大唐西域異伝
〓第一章・第四部〓

〓第一章・第十三回〓
風の真中(2003年8月22日)
強風の中、一同は走り出した。
それは今まで向かっていた方向ではなく、90度方向転換をした北へ。
街道を外れ、獣道に入りこむ。
3方向を悟空、悟浄、八戒に守ってもらっているとはいえ、吹き付ける風が肌に突き刺さる。
上り坂に差し掛かり、足取りが心もとなくなるがそれでも私は皆に付いていこうと必死で足を運んだ。

辺りには枯れ木の群れが広がっていた。
冬でもないのにこの枯れ木の量。異常な光景に目を疑った。
足元で吹き落ちた小枝がぱきぱきと音を立てる。暫くその状態が続き、
やがて風の中心であろうただの荒野へと出た。辺りにはなぎ倒された木々が大地を覆う。
一本の木だけが中央に立っていた。しかしその根元は風にあおられ大地に張る根が露わとなっていた。
「桔花!!」
三蔵さんが大きな声で叫んだ。
「三蔵…さ…ん」
こころに直接訴えかけるかすかな声が聞こえた。そしてその一瞬だけ中央の木がこちらに向いた気がした。
「わっ…!」
大きな風が真上から私達を襲った。
「わいに任しとき!!」
あまりの風の強さに座り込む一行より一歩前に出て、八戒が神獣変化を行う。
前にも見た大きな毛むくじゃらの大猪が目の前に現れた。
前足を両方一気に地面に突き立て、それを振り上げると再び前足を下ろす。
大音量と共に目の前には大きな土壁が盛り上がり、その風をさえぎる。
三蔵さんと涼鈴は急いで中央の木に駆け寄った。

中央の木はその姿を一人の女性の姿に変えた。
すらりとした長身の女性。乱れた髪が今まで強風に耐えてきたことを告げていた。


〓第一章・第十四回〓
月下美人(2003年9月9日)

『桔花』さんと呼ばれた女性はこちらを振り向くと、力ない微笑を浮かべてその身を崩した。
私達は急いでその元に駆け寄り、三蔵さんは彼女を抱き起こした。
気を失っているのか、目は堅く閉じられたまま。
涼鈴は心配そうに地面に落ちたしなやかな手を握り締めた。
「えーん、桔花ー」
涙声で涼鈴が呼びかけるが返事は無い。小さく聞こえる細い息が桔花さんの生存を確認させた。


風はいつしか止んでいた。


「悟空、今のは・・・」
悟浄が悟空の背中に問いかける。
「・・・・・」
悟空はその問いに答えなかった。
ただ、その表情は重く、私は声をかけることすら出来なかった。
「とりあえず、近くの宿場まで戻ろう。まずは桔花さんを回復させることが大事だよ」
三蔵さんがその場の雰囲気を和ませようと、いつもよりも落ち着いた声を発する。
桔花さんを抱きかかえて、三蔵さんの後ろに立つ八戒。
荒野と化した山道をゆっくりと下山した。


麓にある宿場町の一角に私達は宿をとることとなった。
大きくは無い町。街道から少し離れたそこは宿場町と言えど、人数は少なかった。
わらぶきの家々が並び、子供達が元気にはしゃぎながら町を走り回る。
そして桔花さんを寝かせた部屋の外でも生活する音が響き、
私達の会話が無くとも、部屋の中は静かではなかった。
悟空と悟浄は今のうちだからと道場と薬師の所に向かい、八戒は桔花さんが起きた時にと
厨房へとお手伝いに向かった。
部屋には私と涼鈴と三蔵さん。
御伽話のように目覚めない綺麗なお姫様を前に、私達は床間に腰を下ろした。
「さっきの風は何だったの?」
私は一番気になることを三蔵さんに聞いた。
三蔵さんは桔花さんを見て、ちょっと重い面持ちをしながら私の問いに答えてくれた。
「あれは・・・三昧神風って言うんだ。それを使うことは・・・」
「牛魔王の手下で黄風怪ってヤツが使う技なのよ」
話し辛そうに言う三蔵さんをさえぎって涼鈴が口を挟む。
そういえば、流沙河でいるべき敵がいないのは、牛魔王が先に手を回してくれたんじゃないかって、
話した覚えがある。じゃあ、どうして今回だけそれが適用されないのか。
問題はそこだった。
「あそこにいるはずだった地湧婦人がいなくて、黄風怪がいたなんて。マハラカもいなかったし…」
三蔵さんも涼鈴もそれ以上は語らなかった。
名前のあがった妖怪達を知らない私は、なんとなくかやの外だったけれど、
この状況を改善させる方法も見つからないまま時が過ぎるのを待つしかなかった。


夜、ふと喉の渇きを覚え、目を覚ました私は、井戸水を求めて庭へと出た。
三日月がほんのり輝く夜。視界が悪いため、足元をちゃんと確認して歩く。
井戸のそばにある桶を手にし、井戸の中に放る。桶に繋がれた縄を引くため顔を上げた。
そして視界に入る一人の女性の後姿。
「あ」
その姿を見て私は手元まで引き上げた桶を井戸の中に落としてしまった。
ばしゃんと深いところで音があがり、その音に気が付いたのか女性は振り返った。
「こんばんは」
先ほどまで眠っていたはずの桔花さん。
薄暗い月の光を浴び、やわらかな笑みと共に振り返える桔花さんに、私はただオウム返しに
「・・・こんばんは」
と答えることしか出来なかった。

〓第一章・第十五回〓
心のかけら(2003年9月19日)

「ええと、桔花・・・さん?」
三蔵さんたちが呼んでいた名前を呼びかける。桔花さんはやわらかそうな笑みを私に向けながら「はい」と答えた。
その笑顔は私が今まで見てきた人たちとは比べ物にならないくらいに綺麗な微笑で、つい見とれてしまった。
「あなたが、もう一人の三蔵さん?」
ゆっくりと私の方へと歩いてくる桔花さん。
「は、はい。玄娘って呼んで下さい、桔花さん」
なぜか敬語になる。
「桔花で良いのよ、玄娘さん」
「じゃあ、私も"玄娘”で構いません」
なんか、お姉さんが出来たみたい。

ところで、どうして桔花さんが夜中にここにいるんだろう?
私は本来の目的だったのどの渇きを潤しながら、ふと考えた。
うーん、うーん、やっぱり喉が渇いたからかしら?それとも、目が覚めて月の光が目に入ったから?
部屋の窓は閉めていたからそれはないか。あ、夜風に当たりたかったとか。
まさか、お酒を飲んだ後の悟空じゃあるまいし。
そんな色々な考えを巡らせて私は水を汲んだ桶を戻そうとした。
少し水の残った桶の中に映るほのかな月影と人影。
・・・・・・人影?

「だ、誰?!」
先ほどの場所からは死角となっていた場所に、赤い髪を持つ少年がいた。
見た事もない少年。額と頬に刺青を入れ、髪の毛を重力に逆らって立てている少年。
「悪いな、脅かすつもりはなかったんだが」
少年は塀の上から降りてきた。そして桔花の隣に並ぶ。桔花さんは少年の肩に手を置いた。
お知り合いなの・・・かしら?
「玄娘、怖がらないで。この子は私達の味方だから」
桔花がそう言って、私の驚いた心を落ち着かせようとする。

「俺の名は紅孩児。牛魔王と鉄扇公主の息子だ」
「はぁ」
何がなんだか判らなくなって、私は生返事を返した。
つまりこういうこと。
紅孩児が言うには、牛魔王と鉄扇公主が何物かに『心のかけら』という自制心を制御するものを奪われてしまい、
また破壊行動に走ってしまったらしい。
そして紅孩児は自分の『心のかけら』を守って命からがらこの唐国へと逃げてきたのだそうだ。
「どうせアンタたち、また同じ道を辿って行くんだろ? だったら、俺のオヤジとオフクロを助けてくれよ!!」
必死で訴える紅孩児。でも、私なんかが勝手に返事をするわけには・・・
「しゃーねェなー。とりあえず、詳しい話をもう一度聞かせてもらおうじゃねェか」
後ろからぶっきらぼうな物言いが聞こえて、私は振り返った。
扉の真横に立つ悟空。そして
「どこかおかしいなとは思っていたんだ」
三蔵さん。
一瞬紅孩児は悟空の顔を見て嫌そうな顔をしたが束の間。すぐに態度を元に戻すと三蔵さんのそばに駆け寄っていった。
館に戻る3人。そして今まで暗かった居間に明かりが灯った。
耳を澄ますと3人の話し声が風の音と共に聞こえた。
「さぁ、私達も戻りましょう。部屋に涼鈴一人はかわいそうだわ」
桔花の促しで部屋へときびすを返す。


『心のかけら』って・・・なんだろう?

〓第一章・第十六回〓
私は私。(2003年10月4日)

次の日の朝、紅孩児を加えた私達一行は村を後にし、この国『大唐国』の国境へと向かった。
ここから先はさらに未開拓の地が広がっているそうで、今までの旅よりもっと過酷なものになると悟空には脅された。
どこまで本気にして良いのか判らなかったが、国境最寄にある小さな町、玉門関に辿りついた時、
悟空の言葉が嘘でない事を知らされるはめとなった。


「わぁ…」
それは遠くまで広がる荒野と急斜面の続く山々。
道らしき道は見えず、ただ、人の歩いた場所が道となる程度の通りが玉門関から北と南に続いている。
木々は所々に生えているが、特に生い茂ることはなく、背の低い植物が集まっているだけ。
玉門関から外界に続く大きな朱塗りの門から私はその光景を見て息を呑んだ。
「北と南。どちらに行きますか?」
「・・・多分、オヤジ達から『心のかけら』を奪ったヤツらはどちらに行っても待ち構えてると思うんだ」
三蔵さんの問いかけに紅孩児は辛そうな表情を浮かべながら吐き捨てるように言う。
お父さんとお母さんがおかしくなっちゃうのって・・・やっぱり辛いよね。
「ヤツら・・・? 一人じゃないって事なんだね?」
「ああ、オヤジ達から『心のかけら』を奪ったのは独角児と如意仙人だからな!」


自分の心がなくなるってどんな感覚なんだろう?
三蔵さんたちが話しているのを視界の端において、私は自分の両手を見ながら考えた。
私が私じゃなくなったら、誰が『玄娘』だって思うんだろう?・・・別の人が?
では、私はどこにいるんだろう?
考えれば考えるほど判らなくなる。
「うーん・・・」
「おまえはあんまり難しい事は考えるな」
「痛っ」
後ろから悟空に軽く如意棒で小突かれた。そのまま悟空は私の隣に腰を下ろす。
「お前がお前だと思っている間、お前の心はお前のモンだ」
「え、あ・・・うん。そう、だよね」
まだ何にも言ってないのに。どうして悟空は私の考えていたことが判るんだろう?
不思議に思って悟空を見た。真っ直ぐとした目でこれから進む方向を見ている。迷いのない目。
今まで悟空の事を意地悪なだけとしか見ていなかったけど、こうしてみると・・・なんか違う。
「私は・・・私だよね!」
自分に言い聞かせるように私は声に出した。
「おうよ」
悟空が私に向かって笑いかける。ついついそれにつられて笑ってしまう。


「とりあえず、急いだ方が良いね」
「そうだな、ここから二手に分かれて亀慈で合流するというのはどうだ?」
「すまねェ、無理を言って」
三蔵さんたちの切羽詰った声が耳に届き、私と悟空は声のする方に振り返った。
どうやら先ほど見ていた北へ伸びている道と、南下している道のどちらも攻略しなくてはならない様子。
メンバーは8人。4人ずつに分かれるとの事。
北は灼熱の山が続く場所で南は霧に覆われた平原が続くという。
まずは三蔵さんが南へ向かう道を選んだ。そして紅孩児が北へのルートを選ぶ。
悟浄と八戒そして桔花さんはは三蔵さんに付いていくことに決め、悟空と涼鈴は山道を選んだ。
南のルートは幽霊騒動があるから、と、涼鈴は私に耳打ちをする。
「玄娘はどうする?私達と一緒に行くか?」
悟浄が考え込む私に南への誘いをかけた。うーん・・・。
「私・・・」
言いかけて全員の顔を見る。みんなもう心構えが出来ているのか強い意思が表情にも出ていた。
「私、北へ行くわ」
悟空の真っ直ぐな目とぶつかって、私はそう答えた。そして三蔵さんの顔を見る。
「分かったよ。本当は僕が最後まで君を守りながら亀慈へ向かおうと思ったんだけど・・・」
ちょっと寂しげな笑顔。でも、君の選んだ事だから。と、続ける三蔵さんの言葉は私を信頼していることが良く分かった。

今まで一まとめにしていた道具袋から傷薬や補助アイテムを等分にし、一行は二つに分かれた。
南へ向かう三蔵さん、悟浄、八戒、桔花さん。三蔵さんの錫丈が心地よい音を奏でる。
・・・それは出発を示す音。
分かれ道まではまだもうちょっとあるけれど、山道へと向かう私達は合流地点に遅れないようにと足を速める。
少し遠くなってしまった三蔵さんに私は大きな声で伝えた。
「行って来まーす!」
と。