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2004.10 Reminiscences

激震

 10月5日、《マグニチュード∞》の地震がきた。

たぶん、私はこの日をずっと忘れることはないと思う。

 始まりは、とある友達ママからの電話からだった。
いつものようにMMを今池まで送って、丁度家に着いた時だった。
みんな同じように朝が早くて、5時台、6時台にメールがくるのは決して珍しいことじゃないけ
ど、着信っていうのはあんまりない。
でも特に気にすることもなく、いつも通りに「もしもし〜」とケータイをひらいた。
能天気な私の「おはよ〜」の声に対して、彼女の声は普段と全然違って、切羽詰まってた。
 『今、ドコ?』
 「今ぁ〜?家着いたトコだよ。なぁに〜、電話なんて珍しいねぇ。」
 『あんた、新聞どこの新聞?!見た?!』
 「Nだけど…。見てないよ〜、帰ってきたばっかだしさ…」
 『いーから、早く新聞持って来てっ!』
「はぁ〜?」と思いつつ、言われたままに開いたページにあった見出しが目に入った途端、頭の
中がグルグル回りだした。
心臓がバクバクいいだした。

 MMから何も聞いてなかった訳じゃない。
理由もなく休みになるはずのない部活が何日も休みになった時点で、MMを問い詰めて、多少は
わかっていた。
100%虚偽だとはいわないけど、かなりのところでMMの話とは食い違ってた。
MMを信じるのか、目の前の文字の羅列を信じるのか、正直揺れたし、…悩んだ。
「なんで・・・?」と思ったら涙が出てきた。

 仕事は当然まともにできるはずもなく、職場に届く新聞は全てチェックした。
でも、他の新聞には同じ内容のカケラすら載ってない。
あまりの違いに何が何だかわからなかった。
県内でうちと並んで強豪といわれる高校の友達パパさんからも、メールではなく、着信が立て続
けに3回。
少し席を外して館外で電話をしてみた。
新聞では状況がよくわからないから私に聞こうと思ったみたい。
「MMの言ってることだよ。」と前置きして、隠さず話した。
その学校ではその日、父母会の定例会があって必ず話題になるから、自分なりに考えを整理した
かったって。
『信じてるから頑張って…』と言ってくれた言葉に、雨の中傘に隠れてまた泣いた。
仕事を終わって《名曲鑑賞会》を逆手にとって、学校に電話してみたけど、なんとも空々しい返
事に呆れるだけだった。

 次の日も傷心のMMを学校に送った。
でも私は笑顔になることができなくて、情けないけど仕事を休んだ。
そのうちMMから珍しく電話が入る。
署名を集めてほしいという。
馬鹿な親と思う人は思えばいいと、とにかく手当たり次第に電話したり、メールを送ったりして
、了承してくれる人の連絡を待った。
友達みんなが家族やそのまた友達にも聞いてくれて時間までにトータル60人以上。
約半日でこんなに協力してもらえるとは思わなかった。
そうこうしている間にも、放課の度にMMから連絡がきた。
学校内では子供達が右往左往しているのがわかった。

 夕方、中庭に車を停めると、ある人達から署名の話をされた。
正直、以外で心外だったから「子供に会ってからにします」と断ってその場を去った。
結局、その人達が用意した用紙に時間の許す限り、ただひたすら書き写したのだけど、A4の紙
に線を引いただけの粗末なもので、書きながら「これで本当に学校に届くんだろうか?」と不安
になった。
「署名」というものは、そんなに軽んじていいものなんだろうか?
あるママさんは遅く学校に到着したばっかりに時間までに書ききれず、その分はあっさり却下さ
れた。
なんともいえない嫌な空気だった。

 保護者会は悲しいだけだった。
始めに「結論ありき」と感じた。
途中からは何が話されていたのか、あんまり覚えていない。
あれだけの人がいて、一体どれだけの人が納得できただろう。

 帰り…。
1人のママさんが私の腕を掴んでお茶に誘ってくれた。
あのまま1人でいたら、その場に座り込んでた気がする。
まともに家に帰れたかどうかも危うい。
お茶をしたファミレスで「???…?」とその人の人格を疑ってしまうような光景を目にした。
その立場でこんな時によく笑っていられるな…と。

 中旬には学校見学会。
子供達は私以上にしっかりしてた。
心の中は泣いてたかも知れないけど、笑顔で中学生の応対をしてた。

 千種区役所での依頼演奏。
当然、先生の姿はなく、代わりの先生の指揮での演奏だった。
申し訳ないけれど、何から何まで物足りない。
校長は「素晴らしい」と言ったらしいけど、本当に本心だろうか。
だったとしたら、音楽を知らないにも程がある。

 下旬に学校から保護者会開催の通知。
「行ってなんになる?」と思いつつ、《行かない》という選択肢は私にはなかった。

 28日、当日。
前回と同じように、大勢の人が集まったけれど、やっぱり、思ったとおり、何もかもがもう、レ
ールが敷かれているみたいだった。
どんな希望を出そうが、行き先は変えられないような…。
部の中心となる保護者も、承認も取らずに、いつの間にか5人に増えていた。

 《署名はどうなったのか?》と素朴な質問を投げかけてみた。
考えはそれぞれだけど、あの日、間違いなくたくさんの人が署名を集めた。
色々な話があったのに、署名に関しての説明が何もなかったのが、私達の不満だった。
すぐに回答はなく、やっと出てきた言葉。
【子供にそのまま渡したので、その先は分かりません】
代わりに学校側が説明をしたけれど、受け取ったことは確かなだけで、正確な署名人数は発言さ
れなかった。
呆れて返す言葉がなかった。
いい年して、《署名》というものの重みを理解していない人達に託さなければならなかった自分
達の力の無さを思い知った。
後である人が「今更、どうしてあんな(署名の行き先)質問をする?」と言った人がいる。
私がその場にいたら、間違いなくブチ切れてた。
いなくてよかった、本当によかった。
常識のない人と言い争ったって無駄だもの。

 多くの疑問や問題が解決されないまま、父母会も立ち上げられた。
2〜3人で…と言われたけれど、私達2年生は4人出すことになった。
何故かその4人の中に私がいた。
つぶされそうだった。
でも想いを共有するママさん、パパさんがいたから頑張れたと思う。

そしてMMは不信感の塊だったように思う。
何をするにも能率が上がらず、バランスも崩していたように思う。
そんなMMを2人のOGの先輩がメールで支えてくれていた。

私達母娘は、とてつもなく大きなものを失った代わりに、素敵な仲間が自分の周りにいることを
改めて気付かせてもらえた。

長い、長い《イバラの道》の始まり。。。

                              end