お昼ー…」
 いっしょに食べましょう、と続けるところでカイルは一旦言葉を区切る。仕事の邪魔をするわけにはいかない。
 フランシスはカイルの顔を振り返ってみると、「少しだけ待ってろ」とだけ言葉を渡し、再び机に向き直る。
 ペン先が紙の上を滑る音だけが部屋の中には聞こえた。
 廊下側に耳を傾けると遠くで生徒達の声が賑やかそうに響いているが、それは少しばかり遠い。
 総合得点を元に成績をアルファベットで付けていく作業の終了をカイルはじっと待った。
 新学期が始まってからの新しい作業が先生達の時間を追い詰めていく。
 スタンプを選びながら朱肉でトン。成績表でペタ。
 トン・ペタ・トン・ペタ・トン・ペタ・・・
 5分くらいそれが続いた後だろうか。先生の小さな深呼吸で作業は終わった。

「待たせて悪かったな」
「いえ、大丈夫です」
 そう言ってカイルは弁当を補助机の上に置いた。折りたたみ椅子をその近くに寄せる。
 フランシスは作業用の机の上を軽く片付けると、部屋の入り口に置かれた仕出し弁当を取って再び席についた。
「お弁当、ってそれ、ですか?」
 黒塗りの四角い弁当にカイルは驚いた。自分は…学食で配膳されたAランチ。
 生徒の健康を気遣った『好んで食べたいとは思わない』食事だ。それに比べると仕出しというだけで豪勢に見える。
「学食で食べるわけにもいかないからな」
「なんでです?」
 きょとんとした顔でカイルは尋ねる。フランシスは何気に視線をずらした。
「・・・・・・・」
「先生?」
「・・・・・・残すわけにいかないだろう」
「量を減らしてもらえば良いじゃないですか」
「・・・・・・そうじゃない」
 歯切れの悪い先生の回答。
「学食が嫌い、なんですか?」
「違うな」
「じゃあ、どうして?」
 質問攻めの状態にフランシスは少しばかり嫌そうな顔をする。
 流石のカイルも質問し過ぎたのではないかと視線を食事に落とした。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 割り箸を割り、弁当をあける音がする。
 その中からいくつかを蓋の上に載せ、フランシスはその理由を小声で口にした。
「嫌いなものだけを残すわけにはいかないだろう」
「ああ。なんだ、そんな事ですか」

 “そんな事”呼ばわりをされて。
 にらまれたカイルはフランシスの顔を見る事無く食事に没頭した。豆のスープは少しばかり冷えてあまり美味しくない。

 苦手なもの以外を全て食べ終えて、フランシスは取り分けておいた物を一箇所に纏めると蓋を閉じた。
 カイルもデザートの柑橘類に手を苦戦する。
「生徒に」
「・・・?」
 皮を剥きながらカイルは声のする方に目を向ける。
「生徒に好き嫌いなく物を食べろ、と言う教師が好き嫌いするわけにはいかないだろう?」
「・・・そう、ですね」
 生徒にとっては単純な理由。教師にとっては大きな理由だった。


 食後の緑茶を飲みながら、カイルは放課にあった出来事を話した。
 自分の真似事をされて、一体本人はどう思うのだろう?
「そうか」
「そうか…って、気になりませんか? 嫌じゃありませんか?」
 ではお前は『嫌だと思うことを他人に尋ねるのか』。
 お茶を一口のみ、フランシスは質問に答えた。
「別に気にならないよ。良くも悪くもそれが私を的確に捉えた表現であるならね」
「はぁ…。でも、あまり良くないイメージの方の真似事ですよ?」
 レオンの真似した言葉が頭を掠める。
「カイルが私の良いイメージを知っているならそれで構わないよ」
 唐突に言われた口説き文句にカイルは次の言葉をなくした。


 結局、レオンとタイガの事を本人に密告したと言うもやもやだけを残して、食事の時間は終わった。
 準備室を後にして、カイルは配膳室へと舞い戻る。食器の数を数える給食委員に迷惑をかけてはいけない。

 準備室には赤髪の少年が一人で片付けをしていた。
「あ、カイル君。まだ間に合うからゆっくりで良いよ」
 朗らかに笑う少年は息を切らせたカイルから食器類を受け取った。
「あ、ありがとう。・・・・・・」
 少年の名前を呼ぼうとして止めた。印象はレオンに近いのだが、あまりパッとしない少年。
「ははは、ユルグだよ」
 カイルの言おうとしていたことに気付いたのか、ユルグは笑いながらその名前を口にした。
「ご、ごめん。ユルグ」
「いいよ。僕目立たないから」
 食器の数を数えながらユルグは答える。
「手伝おうか? 昼休み終わってしまうよ?」
 自分が遅れてしまった責任もあってか、カイルは手伝いを申し出た。
「わぁ、ありがとう。じゃあ、僕が数を数えるから、これに記入していってもらっても良いかな?」
 手渡されたのは厚紙のボール紙に貼られたチェック表。左側に日付が、上部に食器の種類が書かれている。
 日付と種類が交差するところに今日の食器の数を記入していくのだ。
 これをしないと、食器を返さなかったり紛失したりする生徒のせいで、次の日に支障が出る。
 地味だが大切な作業だった。

 二人で作業をしたせいか、昼休みを5分残して終えることが出来た。
「ありがとう、助かったよ」
「いや、うん」
 『はい』なのか『いいえ』なのか判らないカイルの回答。
 二人は余った牛乳を開けて配膳室に据えてある椅子に腰掛けた。後はセンターから来る業者に渡せば終わる。
 その短い時間の中、カイルはある程度固有名詞を伏せながら、先生に話した話と同じ内容をユルグに聞いてみた。
「あー。それは判るなぁ。僕も気にならないと思う」
「そう…かな?」
「多分、カイルが言う物真似をされた人ってフランシス先生の事だろう?」
 上手く伏せられなかったことにカイルは凹みつつ、うん、と頷いた。
「カイル、本当に嫌なのは『悪いイメージで表現される事』じゃなくて『記憶に残らない事』なんだよ」
 妙に言葉に重みがあった。

 もう少しだけ噛み砕いて話を聞きたかったのだが、配膳業者の対応にユルグは席を立った。
 そろそろ始業の鐘もなる。
 カイルは立ち上がると、別れの言葉だけをユルグに伝えて部屋を後にした。

 教室へと向かう廊下の往来で、カイルは辺りを見回した。
 廊下を走るレオンとタイガ。レオンにちょっかいを出しながら走り抜けるルキア。
 図書館で借りた本を抱え持つクララに、それを手伝うアロエ。
 教科書を貸して!と頼みこむユリと「どうしようかしら、ウフフ…」と怪しげな笑みを浮かべるマラリヤ。
 吊り合わない者同士で討論をしながら廊下を歩くサンダースとラスク。
 セリオスとシャロンは教室にいるのだろう。この場に姿は見えなかった。
 一通り知ってる顔を見つけながら、カイルは廊下を振り返った。
 そこには顔は見たことがあるけど、名前すら知らない生徒の姿があった。

 そっか、そう言う事か。

 フランシス先生の言おうとしてたこと、ユルグが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
 良い印象でも、悪い印象でも良い。
 人に認識してもらえるという事が他人の視野に自分を存在させること、
 自分の世界だけでない、他人の世界に自分を置くことになるのだ。

 心の中のもやもやを打ち消しながら、カイルは足取り軽く教室へと戻っていった。



†後書き†
あー、もー、多分言いたい事は殆ど書けてません(ダメじゃん)。
人の噂は良いのも悪いのもあるじゃないですか。だからと言って悪い噂は完全に自分にとっても悪いものと言うのではなくて自分にもちゃんと得になるところがあると思うんですよ。 ほら、悪いところだったらそれを治せば良いと言う標識みたいな感じで。
そして悪口を言っている間、悪口を言っている本人の中には自分と言うスペースがあるわけで。全くの無視ではないと思うんですよ。 それを描きたかったんですがー。。。色々と足りてません。

後は全然関係ないですが、先生はきっと好き嫌いが多そう!、と言うのを書いてみたり。パクチーとか梅干とかって食べなさそう。 はっ、ちょっとフランシス先生が好きな人に『フランシス先生が嫌いな食べ物ってなんだと思う?』って聞いてみたいかも!  こっそりとで良いので「これが嫌いだと思うよー?」と言うのが有れば教えて下さい!! オフでの知り合いの方には特攻して聞きに行っちゃうと思いますが、ね(苦笑)。