■ごめんなさい。相変わらずニコル萌えしてます。どうしようもないですね。頭悪いです。 ■しかも今回はドリームも良いところです。だって、幼年期・少年期のニコル萌え話なんですものッ。そろそろ救いようが無くなってきています。前々から友人(×2名ほど)が『子○○』って良いよね〜、と話していたんですが、どうも理解できずにいました。だって、今の彼が格好良いんだもんー、とか思ってたんですが。でスが!! ちょっとニコルさんの幼年期・少年期は興味津々なんですよ〜。こんな気持ち、は・じ・め・てvV(キモッ) ■とりあえず、ニコルさんに関して色々。 ニコルさんを語るにおいて、どうしても必要となってくるのがお父上、ニコライ2世の歩んできた道。 一体いくつの時にニコルさんが出来て、いくつの時にニコルママと別れたのか。それが気になって調べてしまいました。流石に細かく載せる事は出来ませんが、ある程度まとめてみました。 1868年 アレクサンドル3世の長男としてニコライ=アレクサンドロビッチ=ロマノフ誕生。(0) 1888年 (SH2)ニコルさん誕生(20) 1891年 来日し、大津事件に巻き込まれ負傷する。(23) 1894年 ニコライ2世として帝位を継ぐ。(26) 1895年 長女オルガ誕生(27) 1897年 次女タチアナ誕生(29) 1899年 三女マリア誕生(31) 1901年 アナスタシア誕生(33) 1904年 長男として皇太子アレクセイ誕生(36) 日露戦争勃発 1905年 日露戦争終結(37) 1906年 | 農業改革・革命運動の弾圧に力を入れる。『血のニコライ』と呼ばれる。(38-43) 1911年 1913年 シャドウハーツ舞台(45) 1915年 シャドウハーツ2舞台(47) 1916年 怪僧ラスプーチン死亡(48) 1917年 (2月)革命勃発(49) (3月)退位する。翌日ロマノフ朝滅ぶ。 1918年 7月16日ウラルのエカテリンブルクにおいて銃殺。(50) ※( )内はニコライ2世の当時の年齢です。 ■こんなカンジなので、ニコルさんが出来た(出来た言うな)のは皇帝が19-20歳の頃のようです。で、ニコルさんの『幼少の頃母を失って云々』を付き合わせると、ニコルさんがロシアを出たのがニコライ2世が帝位についた頃と考えても良いのかも?。…というか、『幼少』の定義が判ってないので(コラ)、希望としてはニコライ2世が帝位についたと同時に妾であった母親はロシアを後にし、そのすぐ後に死亡した、と考えたいです。なんで、ニコルさん6・7歳にして身内無し。その状態でラスプーチンに拾われ、ヴァチカンに連れて行かれたんじゃないかなー、と。それ前後の年齢だとヴァチカンの宿舎へ入った時も周りに馴染み易かったのでは。それに、イタリア語も覚えなきゃですしね。10歳前後まで行ってからヴァチカン入りしていたら色々大変かと思われます。 ■イメージイラストはそんなヴァチカン入りしたばかりの状態のニコルさん。あのパラディンクロスがヴァチカンの正装なのかサピグラの正装なのか判らないんですが、さすがにヴァチカン入りした直後くらいは三下の衣装と同じなのではないかと。で、聖堂で通りすがった幹部クラスの人間を見て『早く人の上に立たなきゃ』と志を立ててたり(イヤな子供ですね)。余談ですが、後ろを通りすがるエリート幹部、髪のカラーリングを適当にしたんですが、『ラスプーチンの若い頃』と言っても通る気がしました。いや、特にラスプーとは決めてませんよ〜。(ラスプーでも可だけど) ■…はぁ。しかしながら、自分の描く子ニコルじゃ全然萌えませんね。人様のニコルさんの方が良いです。誰か誰かー、哀れなニコルおバカに愛の手を!!(何気にアピール) -----というか、こういうの(子供時代萌え)ってアリですか…?(汗) |