大唐西域異伝
第一章・第一部

〓第一章・第一回〓
私がきた理由(2003年3月21日)

気が付くと空は明るくなっていた。そして空は始めてみるくらいに青かった。空の蒼。
青じゃなくて蒼。本当にそんな感じだった。
山の斜面に生えている木々も深い緑色をしていて、
私のいた時代の緑とは比べ物にならないくらい綺麗だった。
過去はセピア色なんていうけれど・・・実際の過去は色鮮やかなんだと実感した。
大きな門からしばらくして、山間を抜けると少し人通りのありそうな道が見えた。
「玄娘、これを」
そう言って三蔵さんが手渡してくれたのは三蔵さんが替えで持っていた着物だった。
「古いものを渡してしまって申し訳ありません。しばらくして街に着いたらあなたの好む服を選ぶと良いでしょう」
申し訳なさそうに言う三蔵さん。薄い黄色の服を着ていた服の上に羽織って、私は街道に出た。
「似合いますか?」
「とても素敵です。ね、悟空」
「ん? ああー・・・良いんじゃねーの」
悟空の機嫌はしばらく直りそうになかった。

街道を歩くこと1時間。山林の下に小さな村が見え、私たちはそこに立ち寄ることとなった。
その村の名は高老荘。
村は活気に満ち溢れていた。おいしい料理においしいお酒。そして笑みの絶えない人達。
私たちは三蔵さんの案内で着物を扱う小さな露天商を訪れた。
私のために。
そこにもいくつかの着物は置いてあった。
女性用の着物。
男性用の着物。
外出着に部屋着。
だけど、特にこれと言って心惹かれるものはなく、私は三蔵さんに新しい着物の不要を伝えた。
「本当にいいんですか?」
「はい。これで結構です。むしろ、三蔵さん、替えがないのは大変でしょう。
 私より、三蔵さんの替えの着物を買ってください」
三蔵さんはちょっと困った顔をしていた。
「お嬢ちゃん、お兄ちゃんが困ってるよ。折角だから服の一枚位買って貰ったらどうだい?
 特にこの服なんて似合うと思うよ」
店のおじさんが私に声をかける。
そしてその手に持っていたのは・・・チャイナドレスだった。

え・・・?

「三蔵さん、こっちに来て!」
私は三蔵さんの腕をぐいと引っ張った。
三蔵さんは急な私の態度に驚いていたが、路地の裏まではしばらく一緒についてきてくれた。
「どうしたんです?」
「おかしいです、ここ!」
私の発言に三蔵さんはしばらく黙っていたが、何かを知っているような真面目な視線を私に向けてきた。
「何が・・・どうおかしいんですか?」
ゆっくりと、落ち着いた声で尋ねる三蔵さん。その声を聞いて、私も落ち着いて話をし始める。
「先ほどの店でチャイナドレスを見ました。
 着物の両側に切り込みの入った服です。あれは漢民族・・・この時代よりずっと後に現れる民族の衣装。
 何故この時代にあるのでしょう?」
歴史は強くないけれど・・・私にだってそれくらいは分かる。
「それは・・・」
三蔵さんは目を閉じ、そしてこう告げた。
「未来から来た何者かが歴史を変えてしまったのです」


耳を疑った。
歴史が変わった・・・?
「本当は先に先に話しておくべきだったようですね」
三蔵さんの顔が辛そうになる。
「でも、先に話して・・・あなたがこの時代まで来てくれるか不安だったから・・・」
「そんなこと!・・・ごめんなさい」
無駄な心配に声を荒げてしまった私は三蔵さんの顔を見て謝罪した。
しばらくどちらも沈黙を保っていたが、それを打ち破ったのは悟空だった。


「しょーがねーだろ。お前に来てもらわなきゃこの世を元に戻せねェーんだから」
民家の屋根からみ下ろす悟空。
「悟空・・・!」
「三蔵だってやれることはやったんだ。だけど、どれがどの時代のモノか判らない。目には目をってな、未来からの敵には未来からの味方が必要なんだよ」
三蔵さんの隣に降り立った悟空は私にも三蔵さんとも目を合わせずに続けた。


自分は必要だから・・・、だから呼ばれたのには違いなかった。
だけど、それは私だからじゃなくて、私が条件に当てはまっただけだったから呼ばれたんだ、
そう思うと複雑な気持ちでいっぱいになった。

〓第一章・第二回〓
川辺の料理人(2003年4月4日)

街の外へと走り抜けた私は、近くにあった川のそばに座り込んだ。
ちょっと感情的になりすぎたかな、と反省しつつも、少しショックだった。

しばらく私は、目の前を流れる川に目をやった。
川の流れは緩やかで、透き通った水が流れていた。
(あ、魚・・・!)
川底に小さな魚を見つけて私は覗き込む。
尾びれをひらひらさせている魚。
向かう先は川の上流。
「早まったらアカン!」
「え?」
背後から声をかけられた私は思わず勢い良く振り返ってしまった。
その瞬間、バランスを崩した私は・・・

バシャーン

大きな音を立てて私は川の中へと落ちてしまった。
魚は向きを変え、その場からいなくなった。
「すすす、スンマセン!!」
川岸では図体の大きな人が平謝りしていた。


「申し訳ありまへん・・・」
うなだれて足元を見るその人は、ひたすら謝るばかりだった。
「いいの。勘違いさせてしまう行動を取っていた私が悪いんだから」
そうはいうものの、着物の湿気は取れない。
「くしゅんっ」
ついくしゃみも出てしまう。
「だ、大丈夫でっか!?」
「大丈夫・・・多分」


それからその人は私のために近くにあった木を集め、焚き火を炊いてくれた。
その体格からは想像できないくらいてきぱき動くそれに私は少しだけ驚いた。
彼は自分は料理人であるといい、その名を『猪八戒』と名乗った。
「八戒さんは、何でも出来るのね」
差し出されたお茶を受け取り、私は感心した。
「いやぁ、ワイなんて、アニキに比べれば・・・」
「・・・・・・」
八戒さんの言う、アニキの意味が判らぬまま、私は取り合えず会話を終らせた。
そしてしばらく訪れる沈黙。
焚き火のパチパチと言う音と、川のせせらぎだけが残っていた。
(三蔵さんたち・・・心配しているよね・・・)
急に二人のことを思い出した。が、同時に何故探しに来ないのか、という苛立ちも覚える。
少しの後悔ともどかしさが私を襲った。



「!」
急に八戒さんが街の方を振り返った。
「どうしたんです?」
「街が・・・」
それから八戒さんは立ち上がり、私にここに残るように告げた。
だが、こんな誰もいないところで、夕闇に染まる川沿いで、一人でいるのも危険。
しばらく考えた末、私は八戒さんの後ろをついて街へと向かうこととなった。

街は混乱の渦にあった。
大ガラスの化け物が民家を焼き、人々を襲う。
気味の悪いムカデのような生き物が木々をなぎ倒す。
「あ」
その化け物たちの中心に悟空と三蔵さんはいた。
四方を囲まれた二人は懸命にそれらを追い払おうと持っていた錫杖・棒を振り回す。
しかし多勢に無勢。
息の荒れた二人が倒れるのも時間の問題に思われた。
その時・・・


地を裂くような轟音が辺りに響き渡った。
『神獣変化』
そう、大きな声を上げた八戒さんの姿がみるみる大きな獣の姿に変わっていく。
大きな爪、つぶれた鼻先、全身を覆う剛毛。
不思議にその姿に不快感は覚えなかったものの、あまりの驚きに私は声を出せずにいた。
「八戒!」
悟空の声が戦火の中から聞こえた。


〓第一章・第三回〓
初めての戦闘(2003年4月18日)

大きな砂埃が視界を奪った。
「圧殺」という響きとともに地面は大きく揺れ、大地は舞い上がった。
かろうじて顔を覆ったが、いつその手を離してよいかわからず、
ただ座り込むことしか出来なかった。

「玄娘!」
左前から三蔵さんの声が聞こえ、やっとのことで私は顔を覆っていたその手を開放する。
「良かった、無事で」
私の元に駆け寄り両手を取ると、三蔵さんは安堵の笑みを満面に見せた。
「ご、ごめんなさい。勝手にどこかに行ってしまって・・・」
語尾が弱くなる。
「良いんだ。僕もちゃんと説明してなかったから。それより・・・」
そう言って三蔵さんは笠を手際よく外すと、私の頭の上の砂埃をを軽くはらいその笠をかぶせてくれた。
「八戒の技は結構砂埃舞うからね。これを被っていて」
笠についた鈴がちりんとなった。



街に人影はなかった。
ただ見えるのは百足のような化け物と頭に大きな口を持つ子供の様な妖怪。
そして三蔵さんと悟空と八戒。
先陣を切る形で悟空が敵を蹴散らし、姿を変えた八戒が敵陣の中心めがけて全体攻撃を仕掛ける。
三蔵さんは二人の援護をしながらも一匹ずつ襲い掛かる雑魚を
手にした錫杖で振り払っていた。
戦闘の中心より外れた場所に身を隠していた私だが、その戦いの凄さに思わず身を乗り出してしまう。
敵陣は6匹。こちらは3人なのに負ける気がしなかった。
「マダイタノカ!!」
「え?」
振り返った先には天狗の妖怪。
「玄娘!!」
三蔵さんの私を案ずる声が戦場に響く。


「いやーっ!」
気がついたとき、私は井戸のすぐ近くにあった桶を手にしていた。
そして目の前には気絶している妖怪。
桶を良く見ると底の方が半壊している。
「うそ・・・」

「すげーな、お前」
悟空の声で我に帰った。
唖然として立ち尽くす3名。
どうやら、桶による会心の一撃で私は自分自身の身を守ったようだ。
女の子として最低だわ、と落ち込む私を引き戻してくれたのは他でもない、三蔵さんだった。

「やっぱり、君で良かったんだよ」
恥ずかしいような、照れくさいような、微妙な言い回しだったけど・・・
一番その言葉が嬉しかった。


〓第一章・第四回〓
川辺の青年(2003年5月2日)

八戒を仲間に加えた私たちは、その晩は街で一夜を過ごし、
明け方、さらに西を目指して出発した。
朝霧の立ち込める中、川に沿って道を下る。
悟空が前を進み、三蔵さんと私が真ん中に並び、八戒が背後を守るような形だった。
朝日を背にし、まっすぐに進む先に一人の青年の姿を見つけた。


「三蔵さん!!」
その青年は三蔵さんの姿を見るや、勢い良く駆け寄ってきた。
いつから青年はそこにいたのだろう、きらびやかな服のすそは汚れ、目は真っ赤に腫れていた。
金色の美しかったであろう髪は乱れ、頭飾りも取れかかっている。
「霊感公子さん?」
青年の顔を覗き込みながら三蔵さんは尋ねる。
青年はただただうなづいていた。


私たちは歩みを止め、近くの丘に腰掛けた。
霊感公子と呼ばれた青年はかなり使い込んだ白い布で顔を覆う。
「公主が、公主が・・・!」
何を聞いてもそれしか答えない青年に、私たちは目を合わせると、とりあえず、落ち着いてもらうために時間を置いた。

朝日が日に替わる時間まで。

「それで、涼鈴がどうしたのですか?」
三蔵さんがゆっくりと話しかける。
青年はだいぶ落ち着いたのか、一つため息をつくと今までのいきさつを話してくれた。
大好きな彼女との結婚を一週間に控えた夜、話し合い不足のために彼女に逃げられてしまったこと、
ここ一ヶ月ほど探し回っているのに、彼女の消息がつかめないこと。
他にもいくつかあったのだが、取り乱している彼の感情任せの内容では
理解不能な事柄ばかりであった。
「そっか・・・。うーん、今のところ、僕達も涼鈴に出会っていないんだよ。涼鈴のことだから街とかにいるんじゃないかな?」
「いえ、それはありません」
「どうして?」
「この辺りの街はゾウの入口から、蟻の這い出る隙間まで探しましたから」
「・・・・・・」
口調を強めて言う霊感公子さん。
三蔵さんはその強さに押されて黙ってしまった。
「あー、もう、よし。わかった。
 この先で涼鈴を見つけたらお前が心配してたって伝えてやるよ」
苛立った悟空が立ち上がり、霊感公子をにらみつけながら告げる。
悟空はこういったうじうじしたのが嫌いみたい。
態度はあからさまだった。
「え、一緒に行ってはいけないのですか?」
「あ・・・」
「いや、こういうとき、わてらと同じ方向に向かっても涼鈴はんは捕まりませんでしょ? ここからわてらは西に行きますよって、
霊感公子はんは東に探しに行かはったらいかがでっしゃろ?」
『ああ』と無下に答えようとした悟空をさえぎって八戒が口を挟んだ。
空気を読むのが上手いな、と私はこんな場合なのに感心してしまった。

「そ、そうですね、わかりました。では、公主にお会いしたら『あなたの大切な人が東で待っています』と、お伝え下さい」
八戒の意見に納得したのか、霊感公子さんは目を伏せると、
立ち上がり、服の汚れを振り払った。
背筋をまっすぐにし、川へと足を運ぶ。
何事かと見ている前で彼は冷水にその身を浸す。
次の瞬間、大きな水柱が上がり、『水練』と霊感公子さんの凛とした声が響くと、水はそのまま重力に従い水面に落ちた。
「!?」
いつも通りの流れを取り戻した川の中から出てきたのは、
一糸の乱れもない霊感公子さんだった。
艶やかな衣装、整った顔立ち、梳いて整えられた長い金色の髪。
真っ白な扇を顔の前に立てると、彼は私たちの前に再び歩み寄ってきた。

「それではよろしく、お願い致しますよ」
にっこりと笑うその笑みに、私は何故か不安を感じてしまった。


あんなに綺麗な微笑なのに。