失意から再起へ
同志から「手を引け」と勧告!
昭和30年2月10日 愛知用水建設期成会の田村金平事務局長から、久野に4時頃までに常滑農協に来て
もらうように連絡があった。浜島も同行することにした。
午後4時頃、常滑農協の会議室に愛知用水建設期成会副会長の滝田次郎(常滑町長)、中川益平(武豊町長)、
田村金平事務局長が先着して待っていた。中川益平副会長から、
「久野さんのこのたびの破産宣告については期成同盟会 森会長ともども重大な責任を感じている。
お陰で愛知用水も着工の見込みが立つところまで来ました。久野さんにこれ以上の負担をかけては申し訳ない。
森会長とも相談の上であるが、今日から愛知用水運動から手を引いてもらいたい」と言われた。
さすがの久野も顔面蒼白、一点をにらんで沈思黙考。しかし、
「はい、わかりました。いろいろお世話になりました」
というまでに5分とは、かからなかった。
「愛知用水建設は目の前だが、これからの努力が大切だ。世界銀行の融資。愛知用水公団の設立もこれからだ。
ダムの位置の決定。水没者の世話。水を使った新しい農業の推進をどうするか。なぜ3人だけでこんな重大な問題を
言い出したのか。いや、3人は私のことをいちばん心配してくれている3人だ。ここで3人の言うことを聞かずに
破産の身が何ができる」
と当時のことを久野庄太郎は書いている。
「明日は私の用水運動をいちばん支援してくれていた人の家を廻るから一緒してくれ
ますか」
と久野に言われ、浜島は、
「もちろんです」
とお答えした。
翌日、お昼過ぎ、「これから名古屋木材の加藤周太郎さんのところへ行きます」と言われた。
加藤は、「それは、神様の思し召しです。しばらく休めということです。同志に反抗して、事を荒立ててはいけません
・・・・神様はよくやった、ここらで一服しなさいということです」
「あなたは破産するまで愛知用水に尽くされた。立派なことです。けっして、もうこれ以上、あなたに迷惑をかけては申し訳ない
と言って下さる人を恨んではいけません。黙って皆様の言われるようにしたがよいです」
とことばを続けた。
一燈園での懺悔の生活
大阪の弟、金之助のところへ行き、
「俺はまだ人間ができていなかった。永平寺にでも行って、しばらく修行をする」
と久野庄太郎は言った。
ところが、翌日の新聞を見ると、北陸は大雪で北陸線は不通。まして永平寺の山には入れない。
これは困った。永平寺が駄目なら、山科の一燈園の西田天香さんの所に行こうと山科に向かった。
幸いにも天香さんが在園で、よく話を聞いて下さった。
「それでは、しばらく当園で考えてみてください」
と快く引き受けてくださった。
久野庄太郎自身が語る一燈園での生活。
まず、ダム建設に伴う水没者の世話は大丈夫だろうか?本当に用水地域の用地買収はうまく行くだろうか。
農家の営農指導、つまり、水を使って儲けた金で、負担金が出せることがいちばん大切であるが、これを誰がやるか。
農業だけでは採算がとれないから、上野町、横須賀町、八幡町の地先に埋め立て地を作って、工業用水を使ってもらって
農家の負担を軽減せねばならぬ。仕事はこれからだ。
用水のことが、「自分の人生のすべてであり、命であったときにストップをかけられて、気が狂いそうだ。
破産は覚悟あったが、現実に破産してみると、思ってもみなかった重圧が身にかかってきた。破産が、自分の頭の中で考えて
いたよりもはるかに重圧がかかってくるものであることが、じりじりと自分を苦しめることに驚いた。
そして、ここは何もかも、成り行きにまかせて、一燈園の懺悔の生活に入るのが肝心だと、
いっさい世間の生活を断ち切って修行の道に励んだ。何もかも忘れて一燈園の生活に専念してみた。
しかし、どんなお勤めをしても、また、便所掃除をしても、私の頭のもやもやは去らない。
この1週間が1か年くらいに思われた。
天香さんの道歌
なべて世のさわりの根をば尋ねゆけば おのが罪とぞかえりきし業
今まで気づかなかったが、何回も繰り返し暗誦していると、自分のことのように
思われた。室に下がって、いつものように一時座って、また考えた。考えた結果、残念ながらしだいに、「俺が悪かったかしら」
と思うよりほかなくなってきた。俺の用水と思って、思ったことを言った。
俺は組織の中で生きられる人間ではないようだ。皆様にすまないことをしたかなと思ったら体に震えがきた。
ちょうどその時、お山から私に電話があった。私は瞬間、電気にでも打たれたように「あれっー!」と思った。
「どうですか」と優しく言われたので、私は心の中を見抜かれたと、恥じ入って頭を
下げた。
「わかりました」と言った。
私は入園以来、初めて心から笑った。天香さんは、汚い作業を私が快く引き受けて
くれたと思って笑われた。私は心中雲散霧消。こんなことを悟りというのかと思った。
それ以来、私は一燈園の生活が楽しくなり、居心地がよくなった。天香さんとの話は、
私の考えと行き違いがあったが、そこでは悟ったような気がした。
そうだ、私が悪かった。思い違いだ。もう、いつまでもこうしてはおれない。「話の行き違いとはこんなものか」そうだったか!
昭和30年3月15日 さらば一燈園
愛知用水の農民負担金の軽減と用水の多目的利用計画、この2つについては、俺がやらずに誰がやるという責任感と自信に目が覚めた。
かねてから考えていた臨海工業の誘致をする決心が湧き上がってきた。