金井喜久子 TOPICS


 
  (提供/琉球新報社)

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金井喜久子/交響曲第1番 (1940) 、愛知県で77年ぶりに再演 !

 2017年7月9日、金井喜久子の交響曲第1番が愛知県で、初演以来実に77年ぶりに再演されました。
今回は未完の第4楽章のピアノ・スケッチを指揮者・照喜名一男さんがオーケストラ編曲をされ、初の全4楽章上演となりました。
オーケストラに先立ち丹羽亜希子さんの三線が奏でられ、会場に琉球の音色が響きわたりました。
会場には遠路東京から駆け付けられた作曲者のご長男・弘志さんご夫妻の姿も見られました。

 (指揮:照喜名一男/海部交響楽団 Vc. 深谷 展晃)
2017年7月9日(日) 14:00 〜 あま市美和文化会館
 (プログラム)
金井喜久子/歌劇「沖縄物語」序曲 (1968)
金井喜久子/交響曲第2番
(1947)
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲ロ短調


金井喜久子/交響曲第2番 (1947)、仙台で再演 !

平成25年度 (公財)アフィニス文化財団 オーケストラ助成「アフィニス エンブレム」 

仙台フィルハーモニー管弦楽団 特別演奏会「日本の現代作曲家」

 (指揮:梅田俊明 Pf:中川賢一)
2013年11月3日(日) 15:00 〜 仙台市青年文化センター
 (プログラム)
金井喜久子/交響曲第2番 (1947)
大木英子/ピアノとオーケストラのための協奏詩曲 「舞い楽」
小出稚子/ケセラン・パサラン
金子仁美/委嘱作品

 金井喜久子の交響曲第2番は、1947 (昭和22) 年11月に日比谷公会堂で開催された「金井喜久子第2回作品発表会」で、服部正/日本交響楽団 (現・N響)により初演された。もし以後再演されていないとすれば、今回の上演は実に66年ぶりとなる。
 戦時中の交響曲第1番 (1940) が作曲の師・呉泰次郎の指示によりドイツ・ロマン派風だったのに対し、この第2番は全曲を通し沖縄の香りに貫かれており、たいそう親しみやすい内容を持っている。今回の演奏はオケの鳴りも良く、曲の全容を知るにはまったく不足のないもの。ただ、沖縄独特のテンポやリズム感の表出まで求めるのは、やはり酷だろうか。さながら「仙台の沖縄人」という趣の演奏であった。
会場には金井喜久子ご長男の弘志氏も東京から駆け付け、レクチャーに参加された。
今回の演奏会は、6月のセントラル愛知交響楽団演奏会と同じく「アフィニス文化財団オーケストラ助成公演」で、日本の女性作曲家を特集したプログラムであった。音楽評論家・片山杜秀氏のレクチャーは、耳馴染みのない作品を聴くにあたりたいそう分かりやすい、いつもながらのサービス精神に溢れたものであった。
金井作品の演奏には、私ども楽譜作成工房「ひなあられ」が作成した浄書譜が使用された。


女性作曲家による日本初の交響曲 = 金井喜久子: 交響曲第1番ハ短調 (1940) 浄書譜完成!!

(2011.4)

 女性作曲家による交響曲としては日本で初めてのこの作品は1940 (昭和15) 年12月20日に日比谷公会堂で行なわれた「呉泰次郎及びその門下生第4回交響作品発表会」において、作曲者自身指揮する中央交響楽団 (現・東京フィルハーモニー交響楽団) により初演されました。
その実況録音がアセテート盤で奇跡的に残され、数年前にCD化され話題を呼びましたが、このたびご長男の金井弘志氏のご依頼を受け、演奏のための浄書フルスコア及びパート譜が完成致しました。なお初演時は第1〜3楽章のみでしたが第4楽章のピアノスケッチも残されており、全4楽章がオーケストラによって初演される日も近いと思われます。
(編成 =  2 -2 -2 -2 , 2-2-2-1, Timp, Str. )

 この交響曲についてのお問合せはメールでお願いします。
 (楽譜作成工房「ひなあられ」)

金井喜久子/演奏会の記録 (2005〜8)

片山杜秀氏、自著「音盤考現学」で金井喜久子CDを紹介。

    

 (画像転載許諾/アルテス・パブリッシング)       (画像転載許諾/キングレコード)

 日本の作曲家について熱い評論活動を続けている音楽評論家・片山杜秀氏が「レコード芸術」誌に連載していた文章をまとめた書物「音盤考現学」(アルテス・パブリッシング社・刊) で、金井喜久子CDについて触れているので、ここにご紹介したい。
 それは「幻の作曲私塾」と題した文章で、金井喜久子の作曲の師・呉泰次郎が大平洋戦争直前に実践した、当時としてはまことにユニークな教育活動を紹介している。呉泰次郎 (1907〜71) は早くから数多くの交響曲を発表し、日本で初めて本格的なヴァイオリン協奏曲を書き、管弦楽曲「主題と変奏」がワインガルトナー賞で第一位を獲得するなど、戦前を代表する作曲家の一人であったが、教育活動にも多大な労力を注いだ。当初呉は母校・東京音楽学校の専科で教えていたが、同校を退職後作曲私塾を開き、教え子にドイツ・ロマン派を基調とする厳格な作曲理論を教えた。そして弟子たちに積極的に交響曲などの管弦楽作品の作曲にチャレンジさせ、1937 (昭和12) 年からは毎年、何と自費でオーケストラを雇い、初演までさせていたのである。戦争の足音が迫りつつあったこの時期、ここまで献身的に音楽教育活動を行った人物が、他にいたであろうか。そしてその呉泰次郎が1940 (昭和15) 年12月20日に日比谷公会堂で行なった管弦楽作品発表会の実況録音が、アセテート盤で奇跡的に残されていたのである。女性としては我が国初となる本格的な交響曲 (第1番ハ短調) の録音・・・それは作曲者・金井喜久子自身が指揮する中央交響楽団 (現・東京フィルハーモニー交響楽団) によって演奏された。「大連出身のドイツびいき作曲家が主宰した驚きの音楽塾、そこに民族主義的作風をめざす琉球人女性が学び、そして生まれた日本人女性作曲家初の交響曲、そのライブ録音の奇跡的発見と復刻・・・・・。日本近代史を語るうえで不可欠なディスクである」と語る片山氏の文章は、まことに説得力のに富んだものだ。
 是非、一人でも多くの皆さんのご一読をお薦めしたい。 (2008.4.11)