“バッハの音楽の魅力”
〜「名古屋パストラーレ合奏団/ブランデンブルク協奏曲の夕べ」によせて〜
私は仕事に疲れて、そのくせなかなか寝つかれない時などに、よくバッハの「マタイ受難曲」のレコードを聴くことにしている。 冒頭のオーケストラの重々しい序奏に続き「人々よ来なさい、共に嘆こう」と歌われる何とも荘重な合噌は最高だ。(この部分は録昔は古いが、メンゲルベルク指揮の1939年のライブに勝る演奏は、今もって現われていない。)
そうしてこの曲を聴き進むうちに、疲れていた私の心がだんだん和み、潤って来るのが常に実感として提えられるのである。 バッハの音楽の、信仰に支えられた人類に対する愛の、何と大きなことだろう・・・・それはとても、私の貧しいボキャプラリーでは到底言い表せない類いのものなのだが・・・。
曲は進み、エヴァンゲリストの悲痛な叫ぴの後に、あの有名なヴァイオリンのオブリガートを伴ったアルトのアリア「主よ、憐れみたまえ」に到達する。
何という、すばらしい昔楽なのだろう・・・・!
これほど気高く美しい音楽を、私は他に知らない。
恥ずかしい話だが、この曲を耳にする時、私は必ずといっていいほど涙を流してしまう。 先述のメンゲルベルクのライブ録音には、この部分で聴衆のすすり泣きがはっきりと聞き取れる。 50年も前に会場で涙を流した聴衆と、同じ感動を共有していることに、何かとても不思議な気持になる。
ところでもう10年程も前の事だが、私の所属するオーケストラで「マタイ」を、たしかシアタ一・ピースで上演した事があった。 御存知のようにこの曲は二つのオーケストラに分かれ、だいたい一曲ごとに交替で演奏するように書かれている。 私は第2オーケストラの一奏者として、演奏に参加していた。
曲は進み、いよいよ第47曲のアリア「主よ、憐れみたまえ」にさしかかった。
第1オーケストラのビツィカートにのって、独奏ヴァイオリンがあの素晴らしい旋律を奏しはじめた。 悪い予感は的中し、私の目からは涙がつぎつぎに溢れ出てきてしまい、次の曲が演奏出来なくなりそうになった。
その時にヴァイオリンを奏いておられたのが、何をかくそう今宵のソリスト、北垣紀子さんである。
末尾になってしまったが、今宵の演奏曲・プランデンブルク協奏曲についても記しておこう。 「マタイ」とは反対に、私は調子のいい時によくプランデンブルクのレコードに針をおろす。(決してCDなんかじやないんだからね
!! 大作曲家ブリテンの指揮するイギリス室内管弦楽団のものが、私のお気に入りのレコードである。)
第3番の躍動感、第4番の幸福感、第5番の優雅さ、そして第6番のヴィルティオーゾ的魅カを、現代の私達が遣憾なく亨受できるということは、何と幸せなことだろうか。
( 1992.10 )
冒頭にかかげたバッハのイラストは、私が大学時代に貧しいフトコロのなかから、初めて買った「マタイ受難曲」(メンゲルベルク盤)に掲載されていたものです。
若き日の感受性というのは強いらしく、私はいまだにバッハの名を耳にすると、このイカストの顔が頭の中に鮮やかに浮かびあがってくるのです。
最初のページへもどる