★楽譜作りを甘くみて、演奏会をオジャンにした話


 このお話はフィクションです。しかしそのほとんどの部分は、実話をベースにしています。 演奏現場の楽譜を甘く見ると、最悪の場合コンサートそのものが台無しになってしまうこともあるのです。

手書きは大変!!

 花の木合唱団は来年創立50周年を迎えようという、N 市でも老舗の合唱団である。
「50周年コンサート」を、どのようなプログラムで飾ろうか?という事が、今すべての合唱団メンバーの一番の関心事であった。
 今日も練習後に開かれた運営会議で、そのことが議題となった。
「モーツァルトのレクイエムはどうだい?」
「お祝いの演奏会に、レクイエムってのもねぇ・・」
「やっぱ、ベートーヴェンの第九じゃ?」
「第九は年末に、そこらじゅうで歌われてるじゃん」
メンバーからはいろいろな案は出るものの、どうも「これ」という名案がない。
 その時である。創立以来の最古参メンバーである板東が、スックと立ち上がると、図太い声で叫んだ。
「志水治先生に、新作をお願いしようじゃないか ! 」
メンバーは皆、息を呑んだ。なぜならば志水治といえば、合唱界では知らない者はいないというほどの重鎮で、これまで数多くの傑作を生み出して来た大巨匠だったからだ。
「志水先生ほどの方が、われわれのようなアマチュアのために、曲を書いてくれるだろうか・・・」
「いや、もし仮に作曲を引き受けてくださったしても、あれほどの先生だ。作曲料を一体いくらお支払いしなければいけないのだろう・・・」
 あちこちから心配そうな声があがった。しかし板東は自信たっぷりといった表情で、ドオーンと分厚い胸を叩いた。
「なあーにみんな、心配すんなって。おれが直接、志水先生んとこ行って、頼んでやっからよ!!」
メンバーたちは皆、黙りこくってしまった。板東はいつも、一度言い出した事は絶対あとには引かない男だ。いまさら何を言ってもムダだ。 それに、ここで最古参の彼に逆らいでもすれば、合唱団の中だけでなく日々の生活面においてもマイナスになる・・・口にこそ出さないが、誰もがそう思っていたのだ。
 数日後、手みやげを片手に勇躍上京した板東は、真っ先に志水の家を訪ねると、いきなりガバッとその足下にひざまずき、深々と頭を下げた。
「私たちは先生の作品を心から敬愛しております。 先生!! どうか私たちの合唱団ために、新曲を書いてくださいっ。作曲料は惜しみません。お願いですっ。お願いします、このとおりです!!」
「き、君っ。頭をあげてくれたまえ」
板東の古風な熱意は、老巨匠・志水の心を動かしたのである。
 半年後、フル・オーケストラ付き・演奏時間30分以上という大作が完成したという知らせが、志水から板東のもとにもたらされた。
「やったーっ、志水先生、ついに完成したってさ!! 」
合唱団員たちを前に、鼻高々の板東であった。
ところが喜びも束の間、志水のマネージメント関係から新作の作曲料を聞いた板東は、顔からすうっと血の気が引いて行くのを感じていた。なぜならばその額は、彼の予測をなんと10倍近くも上回っていたからである。
 それにもう一つ、板東が予測もしていなかった重大な問題が生じた。それは、オーケストラと一緒に演奏するためには、オーケストラのメンバーが各々のパートを演奏するための「パート譜」を作らなければならない、という事であった。「パ−ト譜」というものの必要性を、板東はまったく知らなかったのだ。
「オーケストラのメンバーの楽譜は、作曲家の書いた楽譜をそのままコピーして渡しゃいいんだろう?」などと、安易に考えていた板東は、ただただ途方に暮れるばかりであった。
「そのパート譜ってぇ云う、ヤヤコしいもんを作るのには、一体いくらかかるんだ?」
重い腰を上げた板東は、さる有名な東京のプロの写譜屋・Hに、問い合わせの電話を入れた。
「そうですねえ・・・楽譜を拝見しなければ、はっきりしたことは申せませんが、二管編成で30分ですと・・・大体百万前後ですかね」
「ええーっ・・・ひ、ひ、ひゃくまんーー・・・・」
電話の向こうから聞こえて来る事務的な男の声は、板東の心をふたたび地獄に突き落とすに充分な説得力を持っていた。
力なく受話器を置いた板東は、ますます途方に暮れていた。
演奏会は刻々と迫ってくる・・・・。
( 俺が言い出した手前、どうしてもこの大作を初演しなければならない )
すでに合唱団の財布は、志水への支払いと、オーケストラに支払う出演料とで、火の車状態になっていた。
 思いあまった板東は、合唱団のメンバーたちに、こう提案した。
「みんなで、オーケストラのパート譜を書こう!!
なあーに、おれたちゃあ皆、楽譜を見なれているから、ちーっとも難しいこたぁないさ! 」
「ええっ、そんなぁ・・・私たちに書けるかしら?」
心配の声をあげる者はいたが、合唱団の中に誰も板東に反対する者はいなかった。
いや、もはや反対できる状況ではなかった、と言うべきだろう。
 次の日から合唱団員たちの悪戦苦闘が始まった。分厚いフルスコアを何部もコピーし、メンバー全員が分担しあって、ひとりひとりが手書きでパート譜の作製にとりかかったのだ。
 しかし、楽譜の作製というのは予想以上に面倒なものである事を、しだいにメンバーたちは思い知らされる事となる。合唱の譜面しか見たことのないメンバーたちにとって、オーケストラのパート譜を作る事は、困難の連続であった。
「あれーっ? オーボエのパ−ト書いていたはずなのに・・・いつの間にかクラリネット書いてた!! 」
「いっけねー、バスーンの1番書いてたはずなのに、いつの間にか2番書いてるぞっ」
「ねえ、クラリネットはinCをinBに移せって書いてあるけど・・・これって、どうしたらいいの?」
「あれえっ? ヴィオラはここからヴァイオリンと同じって書いてあるけど・・・・ト音記号のこのAは、アルト記号の、えーっとどこだっけ」
楽譜の作製というより、まるでクイズゲーム状態だ。
 それでも、演奏会の二日前のオケ合わせの日までに、ようやくメンバ−手作りのパート譜は完成した。本当はオーケストラの方からは「早く楽譜を送ってくれ」という、連日の催促があったのだが、それはとうてい不可能であった。
 いよいよオケ合わせの日、ホールには様々な楽器のケースを抱えたオーケストラのメンバーたちが、続々と集まって来た。
 オーケストラの名前は「花の木メモリアル・グランド・フェスティバル・オーケストラ」
名前はやたらかっこいいが、実体は寄せ集めオーケストラだ。よく見ると、まだ学生みたいなメンバーもいる。しかしこれでも200万円もかかるのだ。
 指揮は東京から高齢をおして、志水が駆けつけた。
合唱団とオーケストラに志水を紹介する板東の顔の、なんと嬉しそうなこと !!
 ( ああ、ようやく今日の日を迎える事が出来た・・・ )
しかし、そんな晴れやかな板東の心は、志水のタクトが振り降ろされた瞬間、地獄の底に突き落とされたのである。
 ( グワワワーーン、グチャグチャーッ !! )
オーケストラから発せられたのは、この世のものとは思えぬ不協和音であった。
タクトを止めて放心状態の志水は、やがて板東を物すごい勢いでにらみつけると、おごそかに言った。
「どうも、パ−ト譜に間違いがあるようですな・・・」
その時である。トロンボーン奏者がスックと立ち上がった。
「先生っ、僕のパートに高すぎて出せない音が書かれてるんですが」
「なにイ、高すぎるって? わしはそんな音など書いてはおらんわっ! 」
するとコントラバスの男が、申し訳なさそうに小さな声でつぶやいた。
「あのー・・・最初の小節は四分の四拍子ですよね。四分音符が五つ書いてあるんですけど」
「な、なっ、なにイーッ」
志水の顔はみるみるうちに真っ赤になっていく。それとは正反対に、板東の顔は真っ青に変わって行った。
練習の方は、音を出す時間よりも楽譜のミスを調べている時間の方が長いくらいで、あっという間に予定された練習時間がなくなってしまった。
オーケストラの面々はウンザリした顔つきで、楽器をケースに仕舞い始めた。
「おいっ、まだ演奏がこんな状態で、君たちは帰ろうというのかっ」
志水が、ワナワナと声を震わせながら怒鳴った。
「そんなこと言われても・・・私たちは今日の練習は4時までと聞いてますから」
コンサートマスターが、「心外だ」という顔つきで言った。
「だいたいよォ、楽譜がもっとチャンとしてたら、練習なんて一日でもよかったのになーっ。
ったく、汚くて何の音かもわかんネェし、メクリもメチャクチャだしさっ !! 」
ヒゲ面のトランペット奏者が、聞こえよがしにつぶやいた。
 志水はガックリと肩を落とすと、うめくように言った。
「板東君、わしは悲しい。この半年というもの、わしはこの作品に全精魂を傾けてきたのじゃ !!  それなのに・・・ああそれなのに」
「せ、先生 !! 申し訳ありませんっ・・・何とおわび申しあげたら良いのか。
と、ともかく今夜は、合唱団のメンバ−全員で、楽譜を見直しますっ」
 しかし、時すでに遅かったのである。
メンバ−苦心のパ−ト譜は、もはや完璧に直すことは時間的に不可能であった。次の日の練習で疲労困ぱいした志水は、とうとう演奏会当日の指揮をキャンセルしてしまった。
急きょピンチヒッターで指揮台に上がった合唱団の若い指揮者は、緊張のあまり何度も振りまちがえ、オーケストラ・合唱団は本番で2回も演奏がストップするという、前代未聞の大失態を演じた。
 演奏が終わるのを待たず、志水は憤然と会場を後にした。
コンサートのあと、板東のもとに残ったのは、どうしようもない疲労と、合唱団に貢ぐために借り入れた莫大な借金、それにメンバーからの不信の眼差しだけだったという・・・。

  

このような悲劇を招かないためにも、楽譜作製はぜひ、
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