
| 我輩は、のんべえである。といつの間にかそんなニックネームが、50を前にして頂戴したのはひめつつじの仲間達の中で燦然と輝く名誉と云うものだ。親から貰ったれっきとした名前は、晴蔵と云うが今まで呼ばれた例がない。我輩の自慢の黒髪を省略され丸坊主頭の、のんべえとは大いに不満も残るが、なんせそれで百態も只酒を飲ませて呉れるなら、まあ良いか許そう。それでも雨の中、傘をさしてピチピチチャプチャプと唄いながら、蝸牛だか蛞蝓だか蛙と一緒にやるなんざ、我ながらぞっとしないね。と思ったら、服を脱がされ、公衆の面前に裸で放り出され、野原で濡れた服と天日干しに一杯とはよくやってくれるね。恥じも外聞もある我輩を捕まえて酷い仕打ちとはこのことだ。しかし、そこに蝶が出てくるなんざあ許せるてなもんだ。花より蝶がいいね、いや美人より蝶が最高。じっと待つ花より花から花へと、一晩で飽きる美人よりあばたもある山から山へと飛び廻るのは夢があっていいや。蝶と猪口と徳利が我輩の自己本位の世界で、これに山登りが加われば全宇宙てなもんだ。昔々、武豊や信州の野山でタモを振り回して蝶を追いかけたのを思い出すなあ。シジミ・アゲハ・マダラ・チョウと蝶の事は何でも訊いて呉れ給え。飲むだけが天職でない所を御目に掛けれるてなものだ。 |
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山小屋の灯火は格別にして、見知らぬ山男達と飲み交わした、のんべえと1本いっとくさんは、数えきらないなあ。と思っていたら、いきなり厳冬期の西穂高ですか。キツイなあ、柴痴庵は。只で飲ますからって、程々というものですよ。 マイナス20度のテントの中で、大失敗があった。ウイスキーにワインと紙パックの日本酒と種類と量の万全を期した積りの我が酒蔵が道中の一杯が効いたのか夜の戸張と供に空っぽに。酔いが廻っていないところでもって夜は長い、外は西穂高の山頂を吹き付ける蒙吹雪、今にもテントが吹っ飛ぶと思われるようなバタバタの世界に、いつしか夢幻の世界に落ちんとして落っちんだ先はゴウゴウガアガアの高鼾、突然ドカンと腹を抉られたような気がして目が覚めると、そこは猛吹雪に悲鳴を上げているテントの暗闇の中、時計はまだ午後9時を少し過ぎたばかりなり。夜明けはまだまだ長い、山登りの苦痛は体を動かしての苦痛以外にこんなじっと耐える苦痛もあったと、思いまどろみを繰り返し繰り返し夜明けを待つのは、酒を切らした悔しさから反省にならない反省をして身を震わせ、一年万年と朝を待つのであった。 そんな寒さに震えた後、温泉で暖まり一杯とはよく考えてくれるなあ。しかも舟酒まで用意して露天風呂のお湯にお月さんを浮かべて、月見しながら朝まで飲み明かし1本いっとくなんざあ花鳥風月を愛でる我輩としては、過分なるもてなしだ。狐に狸を相手に1本いっとくか。湯上りの後は、1升ビンを抱えて美人のお酌の夢でも見るかな。朝まで飲んでいたら、少々ふやけ気味を何とかしてくれ給え、柴痴庵や。 温泉の後は、ハンモックに揺られふやけた体を涼しい森林浴と一杯ですか、何から何まで至れり尽くせりで泣けてくるね。そうそうカンカン照りは避けて、こんな一杯もいいなあ。骨休めに揺られて、次の山行を練らんとして練りながら寝るのであった。スヤスヤスヤ・・・もう飲めないや。 タップリと充電の後は、意気揚々と山頂は云うに及ばず登りながらもビールを空けて、木登りや山登りの後は、ビヤーガーデンのタンクローリを生飲みの反省会。幾らでもあると安心して飲めるとローリのホースをジョッキで中継ぎして我輩の口から飲み込んだ先は、内腑の回廊を降って滝となって放出、心静かに行く末を思うのであった。かくして出逢いがあれば別れがある、こだわりがあれば角が立つ、無常の世界を悟る我輩であった。かくして我輩は△□○の宇宙に生きるのであった。 秋は焚き火で鮭1本丸ごとのチャンチャン焼きを喰いながらの1本いっとくがよかったなあ。北海道から直送で送られし鮭のトロを刺身に、格別だったな。その後、鮭を1本いっとくと云ってもなしのつぶて、手に入らないのである。誰か彼、寄こしてくれる有り難い御仁はいないものかと探しているのであるが、未だに見つからない。鮭がいなくなったなんぞ聞いたことがないのに此の様だ、インターネットで日本全国1億2千万の人に伝えるのも割と楽になったから、その時は皆さんをご招待し、時と場所は我らがひめつつじを愛でる御在所岳の頂上で、アキアカネ達や星達を見ながら、盛大にやりましょう。 春の宴会暮れの忘年会は渓魚苑で、美女達と1本いっとくを、良くぞ忘れないでくれたね、我輩にとってこれが結構気に入っているのである。飲んでも潰れない美女には敬服するね。正直に云うと美女達の方が強いんだ、こんな美女には蝶よりも心が移るというもんだ。ここは渓魚苑大広間、養老の滝ならぬ天井からお酒がぽたぽたアレアレレどうなってるのかな。まあ良いか、のんべえにお酒なら総てよし、断る馬鹿もなし。 こぼしては勿体無いと並々と注いだお酒は、はいつくばって一滴たりとも溢さずに飲み干すのが我輩のマナーである。この時、我輩の人生を狂わす一大事変が起きたのである。ナイフで切って造った缶ビールの即席のコップ酒で、飲もうとして近づけた口先がニュートンの万有引力の法則以上の強さでもって引き合い目標から2cmばかり低かった。低かったお陰で我輩の鼻の頭が丁度コップの淵めがけ突進して慣性の法則そのままに痛いという鼻の云うをきかず、気が付けば鼻の頭をスッパと切り真っ赤な血を出した失態を演じたのがそもそもの、赤鼻ののんべえの始まりとあって、あのときあの場面に巡り合っていなければ、今回のいや今後もなっかたと思えば、縁は奇なもの不思議なものと思い悔やまれるばかりなり。それもこれも美人が柴痴庵の「つれづれ山行日記」に、描いた我輩の姿の落書きと「ひめつつじ青空作品展」が致命傷となり、飲兵衛誕生と相成った次第である。バーブ佐竹か菅原洋一かどちらも似て非なる姿、我輩も、漫画の姿とは似ても似つかずと思うが、吾人は似てそっくりと無責任なことを云う。 ダルマストーブに温まりながら小屋の親爺と飲んで話しをすれば、一杯よりは二杯と優る話しが出て来て、忘却の彼方から沸々と湧き出る楽しかった山行の思い出に、山行の苦しみだけを忘れ去り、レッドを特級酒に替えてくれる山の上、此処は地上の世界とは別なんだ。高度を増して得たポテンシャルエネルギーは酒の中に活力をみなぎらせて、のんべえの胃袋より血液の中に吸収され中枢神経を麻痺させたエントロピーは混沌の世界と広がっていくのである。 御在所岳の山中に面白くて見晴らしの良い岩が沢山あって、行き帰りにその地蔵岩、負ばれ岩、人指し岩の上で1本いっとくを連発するは、もの云はぬ案山子に烏の喩え、まあいいか。天職と自己本位を全うして、のんべえの百態を残せば眼が廻り廻って本望なり。昔、猫は麦酒に酔って庭の水瓶の中に、今、我輩は日本はもとよりこれから、世界の山をめざして只酒ののんべえを極めんと。昇天にはまだ大分間があると思ったら、美女めがけて1本いっとく?誰彼となく飲め飲めを連発する今日この頃である。 ‘00年某月某日 のんべえ記 |
