プレーパーク 冒険遊び場
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![]() プレーパーク開催時に常駐する大人です。遊びの指導者のようですが、子どもから頼まれれば指導することもありますが、遊び場の整備や遊びから成長する子どもを見守り、時に話し相手になり、子どものありのままを受け入れ、子どもに事故あるときは適切に対処する。それがプレーリーダーの役割です。子どもたちは親しみをこめてニックネームで呼びます。 また、プレーリーダーを補佐するのが、「サブ・プレーリーダー」と呼ばれ、遊び場の整備やイベントの手伝い等をする人は、「世話人」と呼ばれています。 |
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プレーリーダー宣言(出典 特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会 公式ホームページ) 解説 プレーリーダー宣言とは、2002年2月におこなわれたプレーリーダー全国集会「遊学祭(あそまなまつり)」にて発表されたものです。 この宣言は「プレーリーダーが社会に向けて発信したいこと」と「プレーリーダー自身にとって自分を振り返る鏡のようなもの」という2つの意味を含んでいます。子どもが遊ぶ現場で最前線に立っている者として、「今、子どもが置かれている状況」の問題をシッカリと提起し、そして、子どもがいきいきと遊べるような社会に変えていくための宣言です。 宣言は子どもの遊びを支えようとする大人にとっても、厳しく響くと思います。しかし、決して「これをやれていないヤツはダメなんだ」と突きつけるためだけではなく、子どもに関わるあらゆる人へプレーリーダーからの「一緒に子どもの遊びを支えていこう!」という呼びかけなのです。宣言のような気概を持った大人たちによってこそ子どもの自由な遊びは保障されるのではないでしょうか。まさにわたしたち一人一人の取り組みが必要なんだ、という気持ちを新たにしました。 この宣言文を活動の中で利用し(メンバーで読み、話す。広報誌に載せるなど)、自分たちの糧にしながら、いろいろな手だてで「プレーリーダー」を正しく伝えていくツールの一つとして使ってみませんか。 プレーリーダー宣言 遊ぶからこそ子どもは生きる。 遊びは子どもにとって、食事や睡眠のように生存と成長のために欠かせない。それは芸術のような魂の表現であり、哲学のような存在の証明であり、旅のような精神の修養であり、航海のような未知への冒険であり、人間関係をつむぎ上げる文化そのものなのだ。 一方、冒険を恐れる大人たちは、失敗することをひどく嫌い、金で買える物や点数で計れるものばかりに心を奪われ、自分が子どもの命の道筋を先導できると錯覚し、大人の思い通りにならない子どもの自由な遊びを無視し、ときには排除すらしてきた。 その結果、子どもはその体の中に秘めた、生きる原動力たる生命力を発揮する術を奪われ、聞き分けのよい「小さな大人」でいることを強いられている。 「今」を生きることを許されない子どもたちは生きる実感を持つことができない。 子どもから自由な遊びを奪おうとするあらゆるものたちよ。 子どもに自由な遊びを返還しようではないか! そのために力を注ごうとする人たちよ。 立場を超えて手をたずさえよう。 我々は感じなければならない。生きる実感を持たない人間がつくりだす社会のむなしさを。 我々は知らなければならない。遊びを通してでしかつむげない人間関係があることを。子どもが子どもだからこそ持ち得る自由と力を。 我々は思い出さなければならない。時間を忘れて遊んだことを。心の底から笑えたことを。居場所を奪われた悔しさを。本気でぶつかり合う仲間がいたことを。 二度と来ない子ども時代。そこに生きることの根源がある。 プレーリーダーは、子どもが自由に遊び、いきいきできる環境を実現することを目的に行動する。 一、子どもが主役の遊び場をつくる 一、子どものありのままを受けとめる 一、子どもと人として対等な関係を築く 一、遊びから見える子どもの姿を発信し続ける 一、子どもの遊びを重視できる社会へと意識の転換を図る プレーリーダーは以上のことについて、常に自己研鑚する事をここに宣言する。 2002年2月11日 第一回全国プレーリーダー遊学祭 |
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