日本の作曲家たち/6  高田三郎

                     (2016.5.24 /更新)

    

              (1913 〜 2000 )

        (写真提供= 高田留奈子/以下同じ)

 このページでは、わが国合唱音楽を代表する作曲家・高田三郎氏の「管弦楽作品」を中心に、高田氏ご遺族の承認を得て紹介しています。
なお文中では高田氏他の敬称を一部略させていただいております。また高田氏の「高」の字は、本来旧字体で表記されねばならないのですが、諸般の事情により本ページでは新字体表記となっております。どうぞ悪しからずご了承ください。(楽譜作成工房「ひなあられ」/ 岡崎 隆)


高田三郎 初期の名作「山形民謡によるバラード」
  弦楽合奏版 = 本邦初演 !

 鬼頭恭一 メモリアルコンサート

  指揮 岡崎 隆  演奏 名古屋パストラーレ合奏団

 2015年12月15日 (火)  18:00 開場、18:30 開演
 熱田文化小劇場
 主催 名古屋パストラーレ合奏団


 高田三郎氏・最初期の作品で、音楽鑑賞教材にもなった「山形民謡によるバラード」の弦楽合奏版が、初めて演奏されました。
第1曲「ファンタジー」は高田氏が東京アカデミカー・アンサンブルのために編曲した版がありますが、今回は本来「フーガ」の前に挿入されるために書かれ、現在は忘れられている 「インテルメッツォ」も加えた全3曲が演奏されました。
5年前、高田氏奥様・留奈子様のお勧めを受け私が編曲したもので、これまで私的録音されたことはあったものの、演奏会での上演は今回が初めてとなります。(岡崎 隆)


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 名曲「水のいのち」を、オーケストラの伴奏で歌いませんか。

 2014年 (平成26年) は名曲「水のいのち」初演から50年目にあたりました。この名曲のオーケストラ伴奏版は2005年 (平成17年) 9月、愛知県芸術劇場コンサートホールで開催された「高田三郎作品によるひたすらないのち/愛知演奏会」(主催/南山学園) で、初めて演奏されました。(編曲/トーマス・マイヤー・フィービッヒ (国立音楽大学教授)) 
 2009年 (平成21年) 2月には高田三郎直弟子の今井邦男氏による2種類の編曲版 (オーケストラ伴奏版、弦楽とピアノ伴奏版) が完成、また2012年7月には荒谷俊治氏による小オーケストラ伴奏版も生み出されました。その後永友博信氏の弦楽とピアノ版も加わり、現在「水のいのち」には5種類のオーケストラ伴奏版 (大・中各編成、弦楽とピアノ版2種など/混声・女声・男声すべてに対応) があります。
作曲者の生誕100年にあたる2013年には全9回の演奏が行われ、2016年5月までにその上演数は55回を数えています。
 

私ども楽譜作成工房「ひなあられ」では、唯一高田氏ご遺族から許諾をいただいた「水のいのち」オーケストラ伴奏版レンタル譜面を取り扱っております。詳しくはこちらをご覧下さい。
お問合せはメール ( pasAma.medias.ne.jp (「A」をアットマークに変えて下さい) または電話 (0569-42-1796)でお寄せください。レンタルに関する詳しいご案内を送らせていただきます。
・「水のいのち」に、新たなオーケストラ伴奏版 (弦楽とピアノ) が加わりました。(2014.10.10)
     ( 永友 博信/弦楽とピアノ伴奏版 )

・ 典礼聖歌「平和の祈り」に、弦楽伴奏ヴァージョン(オルガン付/省略可)が誕生しました。(編曲/岡崎 隆)
高田三郎の管弦楽作品/レンタル演奏譜リスト
・合唱組曲「水のいのち」ほか 高田三郎/管弦楽曲=今後の上演スケジュール
「水のいのち」管弦楽版ほか/高田三郎/管弦楽作品上演記録 (2005 〜 2016.5)


 試聴できます = 

高田三郎「山形民謡によるバラード」より「ファンタジー」(作曲者による弦楽合奏版) 
 「インテルメッツォ」「フーガ」 (弦楽版= 岡崎 隆・編)

  演奏/名古屋パストラーレ合奏団 (指揮/ 岡崎 隆)



   高田三郎の管弦楽曲   

                               ( 岡崎 隆 / 2014. 3 )

1. 序章〜1941年秋/東京・上野 

 上野の杜の紅葉は、いつもの秋と同じように、日々その数を増していた。しかしこの年は、何かが違っていた。分厚い紙袋を大切そうに抱えた若者が、落葉をカサカサと踏み締めながら歩いて行く。つばの大きな帽子をかぶり、小奇麗な背広をまとったその若者の傍らを、国民服に巻脚絆姿の大股の群れが横切る。そう、この場所にも確実に、戦争の影は忍び寄っていたのだ。
 1941年 (昭和16年)11月、東京音楽学校奏楽堂。窓から、緊迫した世相をひととき忘れさせる、
オーケストラの優しく美しいメロディーが流れ出て来た。窓から中に目をやると、客席には、じっと床に目を落としながら涙を流し続ける、さっきの若者の姿が・・・。
 やがて指揮者はタクトを止め、客席に向かって大きな声で叫んだ。
「タカタさん、いかがですか ! 」
若者は何も答えず、ただ首を何度も縦に振るばかりだった。
「あなたの曲は、どうしていつも、こんなにNORDISHなんでしょうね・・・」
 両手を横に上げながら微笑む指揮者に、若者はやがて、はにかんだようなぎこちない笑顔を向けた。


2. 山形民謡によるバラード

 若者の名は高田三郎、28歳。
音楽の志を抱いて故郷・名古屋を後にし、上京してから早や9年、念願だった東京音楽学校研究科 (現在の大学院) を修了するために作曲した管弦楽曲「山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ 」が、作曲・指揮の師・フェルマーの指揮する学生オーケストラにより、はじめて演奏された瞬間である。 この時の事を高田は、のちに次のように書いている。
「最初の音が鳴りだした瞬間、目から涙が溢れてきてとまらず、私は最後までうつむいたままきいていた。私が初めて私自身に会う事ができた時だったのだ、と今思うのである」
「ファンタジーと二重フーゲ 」は11月15日、初演の時を迎える。その客席で、熱心に演奏に耳を傾ける一人の女性がいた。
「なんと美しい作品だろう・・・このような曲を書く人と共に人生を歩めたら、私はどんなに幸福だろうか」
 女性の名は森留奈子・22歳。東京音楽学校ピアノ科でも腕利きの名ピアニストだった。
2年後、高田と森は結ばれる。時まさに日本は米英との戦争の真っただ中。その宴は、おそらく簡素なものであったことだろう。
「ファンタジーと二重フーゲ 」は高い評価を受け、翌1942年 (昭和17年) に日本楽譜出版社からスコアが刊行された。これは日本人作曲家としては当時、実に画期的な事であった。
 ある日、銀座の楽譜を扱う店に立ち寄った高田は、ベートーヴェンやモーツァルトなどの大作曲家と同じ書棚に「山形民謡」の背表紙を見つけた。
「これはいかん」というのが、その時の作曲家の思いのすべてであった。「古今の大家のスコアと並んで、私の作品などが・・・」という思いが体中一ぱいになり、足早やに店を後にし、一刻も早くその場所から離れたいという一心で、どこまでもどこまでも歩き続けた、という。作曲家の謙虚さ、誠実さを物語る、美しいエピソードだ。
「ファンタジーと二重フーゲ 」はその後、指揮者・ローゼンシュトックのアドバイスを受けてコーダが追加され、1965年 (昭和40年) に音楽の友社から改訂版のスコアが出版された際に、曲名も「山形民謡によるバラード」と改題された。



3. 作曲家・高田三郎

 高田三郎は1913 (大正2) 年12月18日、名古屋市中区矢場町に生まれた。
南久屋尋常小学校を経て愛知県立第一中学校 (現・旭ヶ丘高校)に進学後、音楽の道に進む決心をし1932年 (昭和7年) に上京、武蔵野音楽学校 ( 現・武蔵野音楽大学 ) に入学する。1935年 (昭和10年) に卒業後、ただちに東京音楽学校(現・東京藝術大学) 作曲部に入学し、同校を研究科まで終え、さらに聴講科の指揮部に学び、信時潔、細川碧、片山頻太郎、プリングスハイム、フェルマー、グルリット、ローゼンシュトック、クロイツァーらに師事した。1943年 (昭和18年) 聴講科指揮部を修了後、作曲・指揮活動を本格的に開始した。1948年 (昭和23年) に平尾貴四男、安部幸明、貴島清彦らと作曲グループ「地人会」を結成し、共同で作品発表を行なう。1954年 (昭和29年)に作曲された弦楽四重奏のための「マリオネット」を境に、 田の創作の中心は声楽作品へと移って行く。
 日本語の美しさを基調とし、誠実な人柄が滲みでる 田の合唱作品は多くの共感と支持を得、その後「水のいのち」をはじめ「心の四季」「わたしの願い」など、全国の合唱団のレパートリーに欠かせない傑作の数々が生まれた。



4. 初期の管弦楽曲

 このように、こんにちでは合唱音楽界を代表する作曲家としての評価が定着している高田三郎であるが、冒頭で記したように、その作曲の原点は、「山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ 」という管弦楽曲であった。
 高田はその創作初期に、次の10曲の管弦楽曲を生み出している。

、 ファンタジーと二重フーゲ (山形民謡による)
  (1941/1965に改訂し、「山形民謡によるバラード」と改題)
☆ 管弦楽のための組曲 (1941)
、 組曲「季節風」 (1942)
、 ヴァイオリンと管弦楽のための譚詩曲  (1944) 
☆ 交響的楽章「アラマルチア」(1944)
、 間奏曲 (1944)
、 舞踏組曲「新しき泰」
(1945/ 戦後「新しき土と人と」と改題)
、 狂詩曲第1番「木曽節」 (1945)
、 狂詩曲第2番「追分」 (1946) 
☆ 扉 (1946)

  (註/自筆譜面の所在 、=確認、☆=未確認  2009.11 現在)

「山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ 」と同じ1941年 (昭和16年) に書かれた「管弦楽のための組曲」は4楽章からなり、作曲当時は「幻想組曲」という題名が付けられていた。(演奏時間約20分) ところがこの作品は、1945年 (昭和20年)4月13日、マンフレッド・グルリット指揮する中央交響楽団 (現・東京フィルハーモニー交響楽団) による上演に先立つリハーサル終了直後、練習場が空襲にあい、スコア・パート譜とも焼失してしまった。ただ幸いな事に第1楽章のフーガは、直後に作曲された「山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ」の後半部分にすでに転用されており焼失後も作曲者は記憶をもとに、2曲を「狂詩曲」として、新たに再編している。
 東京音楽学校在学当時から高田の才能に注目したのが、同校の先輩で当時、日本放送協会 (現・NHK) で、海外放送音楽プロデューサーをつとめていた沖不可止であった。沖は高田に放送用の管弦楽曲を、次々に依頼する。
 現在、その自筆譜のほとんどが、NHKアーカイブスに残されている。また1944年 (昭和19年)、沖は高田に対し「ファンタジーと二重フーゲ」の間にインテルメッツォを挿入することを提案する。「ファンタジーと二重フーゲ」の素晴らしさを評価しつつも、第1曲の日本情緒あふれる「ファンタジー」のすぐ後にフーガが続く構成に、沖は違和感を感じていたのだ。
 そこで生まれたのが、管弦楽のための「間奏曲」(演奏時間5分) である。しかし「ファンタジーと二重フーゲ」が後年「山形民謡によるバラード」として改訂された際、高田はこの「間奏曲」を取り入れる事はなかった。現在この「間奏曲」は、留奈子夫人によって筆写された譜面が、東京・芝の日本近代音楽館に寄託されている。
 1945年 (昭和20年) に入り、高田家は4月と5月に、二度の空襲に見舞われた。高田は自らの譜面を常にトランクに詰め、警報が鳴ると直ちに防空壕に放り込んで土をかけ、何と落ちて来た焼夷弾を手づかみで風呂に放り込むなどして、守り通したのである。
 この頃の作品として交響的楽章「アラマルチア」(1944)、「扉」(1946) が伝えられているが、現在譜面の所在は不明である。留奈子夫人によれば高田三郎は80歳の頃、それまでの作品のすべてを整理し、遺すべき以外は全て破棄したということで、上記2曲も破棄された可能性が高い。
画家ルオーを連想させるエピソードだが、まことに惜しまれる事である。


5. NHKアーカイブスに残された5作品

 2005年、筆者は高田三郎初期の管弦楽曲の自筆譜が残されている、NHKアーカイブスを訪ねた。
・・・・そこはまさに別世界であった。最適に管理された温度と湿度のもと、望みうる最高の状態で、膨大な譜面が保管されていたのである。職員の手によって、古ぼけた手書きの自筆譜が、作曲家自身が作成したと思われるパート譜と共に引き出されて来た時の感動を、今も忘れる事が出来ない。
 確認された高田三郎の自筆譜は、組曲「季節風」(1942)、「ヴァイオリンと管弦楽のための譚詩曲」 (1944)、舞踏組曲「新しき泰 (新しき土と人と)」、狂詩曲第1番「木曽節」(1945)、狂詩曲第2番「追分」(1946)の、全5曲であった。
「ヴァイオリンと管弦楽のための譚詩曲」以外は、沖不可止の推薦により、海外放送用に委嘱されたものだ。日本放送協会は当時国策に準じ、日本独自の音楽を積極的に海外向けに放送していた。すべて生放送だったため初演当時の録音等は現在、全く残されていない。そして5曲とも放送初演以後は、ほとんど再演の機会を得ていないと思われた。
 5作品の自筆譜のページを繰るうちに、「これらの作品を、何とか現代に再演出来ないものだろうか」という思いが沸き上って来るのを、筆者は抑える事が出来なかった。
 NHKアーカイブスのご好意を得て、自筆譜のコピーをとり、さっそく次の日から5曲の演奏用浄書譜の作成に取りかかった。作業には、最新楽譜作成ソフト・FINALEを使用した。当初1年程度で完成する心づもりであったが、思いのほか作業は困難を極めた。演奏者の信頼に足る浄書譜を作成するためには、作曲者の管弦楽法を少しでも理解し、その意図を漏らすところないよう、すべて譜面に込めなければならないからだ。
 2009年 (平成21年) 6月、ようやく5曲すべての浄書フルスコア・パート譜が完成した。浄書譜は現在、筆者の本棚の片隅で、静かにその再演の時を待っている。



6. それぞれの作品について

組曲「季節風」 (1942) 
 (1.「春/野辺を吹く風」 2.「夏/大海原を吹く風」3.「秋/落葉を誘ふ風」
  4.「冬/雪をもたらす風」 )
 1942年 (昭和17年) 4月10日午後6時に作曲者の指揮、東京放送管弦楽団により日本放送協会海外放送初演。演奏時間約14分。1947年 (昭和22年) に舞踊曲として再演されたが、以後は全く演奏されていないと思われる。
 四季をタイトルとした各曲は、たいそう親しみやすい内容を持っており、「春/野辺を吹く風」の主題は、明らかにシューベルト「冬の旅」第11曲「春の夢」から取られたもの。その愛らしいテーマは、一度耳にしたら忘れられない、まさに夢の世界の音楽である。また「冬/雪をもたらす風」の木枯しを連想させるクロマティックな音の動きは、後年の傑作「心の四季」第6曲「雪の日に」の萌芽とも言えるもので、高田音楽に関心を持つ者なら、絶対に聴き逃せない作品だ。

ヴァイオリンと管弦楽のための譚詩曲
(1944)

1943年 (昭和18年) 作曲。演奏時間約11分。
留奈子夫人によれば、この作品は委嘱作品ではなく、自らの内的願望から作曲されたものであるという。それだけに、全編を作曲家の真摯な思いが貫く。恐ろしいまでに地味な作品であるが、その誠実で味わい深い北欧的な情緒は、ひたひたと心に迫る。もしこの作品を、例えば「ノルウェー後期ロマン派の作曲家=スヴェンセンの曲」と告げられたとしても、筆者は全く疑いを持たないだろう。この作品のスコアを見た師・フェルマーは「高田さん、ジョウズしました!」と称賛したという。初演の具体的な記録はほとんど残されていないが、残されたパート譜への記述から、翌年1月に行われたと見られる。なおヴァイオリン独奏は、後年指揮者として名を馳せた、あの渡邊暁雄であった。 渡邊のヴァイオリンの素晴らしさについては、のちに教えを受けた作曲家・指揮者の山本直純も絶賛していた。

舞踏組曲「新しき泰」 (1944/ 戦後「新しき土と人と」と改題)
 (1.「蒼穹」(あおぞら)、 2.「山河」(くにつち)、3.「仰望」(のぞみ) ) 

 1944年 (昭和19年) の日本放送協会委嘱作で、戦時中日本と親交関係にあったタイとの友好をテーマとして作曲された。戦時中に海外放送初演がなされたが、詳細は不明。
 1945年 (昭和20年) 11月29日、「年若き土と人と」と改題され、日比谷公会堂において沖不可止指揮/日本交響楽団 (現・NHK交響楽団) により再演された。その後「新しき土と人と」と再び改題される。演奏時間約18分。
 3曲ともたいそうシンプルで分かりやすく作曲者の直截な思いがストレートに伝わって来る。第2曲「山河」の弦楽器群に付けられた「モルト・ビブラーティッシモ」という指定ひとつ見ても、音楽に対する強い思い入れが伺われるのだ。

 次の「狂詩曲」と題された2曲は、前述のように1945年(昭和20年) 4月13日の空襲で焼失した「管弦楽のための組曲」(1941) を、作曲者が記憶をもとに、再編したものである。それぞれ「木曽節」と「追分」をテーマとしており、日本的情緒と躍動感に溢れ、たいそう親しみやすい内容を持
っている。

狂詩曲第1番「木曽節」
 (1945)

 日本放送協会委嘱作。 (演奏時間約6分) 作曲当時のタイトルは「長野」であった。
 1945年 (昭和20年) 10月18日、日比谷公会堂で行われた「第九回希望演奏会」で、作曲者指揮する松竹交響楽団により、初演が行われた。(その際、タイトルは「信濃路」と変更されている)
 序奏の部分 (「木曽節」の主題が登場するまで) の日本的な抒情味の素晴らしさは、まさに絶品である。こんな素晴らしい作品を、半世紀もの間埋もれさせておく日本の音楽界とは・・・という事まで、改めて考えさせられてしまう佳曲である。

狂詩曲第2番「追分」
 (1946)

 1946年 (昭和21年) 作曲。翌年1月14日午前9時より、作曲者指揮する東京フィルハーモニー交響楽団により放送初演が行われた。(NHK第一放送「日本の音楽」/演奏時間約10分)
 オーケストレーションは、たいそうシンプルかつ明解で、日本の祭りを思わせる賑かな盛り上がりが素晴らしい。中でもホルン・パートの主張の強さには注目させられる。実は高田氏、実は1941年 (昭和16年) の紀元2600年管弦楽団にホルン奏者として参加するなど、この楽器の名手でもあったのだ。
 この作品以後、高田三郎は管弦楽曲の作曲から長く遠ざかることとなる。しかしその間も彼は、オーケストレーションの研鑽を重ねる事を、決して忘れなかった。その成果は名曲「水のいのち」と同じ1964年(昭和39年)に発表された、宮澤賢治の詩によるカンタータ「無声慟哭」のなかで、遺憾なく発揮されている。高田はこの作品に何と8年もの歳月を費した。また1972年 (昭和47年) に初演された4幕の歌劇「蒼き狼」をはじめ、前述の合唱組曲「わたしの願い」(1966) や「ひたすらな道」(1979) の伴奏管弦楽においても、高田の素晴らしいオーケストレーションを聴く事が出来る。その最後の成果が、実に半世紀振りの管弦楽曲で遺作となった「五つの民俗旋律」(2000) なのだ。

7. 管弦楽のための5つの民俗旋律


 1995年 (平成7年) 11月、82歳の高田三郎は、急性心不全で倒れた。12月末、何とか退院に漕ぎ着けるが、その際主治医から「この病気は治る見込みがない。無理をしないで静かに天寿を全うするか、やりたいだけ仕事をして命を縮めるか、それは、本人の決定に任せるしかない」と告げられる。
 躊躇なく高田は後者を選び、以前にも増して仕事に没頭するようになる。遅くまで依頼原稿に打ち込む夫の容体を心配して、休養をすすめる留奈子夫人に対し「この仕事を、いやいやながらやっていると思っているのか !」と、鋭い目で見据えたという。
「五つの民俗旋律」は、高田がその最晩年、限られた命を燃やし尽し、まさに振り絞るようにして産み出した作品なのだ。この作品はもともと1977年 (昭和52年) 、愛娘・江里のために書かれた、ピアノのための「五つの民俗旋律」がベースとなっている。高田はこれを管弦楽に編曲しようとしていたのである。
 この曲を作曲するに至ったいきさつを、高田は以下のように書き記している。

 「私の娘は高校を出るとまもなく、ドイツの音楽大学に入るため、ヨーロッパへ出発した。日本を体に感じさせておくため、かねがね私たちは、奈良のお水取りにも、歌舞伎 にも、あるいは文楽などにもいっしょに連れて行くようにしていたが、出発したあと、ピアノを専門にしている彼女のために、私は、日本の旋律を使ったピアノ曲を送り続けることを思い立った。(中略) これらの曲を書いている間、文楽のチャリ場で声をあげて笑った、隣の娘の声が私の筆を進めさせた」


5つの民俗旋律」オーケストラ編曲当時の高田三郎

     (撮影/山口 昌子)

 しかし運命は残酷であった。あと終曲のホルン・パートの僅か23小節の内声部を残すのみ、という段階に至った2000年 (平成12年)、作曲家は心臓発作のため、天に召されてしまう。若き日に副科でホルンを専攻し、ベートーヴェン「フィデリオ序曲」の冒頭のソロで指揮者から誉められた体験さえ持つ高田は、恐らく「じょんがら節」の一番重要な部分でホルンを存分に活躍させよう、と最後まで、その構想を錬っていたのではないか。
 作曲者の思いはトーマス・マイヤー・フィービッヒ (国立音楽大学教授) に引き継がれ、2005年 (平成17年)に全曲が完成した。
「五つの民俗旋律」は、東北・北海道の民謡を主題とした、次の五曲からなる。

 (1. 北海荷方節 2. かくま刈 3. 子守唄   4. かんちょろりん 5. じょんがら節)

 ダイナミックなオーケストレーション、意表をついた和声の転換、そして何よりも心に沁み入る日本的情感・・「五つの民俗旋律」からは、高田三郎がその生涯をかけて追求し続けた作曲法の成果を、余すところなく堪能する事が出来るのだ。
「お前の曲はなぜ、そんなにNORDISCHなのか!」
と、かつて師・フェルマーが感嘆したエピソードに表されるように、高田はその主題の多くを、北方の民謡に求めた。それは常に自らの心の最も求めるものを追求する、という、彼自身の生き方そのものであった。高田自身の次の言葉が、それを実証している。
「私は、自分がそれを作曲している途中に死んでもいい、と思える作品しか書きません」
「五つの民俗旋律」は、2005年に名古屋で初演 (小松一彦/南山大学管弦楽団) され、2010年 (平成22年)4月にはメキシコ国立交響楽団定期演奏会 (指揮/内藤彰) で、また同年11月に東京芸術劇場 (内藤彰/東京ニューシティ管弦楽団) で再演されている。

8. 「水のいのち」管弦楽伴奏版


 つぎに、合唱組曲「水のいのち」(1964 ) の管弦楽伴奏版についても、触れておきたい。
高田三郎の名を不朽のものとしているこの名曲を「オーケストラの伴奏で歌いたい」と願う声は、その生前から何度も作曲者のもとに寄せられていた。しかし高田は、頑としてその首を縦には振らなかった。この作品のピアノ伴奏部分が、「無駄な音は一つもない」と作曲者が断言するほどの完成度を持っていたこともあったのだろう。
 しかしその最晩年、高田作品の指揮を積極的に行っていた指揮者・小松一彦からの提案を受けた作曲者は、ついに「やりましょう!」と答えた、という。しかし、それはついに果たされる事はなか
った。
 2005年 (平成17年) 9月、愛知県芸術劇場コンサートホールで3時間にわたり開催された「高田三郎作品によるひたすらないのち/愛知演奏会」で、「水のいのち」の管弦楽伴奏版はついに初演の時を迎える。編曲の筆をとったのは、遺作「五つの民俗旋律」を補筆したトーマス・マイヤー・フィービッヒであった。また2009年 (平成21年) 2月には、高田三郎直弟子の今井邦男による2種類の編曲版 (管弦楽伴奏版、弦楽とピアノ伴奏版) が、2012年には指揮者・荒谷俊治による小管弦楽版、2014年には永友博信による弦楽伴奏版がそれぞれ完成し、5つの版を併せると、全国各地での上演は44回を数えている。
(2014年12月現在)


9. 高田三郎/没後10年、「水のいのち」誕生50年を迎えて

 2010年 (平成22年) は高田三郎没後10年にあたり、全国各地でさまざまな演奏会が企画された。「水のいのち」管弦楽伴奏版も全国各地や遠くベルリンで計9回の上演がなされた。
 ただ、「水のいのち」以外にも、高田にはカンタータ「無声慟哭」や、4幕の歌劇「蒼き狼」などの大作のほか、「山形民謡によるバラード」をはじめとした初期の魅力的な管弦楽曲のかずかずや、限られたいのちを捧げるようにして生み出された遺作「五つの民俗旋律」といった作品があることを、是非多くの方々に知っていただきたい、と願う。
 今後、名曲「水のいのち」管弦楽伴奏版の上演をきっかけに、高田三郎の管弦楽曲が広く演奏され、多くの人々のこころに届くようになる事を、筆者は切に願ってやまない。

10. 終章〜故郷・名古屋


 1932年 (昭和7年)、音楽の志を抱いた19歳の青年は故郷・名古屋を後にし、上京した。
念願だった東京音楽学校を卒業し、数多くの作品を発表、作曲家として不動の地位を築き、自作の指揮で全国を飛び回り、また国立音楽大学で後進の指導にあたる 田であったが、その胸の内には
常に故郷・名古屋があった。その最晩年の10年の間に高田三郎は、自らの作品上演の指導のために、実に7回も名古屋を訪れている。
「私は名古屋に行くのを嫌だと思った事は、一度もありません」
 故郷・名古屋には高田の誠実な人柄を慕い、美しい音楽を心から尊敬し愛する数多くの人々が待
っていた。こうした人々との交流を通じて、ひょっとしたら作曲家は、自らの原点を見つめようとしていたのかも知れない。


   高田三郎「水のいのち」管弦楽伴奏版、「2つの狂詩曲」 曲目解説 (岡崎隆)



高田三郎「山形民謡によるバラード」弦楽合奏版/浄書演奏譜完成・録音!! (2011.9.28)

 高田三郎/管弦楽曲の代表作「山形民謡によるバラード」の弦楽合奏版が、奥様・留奈子様の許諾をいただきこのほど完成しました。(編曲/岡崎 隆)
9月16日に名古屋音楽プラザにおいて、編曲者指揮する名古屋パストラーレ合奏団によりレコーディングも行われました。

 「山形民謡によるバラード」は1941年 (昭和16年)、東京音楽学校研究科修了作品として作曲されもので、同年11月15日1時より同校奏樂堂で催された「第134回報國團演奏會」の冒頭で初演されました。(指揮/フエルムート・フエルマー、管絃樂/東京音樂學校管絃樂部)
当時の曲名は「山形民謡に依るファンタジーと二重フーガ」でした。
 1965年 (昭和40年) に音楽の友社からスコアが出版された際に改編され、曲名も「山形民謡による
バラード」
と改題、現在譜面は音楽の友社によりレンタル扱いになっています。
 この作品には1950年代後半に岩淵龍太郎率いるプロ・ムジカ・カルテットのために作曲者が編曲した弦楽四重奏版があり、その後「ファンタジー」のみが浅妻文樹/東京アカデミカ・アンサンブルのヨーロッパ公演のアンコール演奏用として弦楽合奏に編曲されました。このたび完成した全曲の弦楽合奏版は、この作曲者自身による弦楽四重奏版とオーケストラ版双方を軸にしており、ほとんど作曲者自身が書かれたオーケストレーションそのままの内容となっています。

 ところで今回の編曲で特筆したい事があります。それはバラードとフーガの中間に、幻の作品「インルメッツォ」を加えた事です。
1944年 (昭和19年)、高田三郎は当時日本放送協会 (現NHK) のプロデューサーを勤めていた沖不可止からの提案を受け、「ファンタジー」と「二重フーゲ 」の間に挿入するために「インテルメッツォ」を作曲しました。「山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ 」の素晴らしさを評価しつつも、第1曲の日本情緒あふれる「ファンタジー」のすぐ後に西欧的な「フーガ」が続く構成に、沖は違和感を感じていたのです。
 しかしこの「インテルメッツォ」(演奏時間5分) は後年、「山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ」「山形民謡によるバラード」として改訂された際挿入される事はなく、長く「幻の作品」となっていました。現在この「インテルメッツォ」は、留奈子夫人によって筆写された譜面が日本近代音楽館を引き継いだ明治学院大学に保管されています。
 今回の録音は現在編集の段階で具体的なリリースの予定等はありませんが、今後著作権者の許諾のもと音資料としての活用を計って行ければ、と考えております。

 この弦楽合奏版についてのお問合せは、メール ( pasAma.medias.ne.jp (「A」をアットマークに変えて下さい) または電話 (0569-42-1796)でお願いします。




高田三郎/聖書三部作
混声合唱組曲「争いと平和」 /「ヨハネによる福音」/「イザヤの預言」(第3曲)
 作曲者による管弦楽伴奏版=浄書演奏譜、相次いで完成!!

  高田三郎の宗教音楽を代表し「聖書三部作」と呼ばれる合唱組曲「イザヤの預言」(1979) 、「争いと平和」(1983)、「ヨハネによる福音」(1985) には、高田自身がオーケストラに編曲したスコアが残されています。(「イザヤの預言」は、第3曲「見よ、わたしのしもべは栄える」のみ)
高田ご遺族のご依頼を受け、この3曲のオーケストラ版浄書フルスコアが全て完成致しました。

 「高田三郎/管弦楽の魅力」を伝えるこの3つの作品を今後、少しでも多くの皆さんに取り上げていただき、聴いていただければと思います。
なおこれらの作品の自筆譜はすべて明治学院大学附属日本近代音楽館に保管されており、コピーを自由に閲覧することが出来ます。


「高田三郎作品による ひたすらないのち 愛知演奏会」の思い出 (2006.3)
畑中良輔指揮による「水のいのち」(2006.10.21)


高田三郎作品による 「ひたすらないのち 愛知演奏会」ライブCD発売!!

(2006.3)

  (画像提供/ジョヴァンニレコード)

 2005年9月18日に愛知県立芸術文化センターにおいて行なわれ、空前の感動を巻き起こした高田三郎作品による 「ひたすらないのち 愛知演奏会」のライブCD。2枚組CDには当日の4時間に及ぶプログラムの中から合唱作品を中心に、下記の曲目が収録されている。

DISC1
合唱曲「平和のための祈り」 (作曲:山本直忠)/女声合唱組曲「遙かな歩み」 /男声合唱組曲「内なる遠さ」 /「男声合唱のための典礼聖歌」

DISC2
混声合唱とピアノのための「イザヤの預言」 /混声合唱とピアノのための預言書による「争いと平和」 /「ミサ曲1」 /
混声合唱組曲「水のいのち」管弦楽編曲版・委嘱初演 (管弦楽編曲:トーマス・マイヤー=フィービッヒ ) /典礼聖歌「平和の祈り」

合唱指揮/ 須賀敬一 , 西岡茂樹 , 辻志朗 他
合唱/ 南山大学合唱団 , 東海メールクワィアー , 豊中混声合唱団 , 大久保混声合唱団 他合同合唱
小松一彦  指揮/ 南山大学管弦楽団

GVCS 30602/3(2枚組) 4,000円(税込)(税抜価格\3,809)

このCDの詳細・お問い合わせは(有)アールミック/ジョヴァンニ・レコードまで。


高田三郎について

 1913 (大正2)年12月18日、名古屋・矢場町に生まれる。
昭和14年、東京音楽学校 (現・東京藝術大学) 作曲部を研究科 (現在の大学院) まで終え、更に聴講科の指揮部に学び、信時潔、細川碧、片山頻太郎、プリングスハイム、フェルマー、グルリット、ローゼンシュトック、クロイツァー、福井直俊らに師事。研究科の頃から、日本の旋律をテーマとした作品をその創作の基本と定め、その最初の成果が、研究科の修了作として1941年に作曲された「山形民謡によるバラード」 (原題は「山形民謡によるファンタジーと二重フーガ」。1965年に改訂・改題) である。
 1948年に平尾貴四男、安部幸明、貴島清彦らと作曲グループ「地人会」を結成し、共同で作品発表を行なう。1954年、弦楽四重奏のための「マリオネット」を境に、高田の創作の中心は声楽作品へと移って行く。日本語の美しさ基調とし、誠実な人柄が滲みでる高田の合唱作品は多くの共感と支持を得、その後「水のいのち」や「心の四季」など、全国の合唱団のレパートリーに欠かせない傑作の数々が生まれた。また晩年は宗教音楽の分野においても忘れ難い多くの秀作を残した。
        

                           2010.6 岡崎 隆

余禄/高田三郎氏エピソード

 (かつて高田氏に国立音大で指導を受けた、という人から伺ったものです)

※ 国立音楽大学で、和声の授業の最中に、教室内がダレ気味になったことを察知して
「よーし、もう今日は授業はやめだ。皆で野球をしよう!!」
真っ先にグランドへ走る高田氏、喜色満面で後を追う学生たち。
その高田氏の、グラブさばきの上手かったこと!

※ 同じく、国立音大での実技試験でのこと
 うまく演奏できず、今にも泣き出しそうな学生に向って
「今までの演奏はナシだ。今から試験が始まったと思って、もう一度最初からやってごらん」
 現在私が生徒に教える時に、かつて先生からいただいたこのお言葉を、そのまま使わせてもらっています。

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上記の文章を執筆するにあたり、高田三郎氏夫人の高田留奈子様、作曲家・トーマス・マイヤー・フィービッヒ様、指揮者・小松一彦様、作曲、指揮者・今井邦男様、音楽評論家・片山杜秀様、南山教会オルガニスト・吉田徳子様、南山教会・西脇純神父様はじめ、本当に多くの皆様から情報・資料をいただきました。ここに 心よりお礼申し上げます。

参考・引用させていただいた資料/
「来し方」(高田三郎・著)
「高田三郎 室内楽作品のすべて」演奏会プログラム (2002.5.11/カザルスホール)
「高田三郎作品による「ひたすらないのち in 仙台」演奏会プログラム
   (2003.10.12/東北福祉大学・けやきホール)
「日本の作曲20世紀」(1999年7月/音楽の友社・刊)
「日本の管弦楽作品表」(日本交響楽振興財団・刊)


なお、最近学習研究社から発刊された「いいたい芳題」(宇野功芳・著)のなかに「恩師・高田三郎先生」 と題する項目があります。
高田三郎氏のファンの方に、ぜひご一読をお薦めします。


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