大唐西域異伝
〓第一章・第二部〓

〓第一章・第五回〓
小悪魔少女(2003年5月16日)

「あいつも変わンねーな」
東へとそそくさと小走りに去る霊感公子さんの背中を見ながら、悟空は呆れた様子でそうつぶやいた。
それを聞いていた三蔵さんは小さく吹き出し、笑いをこらえようと必死だった。
「相変わらず・・・なの?」
私は三人に話しかけた。・・・だって、初めて会う人なんだし。

「ええ、前のときも涼鈴はんに逃げられてたんやで」
なはは、と笑いながら八戒は教えてくれた。
いったいどんな人なのかしら?
「結構思い込みの激しい人なんですよ。それで、婚約者の涼鈴とそりが合わないみたいで」
「だけど、それが笑える夫婦漫才みたいでよ」
三蔵さんと悟空が声を出して笑う。
「やめてよ、夫婦漫才なんて」
「え?」
笑いをさえぎる声が茂みの中からした。
口調の強いしっかりとした声。

「涼鈴!!」
ポニーテールの良く似合う黒髪の少女がそこにいた。
身長は私よりも少し低いくらい。大きなひとみが印象的で、小さい体からはとても想像できないほどの存在感がそこにあった。
「やっと行ったわね、あの男」
すでに姿の見えなくなった東側を見ながら涼鈴は吐き捨てるように言う。
よっぽど何かあったに違いないんだろうな、他人事で失礼だと思いながら私はそう感じた。
「で、うふふ」
霊感公子さんの姿が完全に見えないことを確認してから、涼鈴はこちらに振り返った。
ぎょっとする3人。
「もちろん私をこの場所に置き去りになんてしないわよねっ」
疑問形ではなく断定形で質問する涼鈴。
「い、いやぁ、ここでずぅっと隠れていた方が賢明なんじゃねーかな」
うわずった声で悟空が言う。その視線は宙を向いていた。
「ほらよ、昇龍崖みたいなことになってもな、なぁ」
曖昧な態度の悟空をにら見つける大きな瞳。それは三蔵さんと八戒にも向けられる。

「あれ?三蔵って双子だった?」
視線が私の方を向いたとき、今までの怒りはなくなり、興味深げな態度に変わった。
「え?」
「・・・あー、涼鈴。彼女は私の遠い親戚にあたる方なんです」
「ふーん」
涼鈴は私の姿を頭の鉄片からから足の先までじろじろと見た。
何かおかしいところでもあるのかな?
「彼女を天竺まで・・・もう一度同じルートを辿って連れて行かなくてはならないのです。
ですから・・・」
「じゃあ、私もついてく」
芯の強い、凛とした声で自分の意思を告げる涼鈴。一番嫌そうな顔をしたのは悟空だった。
そのあからさまな態度に涼鈴も口を尖らせる。八戒はただおろおろとその様子を見ているだけ。
「『ウチは精鋭部隊だから』ってまた言いたいの?」
「・・・分かってるじゃねーか」
激しいガンの飛ばしあいが始まった。


「何が嫌なの?!」
「おめーにかかわるとロクな事ねーんだよ!」
「何よ、戦力が一人増えるだけじゃないの!」
「ハッ、お荷物の間違いだろ!!」
「腹立たしいわね、アスラ戦であんなに助けてあげたのに!」
「助けてくれたのは三蔵だ! それにあの時一番戦力になったのは牛魔王だ!」
「牛といっしょにしないでよ!! 昇龍崖でサーガラ様から三蔵を守ったの誰だと思ってんのよ!」
「そりゃあ西王母だな」
「だいたいアンタは・・・」
・・・・・・二人の言い合いは結局夕方まで続いた。


私と三蔵さんと八戒はその場に立ち尽くしたまま、何も口を挟めないでいた。
「ねぇ、座っても良い?」
ひざの疲れを訴えて、私は三蔵さんに許可を求める。
「そうですね、終わりそうもないし」
「腹減りましたなー・・・」
三人して近くの斜面のなだらかなところに腰を下ろした。
夕日が西の空を赤く染める。東側には少しづつ星が現れ始める。
「ねぇ、悟空は何を嫌がっているの?」
ぼんやりと空を見る三蔵さんにこっそりと話しかける。
三蔵さんは「ん?」と答えると、二人をちらりと見た後、私の耳元で小さな声でこう教えてくれた。
「悟空はね、痴話喧嘩に巻き込まれたくないだけなんだよ。それに…」
「うん」
さらに声を小さくする三蔵さん。
「自分が仕切らきゃ気が済まないんだ」
そう言って三蔵さんは苦笑した。しかしその直後、怒りの矢先が方向を変えた。

「痴話喧嘩じゃないわ!」
「聞こえてるぞ三蔵!」

ほとんど同時に文句を言う二人。
実は・・・本当は気が合うんじゃないかな、そう思った。


〓第一章・第六回〓
有人無音の村(2003年5月30日)

悟空と涼鈴が落ち着いてから、私達は再び歩きはじめた。
向かうは陳家荘。
道中で三蔵さんにそこが悟浄さんに出会った場所だと聞いていたためか、
長い道程もそうつらく感じなくなっていた。
やっぱり目的がわかると足の運びも速い、なんてそんな気がしてならなかった。


陳家荘に着いて、悟空は一言『やっぱりな』とつぶやいた。
村の中はしんとしていて、小鳥のさえずりさえも聞こえなかった。
私達の足音のみが家々の壁に響き渡り、風が地面を擦るように通り抜ける。
「いったいここに住んでいる人はどうなっているの?」
不思議に思って私は話し掛けた。しかし誰からの返答もない。
四人何かを確かめるかの様にあたりを見まわしていた。
「おかしいわね、確か小さな女の子だけは無事だったはずなのに」
涼鈴が近くにあった民家の扉を勝手に開き、覗きこみながら言う。
女の子? 
こんな誰もいない村に?
そんな私の表情を悟ったのか三蔵さんが今まで閉ざしていた口を開いた。
「この村の住人はすべて眠らされているんだよ。 誰もいないわけじゃない」
「・・・・・・」
涼鈴が開けっ放しにした民家を指差され、家の中を覗くと、そこには
今さっきまでまさに生活をしていたままの人達がそのまま眠っていた。
立ったままの人、鶏を追う子供、繕い物をする人、様々だった。
「なんなの? これは・・・」
あまりにも不自然な光景。
「落病泉に住む如意仙人がかけた妖術なんだ。そしてこれを何とかしに悟浄が落病泉に向かっているんだけど・・・
 それを僕らに教えてくれる少女が・・・いるはずなんだ」
きょろきょろと三蔵さんはあたりを探す。
子供の声なんてぜんぜん聞こえない。
「やっぱりぃ、女の子を探した方がええんですやろなー?」
漬物石をどけて中を見る八戒。さすがにそんなところにはいない・・・わよね。
「いーじゃねーか。どこに向かったか、それは判ってんだ。だったら情報はいらねぇだろ?」
しびれを切らした悟空がきつい口調で言う。
「でも悟空、ちゃんと順序を踏まなきゃ・・・」
「今までだって順序が違ってンだ。それくらい、たいした事ねぇーだろ?」
「う、うん・・・」

悟空の意見が先行され、私達は落病泉に向かうこ事となった。


順番が違う・・・悟空の言葉がなぜか心にひっかかった。

〓第一章・第七回〓
水なき泉(2003年6月6日)

水の沸く音もせせらぐ音も何もなかった。
砂利道を踏みしめ、三蔵さんたちが目指したのは大きな岩に覆われた一角。
どうやらそのあたりに泉はわいているようだった。
しかし・・・
「なんだこりゃ?」
悟空の視線の先に、水は一滴もなかった。ただ地面にくぼんだ場所があるだけ。
足元に広がる石は白く変色し、今まで水があったとは思いがたい情景だった。
「泉って名前がついている割に水がないなんて・・・おかしすぎるわ」
涼鈴が腕を組んで地面をにらみつける。
どうやらここに泉があったことには間違いがないらしい。
「それにしても、ここに水がないなんて・・・じゃあ、悟浄はどこに行ったんだろう?」
三蔵さんが大岩の四方を見渡す。
だけど・・・何も見えなかった。
近くに一本だけ生えた杉の木に私が近づいたとき、足が石とは違う何かに当たった。
ふと足元を見るとそこには装飾品に使われそうな木製の輪の欠片。
「何かしら?」
かがんでそれを手にしたとき、私はさらにいくつかの破片が当たりにあることに気がついた。
それは南に向かって散らばっていて、それをたどるうちに一つの洞穴に続いていることがわかった。
その洞窟は入り口が今来た道と反対の斜面にあったため、私たちの目に触れることはなかったのだが
どうも様子がおかしい。
急いで私は皆の元に戻り、そのことを伝えた。
4人は怪訝な顔をしていたが、このあまりな様子に悟空すらも反論しなかった。

「それで、見つけたというのは?」
「これなの」
三蔵さんが私の見つけた装飾品の欠片が気になったのか私に最初に話しかけてきた。
私は手にしていた一番大きな欠片を手渡すと三蔵さんの顔を覗き込む。
三蔵さんの目が険しくなっていった。
「これは・・・悟浄の数珠の欠片だ」
「なんだって?」
悟空が三蔵さんの手のひらからその欠片を奪い取るとじぃっとそれを見る。
そして十数秒の後、それから目を離すといつもの口調で
「すぐ案内しろ」
と私に命令をしてきた。

足元に気を使いながら私たちは斜面を下る。
出来るだけ音を立てないようにその洞穴に近づき、あたりを伺いながらその中に足を踏み入れた。
中は以外に湿気が漂っていた。周りの水分を全て吸い込んだような内部はところどころに水溜りを作り、
岩肌を削り落としていた。
50mほど進んで、先頭を歩く悟空がその歩みを止めた。
「話し声がする・・・」
悟空の押し殺したような声を聞いて私は息を飲み込んだ。
足元で水音を立てないようにと、今まで以上に足に気を使う。
曲がり角を左に曲がってしばらく進むと、明かりが漏れているのが見えた。
「ちょっと待ってろよ」
悟空が何か呪文のようなものを唱え始めた。三蔵さんは心配そうに悟空を見守っている。
ぽんっと小さな音と煙が上がり、悟空はその姿を一匹の蝿に変えた。
「あっ」
「しぃ!」
びっくりして声を上げてしまった私と、それを制する涼鈴。
悟空蝿は私たちの元を離れると、一人明かりのするほうへと向かった。

残された私たちは明かりとは反対の方向へと回りこむ。
こういう時は反対側にも何かある、という三蔵さんの意見だった。
案の定、少し傾度の高くなった反対側には、その部屋に光を導くための窓があり、
とりあえず私たちはそこで様子を見ることにした。
中にいるのは耳がたくさん生えた猿のような妖怪とトカゲのような生き物。
そして中央には凛とした顔立ちの青年が一人。どうやらそれが悟浄さんらしい。
「いい加減あきらめたらどうだ?、河の妖怪よ」
「・・・・・・」
「こんな辺鄙なところだ。お前の仲間が来るとは到底思えんがな」
両手両足を縛られた状態の悟浄さんが二匹をにらみつける。
「お前を捕らえてからもう2週間だ。そろそろあきらめてあのお方に付くというのはどうだ?」
何か交渉をしている様子だった。
あのお方・・・? 誰のことなんだろう。
「お前さえあきらめれば解放してやるぞ。そろそろ水が恋しいだろう」
トカゲの妖怪が悟浄さんのそばを離れ、部屋の隅にある水がめから水を一口飲んだ。
見ている限り、河の妖怪である悟浄さんに水を一滴も与えていない様子。

「なぁなぁ、三蔵ハン、わいにもちょっと見せてくれまへんか?」
後方を見張っていた八戒が、そのやりとりが気になったのかこちらにその大きな体を寄せてきた。
「きゃ・・・!」
「あっ」
八戒が詰めたことにより、背伸びをしてぎりぎり覗き込んでいた涼鈴が足を滑らせた。
室内に石が転がり落ちる。
一瞬にして顔から血の気が引くのがわかった。
「何者だ!!」
そして当然のごとく見つかる私たち。もう、八戒のバカ!
窓から急いで離れる私たちとそれを許さないトカゲの妖怪。
そして通路の反対側から現れた飛蝗の化け物が私たちの道をふさいだ。
絶体絶命・・・?
ふとその4文字が頭に浮かんだその瞬間、部屋の中で陶器の割れる音がした。
「悟浄!これでどうだ!」
部屋の中から悟空の声が響く。どうやら姿を元に戻した模様。
「悟空・・・、だからといって水がめごと水をかけるとはどういう事だ!」
少し苛立っている悟浄さんの声。ふと視界に入った涼鈴の顔には『相変わらず』といった微妙な表情が浮かんでいた。

〓第一章・第八回〓
『さん』付け禁止?(2003年6月20日)

悟空いわく、そこには雑魚しかいなかったということで、思っていたよりは戦いは早く終わった。
敵陣は多いものの、百足妖怪、狂狼などが多くを占め、頭数だけで戦闘を仕掛けてきたとしか思えなかった。

悟空と、水がめの水を得たことにより復活を果たした悟浄さんが中央の間にいた敵を殲滅させ、
入り口付近の妖怪は涼鈴の剣術と八戒の術、三蔵さんの援護で片付けることができた。
微力ながら私も応戦をしたが、やはりみんなのようにはいかない。
未来から持ってきた三蔵さんの持っているものと同じ錫丈だが、
その威力は三蔵さんの半分も発揮できないでいた。・・・私も三蔵さんみたいに強くなれるかしら?

通路がすべて開き、中央の間へと足を踏み入れた私の前にいたのは
青い髪の端正な面持ちを持つ悟浄さん、その人だった。
切れ長の目に引き締まった口元。
少しやせ気味なのか、拷問がひどかったのか、頬はこけているものの、鋭い眼光はまっすぐ。
「こちらが、玄娘殿か・・・?」
低いトーンの声が私に向けられる。
「あ、はい。あなたが悟浄・・・さん?」
差し出された手を取り、握手を交わす。悟空は私達が到達するまで何を話したのだろう?
少しだけ悟浄さんの口元に笑みが浮かんだ気がした。

「あー、なんだ」
その場の雰囲気を壊すかのように悟空が大きな声をあげた。
「ここはただの時間稼ぎにすぎん。さっさと村へと戻るぞ」
いつもと変わらないぶっきらぼうな態度。
涼鈴と八戒はその悟空の後姿をニヤニヤと見ている。
三蔵さんも笑いをこらえるのが必死のようだ。
悟浄さんは・・・先ほどと変わらないクールなまま。
昇り廊下を通って入り口に向かう。
そして入り口付近に来たところで、悟空は真後ろにいた私を見下ろすと一言。
「悟浄だけ『さん』付けするな」
それだけを言い残し、三蔵さんのいるところまで引き返していった。


陳家荘へと戻り、悟浄さ・・・、悟浄がかろうじて残しておいた落病泉の水を風に乗せると、
街の活気が徐々に戻り始めていった。
ゆっくりと眠りから覚める人達。彼らは何事もなかったかのように普段の生活の続きをはじめていた。
特にこれといって問題は残っていない様子で、私達は一晩だけ経過を伺ってからここを旅立つことにした。
久しぶりに布団で眠れる。なんだかそれが一番うれしかった。

深夜、涼鈴と湯浴みを済ませた私は満月の良く見える窓辺に座って、お茶をいただいた。
ほんのりと茉莉花の香りがする器を両手で支えて一つ大きく息を吸う。
全身で香りを楽しむ私の後ろには・・・三蔵さん。
「今日はお疲れさま」
「いいえ、三蔵様こそ」
「隣、座っても良いかな?」
笑顔でうなづく私の隣に三蔵さんは腰を下ろした。
三蔵さんも湯上りなのか、ほのかにまだ、洗い立ての髪から湯気が立ちあがっていた。
「明日はどちらまで向かうんですか?」
「うーん、そうだねー・・・」
天井を見上げてしばらく考えると三蔵さんはいたずらな笑みとともに
「行けるところまでかなぁ」
と答えを返した。その言い方と楽観的な考え方に思わず噴出してしまう。
「無理はして欲しくないし、僕も無理はしなかったから」
三蔵さんって、もしかしてとてもマイペースな人なのかしら?
しばらく談笑が続いた後、平穏な時間を打ち破る大きな音があたりに響いた。