日長神社
もともと
日長神社では 元禄年間(一六九四年頃)に書かれた日永大明神略縁起には、年間に十五回の祭りが行われておりました。
その中でも一番大きな祭りとして「五月五日御馬頭祭禮」が挙げられており、古くから行われてきたものです。
祭りは明治にはいってから四月八日に行われるようになり、戦後、四月の第二日曜日に変更され、神前で例祭の神事が行わ
れると共に、大門において御馬頭のお祭りが続けられて今日に至っています。
御馬頭(おまんと)は、五穀豊穣・雨乞いなどを願い、標具(だし)と呼ばれる「札・御幣」などの作り物を立て、美しい
馬具で飾られた農耕馬を神社に奉納するもので、日長や新舞子の各地から日長神社に向かう「道中」、引手が神社神前で受ける
「お祓い」、神社石段下の通りで行われる「献馬奉納」で構成されております。
御馬頭の馬道具として馬に飾られる御幣は神霊の憑代、神籬という神座をあらわすものであります。御幣を水引で囲み、
標具巻(だしまき)、首鎧(くびかぶと)等で飾られた馬を、法被、股引、草鞋履きの四十二厄才が、一頭につき四名ついて
巡行し、御馬頭にはお囃子が一緒に随行します。
馬付の四十二厄才は、お祭り当日に海で身体を浄め、大門での引き廻し前に竹で作った柄杓をかついで神社へ参拝するのも、
神霊に一番近いところで行事を行うための、心身を清浄にするために行う潔斎であります。
昔は山、里、鍛冶屋、上ゲ、松原から七頭が出馬し、地区内を巡行した後大門へ集結して、順番に順序を入れ替えて七往復し
ていました。一番初めになる馬を端馬(はなうま)といいます。
めでたいことがあるとやなぎ馬(御幣の代わりに紙と割竹で作った飾りをつける)を出していました。各地区では御馬頭が終
わると青竹で作った御幣を各戸へ配っていました。
戦後、若衆制度がくずれ、御馬頭神事が一時中断(昭和三十二年)しましたが、昭和四十八年の神社拝殿竣工時から、四十二
厄才の奉仕により復興し(一区・二区)、昭和五十四年より今のような四頭が奉納され、現在に至っています。