日長神社の御由緒
元禄元年中(1690年頃)に書かれた「日永大明神略縁起」によれば、戦国時代に匹田氏、駒沢氏と云う
武将が砦を築いていましたが、兵火に会い、神宝・古記録等が消滅したとあり、創立年月日は詳でありま
せん。
御本殿の東にある大きな岩は、「
榊の枝を立てたり、大きな岩に神様をお招きして祭が行われていました。
社伝によれば、景行天皇の皇子日本武尊が御東征の折この地に来られ、里人にこの処の名及び日の
暮れる方向を尋ねられたので、里人が畏こみて、「日は未だ高し」とお答えすると、尊は喜ばれ、そ
れでは此のところを「日高」と呼ぶがよいと仰せられ、後に「日永」という地名になったと云われて
います。
手水池
続いても、水の涸れたことのない不思議な池でもあります。水が澄んでいると平和、濁ると戦争にな
るとも云い伝えられています。