紅の目標

きっと、学級委員って別名『雑用委員』というに違いないわ。

クララはふぅ、と息を吐いた。
『提出ノートを昼までに学級委員が集めて持って来ること』そう言い残して教室を出て行ったロマノフ先生が少しだけ憎らしい。
両手に積まれた数十冊のノート、一般的にバインダーと呼ばれる厚みのあるそれがクララに負担をかけた。
階段をあと1階分降りれば先生のいる職員室に着く。クララは階段の踊り場で体勢を整えると、再び階段に足を向ける。
「きゃっ・・・!」
階段のある場所を読み間違えたのか、土踏まずで段差に足をかけてしまった。ぐらりと体が前のめりになる。
(だめぇ!みんなのノートがぁっ・・・)
自分自身が階段を落ちることを心配するのではなくノートの心配をする辺りがクララらしいのだが、どう考えてもこの状況は危険すぎる。
そう思ったクララは目をぎゅっとつぶり、次に訪れるであろう体への衝撃を耐えようと体をこわばらせる。


・・・・・・


だが、予想に反してその衝撃は小さかった。
床は目の前には無いし、ノートは散らばり落ちてはいない。ただ、誰かとぶつかった様な衝撃だけが体に残っていた。
「セーフだな」
何かを成し遂げたような明るい声がノートの向こう側から聞こえる。
「レ、レオンさん!」


「学級委員って、てっきりカイルかと思ってた」
クララの腕に積まれたノートを自分の腕に積み替えながらレオンは今までの思い込みを口にする。
「あ・・・、カイルさんは、図書委員だから・・・。あ、あの・・・」
「あー、そっちか」
手を止める事無くレオンはクララの顔を見る。何か言いたそうな彼女の表情がそこにあった。
「ああ、持ってやるよ。すぐそこだろ?手伝うって」
「あ、ありがとう・・・」


クララの手元に数冊だけ残して、レオンはクララの隣に並んだ。広がった視界のせいか足元がはっきりと見え、この先転ぶことは無いだろう。
隣を見ると、何かを数えながら階段を下りるレオンがいた。
「あの、何を数えてるんですか?」
「ああ、この階段。20段あるからさ、あと何段あるのかと思ってさ。・・・あっ!」
急に声を上げるレオンにクララは驚く
「どうしたんですか?」
「何段目か、忘れた・・・」

一回の会話でここまで物忘れをする方も珍しいが、クララにとっては一大事だった。
自分のせいでレオンさんに迷惑をかけてしまった。
「あ、あああ、あの、私、どうしたら・・・」
オロオロとなる自分が情けない。じわりと湧き上がってくる涙が彼女の目の淵に溜まる。
「んじゃ、あと何段か数えてくんない?」
その場で立ち止まってクララの答えを待つレオン。


「・・・3、4、5…あと7段です」
先に階段を下りたクララがその数をレオンに伝える。
「それって今俺がいる所を含めて?それとも抜いて?」
「い、入れないで、です・・・」
ああ、配慮が足りないよー・・・
自己嫌悪だけが深く心に突き刺さる。
「OK。えーと、はーち、なーな、ろーく・・・」
ゆっくりとした足取りで下りてくるレオンをクララはじっと見守った。

クララの目線を頼りにレオンは階段を降り切った。クララの顔にも笑顔が戻る。
「あと少しだな」
「はい!」

階段を下りて、廊下を左に曲がって。あと教室2つ分で職員室。
あと少しで荷が下りるのだが、何故かクララの心に寂しさが残った。・・・もうちょっとレオンさんとお話していたいのに。
「あの、レオンさんは何委員になっているんですか?」
当たり障りの無い質問をしてみる。本当はレオンの所属している委員会も『学級委員長』として知っているけれど、知らない振りをした。
「俺はー・・・」
そこまで言いかけてレオンは言葉を止めた。クララはその先を予想しながらもレオンの顔を見る。太陽のような力強さを持つその顔立ちに少しドキドキしながら。
「それよりさぁ」
「はい?」
「レオン『さん』ってやめてくんない?」
「え?」
突然の申し出にクララは驚いた。予想していなかった展開だけに次の言葉が出てこない。
「え、あの、じゃあ・・・、レオン・・・くん?」
「いーよ、レオンで。呼びタメで」

呼び捨て?って、いきなりそんなの呼べないよぉ。あああ、それに呼びタメって何かしら?四文字問題に出るの?
頭の中で思考がグルグルと回る。回りすぎて訳の判らないことになってくる。
「・・・クララ、大丈夫か?」
隣で百面相を始めたクララをみて、やっと自分が言ったことの重みが自分と他人では違うのだと気付いたのか、レオンは心配になってクララに声をかけた。
「だ、大丈夫ですよ。レ・・・レオン・・・」
聞こえないくらいの大きさで最後に『さん』をつけるクララ。今の彼女にはそれが精一杯だった。


そこから先。
ロマノフ先生のところにノートを届けるまで、二人の間に会話は無かった。ただ、黙々と廊下を歩み、扉を開けて、先生の机の上にノートをおろしただけ。
全ての荷を降ろして職員室の扉を閉めると、クララは長く息を吐いた。
「おつかれさん」
レオンがそこにいた。流石にノートの重みで腕が疲れたのか、何度も腕を揉み解している。
「ありがとう」
クララも笑顔で答える。
「あ、あれ、さ」
「なんですか?」
「あの、委員会の話」
「うん?」
首を傾げてレオンを見上げながらクララは次の言葉を待った。彼の所属委員は『給食当番』。
「俺、給食当番なんだ。これがさー、余った牛乳とかまとめて飲めてすんげー得なんだぜ」
給食委員だけが知っている情報も付け加えて話すレオンの表情は何故か明るかった。
知っていた答えとは言え、クララはその明るい表情のレオンを見守った。委員会なんて楽しくも無い、事務的なものなのに。こんなにも楽しく役をこなす人がいたなんて。
給食について熱く語るレオンの言葉にクララはしばらく耳を傾けていたが、
「お前、全然給食食べてねぇだろ」
突然腕をぐぃっと引かれ、クララは驚いた。
「きゃっ」
細い腕がレオンの前にさらされる。
「ほっせぇなー・・・。ルキアに見せてやりてぇよ」
ルキアの名を聞き、クララの心はズキンと痛む。ルキアさん。レオンと一番仲のいい女の子。その子と比べられるなんてあまり気持ちが良い事ではない。
「あ、あの・・・」
「よっしゃ。今日の給食。俺が盛ってやるから全部食えよ」
「はっ?」
方向違いな言葉がクララの耳に届く。この人は・・・どうして予想しないことばかり言うんだろう。
だけど、その予想しない彼の言葉にもっと耳を傾けていたいという衝動がどんどんと込み上げてくる。
「んで、運動してさ。体力つけないと学級委員は持たないぜ」
それは確かに。
「わ、判りました!私、レオン・・・の言うとおりにして、もっと体力をつけますね!」
「おう!」
いつもと違うクララのテンションにレオンは楽しくなったのか、大きく笑った。


今日の給食はカレーライス。
いつもとは違う大盛りの皿に驚いたクララだったが、それを完食したクララにクラス全員が驚いていた。



†後書き†

何を思い立ったか、クララ→レオンです。個人的にクララさんが結構お気に入りなのと、
彼女の恋愛は言い出せない片思いで終わるんじゃないかと思いまして。
最初からバッドエンドですか、と思われるかもしれないですが、
女の子の、好きな人に自分を好きになってもらおうと頑張っている姿って、結構好きなんですよ。

・・・まぁ、内容はかなーり、ありきたりですけど、ね。