目次に 思い出の若狭・宮津を訪ねる 第1部に
2014年10月29日〜30日
第2部 天橋立、舞鶴
京都縦貫自動車道の宮津天橋立ICで降りて宮津市の宿「神風楼」にチェックイン
宿の部屋からの展望、目の前の海は「阿蘇海」左に天橋立の松林、右に「丹海一の宮」駅観光船乗り場がある。ベッドからもこの素晴らしい眺望が見れる。
車を宿の駐車場に置いて、宿前にある「一の宮」駅乗り場から観光船で「天橋立桟橋」駅へ。ここからウォーキング開始で天橋立ビューランドへ向かう。
天橋立ビューランドからの眺望、青い空と青い海と天橋立
天橋立を歩く。1965年に訪れた時の、歩いて渡りたいという思いを、今回叶えた。
一周して、観光船乗り場「一の宮」駅に戻る。次は「元伊勢丹後一の宮龍神社」を抜けて、傘松公園へ。約50年前に訪れて記念撮影をしたポイントを見つける。公園は綺麗に整備されて昔の面影はなかったが、ここから眺める天橋立は変わらない美しい眺望であった。
1965年(昭和40年)会社の技術部慰安旅行で天橋立を訪れた。約50年ぶりに再訪したが、同じ場所と思われる位置での撮影ができた。
何か変ですか?
178号線で舞鶴に向かう。海岸線の美しい道路であった。途中から175線に入る。
道の駅 舞鶴港 とれとれセンター
日本海側最大級の海鮮市場(480坪)を持つ、道の駅。京都府随一の水揚げを誇る京都府漁協舞鶴魚市場の鮮魚仲買人が5人出店しているから、新鮮さ・安さ・種類の豊富さはどこにも負けない。目の前に並べられているお魚・かに・貝・えびなどを、目の前で調理してもらい、その場で海鮮焼き・お刺身としてすぐ食べられるシステムが大好評。獲れたてのネタの寿司店、海鮮丼中心の食事処、舞鶴かまぼこ・ちくわなどの練り製品専門店、ソフトクリームのある定食屋、京都北部のお土産がそろう土産店、それに海鮮レストランも併設、舞鶴産の野菜だけのファーマーズマーケット「あぐり」がある。
ここで昼食、写真下右、これで1500円は安い!そして美味い!
赤レンガ博物館
舞鶴市には、1901年(明治34)の旧海軍舞鶴鎮守府の開庁に伴い、海軍が建設したものを中心に多くの建造物が現存し、風雪を経た赤れんがはエキゾチックな雰囲気をかもし出している。この赤れんが博物館の建物は1903年(明治36)に旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫として建設されたもので、本格的な鉄骨構造のれんが建築物としてはわが国に現存する最古級のものとされている。 舞鶴の個性の一つとなっている、れんがのもつ魅力とその歴史を多くの方々に理解してもらうことを目的として赤れんが博物館が開設された。
舞鶴赤レンガパーク
舞鶴赤レンガ倉庫群(まいづるあかレンガそうこぐん)は、京都府舞鶴市の旧舞鶴海軍軍需部本部地区(現・舞鶴港ウォーターフロント)にある12棟の赤煉瓦倉庫。北吸赤れんが倉庫群とも。文化財指定名称は舞鶴旧鎮守府倉庫施設。国の重要文化財および近代化産業遺産。1901年(明治34年)に舞鶴の地に舞鶴鎮守府が創設され、明治・大正時代を通じて旧日本海軍によって建てられた赤煉瓦造りの建築物である。なかでも、舞鶴市の東舞鶴・北吸地区に現存する倉庫群は12棟で、建造年代は1901年(明治34年)から1903年(明治36年)の明治期にかけて9棟建てられ、1918年(大正6年)から1921年(大正9年)の大正期にかけて3棟建てられたものである。
舞鶴引揚記念館
舞鶴港は、戦中は旧海軍の軍事的拠点として使用されていたが、戦後は大陸に進駐していた軍人軍属や一般人の日本本土への引揚、および日本に在留していた中国・朝鮮人の送還のための指定港のひとつとなった。さらに、日ソ中立条約を一方的に破棄し侵攻したソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留されていた旧軍人も、舞鶴へと帰還した。他港が早々に引揚港から除かれたため、これら引揚者のほとんどが、舞鶴港を入港先・帰還港とした。これに伴い、日本各地から夫や親族の帰還を待ち望む多くの人々が、舞鶴港へと出迎えに訪れた。1988年(昭和63年)、多くの関係者の努力により、引揚に関わる一連の資料を展示する日本唯一の施設として設立されたのが、この舞鶴引揚記念館である。引揚者用の桟橋が設置されていた平地区を見下ろす丘に引揚記念公園が開設され、その一角に記念館が建設された。2005年(平成17年)は、海外引揚60周年に当たる年であったことから、海外引揚第1船の入港した11月7日とその前後の日に記念行事が同市内各所で開催された。記念館の収蔵品のうち570点が、『舞鶴への生還 1945−1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録』としてユネスコ記憶遺産の2015年登録候補となっている。
小さい頃、NHKラジオで「尋ね人」という番組があり、引揚者や関係者の名前を読み上げていた記憶が残っている。ボランティアガイドの女性が、自分も小さい頃引揚者の帰国を旗を振って出迎えていたとのこと。そして次の世代に語り継がなければならないが、興味を示してくれないと嘆いていた。若い中国人と思われる団体に出会ったが、これも気になる一コマであった。
引揚記念公園
「岸壁の母」の歌で知られた引き揚げの町・舞鶴。その舞台となった舞鶴引揚援護局跡地を見下ろす丘陵地に公園が整備されたのは昭和44年。引揚桟橋を見下ろす展望広場には、戦没者への弔意と世界の恒久平和を訴える「平和の群像」や、当地と深いかかわりのある「異国の丘」「岸壁の母」の歌詞を刻んだ歌碑などが静かにたたずんでいる。
舞鶴東ICから舞鶴若狭自動車道に入り敦賀経由で帰宅する。2日間で走行距離約600Km,歩行数約3万歩