ひゅぃぃぃぃん
薄暗い洞窟の中で、黄色い球体が一瞬凝縮し、弾ける。
「また魔方陣か…。これで何個目だ?」
それが消えると同時に出現した比較的大型のモンスターの群れを前に1人の細身の剣士が愚痴をこぼした。
黒い髪、黒いコート、黒いズボンを纏い、さらに刀身までも黒い細身の両刃剣を携えたその姿は、
その黒ずくめの中では嫌でも目立つ、透き通るような白い肌をしているため、
一見すると、死神のように見えるかもしれない。
その美しく妖艶に立つ姿は、異常なまでの強力な存在感があった。
魔方陣から現れたモンスターは、一つしかない標的を奪い合うかのように、
その剣士に突進して行く。しかし、黒い閃光が三条走ると同時に
そのいずれもが巨体を地に伏せて淡い光となって消えようとしていた。
「こんなところ、仕事がらみでもなければ来る事すらしないな…」
面倒くさそうに低く呟く。
彼が、というかその剣士が今いる世界は現実のものではない。
発売から6年経った今も、絶大な人気とユーザーに支持され、
その数は未だ増えつづけているといわれているオンライン・ロールプレイング・ゲーム、“Desirer”。
CyberConnect(サイバーコネクト)社が開発した“The World”が、
さまざまな問題によりサーバーの停止を言い渡された後、
それを見越していたかのように、ArkBrain(アークブレイン)社によって即座に発売されたこのゲームは、
人々の燻っていた“The World”熱によって一気にそのシェアを伸ばした。
今のところ、何の問題も無くバージョンアップされていくそれは、
“The World”よりも多数の六千万人というユーザーを獲得して、ゆるぎない業界トップの座を不動のものにした。
そして彼もまた、“Desirer”で冒険する剣士を操るユーザーだった。
「本当、こんなところ…。仕事でなければすぐにタウンに戻ってるんだが…」
先ほどと同じようなことを呟き、さらに前に進む。
『ダンジョンの最深部にいるモンスターを退治してほしい』
それが依頼の内容だった。仕事の達成条件は、
そのモンスターを倒さないといけない最深部にあるアイテムの奪取。
仕事のえり好みはほとんどしないタイプだが、この仕事はなんとなくやる気が起きなかった。
特に報酬が悪かったわけではない。まさに「なんとなく」なのだ。
しかし、相手側の半ば強引さに負けて、
結局やる羽目になってしまったこの依頼を、現在遂行中というわけである。
階段を下りて、『千里眼の涙』というアイテムを使う。
一瞬の間の後、ダンジョンのその階層の部屋全てと、
アイテムの位置や魔方陣の位置、数までもが明確に画面右上に表示される。
「最下層か…」
最深部の部屋に最短距離で行っても、4つの魔方陣にぶつかってしまう。
レベルの低いエリアほど、つまらないものは無い。そう感じて、最短ルートを選択する。
ひゅぃぃぃぃん
はじけとんだ後には、モンスターではなく宝箱が放置されていた。
運のいい場合には、魔方陣からはモンスターではなく宝箱が出現する。
一度だけだったが、彼は仕事で入ったダンジョンで魔方陣の全く無いダンジョンに入ったことがある。
つまらない仕事ではなかったが、張り合いの無い仕事だったと今でも思う。
「後3つ…」
次の部屋は、魔方陣は無い。その代わり、といっては変だが宝箱が異様に多く置いてあった。
普通、ダンジョンの部屋には宝箱は多くて3つのはずである。
しかし、どういうわけかその部屋には6個の宝箱が置いてあった。
「……」
それらにほとんど目をくれずに、次の部屋に進もうとした。そのとき、
カチャ…
FMDのスピーカーから金属の擦れ合う音が響き、目の前で次の部屋への通路に鉄格子が下ろされる。
通常、モンスターの出現する部屋は、入った瞬間に出入り口が封鎖され、
そこにある魔方陣ないしモンスターを全て消滅させなければそれは解除されない仕組みだった。ところが、
「セオリーの無視…? どういうことだ?」
明らかにこの場合は、魔方陣はその部屋には無かった。
そして、モンスターも見当たらない。あるのは宝箱だけ…、
とそのときバトルフィールドに突入したときのBGMが流れ始める。
「なるほど…、“隠しモンスター”ということか…」
そう呟いて、視点を後ろに回す。
宝箱の形をしたそれは、たいていのRPGで目撃することができる典型的なモンスター「ミミック」だった。
エリアのレベルごとに違ったレベルのモンスターが出現するが、このモンスターだけはどのレベルのエリアにもいて、
初心者を窮地に追いやったり、上級者に完膚なきまでに打ちのめされたりする。
しかし、じりじりと剣士のほうによってくるそれらは、エリア特有のミミックの亜種である「ブラックボックス」であることは、
色を見ただけで判った。さっき無視したのは、ミミックならば宝箱を開けないと襲ってこないからで、
そうすることが時間短縮につながるからであった。しかし、ブラックボックスは違った。
部屋から出ようとした瞬間に、きばをむいて襲い掛かってくる。
その強さはレベルに比例し、時には上級者さえも死に追いやる。
「厄介なのが出てきやがって…」
剣士は舌打ちすると、その群れに向かって飛び込んでいく。全部で4体。
一瞬でその中心にもぐりこんだ身体を回転させ、黒い光の帯を円周上に作り出す。
ザシュッ…
1つの効果音で、3体の敵がそこに転がり光となって消えていく。
さらに深くまで踏み込んで斬りつけ、最後の1体も光に変える。
開いた鉄格子をくぐり、次の部屋に…、
「……?」
ついたのはダンジョン内の部屋ではなかった。どこか、広い雪原…。
「どこだ…? ここは」
ザッ…ズザッ……ザザッ…
不快なノイズとともに、画面が砂嵐状態になる。
「……」
それが晴れると同時に、元々いたダンジョンに視界が復活した。
一瞬見えたあの雪原を、彼はどこかで見た覚えがあった。
そう、あれは“The World”のザワン・シンイベント…。あのエリアも吹雪の吹き荒れる雪原だった。
「一体…?」
そう呟いて、首を振る。ただしリアルで、だが…。
次の魔方陣も宝箱だった。完全に無視して、次の部屋に進む。
最後の魔方陣。これを消滅させれば後は最深部まではバトルは無いだろう。
他に最深部にあるアイテムを狙っている輩がいれば別だが、その場合は魔方陣が無い。
魔方陣とは、消滅してから復活するまでに30分ほどかかる。
そして、最深部アイテムの復活もどう時間で行われる。
これによって、同じダンジョンでのプレイヤー同士の出会いは、即戦闘につながる。
ひゅぃぃぃぃん
光が弾け、中から巨大なモンスターが出現する。
「……」
無言で立つ剣士に、巨大なモンスターの両刃の剣が振り下ろされる。
ガガッ…!
軌道はむなしく空を切り、代わりにモンスターの背後から背後から黒い閃光が走る。
「閻月(えんげつ)…!」
きれいな斬り口で、四分割された巨体が光となって散ってゆく様を見ることなく、
剣士は最深部に続く、開ききっていない鉄格子へと歩き出した。
カチャ…
置いてあった宝箱を開ける。
「任務…完了」
低く呟いて、ダンジョンから脱出するアイテム『天使の双翼』を使う。
一瞬で視界は晴れ渡った草原を映し出す。
「さて…と、早く依頼人に品を渡すか…」
彼の身体を淡い光が包み込む。一瞬のち、剣士の姿はそのエリアのどこにも見当たらなかった。


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