せんかしの雑文

駄菓子屋

子供の頃よく行った駄菓子屋が、筒井町商店街にあった。
確か、なかしまという店名だった。
建中寺から近い一丁目にあって、おじいさんとお婆さんがやっていた。

小学4年頃までは、毎日のように立ち寄っていた。
菓子やおもちゃなど、色々なものを売っていた。

糸の先に付いた飴、くじ付きの小袋に入った甘納豆、バラ売りの菓子、
銀玉鉄砲、ゴムカン、ひもを引いて飛ばす竹とんぼなどなど。

私は飛行機が好きで、よく買って飛ばしていた。
胴体と尾翼が青色の厚紙で、主翼は薄い竹材に紙が貼ってあった。
胴体の先端に円い鉛のおもりが付いていて、主翼には第2次大戦機の絵が印刷されていた。
その絵を見ていると、本当にその機体を飛ばしているような気になった。

夏の夜にはよく花火をした。
セットのではなく、好きな花火をバラで買って楽しんだ。
私は、打ち上げ花火よりも、手で持つ普通の花火が好きだった。

今では考えられないかもしれないが、その頃には爆発する花火があった。
初めの頃は、こするだけで着火する2B弾というのがあったが、そのうち見かけなくなった。
その代わりのマッチで火をつけるやつをクラッカー、導火線が付いているのをダイナマイトと呼んでいた。
白昼、子供たちがパンパン破裂させていて、よく大人にしかられなかったのもだ。

安めのプラモデルも置いてあった。
箱を開けて中を見ていると、おじいさんに「買わないなら見るな」とよくしかられた。
一度カチンと来て、余り欲しくないのに「今買おうとしていたところだもん」と言って買ってしまったことがある。
融通の利かない意固地な性格は、その頃から変わっていない。

小学校高学年になると、プラモデルはおもちゃ屋で買うようになって、だんだんと駄菓子屋に行くことも少なくなっていった。
高校生になった頃、通学の途中に一度お婆さんを見かけたことがあった。
仕入れの帰りだったのだろうか、大きな荷物を載せた乳母車を押していた。
私たちが買っていた菓子やおもちゃも、こうして運んでいたものだったのかと思った。
お婆さんは、何だかとても小さく見えた。