貴志康一の管弦楽作品一覧 / 私見 & ディスコグラフィー (2014. 8)

                    (岡崎隆)


★交響曲「佛陀」(1933 ?)


 間違いなく貴志の代表作と言って差し支えない交響曲。まだ表だって交響曲と呼ぶに値する作品が生まれていなかった昭和ひとけたの日本で、これほど構成のしっかりした魅力的なシンフォニーが生み出されていた事を、我々日本人は誇りに思って良い。内容的にもそれまでの貴志の作品以上に深みを増し、彼がベルリンで耳にしたであろう多くの作曲家たちの「匂い」が、そこここに現れるのも興味深い。
 「佛陀」は当初、それぞれに標題の付いた全7楽章の交響曲として着手された。
作曲者のプランによれば、それは第1楽章「印度"父"」、第2楽章「ガンジスのほとり"母"」、第3楽章「釈尊誕生"人類の歓喜"」、第4楽章「摩耶夫人の死」、第5楽章「生老病死"青春時代"」、第6楽章「出家を決心す」、第7楽章「成道偈」である。
 ところがこんにち自筆楽譜が残されているのは前半の4楽章のみで、後半の3楽章はイメージメモしか現存していない。ゆえに未完成の作品ということになるが、1934年11月に作曲者の指揮するベルリン・フィルにより前4楽章の初演が行われていることから、「ロマン派の4楽章の完成したシムフォニーと見ることも出来る」という声もある。

  

   ベルリン・フィルを指揮する貴志康一 (写真提供/甲南学園貴志康一記念室)



 日本での初演は作曲者の死後実に47年たった1984年9月、小松一彦/関西フィルにより行われた。3年後の1月、小松指揮する東京都交響楽団により再演・CD化がなされ、夭折の作曲家・貴志康一の一大センセーションが沸き起こった事は記憶に新しい。
 曲はどれも素晴らしいが、特に第1楽章の伸びやかな旋律の美しさは、他の日本人作曲家からは得られないものだ。ユニゾンで呈示される第1主題がハーモニーを得た瞬間のゾクゾクッとするような快感! しかし更に特筆すべきは第2主題だ。短調の主題が長調に移行する時の幸福感は、まさに天才の所業。
 全曲が完成していたら・・・という思いを私は禁じ得ない。なぜなら第4楽章「摩耶夫人の死」はゆっくりと重く静かに終ってしまうため、何となく尻すぼみ感が否めないのだ。(ブラームスの第3交響曲が、あれほど名曲にも拘わらず4曲の中では最も演奏されないのは、やはり静かに終るため「ブラボー」が出にくく、盛り上がりに欠けるためなのでは?) 貴志の第7楽章「成道偈」についてのイメージメモ「タンノイザー (ワーグナー/タンホイザーのこと) の最後の如く強く」という記述をながめ、「ああ、全曲を聴きたかったなあ!」と残念な気持ちになってしまう。

 (レコード)
     小松一彦/関西po. (Victor PRC-30435)
 (CD)  小松一彦/東京都so. (Victor VDC-1180)
     小松一彦/サンクトペテルスブルクso. (Victor VICC-155)
小松一彦/大阪po. (2009.3.31 ライブ/指揮者によるプレトーク付 KK-Ushi KSHKO-27)


★交響組曲「日本スケッチ」(1933 ?)

 「市場」「夜曲」「面」「祭り」の4曲から成る。1934年11月18日、作曲者指揮するベルリン・フィルによる「日曜コンサート」(フィルハーモニー楽堂) において全曲の初演が行われた。同時に演奏されたオーケストラ伴奏付き歌曲 (13曲/独唱:マリア・バスカ) や「日本組曲」抜粋と共に、僅か2日間のセッションでレコーディングも行われている。この貴重な録音は現在、作曲者が持ち帰った12枚のSPが甲南学園貴志康一記念室に保管されているが、それまで空襲で焼失したと思われていた金属原盤が1973年にキングの倉庫から奇跡的に見つかり (日本組曲より「道頓堀」「花見」の2曲のみ) 、レコード・CD化がなされた。その後SP音源の改善技術の目ざましい進歩により、金属原盤が現存しない「日本スケッチ」、「歌曲集」も相次いでCDで聴くことが出来るようになった。 なお「夜曲」で二村定一 (フランク永井じゃないよ) が歌った流行歌「君恋し」が用いられているのが、隠れ二村ファンである筆者にはとても嬉しい。当時流行歌は下品なもので、クラシックこそが真の芸術と当たり前のように公言されていた事を考えると、これは奇跡的とも言える。
「面白い音楽なら、クラシックも流行歌も関係ないよ!」と嬉しそうに語る貴志の顔が見えるよう。
「君恋し」はグリーク「ソルヴェーグの歌」と同じ和音で終る。何の違和感もない美しさだ。
なお終曲「祭り」から「ハンガリー舞曲」や「スラブ舞曲」的な香りを感ずるのは私だけだろうか。
この作品は2014年9月頃、楽譜作成工房「ひなあられ」により新しい演奏用浄書譜が完成の予定で、従来の手書きパート譜にあったいくつかのミスが改訂されている。またスコアに多く見られるドイツ語表記も、全て翻訳される予定。

 (レコード)
    朝比奈隆/大阪po. (東芝EMI LRS-613) (「市場」「夜曲」のみ)
 (CD) 貴志康一/ベルリンpo. (Victor VICC-5011)、(KK-Ushi KSHKO-1)
    小松一彦/東京都so. (Victor VICC-40)

   

★ヴァイオリン協奏曲 (1932) 

 1934年3月、作曲者指揮するウーファ交響楽団「日本の夕べ」において、当時ドイツ最高のヴァイオリニスト= ゲオルク・クーレンカンプ (大好き! ) を独奏に迎え初演された。(第1楽章のみ)  全曲の初演は1978年6月、甲南学園で開催された「貴志康一作品演奏会」において、辻久子の独奏、朝比奈隆/大阪フィルによって行われた。その後辻久子をはじめ小栗まち絵、数住岸子、M.ダウス、二村英仁、大谷康子など数多くのヴァイオリニストにより再演されている。

 (レコード) 辻久子 (Vn.) 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団 (東芝EMI LRS-613)
 (CD) 数住岸子 (Vn.) 小松一彦/東京都so. (Victor VICC-40)



★大管弦楽のための「日本組曲」(1933 ?)


 「春雨」「祈り」「道頓掘」「淀の唄」「花見」「戦死」
の6曲からなる。貴志がベルリン留学中に取り組んだ、日本を紹介する映画「鏡」のために作曲した音楽を組曲にまとめたもので、1934年3月29日、作曲者指揮するウーファ交響楽団により初演された。帰朝後は「花見」「祈り」「道頓掘」の3曲が大阪、東京で演奏されたが、全6曲の日本での演奏は作曲者の死から58年後となる1995年10月まで待たねばならなかった。(小松一彦/大阪センチュリー交響楽団)
 曲に特に繋がりはないが各曲とも日本的な抒情に溢れており、異国に日本を紹介するという目的がそこかしこに伺える。ユニゾンを基本に長2度・7度和音をスパイスとして用いる手法は色彩感の表出に貢献しており、独特の香りを醸し出している。曲の構成も明確で無駄がなく、とにかく「よく鳴る」のは他の日本人作曲家にない魅力。ヴァイオリンやクラリネットに美しいカデンツァを奏でさせたかと思うと、バス・クラリネットやチューバにコミカルなソロを吹かせるなど、ここでの貴志は自由奔放 (やりたい放題?) 、彼の「ええかっこしぃだけど、ちょっとおっちょこちょい」だったという性格までが伺えるのだ。
なお「大管弦楽のための」と題されているが、楽器がフルに登場するのは最も華やかな「道頓掘」のみである。
 異色なのは終曲「戦死」だ。大胆な不協和音による長々としたコラールは、戦争の辛苦・悲惨さをいやが上にも想像させる。そこに軍歌「戦友」が現れ、ついには弦楽器で「君が代」がフォルティッシシモで奏されるのだ。「お国のために尊い命を捧げた兵士は、「君が代」(のちに信時潔「海ゆかば」に変わって行ったが) に送られ靖国へ」を如実に音化した感のあるこの曲のみ未だCD化がなされていないのは、現代の日本では妙に納得される。
 余談だが、コントラバスの5弦の低い音域が多用されているのは、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの重低音に貴志が衝撃を受けた体験からであろう。 全6曲の録音は1995年以降の複数のライブ音源が存在するが、CDなどでは未だリリースされていない。
2014年2月、楽譜作成工房「ひなあられ」によって新しい浄書演奏譜が完成した。スコアに記載されていたドイツ語表記は全て翻訳され、旧演奏譜にあった自筆スコアと異なる部分 (明らかに間違いと思われる部分を含む) も全て直されており、新浄書譜での全曲再演が待たれる。


(CD) 貴志康一/ベルリンpo. (Victor VICC-5011) 「道頓堀」「花見」のみ
   小松一彦/サンクトペテルスブルクso. (Victor VICC-155) 「春雨」「淀の歌」のみ
   小松一彦/大阪センチュリーso. (Victor VICC-60426) 「花見」「道頓堀」のみ


★バレエ音楽「天の岩戸」組曲

 1932〜5年の第3回目のベルリン留学時に作曲されたと推測される。曲は第1部、第2部からなり、演奏時間は全曲で約64分。
きらびやかなユニゾンとドラの響きが印象的な序奏は「天の岩戸」というより、中国的な響き(西遊記のオープニングのような?) を感じさせられる。その後、曲は天照大御神の「岩屋篭り」の神話に基づいて進行するのだが、印象派にも通ずる感覚的な響き、一転してフーガやオスティナート、そしてフルートなどによる美しいソロと、様々な情景がバレエ音楽らしくやや統一感なく進められる。
個別の部分には魅力的なところもあるものの、コンサート作品として客席で1時間以上聴くにはやや辛いかも知れない。
「バレエ音楽」として、貴志が目指した形での上演を体験すれば、また違った印象を受けることだろう。


(CD)  小松一彦/大阪センチュリーso. (Victor VICC-60426)


★管弦楽伴奏付き歌曲集


 「かもめ」「八重桜」「天の原」「赤いかんざし」「行脚僧」「かごかき」
 「花売り娘」「風雅小唄」「芸者」「つばくら」「富士山」「さくら」「力車」

 現在貴志康一作品の中で最も親しまれているのは、やはり歌曲ではないか。中でも「かもめ」「天の原」「赤いかんざし」「かごかき」はよく演奏されているようだ。
そんな貴志歌曲のピアノ伴奏部分がオーケストラに編曲され、ドイツ人ソプラノによる日本語歌唱 (!) と貴志自身の指揮するベルリン・フィルにより13曲もの録音が残されている事実を知った時の感動を、今も私は懐かしく思い出す。それは2006年のことだった。お茶の水の「ディスク・ユニオン/クラシック館」で「転生」と名付けられたKK-Ushiという、いかにも自家レーベルという趣きのCDを見つけたのだ。
ええっ本当 !?」 (今どきの言い方で言えば「マジかよ! 」か)
そこには13曲の貴志歌曲のほか、「日本スケッチ」全曲も新マスタリングで添えられており、トータルで74分32秒 ! 貴志はこの他にも「日本組曲」から2曲 ( 「道頓堀」「花見」)をベルリン・フィルとレコーディングしており、これらのセッションは僅か2日で行われたのだ。
 私がこのCDを聴いてまず感心したのは、マリア・バスカによる日本語歌唱だ。ドイツ訛りは当然としても、歌詞の意味をある程度把握しなければ、これほどインパクトのある「うた」は生まれなかったと思う。日本人青年作曲家に対する彼女の献身的な尽力に、言葉に表せないほどの感銘を受ける。その姿勢は伴奏に回ったベルリン・フィルも同様だ。一部危ない箇所もあるが、現代と違い取り直しのきかないセッションでのトップ・オーケストラの底力を、改めて感じさせられるのだ。貴志のタクトも非凡。指揮を少しでも体験した者であれば「歌曲の伴奏」がいかに難しいものか、お分かりいただけるだろう。自作とは言え、これほどピッタリと歌に付けているのは大したものだ。
 余談だが、「力車」冒頭のオーケストレーションは、マーラーの交響曲第4番第1楽章のパロディのようにも聴こえる。

 このCDのリマスタリングにはGHAというシステムが用いられ、SP特有のノイズをカットしているという。貴志康一記念室に保管されている12枚のSPから収録されたと思われるが、当初商業化は不可能と言われた原盤の音質をここまで改善されたその技術に、心から敬意を表したい。
 (怪しげな輸入盤によくある、ノイズ・カットばかりに重点を置いた悲惨なリマスタリングとは、天と地の差である) 
ただ、貴志の自演盤に時代の匂いと魅力を感じつつも、願わくば近い将来これらの作品がデジタル録音される事を心より願う。


 (CD) 貴志康一/ベルリンpo. (KK-Ushi KSHKO-1)


    横顔に自信があったという作曲者の代表的なスナップ

 ※ ディスコグラフィーその他については、日下徳一「貴志康一 よみがえる夭逝の天才」を大いに参考にさせていただきました。