エッセイの部屋
@ 二十五年ぶりの再会 〜 バリリの往年の名演を聴いて
“「このような素晴しい音で、私の若い頃の演奏と再会することが出来るとは・・」スタジオで涙ぐんで耳を傾ける老紳士。その人こそ、往年のウィーン・フィルの名コンサートマスター・ワルター・バリリその人であった!”
この素晴しいキャッチ・フレーズは私を即座にレコード・ショップに走らせました。
いかにも「売らんかな」という姿勢が見え見えの宣伝文句が氾濫する昨今、評論家やレコード会社のではなく、演奏家自身が語った言葉というのは、同じ営みを生業とする小生の琴線を、いやがうえにもくすぐったのです。
大学時代にさんざん聴き、また仲間たちと何度も合わせて楽しんだベートーヴェンのセプテット・・当時のレコードは「室内楽愛好会選定」と銘打った、しかし実体は悪名高き人工ステレオで、なおかつツメコミという、ものすごいものでした。
でも小生はニセ・ステのウワンワンいう残響、それなりに好きだったし、ツメコミも貧乏学生にとっては、とても有難かったんです。
( なにしろセプテットがレコードの片面に全部入ってたんだから!!)
そんなレコードを、安物の卓上プレーヤーの擦り減った針で聴くものですから、フォルテのところでは「バリ、バリリ」と音が割れたりして、「うーんさすがバリリだ 」なんて感心していたのも、今となっては、懐かしい青春時代の思い出です。
で、このマスター・テープによる、二十ビット・スーパー・コーティングを売り物とする新盤なのですが、その見違えるような素晴しい音に、まずビックリしてしまいました。
バリリ氏の、伸びやかでよく歌うヴァイオリンもさることながら、卓上ステレオ時代にはほとんど聴き取る事の出来なかったオットー・リューム氏のコントラバスの、何とよく歌っている事! ウィーン風のくすんだ音色と共に、しばし陶然としてしまいました。
この一枚だけ、と最初は思っていたのですが、もういけません。 イマイチ苦手な木管グループのもの以外、全て購入の予約をしてしまいました。
( こんな素晴しいCDの価格を、一枚千九百円に抑えこんでくださったMCAビクターに、今とても感謝しています。) そして一人深夜居間で、あるいは車の中で楽しんでいます。
バリリ氏のヴァイオリンを聴いていると、何かとても懐かしい気持ちを感じます。 思うに近年の演奏スタイルは「考えぬかれた、才気だった演奏」があまりに多く、そのような傾向にどっぷりつかってしまっている我々の耳には、バリリ氏の「自然な」演奏は、かえってとても新鮮に感じられるのではないでしょうか。
今日はバッハのヴァイオリン協奏曲を改めて聴き、えも言われぬ感動を覚えました。
CDのオビに、「そのせつない音色が聴くものの心を打つ絶品」とありましたが、まさに言い得て妙、厚手で鳴り切ったロマンティックな弦楽に乗って、旋律はは心ゆくまで歌い込まれ、心にグイグイ浸み込んで来る・・・・私がレコードからこんな感動を覚えたのは、たしかリヒターの「マタイ」を、初めて耳にした時以来ではないかと思います。
この演奏を耳にした後では、最近ハヤリの古楽器による演奏・・・やたらせせこましいテンポ、ノンヴィブラートによる空虚で単調な音色、アーティキュレーションの過度な強調によるトゲトゲしさ等々・・・が、私にとっては何とも空しいものに思えて仕方ありません。
演奏の様式を研究する事によって、その表現方法が多彩になっていく事は歓迎すべき事ですが、その方法は、あくまで心からの感動を得るための手段でなくてはならない、という事をひょっとしたら現代の古楽器奏者たちは、忘れがちになっているのではないか?
という事にまで、思いを巡らせるような演奏でした。
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